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年金保険詐欺 [2009年11月09日(Mon)]


「社会保険庁年金還付課から2005年度の年金還付金が四萬五千八百円有ります」。と妻に電話があった。「書類のNoは三百六十七萬四十六です。メモをお願いします」。「近くにローソンが有りますか、携帯電話を持って十五分以内にATMの側に行って下さい、それと携帯電話の番号をお知らせ下さい」。
 側で聞いていると、親切丁寧な応対のようだ。だが、なぜ携帯電話の番号を知らせてしまったのかと疑問に思って、娘に代わらせた。約二十分もの長会話になった。十五分後に再電話する約束で電話は切れた。
 早速、区役所に問い合わせると、「最近は手口を代えたオレオレ詐欺がやたらと多く、電話やATMの扱いはいっさいやっていませんから十分に気を付けて下さい」。
 騙す材料はいくらでもあり、騙す人は、弱い人、騙しやすい人を狙うということです。昨年4月からの1年間で計1254件に上ったことが社会保険庁のまとめで分かりました。
 今年初め振り込め詐欺の電話がかかってきた。
載録する。「オレ、オレだよ。車で事故をやってしきった。金が必要だ」「君は誰だね」「息子の俊一郎だよ、声デ解るだろう」。相手の手口を会話をできるだけ長引かせて聞いた。「ところで、娘はいるが息子はいない」というと電話は切れた。巧妙極まる会話に、ひっかかる老人が多いのも解るような電話であった。くれぐれも要注意して下さい。

 ベルリンり壁崩壊から二十年。世界が変わったが地球環境温暖化、乱れる世相と信じられない事件が多発している。新型インフレンザの恐怖、タレントの麻薬、女子大生バラバラ事件、結婚睡眠薬詐欺、社会保険詐欺などが時代の流れにまん延している。家族の絆を結ぶ丸い小さなチャブダイを囲んでいたサツマイモの終戦直後の懐かしい夕食の味には戻れない。

 期待していた新政権のテレビ国会論争を連日見ているが、政治資金を公明正大とする国会議員にあって、黒幕といわれる人と検察に書類を押さえられていると言い張る人は、不透明な言動を繰り返すだけだ。オレ、オレ詐欺と同類なのか。



 
Posted by 富山治夫 at 22:48 | 日本 | この記事のURL
つぶれない銀杏 [2009年11月04日(Wed)]


 近づいてきた寒さの到来で紅葉の季節になった。新政権のテレビ国会論争を見た。
 列島改造論や所得倍増論に比べ、「友愛」は時代錯誤のようで理解に苦しみます。ベテラン自民議員からの質問で、「友愛」を問われた各閣僚の解釈は微妙に違う。概算予算要求や沖縄基地、ダム建設中止などと官僚廃絶。と言いながら天下りを郵政の社長にした。国会議員本来の仕事を放りなげて官僚に立ち向かう姿勢に、次の選挙に勝ことが国会議員の仕事だ、と言った黒幕の一言で一年生議員は仕分け見直し作業からはづされた。迫力の無い国会論争。
 「霞が関は大馬鹿だ」「貴方がたに言われたくない」「高級車に乗っている家庭が給食費未払い」。「誰でもいいから刺す」オームサリン事件から二十年、オレオレ詐欺、結婚詐欺など世相は時代の流れを写している時に、民主党マニフェストは、天下の宝刀「この印籠が目に入らぬか」と言わんばかりに金太郎飴のように振り回す各大臣。
 木枯らし一号が吹く頃になると、丸い小さなチャブダイの笊に乗せられた採ってきたばかりの銀杏は、乾燥が足らずになかなか割れない。サツマイモが今夜の夕食だ。貧乏で食べるものも無く、学校へも行けなかった戦後時代。母と兄弟四人で囲んだチャブダイの銀杏の味は懐かしく、自分の心にウソをつかず自信を持って相手の瞳に話なせと、口癖のように言っていた母をを思い出す。
 第二次世界大戦終結後の一九五五年、民主黨は第一黨となり第二次鳩山内閣を樹立した友愛精神を説き悠々自適の生活を送った。
「友愛」の像は董夫人と一緒に護国寺境内に建っている。
 ライフワークの「現代語感」は、政治をイメージした言葉を映像化した。反射五百ミリを改造すると八百ミリ超望遠レンズになった。新宿散歩に活用する事にした、他のレンズは持たないでこれ一本で新宿散歩。コマ劇場の日だまりで寝ていた老人が目を覚すと、上着を脱いで裸になって、白い縄で背中をこすり始めた。「友愛」を考えシャッターを押したが、少し無理なようだ。
何故、たった二%満たない仕分け作業に疑問が残る。地球温暖化防止とネット時代に生きる環境にマッチするだろうか。それとも歴史は繰り返えされるのか。
残り時間の少なくなった高齢者たちの悲哀は、澄んだ星空の流れ星なのだろうか、と。
Posted by 富山治夫 at 08:00 | 日本 | この記事のURL
つぶやき [2009年10月19日(Mon)]
 幻の超特急「あじあ号」の写真展は、一ヶ月の展示期間中に、共同通信社より配信された地方紙の読者、鉄道ファンを始め満州鉄道関係者から沢山のコメントを頂き誠に有難うございました。



