CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
美徳 [2009年11月21日(Sat)]


 本日、「写真ほど素敵な商売はない」小生の自分史ブログアクセス総数が三万回を越えました。ポッドキャスト「世界の旅」は、音声で旅の思いでを語っています。ありがとうございます。

 オバマ大統領が天皇陛下に深々と頭を下げている新聞の写真を見て、日本の民族的習慣を礼儀正しい態度と好感を持てた。
だが、外国の元首にお辞儀をするのは適切でない弱腰外交「まるで謝罪外交をしているみたい」とテレビ放映された場面をみた米国人から物議が起こり「醜かった」と酷評された。

 チベットでは、舌を思いきり口から出して相手に対して腹の中から信頼していると、初対面の挨拶をする。身体を抱きあってハグをする民族、手を合わせて歓迎を表現する民族、凍てつくヤクーツクではお互いの鼻を撫でて凍らないこどを確認する。それぞれの国、宗教、風土、習慣によって挨拶しかたも多種多用である。

 美人英国人英語教師のリンゼイさんを殺害した犯人が逃走中ついに捕まった。自白どころか食を拒否して黙秘している。世界で最も安全な国といわれる日本での不幸な出来事だった。国民性と文化習慣が違う国での悲しい事件であった。
 
 歴史からは共通の理想を求め、ちょっとした些細なことから歴史は動き出すことが多い、より深い人間把握して国政の祀りごとを司るのが施政者の心得。
 少し気になったことは、初来日で期待された米国大統領の出迎えに間に合わなかった鳩山首相、車内で数分の間待たされた米国大統領、そのプライドを傷つけられたことは計り知れない。「私を信じて」と言ってもブレ始まった日米協定は、どんな展開を予想することができるのか。
 日本人本来の「あいまいさ」とか「わびさび」「余白」とかが美徳すれば、新政権になって初めての法案が自公議員欠席で強行採決された。
行政刷新会議で重箱の底に箸つつくような事業仕分けは、ネットで世界配信されている。見えなかった予算要求に、新鮮であると同時に、何か理解に苦しむ。閣僚の統一性のない発言には夢がなく、みっともないようにも見えてくる。年末に向かって株価低迷がつづき、デフレ風が吹き始めている。
Posted by 富山治夫 at 10:34 | 日本 | この記事のURL
チェンジ [2009年11月13日(Fri)]


中国では大雪、木枯らしとともに寒い風が吹いてきた。
 「チェンジ」、 change courts. 。アメリカ再生、オバマ大統領の言葉演説集が大学などで教材に使われている。句切れとも変わるとも、帰る、代えるとも。
新装なった事業仕分け劇場で公開された演目は、「魔女狩り」、次々「廃止」「見直し」とセリフにも熱を帯びていた。政治始動で。官僚は裁判にでもあった心境に違いない。

 すぐ隣に住んでいた八十四歳の後期高齢者は、若い頃から東京住まい、新橋で小さな料亭を開いていたが、店を閉めて新宿で一人暮らし、テレビや暖房器具を故郷の山口県に送って「チェンジ」するといって帰えっていった。だか、後期高齢者にとって田舎はさびしいこと、便利さも、友人たちもいないので、風俗習慣が合わない、都会生活が体に染みついているので、と言って一年ほどで住み慣れた新宿に帰ってきた。
 「デパ地下に行けば試食だけで満腹になるし、総菜もご飯も一人分で買える、鍋、釜の台所用品はもう必要ない」。テレビと暖房器具を量販店で揃えていた。
 小生は日に百本近く吸うヘビースモーカーだ。新宿では路上喫煙を禁止さけているのに、散歩の傍ら五十本以上の投げ捨て煙草を拾うのが癖になっている。近所の米屋に煙草のまとめ買いをするのだが、「最近は安売りスーパー、コンビニが増えて、スイカカードの影響もありまったく売れなくなった。お米も産地直送のレストランが増えてダブルパンチを受けていますよ、年越しが出来るのか、倒産も時間の問題ですよ」。
 オバマ大統領初来日、お土産のアフガン支援金総額は・・・。

Posted by 富山治夫 at 10:37 | 日本 | この記事のURL
年金保険詐欺 [2009年11月09日(Mon)]


