シャオヤオ [2009年07月04日(土)]

シャオヤオはJIAオフィスのプロジェクト部で働いている。
今日の午後、彼女はママから電話を受けた。
「南寧のCDCがいまスタッフを募集中だって!今なら試験なしで入れるって!あんた、すぐ南寧に戻ってきなさい!」
シャオヤオの実家は南寧に近い。
もしCDCという政府部門で働けば、高給とりになることは間違いなく、手厚い福利厚生もついてくる。
シャオヤオは言葉少なに電話をきる。

その後も何度かママから電話がかかってくるたび、シャオヤオは暗い表情でボソボソとしゃべっている。

そして、さっき、携帯がなった。
シャオヤオからのメールだ。
「南寧のCDCでは働かない。ママの要求を拒絶した。私は(JIAの)オフィスを離れない」。
Posted by tynoon at 01:13 | JIA | この記事のURL
高島雄太、インドネシアキャンプ開催へ [2009年07月03日(金)]

フレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)関西委員会の高島雄太がインドネシアのハンセン病快復村コロニーでワークキャンプを開催することを宣言した。

さっき、雄太からそうメールを受け取り、読み、「おおーっ!」と叫ぶ。

向かいに座るスタッフのシャオヤオは、
「何かそんなにうれしいことでもあったの?キャンプの資金が見つかった??いくら??」
南寧、1万元獲得 [2009年07月02日(木)]

JIAワークキャンプ南寧委員会はつい先ほど、今年の夏開催する博白ラオヤーシュェイ村キャンプの資金1万元を獲得した。
 このキャンプを準備しているメンバーたち3名は博白に住むフランス人の神父さんを訪れ、キャンプのショートムービー、手づくりのアルバムを見せ、今夏のプロジェクトを説明したところ、神父さんは快く資金を提供してくれた。
 本来ならば8500元ほどですむプロジェクトなのだが、神父さんは「他の活動にでも使いなさい」と1万元くれたという。
 南寧委員会はファンドレイズの部分のみが弱かったのだが、これをきっかけに「ファンドレイズも強い南寧」になってほしい。
チンクワンさん、ASEANへ [2009年06月18日(木)]

6月15日午後、ジャカルタ、ASEAN会議場。…の2階にあるこじんまりした会議室。「華南地方の社会変革」というテーマでJIAの活動をプレゼンテーションする。キャンパーたちが中国のハンセンの隔離村を社会に開き、周辺住民や企業、市民、政府を動かしていく模様を話していく。異常に落ち着いている自分が、インドネシアのハンセン病快復者、ASEAN諸国の保健省やNGO、メディア関係者、インドの企業の人たちからの反応を見ている。

プレゼン開始前、いつもに増してそわそわし、タバコを吸いに何度か会議場の外に出る。今回のプレゼンは準備に1週間ほどを使ってしまった。しかし、「社会変革」というお題が不慣れなこともあり、思うように話を組み立てられなかった。

4月、笹川記念保健協力財団からプレゼンの話を持ちかけられたとき、「やばい会議だな…」とは思ったが、それほど構えてはいなかった。このプレゼンは6月15日、ASEAN-TNF(The Nippon Foundation)ハンセン病プロジェクト(正式名称:ASEAN-TNF Project on Leprosy and Human Dignity)の開幕式後、午後のワークショップとして行われるとのことだった。このプロジェクトは2008年6月、日本財団とASEANは5年間の包括業務提携を結び、その一環として開始されることになったものだ。いずれにせよ、比較的ラクに構えていた。

そのプレゼンの一週間ほど前、兄貴分からメールをもらった:「びびったぜえーーーーーーーーーーーー!!どっかの保健大臣と同じフォーラムに立つんじゃん!!!!!!」 そして、事の重大性を認識した。が、思うように準備は進まない。プレゼンはジャカルタに飛ぶ直前に完成したが、ジャカルタのホテルでも手直しする有様だ。

6月15日の午前中はASEAN会議場で開幕式が開かれる。ASEANの事務局長や「どっかの保健大臣」らがあいさつする中、緊張が高まる。1999年大学の入学式以来に着たスーツを脱ぎ捨てて逃げ出したくなる。

開幕式が終わり、昼食が喉を通らず、タバコを吸おうと会議場の外にでる。と、そこにはインドネシアのハンセン病コロニーの村人たちがずらりと並んで座ってタバコを吸っている。独特な香りの前を通り過ぎ、いちばん端っこの村人に隣に座る。

「Japan?」
「Ya…」

ひとり一人に名刺を渡し、JIAのパンフレットを見せ、中国のハンセンの村で活動していることを伝える。ずらりと並んだ村人たちが身を乗り出してそれに聞き入り、英語がわからない村人は通訳をせかす。東南アジアのコロニーには快復者・患者の家族がいっしょに住んでおり、にぎやかに楽しくやっていると聞いていたが、しかしコロニーの外からは差別されているそうだ。村人たちはやるせない表情を見せる。