 総選挙で民主党への政権交代で、「友愛」をビジョンにした鳩山外交デビュー。明治以来の変革期を迎えたが、田中角栄の列島改造論や池田内閣の所得倍増論に比べ、「友愛」は理解に苦しむと、つぶやく人もいる。新潟県に自民党議員が〇席になった。新潟県連にお願いしていた映像アーカイブを発信する佐渡丸太小屋センターの模型を送り返してもらった。二十五年前に造ったものだ。
 携帯電話サイトで「ツイッター」とやらが爆発的に大流行しているそうだ。鳥のささやきが「つぶやく」言うそうで、百四十字以内でメールを送る。ノーベル平和賞を授与されたオバマ大統領も活用しているとテレビが伝えていた。
 インターネットが世界を変えた時代の流れを、次は携帯電話が「友愛」の志しの実を結んでくれるのだろうかと思う。仙台の楽天野村監督は、「ぼやき」でチームを盛り上げた。民主党マニフェストはアニメ館も予算停止。「映像アーカイブはどうなっているのか」つぶやきではなく、「ぼやき」でした。
 
Posted by 富山治夫 at 18:04 | 日本 | この記事のURL
幻の超特急「あじあ号」写真展 [2009年09月02日(Wed)]


幻の超特急「あじあ号」写真展 富山治夫
2009年9月20日(日)-10月18日(日)
共同通信社本社ビル (東京・汐留メディアタワー3F)


一九三二年三月に満州国が誕生し、石炭、石油エネルギー確保のために、日本の国鉄から約四千名の職員を派遣して南満州鉄道は運営にあたった。世界最高水準の流線型蒸気機関車「あじあ号」を東京まで走らせる夢を描いていた。新京(長春)と港湾都市大連との間を結ばれて、南満州鉄道連京線によってハルピンまで路線を延長した。大連港を発着する日本への定期船と連絡した「あじあ号」は、この区間の速度向上を計り、一万二千キロを運行したが、わずか九年三か月の運命だった。その巨体は風雪に堪えながら瀋陽郊外の蘇家屯機関区に置いてあった。
 
(財)ハイライフ研究所のサイトでネット・ラジオ番組「富山治夫・世界の旅」を配信中です。
http://www.hilife.or.jp/viaggio/
http://www.tomiyamaharuo.com
Posted by 富山治夫 at 18:19 | 日本 | この記事のURL
真坂 [2009年07月17日(Fri)]


 人生横町は銀座といわれたり、歌舞伎町といわれたり、日本中いたる所にある。ポジテブな「上り坂」、ネガテイブな「下り坂」、それに、もうひとつの「まさ坂」がある。膵臓ガンが見つかって三週間たらずで、梅雨明けの七月十五日に、隣の娘、ノンちゃんが天国に旅立った。享年五十三才の若さだった。共立女子大英文科を出て三菱地所に勤めたが、半年もしない内に佐渡島に嫁にいった。明るく活発な性格に地所の社長が、あんな可愛い娘を我が社の若い者はだらしないとボヤいた。仲人を頼まれ同居していた現女房と籍を入れキュウピット役を果たした。1974年当時、四年半の間、週刊朝日の表紙を担当していた。ノンちゃんは、四回も表紙のモデルで登場してくれた。 

