今日こんなテッシュを買ってきた!!
伝えなければならないこと from 名取
3月16日から避難所の支援に入り
5月27日からは仮設の支援に入り
6か月が過ぎた。
報道では綺麗になってきたという言葉が聞かれるようになった。しかし、正直な感想を書くならば、『何も変わっていない。』職があるわけでもない。家の再建の見通しがついたわけではない。収入もない中、自分の気持ちをだましだまし、日付が変わるのをじっと待っている人がたくさんいる。そんなことを忘れてしまっている人がテレビの中で燥いでいるような気がする。悪いとは言わないが不愉快なことも多い。
これまで、私は明るい気持ちになるような話題を選び、情報を出して来た。情報を操作するといほどのだいそれたことではないが、少し後ろめたい気持ちが残った。これを書けば、誰かを攻めていることになる、誰かが傷つくのではないか、いろんな思いが交錯し、書けないことの方が多かった。しかし、情報を伝えることの大切さを今、知ることとなった。
それは、仮設住宅にもご主人を亡くされた方、子どもを亡くされた方、生活困窮者も多い、その方々に雇用の機会を差し上げることが出来なかったことが一番残念なことだ。流された家のローンのことで苦しんでいる失業者の方・・・このセンテンスだけでその方の心痛は伝わるだろう。私たちは半年傍にいただけで、無力だった。只々、空元気を出させるためのイベントを組み続けて、提供していただける物資の配布をしていただけのような気がする。
震災の当初は、雪が降る中、キャンプ用のマットを団地の方々から集め、運ぶ部分も含めゆりが丘、那智が丘の方々の協力で、体育館に直に日赤の毛布で寝ていた人の状況を改善。足元が確かではない方に更なる不幸が起きないよう、翌日は団地の敬老会に協力をもらい杖、関節のサポーターなどを集め配布。中学生から大学生までよく働いてくれた。市役所のボランティアセンターに登録に行くには遠い地域であり、社協との話し合いでボランティアのコーディネートを名取第二中学校体育館避難所で行った。地域でのボランティアに精通された名取のボーイスカウトが団体としてシフトを組みボランティアの柱として活躍してくれた。お風呂はもちろんなし、下着も変えられない、パンティーライナーを配布。
紙コップ、紙皿はごみにもなるし、地球にも優しくないという理由で、閖上朝市の櫻井さんが、買い物する店も開いていないときに団地の人も困っているところへ、トラックいっぱいの食パンを積み、「お椀2つ下さい。」と走り回り、自治会の協力でそれを避難所内の方々に配布した。素晴らしい動きだった。次に私たちはマイカップを配ろうと、マグカップ、コーヒー茶碗を集めた。ゆりが丘の自治会の集会所にある、カップ、座布団を持ち出すことも許された。遠くから支援が来るのは待てなかった。5月27日の仮設への移転までは、日々、状況に合わせよく頑張った。私たちが避難所回りをして物資の過不足を調整して歩き、夫たちはガソリンスタンドに何時間も並び、翌日のためのガソリンを入れた。1日がかりで13ℓ、20ℓのガソリンを手に入れてくれたもので、妻たちが翌日それでまた出かける。よくもそんな協力をしてくれたと、夫たちを見直した。リモコンしか手にしない面々も何も言わずとも自主的のこの行動となったほどの切羽詰まった状況だったことを思い起こした。
しかし、100日にご遺族に礼服を準備したい、お盆には浴衣、そんなことに追われているうちに日常生活で大切なことを見落とし、イベント隊と化していたようだと反省した。新しい公共の第二回募集に応募し、被災者の雇用を図り、被災者による被災地支援の体制を作りたかったが、県に問い合わせたが、「民間の人への説明会はないので、市の人に研修を受けてもらい、そこから市での説明会を準備してもらえるでしょう」との回答を頂きました。ところが、市はまだその状況ではなかった。そして第2回の応募期限が切れた。誰を攻めるわけではないが、事実を書いた。国は市町村に下して終わりではないと思う。名取市の方々は本当に様々な配慮をし、住民の不満も聞いて、ズボンのサイズは皆かわっている。市町村の毎日想定外のことに追われている現場なのだから、もう少し、国からなんらかの動きがあってもいいのではないかと感じた。そうこうして悩んでいる間に、社協が県からの予算を頂き6名の相談員を主要な6か所の常駐させたことは喜ばしいことであり、自治会の自立を妨げないような形で良い支援をしていただけるものととても期待する。
一つ残念だったのは、雇用する際にハローワークと河北新報(県民が多く読む新聞)に出したので、被災者に周知されたと認識されていたようだが、もともと農業、漁業をしていた被災者の多くはハローワークに足を運ぶのであろうか?残念ながら河北新報をとる経済的な余裕はないのが事実のようだから、思惑とは違う現実があった。素晴らしい6名の方が雇用されそれ自体は喜ばしいことだが、「そんな仕事あるなら私も情報ほしかった。教えてくれればよかったのに」と何人かの人が私に言った。自治会にも、私たちにもその情報はおりてこなかった。少し残念で申し訳ない気持ちになり、半年の活動を振り返った。そして、今日これを書いている。
