明日は名取市の国際交流大綱見直しの第3回目の会議があります。
名取市は国際交流協会を必要だと位置づけるのかどうかが興味があるところです。
私たち ともだちin名取は2007.4.16設立(その半年前から準備期間をとり)から今日に至ります。市民の盛り上がりを期待するという佐々木市長さんのお言葉で、私たちなりに努力し、邁進してまいりました。常に名取市総務部の方々が必要な研修なども設定して下さり共に国際都市を目指していました。そこに突然の大震災があり、必要と判断し、これまで海外出身者に対して行って来た共生支援の枠を被災者の方々に広げての支援活動をしてまいりました。
2011年3月16日から社会福祉協議会の要請で、複数の地域の方々が混在する避難所に支援に入りました。単一地域の方々が集まった避難所は比較的運営しやすかったのでしょうが、複数の地域の方が混在する場合、文化が少し違い、正に私たちの得意とする異文化交流の場となっていたので、そこが活動の場となりました。
そして、
2011年5月の末に被災された方々と共に仮設住宅へ拠点を移し、最終的に8か所の名取市内の仮設住宅の自治会長さんからの要請で必要な支援をしてまいりました。
※私たちが大切にしてきたのは、「○○という、支援が出来ますが、必要ですか?」とその地区のニーズにあった支援、要請のあった支援だけを入れてきました。名取市社会福祉協議会が仮設住宅見回りの支援員さんたちの「ひより」さんが起動するというのでみなし仮設の支援がないことから支援対象をみなし仮設中心にシフトし、それまでの築いて来た支援の繋がりやシステムを引き継ぎました。その後もひよりさんのご協力で様々な支援を仮設にも入れてきました。ひよりさんも本当に細やかな配慮をしてその地区の特色を生かした集会所作りをされて素晴らしいです。
2011年年末まで宮城県の支援物資を閖上まちカフェのご協力でみなし仮設(民間賃貸住宅に住んで居る被災された方々である)住人にお配りしたり、仮説集宅集会所にも希望の品を県からトラックで配送してもらいました。
2012年1月1日からは 仙台傾聴の会と一緒に「宮城県新しい公共」による場作りのモデル事業として「名取交流センター協議会」事務局として、これまで延べ人数6,000人を超えるみなし仮設の方々が参加しました。この傾聴をするお茶会・お茶っこのみで月に20回(10か所×2回)実施してきました。
この名取交流センターの事業を計画しているとき、市役所にも一緒に入って3者で実施したいと話し合いをしていましたが、書類提出の朝に、「市役所が一緒にするのは難しい」と言われ、宮城県のご理解で急遽2者での協議体で応募して、新しい公共に採択されました。
結果として、市役所と一緒でなかったので、住民の方々が要求する方向に沿って活動を邁進出来たので、それで良かったのだと振り返りました。市役所の方々は、どうしても平等という言葉を大切にした動きをするというフォームなのでご苦労は大きいと推察いたします。
しかし、予算は希望通りにはいかず、H24年度3ヶ月・H25年度12ヵ月の計15か月で10,000,000円の予算となりました。勿論予算は十分ではありません。
※「予算が無いから出来ない」という言葉を口にすることは許される状況ではありませんでした。
必要とされていました。行き場のない重い思いを抱えていた方々が、頑張ってお茶会に足を運んでくれました。答えは一つ進むしかありませんでした。会の中にも、外国人への支援が会の使命ではないかと考える人もいましたが、理解し、全国から集めた礼服をご自分のご自宅に保管し、お子さんがショウノウの臭いで喘息を起こしても、毎日毎日仮設に運んでくれたり・・・いつの間にか活動は幅広くなっていました。でも、本来の活動も大事にしたい。そのような状況で活動することを、国際交流協会という繋がりだけで、全国から・(例)宝塚国際交流協会や清瀬国際交流会など)応援を頂いたり、また、国際交流協会だからと海外の日本人会から・(例)ニースからオリーブの漬物やチョコをお茶っこにと送られたり)応援して頂いて何とか3月の末の「新しい公共」の終了に辿りつけそうです。
このような状況を応援して下さった団体の中で一番力強い応援を下さったのは宮城県国際化協会でした。様々な国際交流協会からの応援を繋いで下さったり、早々に仙南地区の外国人被災者への心身ともにリラックスできる支援の会など実施して下さいました。
また、国際交流基金の地球市民特別賞に推薦し、私たちの会が「分け隔てなく、広く海外出身の人々も含む被災者へ支援を継続している」ことに対して表彰を受け100万円を頂戴しました。
そのパーティーで、名取市だけでなく、気仙沼、石巻、亘理、山元町にも可能な限り支援したことも様々な方々に良いことだと言っていただきました。それも、これも、人々との繋がりがあったからできたことでした。
名取市には国際交流協会が無かったので、被災直後から、連絡を取り合い、情報を頂き私たちの知る限りの外国出身者の安否を報告し、宮城県国際課協会には力強い応援を頂きました。私は、何処かの傘下に入るとか、誰かが傘下にいるとかいう古い形ではないスタイルを、今日までの被災地での活動をしてきて学びました。
私たちは、どの会とも横並びで活動させて頂いたと思っています。
3.11の慰霊の灯篭づくりをすると言えば、写仏を得意される大友さん、凧の絵付けを得意とする武田さん、絵手紙の・・・皆さんが手を貸してくれます。誰が上でも誰が下でもない・・・互いを尊敬し合う人々が仲間として、必要とされた時は手を繋ぐ。素晴らしい名取の財産であるこのような方々をもっと大切にして行きたいと考えます。
また、昔話を語りののこそう・・・と活動する会・閖上まちカフェの皆さん・・・多くの方々と横並びで活動して来れました。それは、その方も素晴らしい方々であり、横に繋がる連携で今日まで進んで来ました。閖上太鼓、花町神楽、閖上湊神社、下増田神社・・・熊野神社・・まだまだ素晴らしい文化が沢山ある素敵な名取市です。
だから、これらの皆さんの繋がりを形にできればいいと願っています。
その場として、市民活動支援センターの再開は大きな喜びでしたが・・・
場所としてではなく、人と人を繋ぐ場としての市民活動支援センターが無ければ、せっかく出来た素晴らしい人々との繋がりを有効にすることは出来ない・・・それは とても残念なことです。市民参画の市民活動支援センターの運営が期待されますが・・・
物凄く脱線しましたが、だからそんな思いが汲み取られた大綱ができるといいなと思うのでした。
「どっと.なとり」としてジョカさんがみなし仮設の方々のための支援を始めたので、そちらに名取交流センターのお茶っこのみをスムーズに移行させたいと双方で調整しています。

1日も早い復興を願っています。