 グランドピアノとバィオリン二重奏が奏でる音楽が心地良く聞こえるような家庭を佐渡島で築き、島人との交流を笑顔で育み、四人の男の子を残して、下の双子が成人式を向かえるを、これからの上り坂人生計画を楽しみしていた矢先であった。

 銀座に居た母親のママは、新宿歌舞伎町に高級クラブ出店するために、渋谷、新宿、池袋などの客層をリサーチしていた時にママと知り合った。女性自身の若造カメラマンだったのに、「ウイスキーの酒は、角瓶、ダルマを好む人は、安い人生を歩む、高級酒を飲む人の周りには集まってくる不思議な魔力のレベルがある」と教えてくれた。この言葉は人との出会いを「上り坂」に、類は類を呼び文化人や経済界、有名人と飲み機会をつくってくれた。
以後、ビバリーヒルスウイスキーといわれるシーバスリーガルを無理をしてまで飲む事にした。この言葉は世界中を旅をしている内にどれほど役にたったことか。L.A滞在中に新宿に隣同士で家を建てる結果になった。

そのママが倒れたのは二十年前になる。認知症になって介護が必要になった。ノンちゃんは東京に来る機会が多くなり、佐渡島にも毎年、度々連れて行っていた。今年の五月、我が家の玄関に木香バラが満開になった。ママを佐渡島に連れて行くノンちゃんと記念写真を写した。ママが佐渡島に行くのもこれが最後なるな、と変な予感がして抱えるように歩く後ろ姿をいつまでも見送ったばかりだ。その写真が今日の告別式に飾られるなんて、神様の「真坂」のいたづら、真実になってしまった。佐渡島両津市で昨夜のお通夜に五百人以上が参列し焼香してくれたと、連絡があった。宿命とでもいうのか運命とでも・・・。残された遺族は節目を乗り越えポジテブな「上り坂」を。


「真実」

雨が降る。風が吹く。それが禅である。
春が過ぎて夏となり、秋を経て冬となる。それが禅である。
赤ん坊が育ち、若者が成長し、次第に老人となって、死ぬ。
それが禅である。
何の不思議もない大自然の運行。
そのハタラキに心が開き、目覚め、随順して
生きるのが禅である。

禅とは坐禅、禅定のことだが、禅定によって見通した
宇宙の真実 をも言う。
仏道といってもいいし、仏法といってもいい。
仏とまで言い切ることもある。

曹洞宗総合研究センター所長 奈良康明
Posted by 富山治夫 at 16:11 | 日本 | この記事のURL
さまざまな [2009年07月14日(Tue)]


 


「天・地・遊」。生きがいを求めた古人の哲学者は、人間が、死を迎えることすら「宇宙の一滴」遊びにすぎない。と説いたが、老化した脳では理解する意欲も湧いてこない。癖がなくて七癖、癖のある人は七十七、四十九の癖があるという。知らぬとはいえない意地っ張りの和尚が、尻から放つ「へ」がわからない。持ち前の癖のため小僧に調べさせた。いろんな人たちに聞き回り同道めぐりの末に、自分のところ跳ね返り大恥を掻くという小咄なのだ。
 
 「神のみぞ知る」。英知の限りをつくした綿密な戦略を初戦から幕切れまで、アメリカンフットホール、ゴルフルールなど、近代スポーツをつくり出し余すとこなく活用したイギリス人、アングロサクソン系民族の伝統と高雅なルールは尊厳を持っている。戦争をも「人類最大究極の遊び」非情なほどに挑むルールの幻想が、虚実に物語って、洗練されたユーモアを忘れない。 
それにしても「お告げ」に従うアラブ系の人たちは、みんな立派な髭をたくわえ、女性はスカーフで顔を隠すのは、世紀末の幻想から新世紀末へ、文化の相違と文明の共通性が異なる価値観を持った人間の都合で、その合い言葉は、やさしい温暖化防止だ。不思議な郷愁をよびおこす地球の三分の一は砂漠だ。核、宇宙開発、最先端技術の場を提供し、世界を動かす石油を産出する。チベット暴動に続きウイグルの叛乱に中国も課題が大きい。
 「誰でもよかった」ナイフ殺人の新聞見出しに不快な活字が躍って流行語みたいになった。好奇心と執着心の隙間に人間関係の一大転機になったようだ。審判が下った知事選、都議選は風に乗った民主党の歴史的圧勝に終わった。