「社会保険庁年金還付課から2005年度の年金還付金が四萬五千八百円有ります」。と妻に電話があった。「書類のNoは三百六十七萬四十六です。メモをお願いします」。「近くにローソンが有りますか、携帯電話を持って十五分以内にATMの側に行って下さい、それと携帯電話の番号をお知らせ下さい」。
 側で聞いていると、親切丁寧な応対のようだ。だが、なぜ携帯電話の番号を知らせてしまったのかと疑問に思って、娘に代わらせた。約二十分もの長会話になった。十五分後に再電話する約束で電話は切れた。
 早速、区役所に問い合わせると、「最近は手口を代えたオレオレ詐欺がやたらと多く、電話やATMの扱いはいっさいやっていませんから十分に気を付けて下さい」。
 騙す材料はいくらでもあり、騙す人は、弱い人、騙しやすい人を狙うということです。昨年4月からの1年間で計1254件に上ったことが社会保険庁のまとめで分かりました。
 今年初め振り込め詐欺の電話がかかってきた。
載録する。「オレ、オレだよ。車で事故をやってしきった。金が必要だ」「君は誰だね」「息子の俊一郎だよ、声デ解るだろう」。相手の手口を会話をできるだけ長引かせて聞いた。「ところで、娘はいるが息子はいない」というと電話は切れた。巧妙極まる会話に、ひっかかる老人が多いのも解るような電話であった。くれぐれも要注意して下さい。

 ベルリンり壁崩壊から二十年。世界が変わったが地球環境温暖化、乱れる世相と信じられない事件が多発している。新型インフレンザの恐怖、タレントの麻薬、女子大生バラバラ事件、結婚睡眠薬詐欺、社会保険詐欺などが時代の流れにまん延している。家族の絆を結ぶ丸い小さなチャブダイを囲んでいたサツマイモの終戦直後の懐かしい夕食の味には戻れない。

 期待していた新政権のテレビ国会論争を連日見ているが、政治資金を公明正大とする国会議員にあって、黒幕といわれる人と検察に書類を押さえられていると言い張る人は、不透明な言動を繰り返すだけだ。オレ、オレ詐欺と同類なのか。



 
Posted by 富山治夫 at 22:48 | 日本 | この記事のURL
つぶれない銀杏 [2009年11月04日(Wed)]


 近づいてきた寒さの到来で紅葉の季節になった。新政権のテレビ国会論争を見た。
 列島改造論や所得倍増論に比べ、「友愛」は時代錯誤のようで理解に苦しみます。ベテラン自民議員からの質問で、「友愛」を問われた各閣僚の解釈は微妙に違う。概算予算要求や沖縄基地、ダム建設中止などと官僚廃絶。と言いながら天下りを郵政の社長にした。国会議員本来の仕事を放りなげて官僚に立ち向かう姿勢に、次の選挙に勝ことが国会議員の仕事だ、と言った黒幕の一言で一年生議員は仕分け見直し作業からはづされた。迫力の無い国会論争。
 「霞が関は大馬鹿だ」「貴方がたに言われたくない」「高級車に乗っている家庭が給食費未払い」。「誰でもいいから刺す」オームサリン事件から二十年、オレオレ詐欺、結婚詐欺など世相は時代の流れを写している時に、民主党マニフェストは、天下の宝刀「この印籠が目に入らぬか」と言わんばかりに金太郎飴のように振り回す各大臣。
 木枯らし一号が吹く頃になると、丸い小さなチャブダイの笊に乗せられた採ってきたばかりの銀杏は、乾燥が足らずになかなか割れない。サツマイモが今夜の夕食だ。貧乏で食べるものも無く、学校へも行けなかった戦後時代。母と兄弟四人で囲んだチャブダイの銀杏の味は懐かしく、自分の心にウソをつかず自信を持って相手の瞳に話なせと、口癖のように言っていた母をを思い出す。
 第二次世界大戦終結後の一九五五年、民主黨は第一黨となり第二次鳩山内閣を樹立した友愛精神を説き悠々自適の生活を送った。
「友愛」の像は董夫人と一緒に護国寺境内に建っている。
 ライフワークの「現代語感」は、政治をイメージした言葉を映像化した。反射五百ミリを改造すると八百ミリ超望遠レンズになった。新宿散歩に活用する事にした、他のレンズは持たないでこれ一本で新宿散歩。コマ劇場の日だまりで寝ていた老人が目を覚すと、上着を脱いで裸になって、白い縄で背中をこすり始めた。「友愛」を考えシャッターを押したが、少し無理なようだ。
何故、たった二%満たない仕分け作業に疑問が残る。地球温暖化防止とネット時代に生きる環境にマッチするだろうか。それとも歴史は繰り返えされるのか。
残り時間の少なくなった高齢者たちの悲哀は、澄んだ星空の流れ星なのだろうか、と。
Posted by 富山治夫 at 08:00 | 日本 | この記事のURL
つぶやき [2009年10月19日(Mon)]
 幻の超特急「あじあ号」の写真展は、一ヶ月の展示期間中に、共同通信社より配信された地方紙の読者、鉄道ファンを始め満州鉄道関係者から沢山のコメントを頂き誠に有難うございました。



