アイルランドの風 [2006年09月07日(Thu)]
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妖精と妖怪が棲む「聖なる島」
![]() アイルランド共和国。 この国は知られているようで。実はあまり知られていない国のようだ。紀伊国屋書店の旅行書売り場ででアイルランドに関する本と簡単なガイドブックを探したが、何ひとつ手にすることができなかった。地図もイギリスと一緒の図版だけだ。 イギリスにはたびたび訪れる機会があるが、今までアイルランドまでに足を延ばそうとは思わなかったのは、八百年以上におよぶイギリス支配からの独立戦争、そして北アイルランドの爆弾テロ事件のイメージが、余りにも大きく災いしているからだ。 旅行者に人気がない理由は定かでないが、グレートブリテン島を支えるよえにして浮かぶアイルランド島は、サハリン北部に位置し、北海道ほどの面積がある。その島に約五百万人 (内、北アイルランドは百五十万人) が生活している。日本とはユーラシヤ大陸を挟んで東と西の両極端に位置している。 出発前に資料の本を求めることが出来なかったので、帰国後に版元からとりよせたのは、司馬遼太郎著 ( 街道をゆく・朝日新聞社) アイルランドへ行きたい ( 新潮社) アイルランド歴史紀行 (筑摩書房) 、あいるらんど概説 (アイルランド外務省) アイルランド大使を経験した波多野祐造著 物語アイルランド (中公新書) などだ。 人工が僅か三百五十万人のアイルランドは、小国ながら世界各地に住むアイルランド系の人々に。現大統領のメアリー・ロビンソン女史が就任演説で「世界に七千万人を越す同胞代表として」と、大いに抱負を語った。 年表によると、千八百四十五年から三年間にわたる冷害は、ジャカイモの立ち腐れ病原病が原因となって島全体を襲った。大飢饉のために、人々は餓死をするか移民となって国を出るしか方法がなかった。粗末な船での国外脱出のため、目的地に着くまでに多くの死亡者を出した。この時期に全人口の約半数の人が国を離れた。 アイルランド系移民が三千万とも四千万ともいわれるアメリカ社会では、故ジョン・Fケネディ、ロルナルド・レイガン大統領など、政治家、映画演劇人、消防士、警察官にアイルランド系が多い。それに今年のノーベル文学賞は、詩人シゥイマス・ヒーニ氏に決まった。ノーベル文学賞を四人も生んだ文学の国だ。バーナード・ショーやジェイムス・ジョイス、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らは、今までイギリス人とばかり思っていたが誤りだった。独特の伝統的な文化を育てたアイルランドは、イギリスの一部として長い間支配下にあったが、まったく別の国だったのだ。 暖かいメキシコ海流に浮かぶこの島は、絶えず霧が立ちこめて、大西洋からの強い偏西風がいつも吹いている。風に負けない不屈のケルト民族の精神が、カトリック宗派を信仰する緑の風土に根付いている。 ![]() ケルト民族の宗教や哲学、盛衰の歴史などは、少々、難解過ぎる。だが、もっと身近なものとして現代社会における音楽・映画演劇・ウイスキーやゴルフリンクス、ゲーリックフットボールなど、アイルランドは、世界文化発祥の原点ともいえる。 アイルランドの国を何も知らずに行ったきっかけは、東京キラーズ会のゴルフ仲間たちが、三年前から連続出場していた北アイルランドのブラックブッシュ・アマチュアトーナメントで知り合ったジョディ・バーク氏を、昨年十月に、日本に招待したからだ。日高CCの例会で優勝したときラ・ヒンチのネーム入りタオルを、鼻毛をボァートと伸ばしたジョディから戴いたのが出会いだ。その時にアイルランドで一緒にプレーしないかと、誘われれるままに、アイルランドに行く約束をしてしまった。 ブラックブッシュトーナメントは、毎年六月に北アイルランドの北東海岸コーズウェイで開催される。全英オープンも行われたこともあるロイヤル・ポートラッシュなど、百年以上も古い歴史がある四つのリンクスコースが試合の舞台になる。今年は世界十四ケ国から集まったアマチュアが千人以上も参加した。この大会は所属クラブハンディが十八以上であれば。四日間の試合料金、九千円ほどのグリーンフィー込みの費用で、誰でも出場資格が得られる。日本人参加者は我々十三人だ。うち四人は四回目の出場だ。還暦を迎える五人の仲間が汗を流しに行った。 北アイルランドのベルファスト空港に、得意ポーズの親指を立てたジョディが笑顔で迎えてくれた。韓国製のレンタカーを連ねて最北西端のコーズウェイに向かうと、なだらかな緑の丘に、ポツン、ポツンと白い家が建っている。