「うーん?おまえ、もうちょっと髭なかったか…?うーん?燎太郎?おまえは真二じゃないか…?」
1年半ぶりに会う小牧じーちゃんはさすがに年をとった。
小牧氏は2006年、社会復帰して療養所を出、ぼくといっしょに広州に住みながら中国のハンセン病快復村で活動する。
足の裏にできる傷の手当の仕方を知っている彼は、中国の快復村を回り、傷の手当をして歩く。
村にひとりで40日住み込み、傷の手当をしたこともある。
しかし、やがて自身の足に傷を負う。それは直らず、どんどん腫れていく。その傷が原因でめまいもする。食欲もなくなっていった。目は見えにくくなり、耳は遠くなる一方だ。
そして2007年の終わり、広州を引き上げ、日本に戻り、足を切断した。
一時帰国中のぼくは小牧じーちゃんを訪ねる。鹿児島県星塚敬愛園にあるじーちゃんのうちの庭には畑がある。
「おいしい野菜がたくさんできたけどな、おまえさんには食わさんぞ」と電話でいってたあれだ。
苦瓜、トマト、なす、きゅうり(へちまくらいでかい)。
盗み食いしたもぎたてのきゅうりはそのままでも異常にうまい。
今回は本当は妻のジエシャンと娘のリンをつれていく予定だったのだが、ジエシャンのビザがとれず、ふたりは日本に戻れなかった。
(やっぱり女の子つれていかないとすねるからな…)。
うちの妹もいくことになった。
左から西尾さん、妹、小牧じーちゃん、ジュンペイ
夜は小牧じーちゃんがつくった冷やしトマト、きゅうりの輪切りに豚味噌で焼酎を飲む。だんだんじーちゃんにエンジンがかかってくる。
「来年の2月には中国のキャンプにいきたいと思ってるんだ」。
最後は、いつもの琵琶湖の唄でしめる。
ふとんから起き直ったじーちゃんが唄い始める。
―2005年5月、小牧じーちゃんは雲南省昆明でこれを堂々と唄いあげた。「昆明の空は碧い」と社会復帰を考え始める。2007年8月にも昆明で唄った。あれはJIAの年度大会(ネットワーク会議)のホテルでだった。足の傷がひどくなっているころで、声にまったく張りがなく、ところどころ声が出なかった。そして、いま、彼は再び唄う。
…力強い。2005年のときとまではいかないが、強い。小牧義美、復活だ。