呼びかけ人あいさつ2
呼びかけ人の小浜耕治です。
私が30歳の頃、やっと自分のセクシュアリティを受け入れて、
ゲイサークルに参加し、そこできっかけを得てHIVの活動に参加しました。
その中で学んだ「政策提言というのは何か」ということを書きます。
世の中には見えなくなっていることがあって、
それが社会を生き辛くさせている。
見えなくされている人のみならず、
社会全体の仕組みがたくさんの人にのしかかっている。
そうした見えなくされる問題、その当事者からは、
社会を変革するベクトルを感じることができる。
そのことが、自分の中の当事者性を呼び起こし、
変革へ向けての行動の、強いモチベーションとなる。
見えなかったことが、急に露わになる時代がある。
たくさんの人が流れに加わり、実際に世の中の空気を変えてゆく。
薬害HIV訴訟などは、まさにそんな時代を経験し、和解へと向かいました。
もちろん、こうした流れは良いも悪いも飲み込んでゆきます。
その分視野も広がり、自分の小さな分野の流儀での
アタマでっかちではいられません。
人との関係性が、たくさんの出会いが、
異分野とのクロスオーバーが、
よりリアルな現在の世間や
来るべき社会をイメージさせてくれます。
変革を社会制度:仕組みに定着させるためには、
社会変革の対極にあるような行政の仕組みにも出会います。
翻訳が必要なほど、その言葉には癖があることに直面します。
しかしやがて、「お上」の中にも、私たちと同じ志をもった人がいると気付きます。
その癖のある言葉で表現し、
成果としていっていることを理解するようになります。
行政が変わらないことを是としているのに対し、
メディアの人たちはその時々の風を後押しする、
または追随して今を表現する。
ここにもわかりにくい慣習があるようです。
でも、多くの人に伝えてゆくためには、
メディアの事情も理解しながら、協働することが必要です。
こうしたことが理解できてくると、逆に自分自身の根っこが
当事者性を見いだし引き受けることにあったことが、
とても大事な武器になります。
そして「当事者」が一部の人ではなく、ある社会的課題について
多くの人たちから少し先を行っているだけの、
その多くの人と同じ生活者だと気づくのです。
さらに、切れ味は少々悪くなっても、
わかりやすい物言いを心がけ支援者を増やし、
かれらに支えらながら、当事者性の根っこを育ててもらうのです。
そして、文法の違う、行政やメディアにも、
それぞれの言葉に翻訳した当事者性を伝えて行けるようになるのでしょう。
時々容赦なく切れ味鋭く、批判したり手ぬるいと叱責したり、
でも、施策の形を作るためにはおだてもして、
これは時代が来ていますよとそそのかす。
志は同じだと信じて、粘り強く各方面と協働してゆく。
こういうことを、面倒でもやっていかなければ、
社会に成果はうまれません。
足元危うい私たちは、何よりも継続がいのちです。
時が満ちて、形になる空気がやってくるのを待たなければいけません。
一人でこんなことはやりきれないので、仲間が欲しいわけです。
そういう思いで、このプロジェクトを始めました。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。
私が30歳の頃、やっと自分のセクシュアリティを受け入れて、
ゲイサークルに参加し、そこできっかけを得てHIVの活動に参加しました。
その中で学んだ「政策提言というのは何か」ということを書きます。
世の中には見えなくなっていることがあって、
それが社会を生き辛くさせている。
見えなくされている人のみならず、
社会全体の仕組みがたくさんの人にのしかかっている。
そうした見えなくされる問題、その当事者からは、
社会を変革するベクトルを感じることができる。
そのことが、自分の中の当事者性を呼び起こし、
変革へ向けての行動の、強いモチベーションとなる。
見えなかったことが、急に露わになる時代がある。
たくさんの人が流れに加わり、実際に世の中の空気を変えてゆく。
薬害HIV訴訟などは、まさにそんな時代を経験し、和解へと向かいました。
もちろん、こうした流れは良いも悪いも飲み込んでゆきます。
その分視野も広がり、自分の小さな分野の流儀での
アタマでっかちではいられません。
人との関係性が、たくさんの出会いが、
異分野とのクロスオーバーが、
よりリアルな現在の世間や
来るべき社会をイメージさせてくれます。
変革を社会制度:仕組みに定着させるためには、
社会変革の対極にあるような行政の仕組みにも出会います。
翻訳が必要なほど、その言葉には癖があることに直面します。
しかしやがて、「お上」の中にも、私たちと同じ志をもった人がいると気付きます。
その癖のある言葉で表現し、
成果としていっていることを理解するようになります。
行政が変わらないことを是としているのに対し、
メディアの人たちはその時々の風を後押しする、
または追随して今を表現する。
ここにもわかりにくい慣習があるようです。
でも、多くの人に伝えてゆくためには、
メディアの事情も理解しながら、協働することが必要です。
こうしたことが理解できてくると、逆に自分自身の根っこが
当事者性を見いだし引き受けることにあったことが、
とても大事な武器になります。
そして「当事者」が一部の人ではなく、ある社会的課題について
多くの人たちから少し先を行っているだけの、
その多くの人と同じ生活者だと気づくのです。
さらに、切れ味は少々悪くなっても、
わかりやすい物言いを心がけ支援者を増やし、
かれらに支えらながら、当事者性の根っこを育ててもらうのです。
そして、文法の違う、行政やメディアにも、
それぞれの言葉に翻訳した当事者性を伝えて行けるようになるのでしょう。
時々容赦なく切れ味鋭く、批判したり手ぬるいと叱責したり、
でも、施策の形を作るためにはおだてもして、
これは時代が来ていますよとそそのかす。
志は同じだと信じて、粘り強く各方面と協働してゆく。
こういうことを、面倒でもやっていかなければ、
社会に成果はうまれません。
足元危うい私たちは、何よりも継続がいのちです。
時が満ちて、形になる空気がやってくるのを待たなければいけません。
一人でこんなことはやりきれないので、仲間が欲しいわけです。
そういう思いで、このプロジェクトを始めました。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。