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「外国人=犯罪」? [2005年12月01日(Thu)]

広島の小学生殺害事件。
犯人とみられる日系ペルー人が逮捕されました。

犯人として外国人が逮捕される度に気になることがあります。
それは、外国人に対する世間の風当たりが強くなってしまうのではないかということ。


案の定というか、ある全国紙の一面には、逮捕された容疑者の写真の隣に「不法就労 治安の盲点」と大きな見出しが出ていました。

総数からいえば圧倒的に日本人の犯罪者の方が多いのに、外国人の犯罪者のケースが数件あっただけで、外国人就労者全員が犯罪予備者のように扱う報道が出る。
不当な偏見です。

日本人以上に真面目に勉強したり働いている来日外国人が不当な扱いをうけないよう、冷静な対応をして欲しいと心から願います。


まいける東山さんのブログにも同文のコメントしましたが、改めて。)
厳戒態勢 [2005年11月17日(Thu)]



私の職場、日本財団ビルは、アメリカ大使館から徒歩2分のところにあります。
首相官邸からは徒歩5分。

要人の訪日や選挙があると、急に周囲が騒がしくなります。
(その時に限って長時間の審査会議が入ったりなんかすると、もうストレス最高潮)
警備に当たる警官の数も増えます。

デモ、シュプレヒコール、車のスピーカーから流れる主張。

自分の主張を伝えたい、政治を動かしたい、世の中を変えたい、という気持ちはわからないでもないのですが…
周囲に迷惑がかかる割りには、決して効果的なやり方ではない気がする。


昨日の昼休み、あまりの日差しの気持ちよさに外に散歩に出ました。
ところが、歩いても歩いても道路の脇に続く警官の姿。

秋晴れの空の下色づいた街路樹と、武装した警官と機動隊の車両の赤いランプ。
そしてその中を何事もないように通り過ぎていく人たち。
…このギャップ。

やっぱり、どうしても違和感があります。


政治を動かす人に、もっとうまく市民の考えを伝える方法はないのかな。
政治を動かす人は、もっとうまく市民の考えを汲み上げる方法はないのかな。

街宣車や機動隊の車両が出動しなくてもいいような形で。


そんなことを考えつつ、コーヒーをすすった昼休みでした。
(写真は夜ですが)
堤社長の残した森の芽 [2005年11月08日(Tue)]

11月8日(火)に放映されたニュース23の特集、「堤義明前会長逮捕・それから250日」を見ました。
素敵なニュースだったのでご紹介。

この「それから」シリーズ、
"人の噂も七十五日"。噂に上らなくなる(=人々が忘れる)タイミングである75日前のニュースから題材を掘り起こし、その後どうなったかをお伝えする、というコーナー。

この日のテーマは、〜倉本聰氏始動!堤リゾート栄華の跡が森に還る〜。

証券取引法違反で逮捕された堤義明コクド前会長が、所有していたゴルフリゾートの土地の処分を、倉本聰さんに相談したというのです。
そこで倉本さんから出たアイディアが、「ゴルフ場を森に還す」ということ。

「富良野自然塾」というNPOを立ち上げ、50年かけて自然の森に還す、気の長い、壮大かつ夢のあるプロジェクト。
植林には近隣の苗木を使い、なるべく自然に近いかたちに戻すそうです。
親子で植林したり、目隠しをして裸足で草の感触を感じたり、と、活動内容もおもしろそう。


印象に残った言葉。

― 森を切り拓いてゴルフ場をつくることを「開発」と呼んだ。では、ゴルフ場を森に戻すことは何と呼んだらいいか?