毎日 ブログをUPしているうちに電話が入り、ファックスが入り・・・・・60分経過してタイムアウトで消えてしまう、そんな繰り返しが、この半年に何百回あっただろう・・・この経験。そのために、出せなかった情報も山のようにあった。だから、私たちが何をしているのか、市役所でも、社会福祉協議会でも分からなかったのだろうと、今、情報を伝えることの大切さを思い知った。その中でも 少ない私たちの情報の中からも状況を読み解き適切な支援をしてくださった方々の素晴らしさに改めて感謝しました。
自分たちの活動を全て書けば、自慢か?という誤解も生まれるのでは・・・と一部のみ書いてきた。それでも、その活動の様子からも多くを読み取り全国、海外からも支援していただくことが出来て、半年充実した活動が出来た。
今後については、今検討中ですが。おおよそ、アパートや自宅避難者に対する支援を含む個人への支援などを充実させるべきだと考えています。
半年経ったが、何も変わっていない。公的な方針も未決定の部分が多く役所も市民もまだ落ち着かない。初めは3か月、6か月待てば、何か光がさすだろうと思っていたので今よりもう少し明るい気持ちでいた。とにかく皆で元気出そうと言えたが、現在はとても息苦しい状況になり、改善どころか不安が増しているという情報が飛び交う。人を思いやる気持ちを持って暮らす、揉め事はいらない。昔の私ならそう思った。でも、今は少し違う。色んな考えの人がぶつかり合って もっともっといい状況になることがあると有ると知った。ただし、問題を残さないようなぶつかりあ方が必要であり、それが難しい。
そういえば、昨日、あるお婆ちゃんが難しいお話をしてきた。
「働く人の食事を出すのを辞めるなんて気の毒だね。退職金は返してくれないのかね?」と聞いてきた。「何のこと?」と聞いて、東電のことだとそのお婆ちゃんの意見に耳を傾けた。そして、そのお婆ちゃんは、「テレビの人達この話はしは滅多にしないんだね。コマーシャルだので協力している仲間の会社なんだいがね?どうでもいい芸能人の話だのは朝から晩までいろんな人が話すのにね。大事なことがなんだがわがんないんだべがな〜」と続けた。その後、私はネットで情報を調べて、なるほど、お婆ちゃんはこのことを言っていたんだね、といくつものことを知った。誰に高いお金を払うべきか?誰に責任があったのか?庶民の気持ちとはかけ離れたことが世の中で起きているということをそのお婆ちゃんは私に語ってくれていたようだ。
日当には昼代も含まれた金額だろうから、食事は支給しなくていいというのが一般的な考えなのかもしれないが、もしそうなら、市民レベルで、一般の人から、働く人々、個人へという形で差し入れして支えたらいいのではと思った。でも、私が思うようなことはもう、既にどなたか動いているでしょうかね。東電に対しては、15パーセントの値上げされ私たちが責任を分担する、そこまでは百歩譲ったとしても、高額の退職金を頂戴するほどのポジションにいた方なのに、責任はないのかな?とお婆ちゃんは言っていた。何故そのテレビもこの話をしないのか?と聞かれた。「なんでだろうね?」としか言えませんでした。
なんででしょうね?!
また、いつの世でも、会社が困難な状況に追い込まれると、決まって株主の方々が会社に対し不満をぶつけていましたが、それもどうなのでしょうか?投資するというのは、お金を出資し利益を手にすることを考えて、投資されるのでしょうが、私は以前からこう考えていた。
出資するお金がないからそのようなことはしないが、あったらするかな?と学生の未熟な考えでさらにこう考えた。出資するということはその会社の理念、方針など理解し応援する、そのために幾ばくかのお金を出資する。そして、利益が出れば見返りもある。しかし、どうだろう?問題があったら、またそこで 出資してその会社を助けよう決意して投資する人はいるのだろうか?私はそこまで責任が取れないから出資は出来ないな、株は買えないという結論をだし、幸い?資金もないので今日までそのようなことに関わったことはない。自分の投資がその会社の方針を応援することになることを考えてから投資すべきだと思う。かなり脱線しましたが、私の言いたかったのは、今の日本の社会にかけているのは、この「責任」という言葉、その意味を大切にしていないということだと思う。
また、似ているものに、投資した団体に問題が起き、騙されたと悩まれる方も多い。至極気の毒ではあるが、その場合も儲けの部分に目が奪われ、冷静な判断が出来なかったことに起因することもあるのではないだろうか?
私たちは「責任」という言葉の意味をもう少し考えて日々暮らさなければならないのだと思う。よく理解してなかったので、子供の頃、石巻に生まれた私も、産業が少ない地域に原発が出来るのは雇用も生まれ、地域にもお金が落ちるから悪いことではないという認識しかなくて、反対だとは思っていなかった。全ての尺度にお金を使い、地域にお金が回るようになるのはいいことだ、と思い込んでいた。多くの間違いはお金で考えていたことにあるような気がする。
もう一度、何が必要。何をすべき。何が出来る。それを真剣に考えなければならない。
H23.9.18 若山