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パーティー [2003年04月17日(Thu)]

この研修は「白諸村ワークキャンプ」とも言えそうな研修だ。今日は村でパーティーを開くという。

観光旅行中止
よく晴れた朝。グレイスが浮かぬ顔をしてファニーと話している。さっきまで白諸村の医院長と電話していたのだが。
わけを訊くと、村人と一緒に「七星岩公園」に行く計画に院長からストップがかかったという。私たちが村人と何かをしようとするときは、必ず院長の許可を得なければならない。すべての段階を院長の同意のもと進めねばならない。
「ここ(村)は私の領域だ。私の許可なく勝手に観光に連れて行かれては困る」。
院長はそう言って怒っていたという。
村人はこの企画を楽しみにしていて、80人もの応募者があった。初めて旅行計画を立てたとき、村人は街に行きたがらなかったという。ところが、ひとたび街に行ってみると、飯はうまい上に偏見は特にないことを知り、応募者が殺到するようになったそうだ。
この村でワークキャンプをするとしたら、それは容易ではないだろう。
「リベートを医院側にしっかり取ってもらえば、村でキャンプすることは可能ですかね?」
グレイスにそう訊くと、彼女は大きくうなずく。結局、ものを言うのはカネなのか。

傷を大きくする??
足の裏のタコにナイフをあてる。慎重に傷口の周りのタコをそぎ切っていく。見ていたファニーが言った、
「傷の穴の周りの皮をもう少し切り取って」。
治り始めているにも関わらず、タコ傷を大きくするのだろうか。
「傷の際の皮を切り取らないと、傷口が膿んだまま皮が覆い被さるようにしてふさがってしまうの」。
私は思い切って傷の際の皮にナイフを立てる。
この村人のタコ傷はまだきれいな方だ。骨が見えている足、膿みで真黄色になった大きな傷を持つ足、指が壊死している足。いろいろな足を見た。
私の足。魚の目の後が残り、ところどころ硬くなっている。
「おれの足ってきれいだなあ…」。

「ごめんなさい」
「文娯室」で村人と一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたりした。すべてがグレイスのペースで進んでいく。彼女は乾いた大声で村人をリードしていく。
1時間ほど楽しんだ後、グレイスが村人に語り始める。
「ごめんなさい、十分なタコ削りができなくて。ごめんなさい、物をたくさんあげられなくて。ごめんなさい、観光旅行がダメになって…」。
グレイスは左腿を骨折したため、しゃがむ姿勢をとることができない。階段の上り下りも辛い。この足のために、看護士を引退した。それでも、MMCのボランティアとして療養所を訪問し、タコ削りを行っている。そんな彼女が、ごめんなさいばかり言う。
突然、1人の村人が大きな声を出して彼女のスピーチを止める、
「その気持ちを受け取った!」
男の村人のタコを削る [2003年04月16日(Wed)]

今日はタコを削らせてもらう日だ。簡単なレクチャーを受け、ナイフを持つ。

傷と化したタコの削り方に関するレクチャー
@1%の食塩水に傷のある足を30分つける。硬くなった皮膚を柔らかくすることと消毒を兼ねている。
A硬くなった皮をそぎ切っていく。指で触りながら、柔らかい皮を傷つけないように切り取る。新しい皮は硬い皮の下にあるので、硬い皮があると新しい皮が出て来られないまま、タコが深くなってしまう。ナイフ(あるいはハサミ)は70%以上のアルコールで消毒し、清潔な水で洗っておく。アルコールは肌にダメージを与えるためだ。
B食塩水に浸したコットンボールで消毒してガーゼを貼る。ガーゼは洗ったあと日干しにし、再利用する。

タコ削り
説明を受けた後、実際にタコ削りが始まる。次から次と、村人が私たちのいる部屋にやってくる。足の裏に直径5センチほどのタコ傷を持つ村人、足首の骨が見えている村人、足が変形してどんな靴も履けなくなった村人…。彼らの足の裏のタコを、グレイスとファニー、シスター3人が削っていく。
「月に一度くらい削るだけでは良くならないのよね…」。
確かに、一度だけでは、「焼石に水」もいいところだ。村人の多くはおしゃべりにきているという感覚なのではないか。そんな印象を受ける。

感動
グレイスがある村人のタコ傷を削った後、包帯を巻かせてもらった。包帯を結び、靴をそろえてあげると、彼は指の第3関節すらない手で靴を押さえ、足を突っ込む。
親指と人差し指の付け根がわずかに残るおっちゃんの手。やっと紐を摘まめるか摘まめないかの手で、紐を探るように挟む。私は手を出しそうになるのをこらえ、見守る。
結べた。
「おー、ハオ、ハオ、ハオ!」(おー、すごい!)
この時を待ち構えていた私は親指を立てて小さく叫ぶ。おっちゃんは「どうだ、見たか!」と言わんばかりのいい笑顔を見せてくれる。

