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BOP、See-D contest、コペルニク、とか [2010年07月01日(Thu)]

CANPANの木田さんと、今後のCANPANと日本財団国際Gとの連携の可能性について、打ちあわせ。

こういう何が生まれるか未知数のワクワクする企画、いいですね〜

色々新しい情報を教えてもらいました。


◆See-D contest
日本から途上国の低所得者層の生活水準向上を実現する商品、事業をより多く生み出すためのコンテスト。
http://see-d.jp/oubo.html


◆NPO法人コペルニク
革新的な技術・製品を導入することで途上国の貧困削減を目指す、実現のための寄付集めなども含めたしくみを提供するNPO。
http://www.thekopernik.jp/


◆「コペルニク」を立ち上げた元国連職員の中村さんの旧ブログ
設立に至る変遷が垣間見れる気がする。
http://peacebuildinglive.blogspot.com/


◆東京大学 i-school
「イノベーション」を掲げた東京大学の教育プログラム
http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/



とりあえず今日の名言(by Vicky)
「情報はもらうものじゃなく、自分で取りにいくもの!」


その通りです。


わくわく感は、自分の興味のベクトルを再認識できる。
7月22日のブレストミーティング、楽しみです。(すいません、内部だけのクローズドイベントですが…)


それぞれが帰る場所 [2010年03月14日(Sun)]

小奇麗なホテルの部屋でシャワーを浴びながら、さっきまで話していたMr.Abiboのことを考えた。
モザンビークのハンセン病回復者団体、ALEMO (Association of Leprosy affected people of Mozambiique) の事務局長。


出張に行く先々でハンセン病回復者に会うけれど、会った後にこんな気分になったのは初めてだ。

理由は、
ひとつにはシャワーを浴びる直前まで、Mr.Abiboへのインタビューの書き起こしをしていたから。
そしておそらくもうひとつには、制圧祝いのレセプションの場で、彼がひとり浮いていたからだ。


会場にはもうひとりの当事者がいた。
ADEMOという障害者団体の代表のMs.Farida Gulmamo。彼女は車椅子で介助者つきの参加。
でも、人の輪の中に入っていた。


ひょうきんなWHO広報担当官のGloriaは、気を遣ってか写真を撮ったり何度かAbiboに話しかけながら、“No one would come to talk to him. This is stigma, this is stigma.(誰も彼に近づこうとしない。これがスティグマよ)”と、彼にわからない英語で小声で私に囁いた。


身に着ける服が違う。
かすかに垢の匂いもした。

話している途中で、ホテルの給仕係の人に何かを話しかけ(おそらく持ち帰れるようにパックに詰めてもらえないか訊いたのだと思う)たが、断られていた。
しばらく後に、鞄の中から出した茶封筒の中に、皿の上の食べ物をそのまま移し入れた。
話が終わって帰る頃には、茶封筒に油の染みができていた。


でも、彼が話している内容は、同じだ。

当事者の代表として国際会議に呼ばれるのが定番のインドのDr.Gopalや、ジャカルタのASEAN事務局内に専用デスクを構えるAdiが語ることと、問題意識もやろうとしていることも変わらない。

ただ住む場所がインドとインドネシアより、はるかに日本から遠い。


眉間に小さな突起ができていて「これのせいで頭痛がするんだ」というので、私が「体調悪いのに長く時間をとらせてごめんなさい」と謝ると、「いや、インタビューされるのは嬉しい。情報を発信できる貴重な機会だから」と真剣な表情で答えてくれた。


どうすればよかったんだろう。

レセプションでWHOや保健省の人たちが会長と記念写真を撮っている時に、インタビューを中断して、無理やりでも輪の中につれて入っていけばよかったんだろうか。



「当事者のエンパワメント」と、言葉でいうのは簡単だ。
でも実際ひとりの当事者リーダーを育てるということは、長い間、ひとりの人間に向き合うこと。

インドは「世界最多の回復者を抱えていて、厳しい差別が残っている国」だから、重点国。

じゃあ、他の国の回復者のエンパワメントには、どこまで関われる?



