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カスバの女 [2008年01月02日(水)]


 アルジェリアの首都アルジェの旧市街を構成するカスバは世界遺産。カスバは古いモスク、オスマン様式の宮殿、伝統的な街並が残った地区です。石積み狭い路地が迷路のように入り組んでいる。小さな建物のドアに人の手をデザインされた取っ手がどの家にも付けてある。
 寝苦しい暑い夜を屋根の上で寝る人々や、深夜になるとゴミを集めるロバの足音が石畳にひびく急な坂道を撮影中に捕まってしまった。山頂にある警察の留置場は大きな部屋であった。明け方までに10数人の白いストールをまとった街娼の女が放りこまれてくる。ヒゲの警官が乱暴にも部屋の隅にうずくまっている女たちを足で蹴り上げる。それも何人もの警官が入れ替って蹴るのである。椅子に座ってカメラを持ったままだったので、その情景を盗み撮りしてしまった。
 翌朝といっても昼近く、警察署長の取り調べがあった。フイルムの堤出を求められたので、アルジェリヤ政府の撮影許可証を見せたが、フランス語でタイプされたものだったから、署長は読めないらしく、ただ眺めているだけである。「ここはカスバだ」、カスバの許可証を見せろ・・・と、声を荒らたげて一方通行であった。女たちを足蹴の写真が少々面倒なので、カメラに入っていたフイルムを目の前で感光させてしまった。そうすれば釈放してくれると思ったのが大間違い、今度は証拠を消してしまったスパイ容疑となって、もう二晩留置される破目になってしまった。泣きたくても泣けない思いをしたことがあった。

 フランス映画、監督ジュリアン・デュヴィヴィエの名作「望郷」は、アルジェの港近く、小高い丘にできた迷路のような町カスバに、パリ出身の強盗犯ペペ・ ル・モコ(ジャン・ギャバン)は、 パリ警察の手を逃れてフランス領アルジェのカスバに逃げ込んだ。
ぺぺを裏切ったカスバの女イネスが泣いて屍にすがる印象的な場面は忘れられない。この映画の舞台になったホテル・アレッティに、森本哲郎さん、通訳の高 恵美子とサハラ砂漠取材許可証を取るために長期滞在をしていたときのことだ。1969,7.20人口衛星アポロ11号が月面着陸、アームストロング船長が「この一歩は小さいが人類にとって偉大な「第一歩だ」と第一声に「地球は青かった」と、静かな海」からのテレビ初中継をホテル・アレッティのロビーで見た。
 地中海に面しているアルジェの街の建物は白一色に塗られ、ペルペル族系との混血娘が多く、娘たちは可愛らしく美しい。
 カスバの街に入ると、子供たちがやたらに多い。迷路が入り組んで階段だらけなので遊び場にもってこいだ。夜になると狭い路地に車が入れないために、ロバが朝までゴミの回収をしているのだ。サハラ砂漠を背にしているアルジェの街は夜になっても気温が下がらない。寝苦しい暑い夜を屋上で過ごす男たち、白いスークで顔を隠す女たちは、生活のために街娼になって街角に立っていた。

                 週刊朝日カラー別冊 No3 夏号   1964年7月
幻想のサハラ砂漠  [2007年05月28日(月)]
タッシリ・ナジェールの岩絵




 アラビア語で「褐色の無」という世界最大のサハラ砂漠。砂塵が舞う広大な大地は「無」ではなく人々の営みと文明が栄えていた。
 森本哲朗さんと三ヶ月に及ぶ初めての海外取材は、印象深く残映の記憶が鮮明に蘇ってくる。