 全英オープン開催のリンクスコースは、海岸の砂地。 セントアンドリュース・オールドコースは東海岸、今年開かれるターンベリー は北西海岸。第一次世界大戦の時は飛行場としてコースが利用され、伊豆川奈ホテルがモデルにした。タイガーウッツと同組で回るラッキーボーイ十七才の石川遼君ガンバレ。運動神経を支える筋肉は一週間で記憶を失い、骨髄はたったの一時間で忘れてしまうそうだが、永久に憶えている脳ミソは始末に逐えない。中部 銀次郎さんの名言「 ゴルフ・スイングは指紋のようなものだ」。青木功プロと中部さんがターンベリーでプレイしたのは十数年ほど前になる。
 ゴルフ仲間のジエフりー・アーチャーの翻訳家、永井淳が逝ってしまった。「ポップスの帝王マイケル・ジャクソン」十一才の娘ハリスちゃんが追悼式での家族愛のスピーチに世界中の人たちが涙を誘われた。
 「人間は死者のために生きる」。と言ったのは、森繁久彌さんだった。
 さまざまな思いは、デジタルと携帯電話の風が世界を変えた。
Posted by 富山治夫 at 12:02 | 日本 | この記事のURL
強制捜査 [2009年05月23日(Sat)]


 近所の世話役をしている人から電話があった。「十時十五分に強制捜査が始まる」と連絡があったが、なにのことやらさっぱり見当がつかない。日本一の繁華街新宿には世界から集まった若者が多く住んでいる。歌舞伎町の裏から中央線大久保駅、中野駅あたりまでは韓国人と中国人たちが多く住み、すれ違う人たちの会話には、あまり日本語が聞えない。消防自動車、救急車のサイレンは当たり前のようになって毎日のように聞えるが、麻薬かなにかしらい強制捜査は初めてだ。時間がくると、ワンルームマンションの管理人の車と引っ越し会社の車が、わが家の玄関前に横ずけされた。十二三人の捜査官が勢ぞろいしてワンルームマンションに入って行く。テレビニュース番組で見る強制捜査とまったく同じ場面だった。たった六畳一間なのに、どれほどの事件かと捜査員に「暴力団関係、それとも麻薬の捜査ですか」と尋ねる、「裁判所からの部屋の強制明け渡し命令ですよ、本人はまだ寝ているのですぐに済みますよ」。パソコン、テレビ、衣類などが三十個以上の段ボールに収められて次々にトラックに積み込まれる。「この荷物はどうするんですか」とまた聞いたら「裁判所て官報に告示してから競売されるんです家賃未納の一件で」。出てきた二十代後半の若者は、入り口の階段にボストンバックを肩に座り込んで空を見上げていた。これからどうするのだろう、今夜からニートになるのか、少し可愛いそうになった。
 新型インフレンザの感染者が東京に出た。裁判員制度が施行される日の出来事であった。

 新シリーズ「富山治夫・世界の旅」。ポッドキャスティングが始まります。第一回目は世界遺産に登録されているアルジェリヤの「カスバ」。世界中から犯罪者が逃げ込む魔窟カスバは、地中海に面したアルジェ市の小高い丘に、石づくりの小さな家がひしめきめいている。細い階段だらけの通路を警察に追われるジャン・キヤバンが演じる「望郷・ぺぺ・ル・モコ」。フランス映画代表作としても有名な舞台だ。ご期待ください。

新シリーズ「富山治夫・世界の旅
http://www.hilife.or.jp/viaggio/2009/05/1969.html#more
Posted by 富山治夫 at 03:55 | 日本 | この記事のURL
簡略文字とフリー百科事典 [2009年04月13日(Mon)]