そんなことを悶々と考えながら、ふと鏡を見たら、Abiboが「痛い」といっていたのと同じところに、赤くぽつんと吹き出物ができかけていた。
"Charity Destroys, Work Builds" [2009年11月30日(Mon)]

11月は再び出張休止月間です。

ブログの更新頻度が少なくてすみません。
元気です。



1月に予定されているグローバル・アピール発表式典のためのインド出張。
(うまくいけばハンセン病制圧を祝うためにネパールも訪問する予定)

そこで行う会長スピーチの原稿作成に取りかかっているところですが、その下調べで目にとまった言葉。



"Charity Destroys; Work Builds"
「慈善は人を破壊する。仕事は人を創る」



ババ・アムテの言葉。



フィリピンのマグサイサイ賞(85年)、国連人権賞(88年)などを受賞したインドの人権活動家(1914年-2008年。享年93歳)。


14年、マハラシュトラ州の裕福なBrahmin(上流階級)の家庭に生まれ、法律家を志したが、後に反英独立運動に参加。

その後、ハンセン病患者を中心とする貧しい人々のため、医院や孤児院などから成る施設「至福の森(Anandwan)」を、マハラシュトラ州のナーグプルに設立。
自立支援など献身的な奉仕活動を続けた。

(参照:Wikipedia)


実際にアナンダワンを訪れた、ハンセン病の母・笹川記念保健協力財団のヤマグチさん曰く
「あらゆるカテゴリーの社会的弱者が主たる原動力として維持管理する地域複合施設」
であり、
「ある種のユートピア」。


ちなみにナーグプルとはどの辺かというと、この辺り。



「インドのへそ」といわれるのが納得です。



ハンセン病差別撤廃のための「グローバル・アピール」

これまで人権NGOや宗教指導者の賛同を得てきましたが、来年の2010年は、ビジネス界のリーダーである国際的な大企業の代表者からの賛同を得てアピールを宣言する予定。


そこで一番伝えたいメッセージは、
「ハンセン病回復者に足りないのは能力ではなく、チャンスである」
ということ。


教育を受ける機会、
仕事に就く機会、
結婚の機会。

生活のあらゆる場面で受ける、ハンセン病に起因する差別。

普通の人には提供されている機会が、かつてハンセン病を患った、もしくは家族に回復者がいるというだけで、奪われてしまうことが未だにある。


ハンセン病に限らずとも、
チャリティでお金をあげるだけでは、その人の可能性を狭めてしまう。
仕事があれば、自力で人生を切り開くことができる。


それを端的に表した印象強い言葉で、がつんときました。


やろうとしていることは数十年前でも今でも変わっていないんだな。



"Those who do monumental work don't need monuments"
「歴史に残る仕事をした者は、記念碑を残す必要がない」


こちらも奥が深い名言です。


他のババ・アムテの名言を拾い読みたい方はこちらをどうぞ。
(Maharogi Sewa Samitiのホームページ内 ※英文です)




ちなみにババ・アムテと笹川会長が会った時のエピソードは、こちらからご覧いただけます。

「至福の森」を訪れて回復者にヒゲを剃ってもらった話
http://blog.goo.ne.jp/yoheisasakawa/e/3e457a93301c061fae82764083b8227e

「糞尿王・キング・オブ・スカベンジャー」(すごいタイトルだな…) ※まじめな記事です。
https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/853
「外国人に言葉が通じた!」うれしさ。 [2009年11月05日(Thu)]



「手話って世界共通なの?」

と、よく訊かれますが、違います。


音声言語がそれぞれの地域で生まれてそれぞれの国・地域で変化していったように、手話もまた国・地域ごとに異なります。
(東京と関西でも微妙に違ったりします)


日本手話で育ったろう者は、日本語よりも、他国の手話の方が理解しやすいそうです。

ろう者同士で話すスピードにはやはりついていけませんが、手話初心者向けにゆっくり簡単な単語で話してくれると、ちょっと通じる。


どんな会話かというと、

私:日本手話(のつもり)
ケニー:香港手話


私)「日本に来るのは初めて?」

ケ)「3回目。
1回目と2回目は遊びで、3回目は仕事。

香港に来たことはある?



