あのいまわしい予兆がまた始まった。脳梗塞のだ。夜明け前に足の指、足裏、ふくらはぎがツルのだ。
靴下とバンツのゴムが当たる皮膚、頭などを痒きむしる血でシーツが汚れる。ベットの上で、起き上がることも降りることもできない痛みを、治まるのをじっと油汗を流しながら我慢するしかない。三回目なので早速、医者にいったが、糖尿病の血糖値が上がったのではないか、と検査結果は一五四ポイントでたいしたことではない。
二〇〇二年五月、ゴルフ練習場の帰りに、自宅の手前三〇〇メートルの中央線ガード下で、突然、右半身が動かなくなった。窓の外に垂れ下がった手はブラブラ、右足でアクセルを踏むことができない。いったい何が起こったたのかさっぱり検討がつかない。幸い渋滞していたので、左だけでそろそろと運転して自宅車庫に入れた。車から降りようとしたが、右足がきかず、ドアの外で倒れてしまった。やっとのことで、部屋のソファーに倒れ込んだ。女房から鎮静剤バッハリンを一錠もらい、そのまま寝てしまった。顔半分の筋肉はいうことをきかなくなり、目はたるみ、口は落っこちてろれつが回らない。翌朝一番、かかりつけの医院に行くと、先生が看護婦にすぐ救急車だ急いで、都立大久保病院脳外科に電話連絡をした。
診察室で女医先生がバッハリンをいち早く飲んだのが大正解、脳の極々細胞は一日に二万から五万細胞が切れて、日いち日とボケが進行するのですよ、三階でMRIを撮ってからまた来てください。
撮影用手術着に着替えて廊下の長椅子で順番待ちをしていると、隣に週刊誌をカバーに張り替えた台本に目を投している人がいた。顔を見ると、子午線の祀り以来親しくなった前進座の嵐圭史さんではないか、どうしたのと訊ねると、「国立劇場で鑑真和尚の唐招提寺、天平の甍を上演する前にMRA検査を受けに来たんです」。
フイルムが仕上がるのを待って、再度、診察室
戻ると、フイルムをみながら、大きな欠損は見当たりません。この薬は、小児用バッハリンです。お大事に・・・。
約ひと月ほどで、もと道理とまではいかないが少し回復した。
嵐圭史さんは、国立劇場で鑑真和尚を熱演していた。
二年後の〇四年、また足がツル現象が起きて来たが対処する方法がない。友人たちに健康センターや有名な治療院を紹介してもらい高い診療費を支払って治療してみたが、どこもいっこうに効き目がない。一・二ヶ月後ぐらいが危険期だ。やがて、その時がやって来た。今度は左半分のシビレ現象が強く、左の体温が冷えてしまう。夏でも左腰、左股が暖まらないので行火を使用しなければならなくなった。
臨死、心臓狭心症、糖尿病、脳梗塞、と危険な病気を体験したが、一度かかったら現状維持のリハビリしかない。なにしろいやなお友達が増えたと思うよりしょうがない。水を沢山飲んで散歩をすることと、ストレスが起こりそうな場から逃げたすことが一番の薬のようです。
先輩、後輩、仲間たちとの惜別が増えて来た。脳梗塞を経験した仲間に電話してみたら、やはり足がツルのはよくない。すぐ病院で検査しろと。小児用バッハリンが新薬に代わったそうだが、脳梗塞は、三回目はあるが、四回目は無いという。