 唐詩の本を詠んでいると、いうよりは旧漢字のデザインを眺めているだけなのだが、味のある字画で文字の意味合いが伝わってくる。中国や韓国を旅行しても街に重みのある漢字が消えている。だから地図を片手に散歩することが出来ない。旧漢字が読めるのは、台湾人と香港人と日本人になってしまった。道路表記が明快の欧米では、地図を便りに何処へでも一人で行かれる。
 旧漢字の繁体字と簡略字の簡体字を考えるという対談がBS中国ニュースで流れていた。旧漢字は中国文化を伝承する意味で重要な文字だから教育方針を代えるべきだという学者と、中国でも英語教育が行なわれるように成ってきてから、簡体字は今のパソコン時世に有っているという学者が議論していた。簡体字は味わいがないというが、思考とコミニュケーションが採りやすいと75%が賛成。反対は24%に過ぎなかった。宋・元の時代から簡体字は導入され、秦の始皇帝が繁体字の統一した歴史がある。だが、二千以上の簡体字を結合して。2000年10月、中国国家文字法律が施行された。文字統一が長い時代続けば経済も豊かになると、中国の学者が語っていた。

 「ひらがな」を、ちなみにグーグルで検索してみると、西暦900年頃の平安時代に、それまでの画数の多い 「万葉がな」に代わるものとして考案された カタカナは、西暦800年頃に ひらがな同様、文字を簡略表示させる目的で 考案された 平仮名は日本語の表記に用いられる音節文字である。仮名の一種で、万葉仮名を起源として成立した。楷書ないし行書で表現される万葉仮名を、極度に草体化して作られている。貴族社会では女性或は私的な場で用いるものとされ、女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌、消息などには性別を問わず平仮名を用いていた。そのため女手とも呼ばれた。平仮名による最初期の文学作品である紀貫之の作品『土佐日記』も作者が女性であるという前提に立って書かれている。とあった。「五十音」の名は、江戸時代からのものであり、古くは「五音(ごいん)」とか「五音図」「五音五位之次第」などと呼ばれていた。
また、これの手習いを目的として1923年に北原白秋の手によって成立された同題の歌詞および楽曲が存在している。
 現在、ネット時代にグーグルの検索マシンを必要不可欠となって利用している。そのグーグルが南ニューヨーク地区連邦裁判所から米作家集団訴訟で4500万ドルの和解協定を結んだ。集団訴訟なので世界中の作家に影響を与えるという。フリー百科事典『ウィキペディア」は、図書館、大学、一般著者から無断でスキャンした検索マシンである。どれほどの愛用者がいるのか計り知れない。念のため、www.googlebooksettlement.comというサイトを開いてみたら・・・。賛否期限は5月5日まで。そのうちに映像アーカイブにも影響を及ぼすことになるだろう。
Posted by 富山治夫 at 03:04 | 日本 | この記事のURL
学童疎開 [2009年04月01日(Wed)]