グレイスの熱意
15時30分、タコ削りを再開すべく、部屋に待機する。しかし、村人がまったくタコ削り室に来ない。
(じゃ、ちょっと寝ようかな)。
そう思ったとき。
「じゃ、村人の家を訪ねて行って、タコを削りましょう」。
こう言うとグレイスは、左足を少し引きずるようにしてズンズン歩いていく。彼女は以前に骨折し、今も人工物が腿に入っているという。村人と大きな声で話しながら、グレイスはカードにタコ傷の状況を書き込む。目を覆いたくなるほどの傷。
「△?!□※!!」
村人の生活状況やタコ傷のひどさに興奮すると、グレイスは広東語で私にまくし立てる。もちろん、私は何を言っているか分からない。

指がなくても自分で料理
村人の黄さんは両手の指がなく、手が丸くなっている。にも関わらず、自分で料理しているという。フライパンを使って炒め物をすることはできないが、蒸料理なら可能だという。料理を手伝ってくれる人はいないそうだ。
それにしても、彼も含めてどの村人も後遺症が重いが、明るい。あいさつすると、初めて村を訪れた私にも笑顔を返してくれる。何度も村を訪れているグレイスとファニーと一緒にいるからだろうが、それにしても友好的だ。
ハンセン病という、当時は難病だった病を経験した人々。社会から隔離され、家族からさえ差別されてきた人々。なぜ、ここまで明るくなれるのだろう。まだわからない。

邱修女
村人の陳さんの左足は、変形が激しく、つま先が完全に後ろ側に曲がっている。彼は、足首の間接(甲側)を地面につけて歩く。見るからに痛々しい。彼は部屋の入口の低いイスに腰掛けてニコニコしていたが、私たち一行の姿を見ると、立ち上がって歩き出す。
「あー、座ってて〜!!」
邱修女は心配そうに悲鳴を上げて彼に駆け寄る。涙すら浮かべている。修道女の邱さんは、結婚を捨てた。人のために何かをしたい。結婚によってその時間を奪われるのがいやだ。そんな想いから独身を保つ。21歳のとき洗礼を受けたという彼女は、ホントに優しい。

「カネ、カネ、カネ!」
何でも1人でできたある村人。この2ヶ月は、何もできない。
このおじさんは、今年の旧正月(1月の終わりから)のとき、自転車を運転中に転倒し、右足の太腿を骨折した。1万元(約15万円)の治療費が払えるはずはなく、鎮痛剤もないまま、痛みに耐えている。今も、右足の腿を持ち上げることができない。今は寝ているだけだ。料理は、お金を払って他の村人にお願いしている。
ファニーは彼に治療費を寄付することを考えたという。が、やめた。不公平になるからだ。
「なぜ彼には寄付して、おれにはくれないんだ!」
そんな声が村人の間から聞こえてくるのは明らかだという。
「カネ、カネ、カネ!結局、みんなお金の問題なのよ!」
ファニーはそう吐き捨てた。

中国語、勉強しないとな…。
その夜。医院の職員2名、修道女3名、グレイスとファニーの大きな笑い声を聞きながら、独り部屋の外でビールを飲み、タバコを吸う。部屋からは電球色の明かりがもれる。
そこへ、部屋に向かう医院の職員の奥さんが通りかかり、中国語で何か話し掛けてくれる。
「ティンプートン」(わかんない)。
「ティンプートンァ。フフフ…」(わかんないか、しょうがないな、フフフ…)。
おばさんは部屋に入っていき、みんなと笑い声を上げている。
(中国語、勉強しなきゃダメだな…)。
グッとビールを一息に飲み干す。
白諸村研修キャンプ [2003年04月15日(Tue)]

FIWC関東委員会中国駐在員の私を、広東省漢達康福協会(HANDA)(中国のハンセン病支援NGO)が「ただ働き職員」として受け入れてくれる。
HANDAは、私がリンホウに行く前に白諸村(ハンセン病療養所)で研修を受けさせてくれるという。今日は村に行き、村人の足の裏のタコの削り方を習う。

スケジュール
8時ごろ、HANDAのオフィスで研修スケジュールの打ち合わせをする。

15日
・午後: 村を訪問し、傷の状態を記録する方法を学ぶ。
・16時〜: 傷のケアの基礎知識に関する講義。
16日
・男の人の傷のケア
17日
・午前: 女の人の傷のケア
・14時〜: エンターテイメント
18日
・フリーディ。Seven Star Cave Parkへ
19日
・午前: 傷のケア
・午後: HANDAに戻る。

