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朝日新聞「人脈記」 [2011年02月11日(金)]

2月10日付けの朝日新聞夕刊一面下の「人脈記」に小牧さんと僕のことが載っています。
深く書いていただくことができ、記者の方にとても感謝しております。
ご覧いただければ幸いです。

僕はまだこの記事を全部はみていないのですが、たぶん紙面の関係でかけなかったのだと思う「つづき」があります。

彼はその後、足を切断したこと。
リハビリに耐え、義足で歩けるようになったこと。
そして、その後、2度中国に来ていること。
昨年末は眼の手術も受け、あの瓶底眼鏡をかけなくても眼が見えるようにしたこと。

彼は、また、中国に来ます。
Posted by tynoon at 14:45 | 小牧義美 | この記事のURL
小牧さんの怪我 [2010年08月23日(月)]

星塚敬愛園の方が送ってくれた小牧さんからのメール「盲状態で入院」を受け、敬愛園に電話してみると、眼の中の濁りを除くという手術は成功したとのこと。
転倒して眼の上を怪我し、出血し、それが眼の中に入ってしまって見えなくなったよう。
それをきれいにする手術は無事成功し、今日の検査の結果次第でこの後の入院日数が決まるらしい。
とりあえず、一安心…。
Posted by tynoon at 12:35 | 小牧義美 | この記事のURL
ひいおじいちゃん [2010年05月30日(日)]

小牧義美さんが中国にきた。

JIAワークキャンプ南寧地区のキャンパーの卒業式に出席し、キャンパーたちを激励し、広州ではミンジュン率いる社会人キャンプのキャンパーと語り合った。小牧さんがサポートした広東省雷州橋東小学校キャンプのキャンパーた20名ほどもホテルに押しかけ、小牧さんに活動報告をPPTやスライドショーで行った。

そして、ひ孫のリンにまた会った。
リンは甘い声で「ひいおじいちゃん」と呼ぶ。


リンと小牧じーちゃん
Posted by tynoon at 10:43 | 小牧義美 | この記事のURL
小牧義美 [2010年05月12日(水)]

5月28-31日、小牧義美氏が中国にくる(おそらく)。
「散るもよし いまを盛りの 櫻かな」と詠んで、小牧氏が療養所を退所したのが2006年の初め。
中国のハンセン病快復村で快復者の傷の手当をつづけた。
そして自分の足を傷つけ、それを切断するため、2007年の終わりに日本に戻っていった。

彼はその後義足をつけて2009年8月、JIAの年度総会(南寧)に参加し、桂林ピンシャン村(ハンセン病快復村)にもいった。

そして、今月末、南寧のキャンパーたちの卒業式に参加するため、また中国にくる(予定)。
2007年から南寧に住んでいた小牧じーちゃんは、南寧のキャンパーと仲がいい。
あのころ現役でゴリゴリキャンプをしていた学生たちが今年、一挙に卒業する。
「ぜひ、卒業式に小牧さんを招待したい」との彼らのアツい想いから、小牧じーちゃんは中国に来ることを(ほぼ)決意した。
Posted by tynoon at 15:24 | 小牧義美 | この記事のURL
再会 [2009年06月25日(木)]

「うーん?おまえ、もうちょっと髭なかったか…?うーん?燎太郎?おまえは真二じゃないか…?」
1年半ぶりに会う小牧じーちゃんはさすがに年をとった。

小牧氏は2006年、社会復帰して療養所を出、ぼくといっしょに広州に住みながら中国のハンセン病快復村で活動する。
足の裏にできる傷の手当の仕方を知っている彼は、中国の快復村を回り、傷の手当をして歩く。
村にひとりで40日住み込み、傷の手当をしたこともある。

しかし、やがて自身の足に傷を負う。それは直らず、どんどん腫れていく。その傷が原因でめまいもする。食欲もなくなっていった。目は見えにくくなり、耳は遠くなる一方だ。
そして2007年の終わり、広州を引き上げ、日本に戻り、足を切断した。



一時帰国中のぼくは小牧じーちゃんを訪ねる。鹿児島県星塚敬愛園にあるじーちゃんのうちの庭には畑がある。
「おいしい野菜がたくさんできたけどな、おまえさんには食わさんぞ」と電話でいってたあれだ。
苦瓜、トマト、なす、きゅうり(へちまくらいでかい)。
盗み食いしたもぎたてのきゅうりはそのままでも異常にうまい。