私)「まだない。

飛行機のトランジットではあるけど、空港から外に出たことはない。

いつか行きたい



おお〜。会話になってるじゃないですか!
ちょっとうれしい。

…とはいえ、大部分はウッディー教授とヨシダくんに通訳してもらい、残りはついていけずにひたすら手の動きをにらんで固まってましたけどね。

そろそろ初心者から脱したいなぁ。
いきなり手話で話しかけられても読みとれるようになりたいなぁ。。


ケニーに最後に訊かれた質問:

「将来はろう者に関わる仕事をしたい?」
(これはウッディー教授に訳してもらいました)

ん〜 わかりませんが、
手話やろう者の文化とは関わり続けていきたいと思います。


周囲の先生方、よろしくお願いします!!



(写真はアジア各国の手話辞典

と、その中身)



出張帰り [2009年10月16日(Fri)]


ぶじにインドから帰国しました。

裏ミッションは研修の宿題以外ほとんど手をつけられなかったけど、その場でしかできないことは一通りやった…ような 気がする。


インド行き、回数を重ねれば重ねるほど、見なくてもいいところまで見えてきてしまう。

ひと昔前の永谷園のお茶漬けのCMの子どもの気分。


でももう子どもじゃないからさ
みてしまったからにはできるだけのことはやりますよ。
それがプラスに転じるか、マイナスに転じるかわからないけど。

なるべくプラスの方向に向かえるように。


スタバの一杯の贅沢をかみしめる成田からの帰り道。

トレードマークの蘭、トランジット往復はタイ航空です。

when the time stands still [2009年10月15日(Thu)]



WHO東南アジア地域事務所で1日半に渡って開催される会議。
肝心の中味についてはここでさらっと触れられるような内容じゃないので、さておき。

会議には、同事務所で働く他部署の人も初めに「顔だけ」出す。
そしてなぜか昼食の時間になると、どこからともなく現れます。

その中のおふたり、
「持続可能な開発と健全な環境」部局長のユースフ博士と、
「薬剤監視と疫学」部局の地域アドバイザーのリンパカンジャナラット博士とたまたま席が一緒になり、(ご想像どおり)カレーを食べながら話した話題は

「人生の目的をいかにしてみつけるか」。


ユースフ博士というのが哲学や宗教に強い関心を持っていらっしゃるモルジヴ出身の方で、
最近“The Elements:How Finding Your Passion Changes Everything”という本にはまっているらしい。

一人ひとり、この世に生れてきたのには意味がある。
その人が人生を最大限活かすための道がある。
どうやって自分の才能を見つけるか、それを見分ける鍵は何かというと、

“look for the moments when the time stands still”.
(時間が止まる瞬間を見つけなさい)


ううーん。

真理をついているような気がする…。

自分が時間を忘れるくらい夢中になることがあれば、それが天職だということ?


60近い博士に「もう見つかりました?」と聞くと、
「まだ探しているところ」という答えが返ってきました。

さすが、この大組織で上にいる人はユニークで面白い人が多い。

おかげで、一日に148回くらい聞いている「leprosy」という言葉から解放されて、spiritualなランチタイムを過ごすことができました。
次にお会いする機会があれば、次はちゃんと神道の教義と他の宗教との違いを英語で説明できるように勉強しておきたいと思います
(全然とんちんかんな説明しかできなかった…)


ちなみに、「才能を引き出すエレメントの法則」という邦題で日本語にも翻訳されているようです。
ご興味のある方はどうぞ。
行き詰まり [2009年09月15日(Tue)]

最近、仕事が行き詰ってます。
おかげで、プライベートが充実してます。
(なんて言っている場合じゃない)