ユ、ユキちゃん…
研修スケジュールが決まり、ロウさんが運転席に座るHANDAのバンに乗り込む。白諸村に出発だ。研修参加者が次々とバンに乗る。ゴツイ義足技師の袁亜華さん(28、♂)、痩せ型の義足技師の魏義峰さん(♂)、グレイス(グレイス♀)という中年の看護士さん、李素貞(ファニー♀)という看護士さんと3名のシスター(邱さん、劉さん、袁さん)が座席に座り込む。と、最後に、懂麗婭(ユキ♀)が助手席に座った。
(ユキちゃんも来るのか〜☆)
ウキウキしながら車にのって白諸村へ向かう。
が。まだまだ村につく気配のない場所で、なぜか車が止まる。
(え……?)
ユキちゃんがバンから降りる。彼女は笑顔で、
「バッバーイ」。
手を振る彼女の姿はどんどん小さくなっていく。
(こんなことではイケナイ。もっとストイックに駐在員として働かねば…)。

白諸村到着
平坦な田園地帯に白諸村はある。近くには高速道路を建設しており(2004年開通)、夜中まで大型トラックが行き交う。村からバイクで3〜4分ほどのところに市場がある。リンホウのような激しい隔離の痕跡はあまり感じられない。
白諸村には、約100名の村人が住む。村長は林さんという陽気なおじさんだ。リンホウ村のカンペイちゃんに似ている。村のおばちゃん、おばあちゃんもたくさん出てきて出迎えてくれ、容赦なく広東語で話し掛けてくれる。
「ティンプートン、ティンプートン」(わかりませんよ…)。
私がそう連発しているのを見かねたファニーが訳してくれた、
「政府以外の他の人々は私たちのことを気遣ってくれない。あんた方が来てくれてホントにうれしいよ」。

村人の部屋の掃除・洗濯・入浴
「これから村でいちばん貧しい人のうちに行くわよ」。
グレイスはそう言い、村の奥の家に連れて行ってくれる。即座に3名のシスターたちが手際よく掃除していく。
「これ、洗濯してきてちょうだい」。
グレイスに渡された、土色をした服2枚とコート、毛布。湿っている。オーケーとは言ったものの、つかむのもためらわれるほどだ。キレイになる気配なし。こすっても、こすっても泥色の水が染み出してくる。
服と格闘する私を見守っていた村のお姉ちゃんが靴を脱ぎ、毛布と服を踏んで洗い始める。確かに、そうでもしないと日が暮れてしまいそうだ。結局、一応キレイにまでに40〜50分かかった。日本では洗濯機で簡単に洗える毛布。手作業はかなり辛い。手足が不自由な村人が服を洗わない(洗えないというべきか)理由のひとつだろう。
グレイスとファニーは時々この村を訪れるという。彼女らはMMC(Medical Mobilization Cooperation)という団体のボランティアだ。

ファニーのタコ削り
ファニーがハサミを持った。村人の足の裏にあるタコを削りとっていく。
「硬くなった皮を放っておくと、タコがだんだん深くなってしまうの」。
そう言ってハサミを動かすファニーの顔は真っ赤になっている。足を傷つけないように皮の硬さを確かめながらハサミを扱う。
「この村人はね、半年前までは傷がなかったの。ネズミにかじられて傷ができたのよ」。
硬い皮がだいぶ削られた。傷の周りの硬い皮を削る部分が大きくなることを恐れてはいけない。きちんと硬い皮を削っておかないと、傷の状態が悪いまま周囲の皮が伸びて傷口がふさがってしまうからだ。
皮を削る前は、少量の食塩を溶かしたお湯に足を30分つける。これは、硬くなった皮膚を柔らかくすることと消毒を兼ねている。グレイスとファニーは削り方を村人に教えながら手を動かす。消毒薬のない村人が自分でタコ削りをできるように、あえて消毒薬は使わずに食塩水を使って実演している。
数ヶ月に1度しか村を訪れることができないというファニーは語る、
「実はね、村人のタコ傷を完全に治せるとは思ってないの。でも、心は癒せるわ」。

ここで脱がせるの…?
「スプーンない、箸ない、シャワーもない!オゥ、マイゴッド!」
そう興奮するグレイスは、ワークキャンプで村にシャワー室をつくってもらうことを期待している。今、シャワー室はもちろんない。それでも、これから女の村人をシャワーするという。
「この人はいつも遠慮して拒むんだけど、シャワーが終わるととても気持ち良さそうにするのよ」。
そう言いながら、部屋の外のイスに座る村人のシャツを普通に脱がせる。しぼんだオッパイが露わになる。グレイスはシャンプーしていく。
頭を洗い終えると、グレイスは彼女のズボンを脱がせ始めた。イスの上におばあちゃんが全裸で腰掛ける。ここで私は席を外した。
再見☆日本 [2003年04月14日(Mon)]