今回は本当は妻のジエシャンと娘のリンをつれていく予定だったのだが、ジエシャンのビザがとれず、ふたりは日本に戻れなかった。
(やっぱり女の子つれていかないとすねるからな…)。
うちの妹もいくことになった。


左から西尾さん、妹、小牧じーちゃん、ジュンペイ


夜は小牧じーちゃんがつくった冷やしトマト、きゅうりの輪切りに豚味噌で焼酎を飲む。だんだんじーちゃんにエンジンがかかってくる。
「来年の2月には中国のキャンプにいきたいと思ってるんだ」。



最後は、いつもの琵琶湖の唄でしめる。
ふとんから起き直ったじーちゃんが唄い始める。



―2005年5月、小牧じーちゃんは雲南省昆明でこれを堂々と唄いあげた。「昆明の空は碧い」と社会復帰を考え始める。2007年8月にも昆明で唄った。あれはJIAの年度大会(ネットワーク会議)のホテルでだった。足の傷がひどくなっているころで、声にまったく張りがなく、ところどころ声が出なかった。そして、いま、彼は再び唄う。

…力強い。2005年のときとまではいかないが、強い。小牧義美、復活だ。
Posted by tynoon at 11:37 | 小牧義美 | この記事のURL
妹の作文(兄馬鹿…) [2007年02月04日(日)]

「一緒に歩いた、夜の帰り道」
平塚市立山城中学校 三年 原田陽子

 私の兄は、中国のハンセン病快復村の支援活動をしている。去年の秋、その村から兄と一緒に一人の老人が家にやって来た。
 その老人は、小牧じいちゃんという。もちろんハンセン病快復者だ。小牧じいちゃんの顔や手にある痕がハンセン病の恐ろしさを物語っている。あごは出ていて、まゆはほとんどなく、歯はがたがた。手の指もほとんど失っていて、丸っこくなっている。
 私は、いつも家にお客さんが来ると、普段どおりの自分で、かつ礼儀正しく接するようにしている。小牧じいちゃんが来たときもそう努めた。でも、何かが違った。普通のお客さんにする『気遣い』と、小牧じいちゃんに対する『気遣い』はどこか違っていた。やはり、『ハンセン病』ということがひっかかっているみたいだ。ハンセン病といえば、昔からひどい差別を受けてきた病気だ。「病気が移るから」と外に出させてもらえなかったり、家族と縁を切られてむりやり療養所に送られたり…。少し前にはハンセン病が理由でホテルに泊めてもらえなかったというニュースも報じられた…。だから私は心の中で、「この人はハンセン病だったんだ。かわいそうな人なんだ」とある意味差別していたのだと思う。
 そのまま三日くらい経った日の夜、父と兄と小牧じいちゃんと私で居酒屋に行くことになった。居酒屋へは歩いて行くことになったのだが、兄は小牧じいちゃんの肩に腕を回し、小牧じいちゃんを支えて歩いた。兄は、
「次、右に曲がるよ。」
などと声を掛けて誘導していた。そう、小牧じいちゃんは目がほとんど見えないのだ。ましてや夜の道だ。支えてやらないと危ない。支えていても、ときどきつまずきそうになる。でも兄は、嫌そうな顔ひとつしないで、むしろ当然のことのように、小牧じいちゃんと一緒に、小牧じいちゃんの歩幅に合わせて歩いた。小牧じいちゃんも、兄を信頼している様子だった。
 居酒屋に着いた。中は混んでいたので、外の席で飲み食いすることにした。そこではいろいろな話をした。世間話、昔の思い出話、私が通っている学校の様子…。父も兄も小牧じいちゃんも、私の話をよく聞いてくれた。時々響く笑い声は、周りの人がこちらを振り向くほどだった。
 帰り、私が小牧じいちゃんを誘導することになった。兄に「やってみな」と言われたので、ちょっと照れくさかったけどやってみた。
 一緒に歩いている小牧じいちゃん顔を見てみたら、「病気だったからかわいそう」なんてことはもう関係なくて、「この人は私の友達だ」とそう思えた。小牧じいちゃんと歩いていることが嬉しかった。
 人が人を差別するのは、お互いをよく知り合っていないからだと思う。ちゃんとその人と向き合えば、その人に対する思い込みも消え、その人を見下したり差別したりはしないだろう。
 その後じいちゃんと兄はまた中国に帰って行った。最後に私たち家族は一人ずつ小牧じいちゃんと握手した。あの丸っこい手、短い指…。小牧じいちゃんにまた会いたいと思いつつ私たちは二人を見送った。
 一緒に歩いた、あの夜の帰り道、私の手と小牧じいちゃんの肩をつたって、お互いの心に、何かあたたかい気持ちが通っていた。
Posted by tynoon at 22:24 | 小牧義美 | この記事のURL
すべてに通じる [2006年07月21日(金)]

