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臨死体験 [2006年08月30日(Wed)]


 夜明け前、王子飛鳥山交差点で信号待ちで停車しているとき、突然、タクシーに追突された。気がつくと、車は前方のガードレールにぶつかって止まっていた。リクライニングシートは平らになり、助手席置いてあったカメラバックはバックガラスまで飛んでいた。意識がもうろうとしているとき、ドァのガラスを割る音が聞こえた。救急車で運ばれたのは、十条銀座の小さな岸病院だ。

 手術台の上で、また意識を失った。螺旋状の走馬燈のようなものが、ぐるぐると回転している。その影絵現象に、生まれてから出会った人の顔が次々と現れては消える。何秒か何分かの間であろう。

 四畳半ほどの四角い部屋の真ん中のベットに寝ているのだ。走馬燈が終わる頃、天井の四隅に、もう一人の自分が四人も顔を出す。手招きしながら「早くこっちいこいよ」と。すると手をこすって暖めてくれているような感触が伝わってきた。かすかに目を覚ますと、若い看護婦の顔が顔面の上にあった。生死の分かれ目、救ってくれたのは、あの温もりかも知れない。

 第四頸椎捻挫の重傷、むち打ち症で二ヶ月半の入院生活だった。

 朝日新聞出版写真部を退社してフリーになって二年半。多くの連載を持っていた。カメラ毎日「人間花壇」。アサヒグラフ「二つのイメージ」話の特集「イメージ1967」朝日ジャーナル「開かれた世代・一億人の島」。など仕事に載っていた時期だったので、心身両面の後遺症に苦しんだ。 

 いちばん最初に見舞いに来てくれたのは、立木義浩氏だ。一九六五年、日本写真批評家協会新人賞をいただき、土門拳先生から流政之氏のブロンズ像を、二人で貰ったのが彼と出会いであった。

 地球上の何処で命を亡くそうが同じこととの思いいがつのり、リハビリをかねて香港に三ヶ月間行った。その時、中国で文化大革命が起こり、香港の川に、毎日、中国人の遺体が数千体も浮かんで流れて来た。このすさまじい光景に、人間とは、いったい何だろう。そうだ世界中を見て歩こう、と旅が始まった。

一九六八年八月
Posted by 富山治夫 at 19:34 | その他 | この記事のURL