 総選挙で民主党への政権交代で、「友愛」をビジョンにした鳩山外交デビュー。明治以来の変革期を迎えたが、田中角栄の列島改造論や池田内閣の所得倍増論に比べ、「友愛」は理解に苦しむと、つぶやく人もいる。新潟県に自民党議員が〇席になった。新潟県連にお願いしていた映像アーカイブを発信する佐渡丸太小屋センターの模型を送り返してもらった。二十五年前に造ったものだ。
 携帯電話サイトで「ツイッター」とやらが爆発的に大流行しているそうだ。鳥のささやきが「つぶやく」言うそうで、百四十字以内でメールを送る。ノーベル平和賞を授与されたオバマ大統領も活用しているとテレビが伝えていた。
 インターネットが世界を変えた時代の流れを、次は携帯電話が「友愛」の志しの実を結んでくれるのだろうかと思う。仙台の楽天野村監督は、「ぼやき」でチームを盛り上げた。民主党マニフェストはアニメ館も予算停止。「映像アーカイブはどうなっているのか」つぶやきではなく、「ぼやき」でした。
 
Posted by 富山治夫 at 18:04 | 日本 | この記事のURL
幻の超特急「あじあ号」写真展 [2009年09月02日(Wed)]


幻の超特急「あじあ号」写真展 富山治夫
2009年9月20日(日)-10月18日(日)
共同通信社本社ビル (東京・汐留メディアタワー3F)


一九三二年三月に満州国が誕生し、石炭、石油エネルギー確保のために、日本の国鉄から約四千名の職員を派遣して南満州鉄道は運営にあたった。世界最高水準の流線型蒸気機関車「あじあ号」を東京まで走らせる夢を描いていた。新京(長春)と港湾都市大連との間を結ばれて、南満州鉄道連京線によってハルピンまで路線を延長した。大連港を発着する日本への定期船と連絡した「あじあ号」は、この区間の速度向上を計り、一万二千キロを運行したが、わずか九年三か月の運命だった。その巨体は風雪に堪えながら瀋陽郊外の蘇家屯機関区に置いてあった。
 
(財)ハイライフ研究所のサイトでネット・ラジオ番組「富山治夫・世界の旅」を配信中です。
http://www.hilife.or.jp/viaggio/
http://www.tomiyamaharuo.com
Posted by 富山治夫 at 18:19 | 日本 | この記事のURL
シベリヤ冬の旅 [2009年08月18日(Tue)]
星のささやき


