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キャンパーが作文コンクールで入賞 [2010年12月02日(Thu)]

笹川記念保健協力財団の方より連絡がありました。

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日本科学協会と中国青年報が主催している中国の作文コンクール入賞者の原稿です。
頼麗思さんという広東省の方の作品ですが、JIAのキャンプに参加した時のことが書かれています。
中国語の原文を下記リンクから見ることができますので、是非読んでみて下さい。
http://zqb.cyol.com/content/2010-11/22/content_3448491.htm

親切にも、科学協会が和訳してくださったものもあるので、下記に掲載させていただきます。
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「中日ワークキャンプでの共通点と相違点」

広東省 頼麗思

改革開放のペースが加速化するにつれ、中国の医療衛生の水準も日を追って向上してきた。1980年代には既にハンセン病も蔓延情況の管理と治療体制がだいぶ整っていた。しかし、それまでは、何万という患者が治療費や薬品の不足により適切なタイミングで治療を受けられず、後遺症が残っていた。目、顔面、手の指、掌などに奇形が生じたハンセン病患者は、人々の脳裏に悪魔のような印象を残した。社会的差別から、ハンセン病から回復した多数の患者は、政府により辺鄙な野山に移住させられ、集まって集落を形成していた。3年前、私はボランティア的な性格のNGOに参加した。主な業務は、こうした集落に住む人々に対するケアである。
2009年の8月、私は中日両国の青年ボランティアが協力する10日間の夏期ワークキャンプに参加した。場所は広東省河源市紫金県のやや閉ざされた小さな山村で、わずかに残っていた3世帯のお年寄りがケアの対象であった。中国側のメンバーは10人で、主に広東地区の数大学から参加であった。日本側のボランティアは7人で、東京にある早稲田大学と立教大学の学生であった。期間中に深く感じたことは、誰もが善意を持っていながら、中国と日本とでは、文化の違いより同じことをするにしても、考え方ややり方に違いがあるということであった。
ワークキャンプ開始前、双方のボランティアが、ネットや海を越えた電話で業務方針の打ち合わせをした。前回分までの通常業務に関する参考資料を手元に、メンバーが実情を考慮した結果、洗濯、繕いもの、草むしり、種まき、電器の修理、演芸、山での柴刈、傷の手当てなどの基本サービス外に、屋根とトイレの修繕、新しい水源の確保、水道水の受け皿の用意、路面の補修、街灯の設置などの項目を追加した。
最初はこのプランで完璧だと思っていたのだが、日本のボランティアは「もっと考えよう、まだできることが絶対あるから」と提案し続けた。最終案を決定する前日になって、日本側ボランティアが、一般村民の訪問回数を増やそうと言い出した。元々の目的地から2kmほど離れたところに甘洞村という百数戸の村落があって、私達の滞在先は閉鎖された診療所で、ちょうどこの村と例のお年寄りが住む3世帯との中間に位置しており、両者を結ぶ架け橋としてちょうど良かったのである。中国側は、数十年来ずっとハンセン病の元患者を“敬遠”し続けてきた村民の意識を変えるなどのような骨折り損になることより、実際に必要とされるサービス項目に力を入れた方がよいと考えていた。しかし、日本側は、人々の見方を変えるには根気と突破口が必要であると言って譲らなかった。前回までに関係の改善ができなかったのなら、今回のチームが準備を整え“氷を砕く旅”に臨むべきであるというのだ。双方が摺り合わせをした結果、最終的に追加になったのは、村への訪問回数を増加することと甘洞小学校での課外活動を展開することだった。
ワークキャンプを展開する過程でも、双方の理念や行動には明らかな違いが見られた。例えば、日本のボランティアは自費負担ではるばる中国までやって来るのは、人助けのみならず、成長するための試練と内なる楽しみの源泉を求めるためであるということを強調した。中国側も当初はそうした気持ちを抱いていたのだが、いざ実施という段階となると、重点は徐々に業務成果の方へと移っていった。毎晩、仄暗い明かりの下に集まって一日の成果を話し合う前に、日本側のメンバーはいつも「今日は楽しかったですか?」と聞いてきた。中国側のメンバーがワークキャンプの成功や失敗について話そうという時、日本側からは「何が勉強になったのですか?」と聞かれた。ミーティング後、日本側のメンバーからビールを勧められ、上着を脱いで踊り始める者まで出た。踊り疲れると、そのまま庭に寝転がり、飲みながらおしゃべりである。さらには、外を流れる小川のせせらぎが聞こえてくると、突然、笑いながら外に出て河床に横たわる人もいた。
ある晩など、中国側のメンバーが皆ばたばたと寝てしまってから、日本側の7人が酒興に乗じて真夜中の星を見に滞在先の裏山の頂上まで登ったなどということもあった。ボランティア生活を楽しもうという日本側のメンバーの浮きたつような空気に影響され、こちら中国側のメンバーも次第に気持が緩み、彼らの仲間に加わった。また、日本側も私達の元々の考え方を尊重し、何事も相談する形で討論し、こちらの飲食習慣に合わせようと努力してくれた。彼らは中国式の大鍋とかまどで火を起こし、ご飯を炊く技を直ぐに身につけた。
ワークキャンプ終了後、私は日本側リーダーからメールを受け取った。メールには壁に貼られた世界地図の写真が添付されていて、拡大してみると、赤い小さな旗があって、それはボランティアとして自分が残した足跡を示したものだった。メールの本文には、「歩んできた道を銘記しておけば、未来の方向を見失うことなどあり得ない」とも書かれていた。その後、私も自室の壁に中国地図を貼って、様々な形をした色とりどりのシールで、ボランティアで行った地域や将来行ってみたい地域を表してみた。潮州、梅州、河源、南寧、吉首、海口…私は自分の歩いた道を心に刻み、そして心から行きたいところをじっと眺めている。

Posted by tynoon at 19:13 | JIA | この記事のURL