ついにこの日がきた。中国へ旅立つ。ただ、いくつか不安要素がある。

不安@「本当に学生団体はできるのか?」
10時30分。携帯電話を解約する。日本の友人たちと切り離された気がする。
11時10分。関西国際空港に向かうリムジンバスに乗り込む。見送りに来てくれた友人は眼を真っ赤にしてくれる。バスの窓越しに見えるその姿。
(これから中国に行くんだ…)。
中国に1年間滞在することを、その重さを実感した。

その前の晩。
「青い」。
ある人はそうFIWC関東の計画を斬った。FIWC関東の計画― つまり、リンホウを支援する学生団体を設立すること、その参加者に村人とその生活を五感で感じてもらうこと、そこでの想いを大切にしてもらうこと、その支援の輪を広げ、ネットワークをつくること。
「あなたみたいな人ばっかりだったらいいんだけどね」。
そう笑うその人はこの計画を応援してくれたが、ハンセン病を取り巻く状況を変えるのは難しいという。
(やっぱり、おれの想いが先走ってるのかな…)。

不安A「重症急性呼吸器症候群(SARS)」
13時27分。関西国際空港の搭乗ゲート27番―14時50分発、広州行き―に向かう。
(いた…!)
前から歩いてくるオッサンは物々しいマスクをつけている。
(日本には大袈裟なヒトが多いな…)。
と、次の瞬間。外国人と思われる黒い肌の女の人が同じようなマスクをしている姿を見た。あたりを見回すと、搭乗時間を待つ100人ほどの人々の中に、ごついマスクをしている人が何人かいる。ここは日本であるにも関わらず。
搭乗ゲート周辺に電子音が響く。ピンプンポンパーン…、
「ノースウエスト空港70便デトロイト行きのお客さま、ただ今から18番ゲートよりご搭乗ください」。
ワラワラと人々が立ち上がる。広州行きの飛行機を待ちつづけたのは、4名。静まり返るロビーで物音を立てるのは、掃除のおばちゃんだけだ。
(大丈夫かな…)。
14時を回るとようやく人が増え始めるが、中国人ばかりだ。広東省の友人たちが問題ないと言ったとはいえ、マスコミの報道からすると、不安になる要素はいくらでもある。
(強がらないで、マスク持ってった方がよかったかなぁ…。出発、延期した方がよかったかなぁ…)。

18時30分、広州に降り立った。人々はマスクをつけていない。今回で5度目の広州だが、街は普段と変わらず、にぎやかだ。SARSにかかるのは、宝くじに当たるようなものなのだろう。

(注)「青い」と斬った彼女は現在、とてもとても大切な、いろいろな意味でのサポーターとなってくださっています。
リンホウ駐在開始 [2003年04月13日(Sun)]

<FIWC関東委員会中国駐在員派遣>

「リンホウ村を支援する学生団体をつくろう」―FIWC関東委員会中国駐在員はそんな目的で派遣された。

リンホウ村の生活
中国広東省潮州市にあるハンセン病 快復村 ・リンホウ村の生活は過酷だ。リンホウ村は1960年、ハンセン病の隔離施設として設立された。当時300名が隔離され、村から徒歩5分の場所に現在もあるリンホウ医院は村人たちを治療した。現在はハンセン病が治癒した13名の村人―いわゆる「ハンセン病快復者」―が半隔離の生活を送っている。

過酷な生活
政府が支給する村人の生活費は、1人あたり1ヶ月120元(約1800円)。築20年以上の家々は、シロアリの被害で倒壊する危険があるといわれている。屋根瓦がはがれ、雨漏りがする個所もある。そんなリンホウ村に住む人々の平均年齢は60代後半だ。そのうちの4名は歩けず、1名は失明している。ハンセン病の後遺症に対するケアはなされていない。

リンホウを支援する学生団体
FIWC関東委員会は、このリンホウ村を支援する団体を設立しようとしている。
この計画はすでに動き始めている。リンホウの地元の大学・潮州市韓山師範学院の学生たちがFIWC関東の呼びかけに応じ、支援団体設立に向けた準備を進めている。ゆくゆくは師範学院だけでなく、看護学校や医大、農業学校などを巻き込み、リンホウを医療的、精神的、物質的に支援する体制を整えたい。

学生団体のネットワーク
リンホウを支援する団体の基礎がかたまった後は、広東省全土のハンセン病村を支援する学生のネットワークをつくり始める。
広東省には62のハンセン病村があるといわれている。その各村の地元にある大学に呼びかけ、村を支援する団体を設立し、各団体の横のつながりをつくる計画だ。それぞれの団体の代表者が一堂に会し、会議を開くことも考えている。そこでは、ハンセン病村のあり方、ハンセン病差別の問題を話し合いたい。このネットワークは、財政的に苦しい状況にある中国の地方政府や広東省漢達康福協会(HANDA.) を補い、中国のハンセン病をめぐる状況を改善するのに役立つだろう。