そうだ…。ゴタゴタ考える必要はないんだ。おれは、おれとチンクワンさんのことを話せばいいんだ。そこから始まった中国での「変革」を話せばいいんだ。インドネシアの村人にそれを聞いてもらいたい。身体が芯から熱くなってくる。

午後のプレゼンが始まる直前、もう一度会議場の外にいく。タバコを吸いながら、チンクワンさんが現れる。初めて会ったときのこと、初めて酒をいっしょに飲んだときのこと、元気づけてもらいながら活動を続けたこと、何度も何度もメシを食わしてもらったこと、娘のリンを彼が抱いたときのこと、すい臓がんでやせ細っていったこと、そして、去年死んだこと。身体が振るえ、涙が出てくるのを抑え、会場に向かう。ソウ=チンクワンを、インドネシアのみんなに、ASEANのみんなに伝えればいい。

プレゼンが「社会変革」の鍵、「変革」のパワーの源であるチンクワンさんの話になると、グワっと胸の底から何かが持ち上がってくる。あまりチンクワンを語れないが、ぼくの表情が、身体が、みんなに何かを伝えた。泣いている人もいる。



インドネシアの村人たちのワークキャンプへの期待は高まった。インドネシアのNGOも食いつくように質問してくる。ASEAN関係者も評価してくれる。



いまFIWC関西委員会の高島雄太がインドネシアの4つの村をまわっている。さて、おれたちに何ができるのだろうか。
In My Life [2008年12月13日(土)]

There are places I remember
All my life though some have changed
Some forever not for better
Some have gone and some remain
All these places have their moments
With lovers and friends I still can recall
Some are dead and some are living
In my life I've loved them all

But of all these friends and lovers
There is no one compares with you
And these memories lose their meaning
When I think of love as something new
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more

Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more

Posted by tynoon at 23:31 | リンホウ | この記事のURL
おれの「トン」 [2008年12月09日(火)]

チンクワンさんは三国志が好きだ。
おれも、大好き。

「チンクワンさん、三国志で誰がいちばん好き?」
「劉備だな」。
「でも、劉備って頭悪いよね」。
「頭悪くてもいいんだ。『トン(忠)』があるからな」。

11月2日、チンクワンさんは死んだ。

昨日の夜、広東商学院でプレゼンした。
何でリンホウに住んで、何でいまでもJIAで活動しているのかを話してと頼まれた。
話は自然にチンクワンさんのことになる。
彼との出会い。
初めて酒をいっしょに飲んだときのこと。
リンホウに住み、地元潮州のワークキャンプ団体設立が難航しているときに、支えてくれたこと。
そして、「トン」の話。

彼の話を、彼の生き様を、もっとみんなに伝えていく。
彼から生まれたJIAをもっともっとよくしていく。
それが、チンクワンさんに対する、おれの「トン」だ。


「忠」―蘇振権(1928-2008)
Posted by tynoon at 16:00 | リンホウ | この記事のURL
ソウ=チンクワン [2008年12月01日(月)]

ソンリ(リンホウの村人)がジエシャンにビールを2本くれる。そのビールはチンクワンさん(リンホウの村人)の部屋においてある。自然に話題はチンクワンさんのことになる。ソンリはジエシャンにチンクワンさんの最期の話をする、
「蘇兄(リンホウの蘇村長)は苦しみながら逝ったが、チンクワンは楽に逝った」。
話しながらソンリは泣く。ちょうどそこに陰があり、ソンリはそこに入り込む。

おれはリンホウでチンクワンさんの話を持ち出さなかった。
リンホウのベンジャミンの木の門をくぐると、そこに、車板に乗ったチンクワンさんはいなかった。その代わり、彼の部屋のドアの前に置かれた机と、それに逆さに積んだ長いすとがあった。

「チンクワン兄のこと、知ってるか。ダメだった」。
カクチン(リンホウの村人)はそう首を振る。

リンホウはいつものように、淡々と時間が流れている。潮劇のラジオをバックに。

夜、ソンリの部屋にいく。シャオロウ(潮州のキャンパー)から預かった、ソンリへの紅梅(タバコ)3箱を彼の木のベッドに置く。チンクワンさんはソンリの手、ソンリはチンクワンさんの足だった。
「ひとりでメシ、つくってるの?」
「あぁ」。
ソンリはそう言ってタバコをふかす。
「ポン」
ラジオはいつもの謎々コーナーに入る。
「ポン」
謎々の答えを催促する太鼓の音に、チンクワンさんとソンリと3人で謎々を説いたころの情景が浮かび上がる。
「ポン」
涙が出てくる。ソンリはとりとめもない雑談をし、タバコをくれる。
「じゃ、いくわ」。
チンクワンさんの部屋をのぞいてみるが、暗くて何も見えない。

