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レインボー・アドボケイツ東北

東北地方の多様な性の当事者たちが、
生きやすくなるための施策を提言してゆきます。


呼びかけ人あいさつ2

[2015年04月09日(Thu)]
呼びかけ人の小浜耕治です。

私が30歳の頃、やっと自分のセクシュアリティを受け入れて、
ゲイサークルに参加し、そこできっかけを得てHIVの活動に参加しました。
その中で学んだ「政策提言というのは何か」ということを書きます。

きじむなぁ.jpg

世の中には見えなくなっていることがあって、
それが社会を生き辛くさせている。
見えなくされている人のみならず、
社会全体の仕組みがたくさんの人にのしかかっている。
そうした見えなくされる問題、その当事者からは、
社会を変革するベクトルを感じることができる。
そのことが、自分の中の当事者性を呼び起こし、
変革へ向けての行動の、強いモチベーションとなる。

見えなかったことが、急に露わになる時代がある。
たくさんの人が流れに加わり、実際に世の中の空気を変えてゆく。
薬害HIV訴訟などは、まさにそんな時代を経験し、和解へと向かいました。
もちろん、こうした流れは良いも悪いも飲み込んでゆきます。
その分視野も広がり、自分の小さな分野の流儀での
アタマでっかちではいられません。
人との関係性が、たくさんの出会いが、
異分野とのクロスオーバーが、
よりリアルな現在の世間や
来るべき社会をイメージさせてくれます。

変革を社会制度:仕組みに定着させるためには、
社会変革の対極にあるような行政の仕組みにも出会います。
翻訳が必要なほど、その言葉には癖があることに直面します。
しかしやがて、「お上」の中にも、私たちと同じ志をもった人がいると気付きます。
その癖のある言葉で表現し、
成果としていっていることを理解するようになります。

行政が変わらないことを是としているのに対し、
メディアの人たちはその時々の風を後押しする、
または追随して今を表現する。
ここにもわかりにくい慣習があるようです。
でも、多くの人に伝えてゆくためには、
メディアの事情も理解しながら、協働することが必要です。

こうしたことが理解できてくると、逆に自分自身の根っこが
当事者性を見いだし引き受けることにあったことが、
とても大事な武器になります。
そして「当事者」が一部の人ではなく、ある社会的課題について
多くの人たちから少し先を行っているだけの、
その多くの人と同じ生活者だと気づくのです。

さらに、切れ味は少々悪くなっても、
わかりやすい物言いを心がけ支援者を増やし、
かれらに支えらながら、当事者性の根っこを育ててもらうのです。
そして、文法の違う、行政やメディアにも、
それぞれの言葉に翻訳した当事者性を伝えて行けるようになるのでしょう。

時々容赦なく切れ味鋭く、批判したり手ぬるいと叱責したり、
でも、施策の形を作るためにはおだてもして、
これは時代が来ていますよとそそのかす。
志は同じだと信じて、粘り強く各方面と協働してゆく。

こういうことを、面倒でもやっていかなければ、
社会に成果はうまれません。
足元危うい私たちは、何よりも継続がいのちです。
時が満ちて、形になる空気がやってくるのを待たなければいけません。

一人でこんなことはやりきれないので、仲間が欲しいわけです。
そういう思いで、このプロジェクトを始めました。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。

呼びかけ人あいさつ

[2015年04月08日(Wed)]
レインボーアドボケイツ東北の呼びかけ人をさせてもらっています岡田と言います。
今は性暴力被害者支援に関しての小さなNPOを運営しながら、青森駅で、コミュニティカフェバーをやっています。10年ほど前から性暴力被害者支援、非行少年のサポートやセクシュアル・マイノリティや一人親家庭の方々など、皆様々な形での生き辛さを抱えたり、困難を抱えた人と共にあるために仕事をしてきました。
呼びかけ人と言っても実はまだ、東北に住んで1年ちょっとしか経っていません。それまでは、大阪や東京で暮らしていました。青森でコミュニティカフェバーを始めることになったきっかけは、私のパートナーが元々青森の人間だった事、そして母親が亡くなったこと。いろいろと話し合う中で、やっぱり青森に帰りたいという思いが強くなった、という、所謂Uターン組の、よくある、だけれども私たちにとってはとても大きな決断でした。