その1。

6月に立ち上げ式典をやって、7月末にプログラム・オフィサーの面接を行ったASEAN事務局との協働事業「ハンセン病と尊厳」のプロジェクト。

「これは」と思う人に無事巡り合えたまではよかったが、合意形成に手こずり結論を先延ばしにされていた間に、候補者の他の仕事が決まり、振り出しに戻る。
2か月分ほど逆戻り。


その2。

ハンセン病の制圧活動、「患者数を人口1万人につき1人未満に減らす」という国際的な数値目標を達成していない3カ国の中で、唯一残された大国、ブラジル
11月に再訪予定だったものの、保健省との関係がこじれ、先の見通しがつかず。


その3。

2003年から取り組み始めた、ハンセン病と差別の問題に関する、国連への働きかけ。
念願の差別撤廃のための決議国連人権理事会で昨年採択されて、今月の国連人権理事会に差別撤廃のための行動指針原則ガイドラインが提出される。
が、その条項の中に、事実誤認とみとめられる条項が一文入っていて、「完全なものを作るのは不可能、決議を通すことが先」派と、「事実誤認に基づく、差別を助長する文言が入ったままのガイドラインを採択させるわけにはいかない」派で、意見が分かれる。



どれも頭が痛い。


すべて、自ら事業を実施するのではなく、関係機関や相手を動かしながら進めていく事業。
自分が動くよりも、他の機関を自分たちが目指す方向に動かす方が、ずっと難しい。

もしどこかにハンドルを切り間違えたポイントがあったとしても、時計の針は戻せないし、であれば止まってしまった、こじれてしまった今の状況からどうにか先に進んでいくしかない。



「難しい問題をどう解決するのか、考えるのが面白い」
と、会長の口癖。


難題が並んだ時はどうすればいいのでしょう。

と、こぼす暇があれば打開策を考えましょう。

ハイ。





無事帰国 [2009年04月28日(Tue)]

無事に旅程を終えて帰国しました。


カトマンズでよく利用するホテルの壁にかかっていた言葉。

“It's difficult to restrain the mind,
as it is (equally) difficult to restrain the wind.”

人の心を抑えることは、風をコントロールするのと同じくらい難しい。


妙に印象に残りました。
今日からインド。 [2009年04月19日(Sun)]

今日から9日間、インドとネパールにいます。


インドでは、2011〜2015年のWHOハンセン病制圧戦略会議に3日間缶詰め参加した後、
ササカワ・インド・ハンセン病財団の理事会に参加予定。
(参加といってももちろんどちらも傍聴参加ですけどね)

インドはえーと…6回目。
今回はインド総選挙の時期と重なっていて(何もこの時期に合わせて会議招集しなくてもと思うけど)何かあるんじゃないかと心配ですが、何も起こらないことを祈ります。


病気の未制圧国3カ国のひとつであるネパールでは、地方のヘルスセンターや診療の様子を見る予定。


現場に行くと「いい仕事した!」気になりやすいけど、
机にかじりついてやる事務作業も仕事なんだよなぁ。

…ぎりぎりまで溜め込んでしまった事務処理をぎりぎりのところまで片付けて、行ってきます!
春の交流会 [2009年04月07日(Tue)]

昨日は毎年恒例、日本財団「春の交流会」。

年度始めに、今年度支援が決定した事業の実施団体の方々に集まっていただき、助成担当者との顔合わせと、団体同士での情報交換の場にしていただければと毎年企画しています。


北は北海道から、南は(たぶん沖縄までだけど私がご挨拶した中での最南端は)兵庫まで、600名を越える方々にご参加いただきました。


国際協力グループの支援先は大半が海外の団体なのでお客様が少なく、つい昨年まで所属していた公益チームの辺りをふらふら。

去年まで担当させていただいた団体の方々や、B&Gクルーズや夕張でご一緒させていただいた方々と久しぶりにお会いしました。
例年の「担当団体の方を全員探してご挨拶しなきゃ」プレッシャーが今年はない中で、比較的ゆっくりお話できて個人的には嬉しかったです。


お忙しい中身体を運んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。


&裏方を務めあげたワーキンググループの皆さん、お疲れ様でした!!
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