 泥の民家が並ぶオアシス、トンブツクゥには、大モスクが建てられていた。聖職者、芸術家、学者が集まりサハラ砂漠の「黄金の都」いわれている。青い衣装を着た遊牧民のトゥアレグ族が住み、街は華やかな女性たちの衣装とブルーの色彩が調和して活気に溢れていた。頭に黒いターバンを巻いているのがブルートゥアレグの貴族で飾り長剣を腰にぶら下げていた。何カ国語を話し大きな隊商のガイドを勤め、遙か彼方、地中海沿岸まで星空を読みながらサハラ砂漠を横断する。
 石器時代に不思議な謎の岩絵が描かれたホガアル高原の麓にオアシス、ジャネットがある。街には甘い夏目椰子が何処にでもあった。サハラのほぼ中央に位置し日中温度は六十度を超していた。驢馬六頭、フランス人四人とベルギー人等、トゥアレグ人のガイド三人の混成キャラバンを組んで、タッシリ・ナジェールの岩絵を見る五泊六日の旅は、ちょっとした探検だった。



一九六九年七月二十日、アポロ十一号が月面の静かな海に着陸した。人類史上初めて足跡を月に残したアームストロング船長の第一声は、「この一歩は人類にとって小さいが、偉大な躍進だ」。アルジェのホテルアレッティでテレビを見たのは二ケ月前になる。その頃、坂本九のスキヤキソングが世界的に大流行していた。
 タファレット峠越えは想像以上に苦しかった。瓦礫の山道をゲルバ( 羊の皮袋の水筒 )を幾つもも背にした驢馬が一頭足を骨折してしまった。押したり引いたり、フランス人たちと「上を向いて歩こうよ」と歌いながら驢馬を叩く。ゲルバの水は揺られているので以外に冷たい。砂漠の民トゥアレグ人ガイドたちは、水の摂取量が我々の五分の一ほどしか飲まない。キャンプでの炊事当番は各国クルーが日替わりで受け持った。サソリを数匹捕まえたフランスクルーは、蛇と小鳥にサソリのスープを作った、とても美味かった。ガイドは炊事した場所から五十メートルの所に柔らかい砂を選んで枕を作ると、毛布を敷いて砂との境目を丁寧に被せて、その上に寝袋。サソリや蛇が毛布に登ったときに感触の違いで逃げていくという、夜明けに目が覚めると毛布の周りは小さな爬虫類の足跡だらけだった。
 最終キャンプ地のセハールに大きな一本の糸杉が立っていた。目前には林立した岩山、十数キロ範囲に描かれた不思議な絵を探索するのだ。ガイドが「大変だ水場に驢馬が死んでいる」血相変えて叫んでいた。そこに行ってみると五メートル四方の溜まり水に太って化け物のようになった腐乱した驢馬が浮いていた。「仕方がないさ、気持ち悪いが目をつぶってこの水を飲むんだね」と、平気な顔つきでガイドが言った。
 翌朝、早くから少年ガイドにゲルバを持たせて別行動で撮影に行った。荒涼とした岩壁のアトリエには、目高位置より高めの位置に、白い巨人や牛の群、狩猟する人たちの像などが描かれていた。夢中なって撮影していると、水を持ったガイドがいつの間にいないのだ。日が昇るにしたがって暑くなってきた。喉がカラカラに乾き脱水症状をおこしてきた。口の中で唾と舌が絡まって上顎に張り付いてしまうのだ。無理にはずすと血がにじみ出してくる。いくら待っても何の音も聞こえない。仕方なく糸杉のキャンプ地を目指して歩き始めたが、二・三時間歩くのだが、半時計回りで元の場所に戻ってしまう。タッシリで遭難、変な予感が頭の中を回っていた。覚悟を決めて、カメラバックを瓦礫の下に埋めて三脚を立てた、腰ベルトでしっかりと結んだ。夕暮れどきを待って、最後の力を絞って歩きはじはじめると、彼方にキャンプファイヤーの火が見えた。
 トゥアレグ語で「川の多い大地」、かっては豊かな草原地帯であったであろうタッシリ・ナジェール.岩の墓標が夕日を浴びて赤く染まっていた。

 週刊朝日カラー別冊 No3 一九六九年夏号
 平凡社カラー別冊 遺跡との対話 NO2 一九七六年一月