 1945年、日本が敗戦の年に、小学校四年生だった。群馬県・伊香保温泉「千明仁泉亭」に学童疎開で行った。皇室ご用達として伊香保きっての老舗温泉旅館だ。昭和天皇、明仁天皇、秩父宮、秋篠宮と皇室にご縁が深く、創業五百年の伝統の宿は、大正時代に建てられた木造三階建てだ。
 往時のままの千明仁泉亭へ、妻、娘、孫と兄嫁、五人の家族旅行は、懐かしい思い出を再訪する旅になった。渋川駅から砂利道を昼前から歩いて辿り着いたのは日暮れになった。本館は昔のままで、木目細な造られた日本間に案内してくれる仲居さんが笑顔で「伊香保温泉の20%の源泉を確保しているので湯量が多く暖まりますよ」。一段下に在った円形大浴場は、露天風呂と風呂付き部屋の「鶴の居」高級四部屋に改造されていた。終戦近くには食べる物がなにも無く、皆んな栄養失調でガリガリに痩せていた。大豆に雑穀がからまったご飯も一日一食。配られる粉歯磨き粉を温泉で丸めて空き腹の足しにした。燃料用松根掘りに毎日ように山に入る。山つつじが咲いていると、いっせいに食べてしまう、食べられる物はどん欲に探し回った。国民服の縫いしろにベッタリとシラミ、頭はノミだらけ。それなのに病気になる児童はいなかった。千明は二・三ケ月の滞在後、
「偲びがたきを忍び、耐え難きを堪え」昭和天皇の終戦勅語のラジオ放送は、数軒上にある福一旅館で聞いた。すぐ下の十一屋酒店との路地に並べられた大きな空き味噌樽、組木の間に取残した味噌が残っている。それをすくって腹の足しにした。育ちざかりなのに、楽しかった記憶は何も残っていない学童疎開だった。一昨年、兄が逝った時、弔辞をのべてくれた深井さんが、航空隊同期生の飛行靴を履いた人が石段を登って行く、その顔を見ると兄だった。千明旅館に弟の手伝いに来た兄と偶然の再会であったという。十一屋酒店の下で射的屋の店を経営していたのだ。伊香保町役場に勤め、伊香保町長を三期十二年を勤めるかたわら、ちりぢりになった航空隊同期生の名簿作りに奔走した。部屋に訪ねてくれて、退職後は特攻隊員の名簿を作成するために走り回っているいう。
 桜が咲くというのに、朝雪が降っていた。茶褐色の仁乃湯は湯量の豊富な露天風呂につかる。赤城山を見ながら、北朝鮮の人工衛星発射「テポドン2号」のニュースを思い浮かべていた。イラク戦争、アフガン増派兵、チベット問題など地球上どこかで戦いが起こっている。子供たちは、きっと学童疎開の時代と同じ思いをしていることだろう。「食い物の恨みは恐ろしい」と。疎開以前の思いでは多少有るものの、人間の記憶なんて、勝手なものだ。残念だったのは、終戦後、帰れない児童は二十人ほど、赤城山麓の寺院の名前がどうしても思い出せない。六年生まで居たのに・・・。雪景色の榛名富士に観光客は少なかった。
Posted by 富山治夫 at 13:18 | 日本 | この記事のURL
上は金 [2009年03月02日(Mon)]




 新橋駅前共同通信社・メディアタワー3Fで展示している「唐詩百景」は、3月8日まで、あと一週間になりました。地方紙の掲載が始まりました。


 蜀相・・・杜甫

丞相祠堂何処尋 丞相の祠堂何処にか尋ねん
錦宮城外柏森森 錦宮城外 柏森森たり
映階碧草自春色 階に映る碧草 自から春色 
隔葉黄鸛空好音 葉を隔つる黄鸛空しく好音
三顧頻煩天下計 三顧頻煩なり天下の計
兩朝開済老臣心 兩朝開き済む老臣の心
出師未捷身先死 出師未だ捷たざるに身先づ死す
長使英雄涙満襟 長に英雄にして涙襟を満す

 
 「上は金 下は杭なし吾妻橋」の一句で、都々一坊扇歌は、1852年、江戸を追放された。都々一坊は、幼少のときに病による失明同様であったが、寄席芸人を目指し、当時の政治や経済を、高座から聴衆に向かって語りかけるナゾかけを即座に解いてしまう。頭の回転の早さが江戸庶民に評判だった。と。
義父の法事で石岡市の国分寺にいったら、都々一坊扇歌堂が保存されていた。

 
第92代内閣総理大臣に就任「太郎ちゃんねる」のネット配信を見ると、何もメッセージが伝わってこない。漢字の読めない秋葉原マンガオタク「太郎ちゃん」に、小泉元総理は、「笑っちゃうぐらいあきれた」と痛烈に批判した。
 1969年(昭和44年)1月18日、19日に、全学共闘会議が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件である。この事件以後、沈静化した学生たちは政治に対する反対デモは行なわれていない。今日では無差別にナイフで刺す事件が続発し、流行しているかのように多くなった世相になった。
 世界金融危機、派遣社員の雇用不安と社会保険対策が一行に進まない社会不安ばかりの日本国は、政治は数、数は金。
「上はオタク 下は杭なし永田町」と都々一坊・・・は、笑っちゃうぐらいだ。と、高座で、ドドイツを謡っているかも・・・。

最新ニュースで、世界のネット社会で脅威のボットウイルスという感染率が高く、知らない間に自分のパソコンが発信源になってしまうウイルスが恐れられていると伝えていた。「沈没」は、かんべんしてください。
Posted by 富山治夫 at 06:38 | 日本 | この記事のURL