というリポーター・下村健一さんの質問に対して、倉本さんの答えは、

回復」。


…こういう夢のある回復事業を財団でもお手伝いできたらいいなぁ。

悪人にも美談はあるし、善人にも汚点はある。
どんな人に対してでも、一面ではない見方ができるようになりたいものです。

パキスタン地震と吉村さんの話 [2005年11月01日(Tue)]



先週の金曜日、ヒューマンシールド神戸の吉村さんが財団ビルに立ち寄ってくれました。
パキスタンの地震支援からの帰りです。

(写真は吉村さんのブログから拝借しました。パキスタン支援の様子について詳しい報告はこちらから。)

阪神大震災から始まり、アチェの津波、豪雨災害、中越地震、そして今回のパキスタン地震と、東西南北を飛び回っているすごい人です(ときどきくだらないギャグ言うけど)。


ちょっと時期を逃していたのですが、この折に地震の話。

支援の募金・寄付に関する情報をCanpanのニュースコーナーに投稿しました。
国連機関や赤十字だけではなく、NGOに寄付するという選択肢もあるよ、という内容。
この投稿に関して、きっと皆様思うところは色々あると思うのですが。


ある知人と話していたときのこと。

その人は寄付とか募金、ということに対して否定的な感情を持っていたようで、
「お金だけ出せばいいのか?」という疑問を投げかけられました。

確かにそうだし、その疑問は健全だと思う。


財団災害支援に携わってから、お金を出すことだけが支援ではないことを学びました。

たとえば技術屋さんだったら、現地に赴いて給水所の蛇口設置や家電据付の手伝いをしたり。(手先の器用さは被災地では大きな武器になります)
携帯電話の会社であれば、電波が届かなくなった地域に臨時の車を出して電波が通じるようにし、支援活動がスムーズにいくように応援したり。
飲料会社であれば、在庫の中から栄養ドリンクを避難所に届けたり。
メーカーや銀行であれば、余った企画物のタオルやTシャツを災害ボランティアに提供したり。


ただ、自分の仕事柄または関係上、直接は被災地と関われない場合、一番効果的にできることはやはりお金を出すことだと思う。

自分は現地へ行けない。(仕事があるから、学校があるから、家庭があるから、、etc)
自分は現地へ行っても足でまといになる。(体が弱いから、言葉が話せないから、、etc)

一方で、現地に行くことが可能な人がいる。
それがNGO職員だったり、この吉村さんだったりするわけです。
彼らには経験もありノウハウもあり、彼らの働きによって現地で助かる人がいる。

でも彼らには資金がない。

ない人はある人からもらう。
できる人は、できない人がしたいと願うことをする。

それは「(して)あげる」「(して)もらう」という一方的な行為ではなく、平等な関係だと思う。

だから、やっぱり私は募金や寄付という支援のかたちがあっていいと思います。


(稚拙な文章ですが…言ってる意味が伝わるでしょうか?)
New Orleansのハリケーンについて [2005年09月09日(Fri)]



NHKのクローズアップ現代「巨大ハリケーンの衝撃〜揺れる超大国アメリカ〜」(9/8(木)19:30放送)を見ました。

今回のハリケーンで大きく取り上げられるのがミシシッピ州のビロキシとルイジアナ州のニューオリンズ。
ニューオリンズはアメリカ滞在中に旅行した都市の中で、個人的に一番好きな街だっただけに衝撃です。

ニュースの中で印象に残った言葉。
"They call us refugees, but we are no refugees. We are survivors."
(報道や避難所では難民と呼ばれるが)私たちは難民じゃない、生き残った者だ。

「難民」「被災者」という言葉を何気なく使うけれど、そう呼ばれる人のみじめさは体験した人にしかわからない。
一人ひとり家があり、家族があり、仕事があり、生活があったこと。人間として当たり前のことが、「難民」「被災者」という言葉でひとくくりにしてしまうと、急に見えにくくなってしまうような気がします。

政府は、非難を拒否して市街地に残る住民に対する援助を打ち切ったそうですが、その中で残っている住民が命をつなぐための必要な支援物資を配って回るボランティアの活動が紹介されていました。
ただ強制退去を進めるだけでなく、安心して避難できるような説得の仕方や、住民が自分たちの暮らした居場所で安全に暮らすにはどうすればいいかの方法を考えてくれる人が、行政の中に一人でもいてくれることを願います。

それでも失われた命は戻りませんが。

また道端で演奏するサックス吹きのおじさんを眺めながら、オープンカフェでベニエを頬張れるような平和な風景が、1日も早くニューオリンズに戻りますように。


日本の大分・宮崎の台風被害も深刻です。
日本財団からも職員が現地入りしました。詳細はこちらからどうぞ。