パートナーの母が亡くなった時、その時が私自身が自分のセクシュアリティと心底向き合わざるを得なくなった瞬間でした。これまでは、一アクティビストとして、周りには沢山の理解者もいて、共に闘う仲間がいました。
病院からの電話で、明け方の病院に駆けつけた私たち。一人っ子でもあるパートナーが母親の心臓マッサージの手を止めるという決断をしたその瞬間に、私は、「共にいる」というそれだけのことが出来ませんでした。
個室で緊急処置をされている母親に会おうとカーテンをくぐろうとすると、そこには何度もこれまで様々な研修で伝えて来たような文句を投げかけられました。
「親族の方ですか?」
これまで、何度も想定してきた言葉。「そうだ」と言ってしまえばいいんだ、と。だけれども私の口からは、
「違います。パートナーです」
と。緊急だと思えば思うほど、人は嘘などつけないものなのかなぁとも思いました。そして、極めつけは、
「血縁の方ですか?」
それは明確に、
「違います」
というしかできませんでした。あの時の看護師さんの面倒くさそうな顔、そして私の肩を突き飛ばしながら言った、
「部外者の方は、外のベンチでお待ち下さい」
という言葉は、どうしても忘れられないのです。緊急事態が起きた場合、私は彼女の「部外者」なのだと、突きつけられた瞬間でした。
元々パートナーとの年齢差が16歳ほどあり、順当に行けば、私が彼女を見送ることになります。その時に、私は彼女の隣にいることが出来るのか?それが、私のテーマの一つであり、原動力の一つともなっています。

青森でやっているコミュニティカフェバーには、もちろんセクシュアル・マイノリティの方も来ますし、性暴力サバイバーも来ます。精神障がいを持っている方もくれば、子育ての悩みや、仕事の悩みを抱えた方も来ます。その中で、昨年は一年間で130人以上の方の相談を聞き、その延べ数は1,000回を超えました。
その中では、この地域で生きるということの、ある意味では辛さや苦しさが沢山詰め込まれており、そして、意外に思うほど沢山の、それでも離れたくない、「青森が好きな気持ち」があったな、と思います。

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昨年の6月、私はパートナーと青森市役所に婚姻届を提出し、不受理になりました。それには、私たち自身の未来への不安や、二人の関係に対する法的な根拠が欲しかったということがありますが、何より強かった想いは、私たちのような人間が、この町にいるということを、役所の人に実感を持って知ってもらいたかったということがありました。それは、一市民に出来る、最小限の行動だったとも思っています。私たちには、婚姻届を「提出する」権利があります。「不受理の理由を聞く」権利しか、今はないにしてもです。そしてそれは、誰にでも出来ることだからこそ、やりました。

もちろん、日本全体での動きも大切です。だけれども、この土地に生きる人、この土地でありのままに生きていきたいと願う人たちにとって大切なのは、やはり、この土地自身の変化であり、生きやすい場所になることです。
どのような性自認を持っても、
どのような性指向を持っても、
どのような服装や表現をしても、
どのような「自分」を望んでも。
生きやすいということは、優しいということと似ていると私は思います。

全ての人に、優しい街を創りたい。たった一年ちょっとの東北生活ですが、一年が過ぎ、雪の季節をなんとか超え、春を間近に感じながら、ここで生きています。

私たちはここに生きていることを知ってもらうためにも、当たり前に、「共にいる」のだと思ってもらうためにも、
東北各地のアクティビストが繋がり、政策提言をしていくこと、街を創っていくことがとても大切なことだと感じています。

手を繋ぎましょう。
クローゼットでも、理解者がいなくても、仲間などいるはずがないと思ったとしても、どこかで差し出されたその手を、絶対に誰かが繋いでくれる社会をつくるために。
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