水などの生活施設はどうしているのかと、余計なことを考えながら眺める景色は、絵はがきのようだ。 「エエッ、これがゴルフリンクス」 見わたす限りの大小の丘に、柔らかい葦のような草が銀色になびいて輝いている。黄色の小さな花が咲くコースにはトゲがある。ラフは足首がすっぽり埋まるフェザー草だ。樹木らしいものは一本も見あたらない砂丘に、また砂丘だ。 その上に鉛色のの雲ん゛流れていく。牧草地はおろか何の役にもたたない自然の砂丘地帯を、そのまま生かしたのがゴルフリンクスだ。強風にあおられる灰色の砂丘、そしていまにもとけ込んでしまいそうな乏しい色彩の砂丘には、海鳥の姿もない。肩ぐらいに低いピンフラックが、僅かな緑色を染めたグリーンの上に、墓標のように立てられている。 妖精と妖怪が一緒に隠れ棲んでいるようなダークグリーンの世界に、ひょっとするとジョナサン・スウィフトの「ガリバー」か、ジエームス・ジョイスの「ユリシーズ」に会えるかもと、少し謙虚にチョッピリ他流試合でゴルフの向上心・・・を。 「勝った負けたかはゴルフにおいては小さなことだ。常にゴルフそのものが勝者だから。偉大なゴルフは人の心を通いあわせるものだ」。 帰国する二日前に、ジョディ・バーク氏が六十八歳の誕生日を迎えた。東の果てからやってきたゴルフ狂の同世代十三人で、ささやかな祝宴を開いた。その席でのスピーチは感動的だった。 公務員を退職したジョディは二十二年前に愛妻に先立たれて、その後は一人暮らしだ。老後はアイルランドのセントアンドリュウスと称される人口が五百人ほどの小さな町、ラ・ヒンチに住んでいる。年会費を二万五千円ほどラ・ヒンチゴルフクラブに払い込めば、一年中毎日プレーしても無料で過ごせる。雨が降ろうが風が吹こうが、コースに出ない日はないという彼は、ゴルファーにとって理想像のようだ。ゴルフを友にして、一度決めたことには、決して妥協を許さない頑固さもあるが、情熱を秘めた瞳が謙虚で優しい人柄を示している。 最北西端の北アイルランドでの試合が終わって、ジョディが住んでいる大西洋岸のゴールウェイ地方り南にあるラ・ヒンチに向かう。緑の丘陵地帯がどこまでも続くゴールウェイは、ジョン・フォード監督のふるさとだ。装飾彫刻をされたケルト十字架が立つ教会の数がやたらに多く、古い石で囲まれた牧草地の中で、強風にさらされた牛や羊たちが、置物のようにまるで動かない。通り過ぎる小さな町にある警察署は、どこもテロ対策のために、堀を幾重にも鉄条網で囲われていた。 北アイルランドとアイルランド共和国のボーダーには、人影が見当たらなかった。 ラ・ヒンチのホテルに着くと、ジョディの仲間が数十人も待ち構えていた。歓迎宴席が設けられた私の隣の席には赤ら顔のマーフィが座ったピノキオのように鼻がつつ立っている。前の席にハンデ九だという奥さんは、映画「風と共に去りぬ」の女主人公、ビビアン・リーのように美形だ。そういえば、この一週間、化粧をしてスカートをはいた女性らしい女性に巡り会っていない。パンツ姿に化粧もしていない女性ばかりだった。風を避けるような格好で散歩する力強いアマゾネス嬢ばかりだった。 アイルランドには数多いB/B (ベットと朝食)の民宿とホテルに分宿するのだが、私はジョディに誘われて、丘の上にある彼の家に泊まることになった。翌朝。牛の泣き声で目を覚ますと、窓の外は牧場だった。この国は総人口よりも牛や羊が多い。家畜が働くので人間はゴルフができるが、羊たちが小屋の陰に集まると、その日は風が強くなるのでコースには出ない。海に囲まれているのに、キリスト教徒の習慣で金曜日以外は魚貝類を好んで食べないジョディは、紅茶を入れる用意をしながら応接間に飾られていたスコアカード見せてくれる。三年前にワンランドのプレーの間にホールインワンを二度もやったカードだった。持病の腰痛と闘いながら肝臓の適出手術を二年前に受けた。「ハンデ六から十二に下がったが、神様がもう一度ゴルフができるように願いを叶えてくれたからです」。例の親指を立てて嬉しそうに笑う顔に、理知的な心に情熱を秘めたジョン・フォード監督が映「静かなる男」で観せたアイルランド魂を感じさせる。 何から何まで世話をしてくれるジョディは、疲れを知ないようだ。自分に正直に生きる彼と過ごした三週間の旅も終わった。 空港ロビーで分厚い胸を抱いて分かれを惜しんだとき、涙をこらえた瞳が光っていた。ジョディに鼻毛を切れよと、別れの時まで言えなかった。その鼻毛が少し濡れていた。この国の風を思えば、やっぱり言わない方がよかった。仲間の一人が、「トミー、来年もまて来るね」 「もうゴメンだよ」。すると、 「きっと、鼻と耳にボアーと伸ばした。ジョディに、また、会いたくなるぜ」 「世界」一九九六年一月号 |