おれは河童だった。

小牧じーちゃんはそう語り始める。

川の水の性質、子供がおぼれているときに落ち着いて助ける方法、海の水の性質、潮の流れ、腕のいい漁師のかつおの取り方、海峡…。

ふと、前にじーちゃんが話してくれたことがリンクする―じーちゃんは宮大工だった。木や山の性質、道具の手入れ、棟梁のあるべき姿、働いている大工ひとり一人の性格を観察すること、…。

すべてに通じるものがある。

じーちゃんはそう締めくくる。
Posted by tynoon at 10:30 | 小牧義美 | この記事のURL
散るもよし いまを盛りの 櫻かな ―小牧義美 [2006年06月20日(火)]

Posted by tynoon at 11:17 | 小牧義美 | この記事のURL
小牧義美の日本語教室 [2006年06月13日(火)]

2006年2月からぼくらと一緒に住んでいる小牧義美はこのごろ、ジエシャンに日本語を教えている。教えるといっても、歌を歌ったり、おしゃべりしたりが中心だ。ジエシャンは新しい単語を書き留め、分からない言葉は辞書を引く。

『川は流れる』
わくらば(病葉)を水に浮かべて
街の谷
川は流れる
人の世の望み敗れて
寂しさに
じっと見つめる
嘆くまい
川は流れる


小牧:「決して嘆かない」。
ジエシャン:「嘆かない」。(メモる)。
小牧:「悲しくても、決して、嘆かない」。
ジエシャン:「うん」。

小牧:「タイランは我慢。タイランは我慢する。じーちゃんは飲む。豆、買って、…」。
ジエシャン:「豆はだめ、ビールだめ、饅頭もだめ」。
小牧:「ビールばっかり買ったら、タイランにとられるからだめ。ビールはタイランとジエシャンで飲んでしまう。豆だったらじーちゃんも食べられる」。
ジエシャン:「ここにあるよ」。
小牧:「もうない」。
ジエシャン:「もうない?いっぱいあるじゃん」。
小牧:「え?ゴキブリじゃないか?」
ジエシャン:「ゴキブリじゃないよ」。
小牧:「豆か?でも、もう23時になるぞ。また豆くったら、またおなか痛くなるぞ。だからアイスクリーム買って来て」。
ジエシャン:「だめ。もうすぐ寝るだろ」。
小牧:「起きてます」。
ジエシャン:「オキテマス?」
小牧:「起きてます」。
ジエシャン:「寝ないでもダメ」。
小牧:「困ったなぁ」。
ジエシャン:「コマッタナ?」
小牧:「困ります。チョコレートいいですか?」
ジエシャン:「チョコレートだけ、好き?」
小牧:「チョコレートもダメ?ビールもダメ?」
ジエシャン:「ビールはいいよ」。
小牧:「ビールと豆ならいい?」
ジエシャン:「いいよ。5本。タイランは2本、じーちゃんは3本」。
小牧:「おじいちゃんとジエシャンと1本ずつ。2本でいいよ。タイランは我慢するから」。
ジエシャン:「いっしょにいく?」
小牧:「いかない。もういかなくていい。もう遅いよ」。
ジエシャン:「なんで?そう?じーちゃんも我慢?」
小牧:「我慢」。
ジエシャン:「いい子だねぇ。今日はみんないい子だねぇ」。
小牧:「はは、いい子か。太郎はこれもってるよ。白波。もうちょっと入ってるよ」。
ジエシャン:「明日、じーちゃんの歌を録音する」。
小牧:「おお!何を歌うかねぇ」。
ジエシャン:「『からす』と、『わくらば(病葉)』」。
小牧:「それはね、『からすのあかちゃん』と『川は流れる』」。
ジエシャン:「明日はね、『からすのあかちゃん』と『川は流れる』、ふたつ、録音する。♪からすー、なぜ鳴くの…」。
小牧:「ぐー…」。
ジエシャン:「はは、寝ちゃった…」。

『からすのあかちゃん』
からす
なぜ鳴くの
からすは山に
可愛い七つの子があるからよ
かわいい、かわいいと鳴くんだよ
Posted by tynoon at 11:26 | 小牧義美 | この記事のURL
毎日新聞 [2006年05月10日(水)]

Posted by tynoon at 10:53 | 小牧義美 | この記事のURL
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