翌朝、チンクワンさんの部屋の前にある机と椅子をどけて、中に入ってみる。何もない。ただ木のベッドの上にダンボールが置いてある。中には扇風機がきれいにしまってある。

古いトイレの裏に行く。ここは、リンホウの村人が死ぬと、その遺品を無造作に捨て置く場所。まだ新しいものたちがチンクワンさんのだ。彼が掛けていたふとんをどける。薄い赤のビニールの袋をどける。と、ショットグラスが出てきた。薬のビンか何かのプラスチックの空きビンのヤツだ。ケア用のテープで補強した黒縁メガネ。アルミのれんげ。まだニンニクが乾いてついている小鉢。チンクワンさんが子供のころから使っていた折り畳みの木の枕。チンクワンさんが冬、いつもかぶっていた茶色のニット帽。編みかけの竹の団扇。…。チンクワンさんがもはや生きていないことを、これらのものたちがおれに知らせる。もう、チンクワンさんはいない。

リンホウに来て以来、7人の村人が死んだ。毎回誰かが死ぬたび、チンクワンさんは言った、
「次はおれの番だ」。
そんな彼は死ぬことはないように思えた。チンクワンさんが「次はおれの番だ」というたびにうれしそうに高い声で笑っていたソンリも、チンクワンさんが死ぬなんて毛頭思っていない様子だった。

ソンリはチンクワンさんの死後、あまり食べなくなったと聞いていた。どれだけやせてしまったのか心配だったが、案外健康そうで、何から何まで自分でやっていた。ただ、彼からは何かが抜けてしまった。
Posted by tynoon at 02:47 | リンホウ | この記事のURL
リンホウへ [2008年11月20日(木)]

さっき、潮州に戻るための電車のチケットを買った。
今週末、2ヶ月ぶりにリンホウに戻る。
Posted by tynoon at 10:41 | リンホウ | この記事のURL
広西医科大学 [2008年11月18日(火)]

広西医科大学のワークキャンプ団体が大学公認団体となった。
彼らは今日で長い地下活動時代を終えた。
これからは、キャンパー募集説明会を開くための教室を借りたり、写真展を開くための許可を得たりすることが容易になる。
ベッティーナの活躍 [2008年11月06日(木)]

ベッティーナ(米Swarthmore大学)は2008年7-8月、JIA広州オフィスでインターンをした。
香港出身の彼女はカナダやアメリカで学校にいき、なんだかどこの人なのかまったくわからない独特の雰囲気を持っている。


JIAのイベントで司会をするベッティーナ(右)とスピーチするヤンカン村(ハンセン病快復村)の欧伯


彼女は2007年、JIAのウェブサイトを見て僕に連絡をとってきた。
どうしても中国のNGOでインターンをしたいという。
専攻はアートだ。

「アートと、ワークキャンプがどう結びつくかな…」。
「JIAはマネージメントがキチンとできてないから、不幸なインターンにならないかな…」。

などと考えながらも、あまり乗り気ではなかったけれど、彼女の熱意に押され、インターンをしてもらうことになった。

彼女の仕事は、最近キャンプが行われなくなっている広東呉川トゥーグワン村でアートプロジェクトを行い、村人とキャンパーとでハッピーになること。
もうひとつ、呉川付近の湛江の学生たちを巻き込んでミニキャンプをすることで、彼らが再びトゥーグワンでキャンプをするようになること。

彼女はそのふたつともほぼ完璧にやり遂げた。
とにかく、頭がよくて、明るくて、やさしくて、リーダーシップもあり、人の話も聴けるし、すばらしい!

そんな彼女が、なぜ、JIAを選んだのだろう?

「たっくさんの中国のNGOに『インターンをしたい』ってメール書いたけれど、返信をくれたのはタイランだけだった笑」

そういうことだったのか…。

いずれにせよ、ベッティーナはトゥーグワン村とワークキャンプが大好きになった。

そしてアメリカに帰った9月、Swarthmore大学で写真展を開き、ワークキャンプ団体をあっという間に設立してしまった。
名前はGlobal Neighbors。
キチンと理念や使命、戦略、組織など整備している。
毎週の会議では、優秀なメンバーたちが多くの議題を1時間でこなしているとか。

とにかく、すごい…。

今年12月から来年1月にかけて、ベッティーナはGlobal Neighborsのメンバーふたりと共に中国に帰ってくる。
「わたしはずーっと活動できるわけじゃないから、次の世代を育てたいんだ」。

このメンバー選びがまたすごかった。
キチンと申請書フォームをつくり、6人の応募者を面接し、JIAの僕にもSkypeで面接させた。
最終的に選ばれたふたりは、これまたおもしろそうな人たちだ。

ひとりは、シーラン、中国の19歳の女の子。
今年からSwarthmoreで勉強している。
高校時代ボランティア活動を組織した経験を持つ。
人当たりがとてもよい、可能性を感じさせる子。

もうひとりは、ジョン、アメリカの21歳の青年。
Swarthmore大学内のオバマを支持する団体の副代表を務める。
電話の声がすっごくいい感じだ。
彼のリーダーシップと学内での影響力はGlobal Neighborsにいろいろなものをもたらしてくれそう。
中国とアメリカの国際関係に興味があり、中国の人々と深く関わりたいと語る。

こんな3人がつくるプロジェクトチームはどんなになるだろう??
彼らと仕事のできるJIA広州委員会のキャンパーは幸せだ…。
Posted by tynoon at 13:04 | JIA | この記事のURL
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