 白と灰色だけの大地には色彩がない、単調で変幻自在に移り変わる太陽は、いつも水平線に寄り添うようにしている。日照時間がわずか二・三時間ほどの極寒大地は、東西七千キロ、南北三千五百キロ。ここを訪れるためには特別なビザが必要だ。ウオッカが飲めることだ。と、
 モスクワのノーボスチ通信社プラテ記者に、流暢な日本語で挨拶されたのが初対面。
 「ヤクーツクで立ち小便した男が男性自身が心配になり医者に診てもらうと、これは手術しないと駄目だ。別の名医に相談すると、手術は必要ない、この椅子の上に立って飛び降りるように指示をした。すると、肉体の一部がポロンと床に落ちた」。
 暗く永い冬を過ごすロシア人は、ジョークが好きだ。風刺雑誌のクロコダイルは、四百万部の発行部数を誇っているという。
 モスクワから国内線でウラジオストックまで戻ってからシベリヤ冬の旅が始まった。      
 ハバロククス、イルクーツクと飛ぶ国内航空は高度をあまり上げない。眼下に果てしなく広がる一面のタイガに、泡が固まったようなものがポツン・ポツンと見える。泡は集中暖房のために街全体を覆って大気と冷気を調整機能をしている自然現象なのだ。
 戦後、極寒のシベリヤに抑留された六十万の日本兵は飢えに苦しみ、十五万の兵士が白い大地から帰らなかった風土に、哀悼の意をこめて眺めていた。
 零下二十五度を超えていたイルクーツク、超深度のバイカル湖は凍結していなかった。科学者の街アカデミーゴロドフは、螺旋状に整備されて三万人の住民は、センターまで何処からでも歩いて十分で行かれる。ブラーツクには巨大発電所がある。北極海にそそぐエニセイ河は結氷していた。凍土地帯にあるアルダンを経て、零下四十七度のヤクーツクに着いた。もっとも北極圏に近い都市は、零下五十度を超えると学校が休校になる。子供たちは凍った道路でアイスホッケーを楽しんでいた。
 夜間撮影といってもまだ三時を過ぎたばかりだ。羽毛防寒具に身を固め、自動車を走らせることができるという強いウォツカを呷って街に出るが、ものの十分もしないうちに肺と内臓が吸い込む空気でキリキリと締めつけられる。耐寒用に油抜きしたカメラは動いていたが、バッテリーと三脚はどうすることもできない。ファインダーを覗く目蓋はマスクからの蒸気で凍りつき、こすり続けないと、すぐに重くなった。少しだけ大気に触れている頬は、ガラス繊維がぶつかり合うような音が聞こえる。この音をヤクーツクの人は、
 「星のささやき」とロマンチックな言い方をしていた。
 外いたのは十五分ほどの短い時間だった。疲れ果ててホテルに戻ると残酷な事態が起こった。マイナス五十度からいきなりプラス二十度、机の上に置いたカメラが、あっとゆう間に白く凍ってしまった。カメラを手にするとバリッツと異様な音がした。電灯を消してベットの上で毛布に包まり、手探りでフイルムを引き出すと、フイルムは裂けていたのには驚いた。
 ジガンスクは北極圏にある村。モンゴル系の顔をした人たちは、鼻が凍傷にならないために、お互いに鼻を摘んで挨拶を交わし、コルホーズではトナカイを飼育していた。
 雪原で尿意をもよおしてきたが、あの医者のジョークを思い出すと勇気がでないが、我慢できなくなってしてしまった。すると、何処にいたのか沢山のトナカイが、塩分の匂いを嗅ぎ付けて集まってきた。
 夕食は、そのトナカイの御馳走だ。皮膚呼吸をしない動物の肉は意外に旨く、とくにタンの刺身はマグロを思わせるぐらいだった。
 遥か遠方からの来客をもてなすのは、女房に優秀民族の種付けをしてもらうという習慣がジガンスク地方に、昔はあったそうだ。
 トナカイの角をモスクワで検疫証明書を受けてきたが、羽田空港で没収されたのが残念だ。


 追記、ノーボスチ通信社のフリッツ・プラテ記者は、札幌オリンピックの取材で来日、その後も度々東京と、モスクワで合うことになり、すっかり大親友になった。
  アサヒグラフ 一九七二年一月二十一日号
Posted by 富山治夫 at 05:32 | ロシア | この記事のURL
スワニー川の彼方 [2009年08月17日(Mon)]


 ステファン・フォスターは、三十八才の生涯に残した歌は百八十八曲。アメリカンカントリーミュウジュックは、世界中の人々に親しまれた。アイルランド系の移民として一八二六年にピッツバークで生まれた。

 最近余り耳にしないカントリーミュウジュック「故郷の人々」「金髪のジエニー」「草競馬」「マイ・オールド・ケンタッキーホーム」など、アイルランド民謡のリズム感が漂う代表作がある。この頃のアメリカでは、リンカーン大統領が再選され、南北戦争の終結に向かっていた。

 ニューヨークのウォドルフホテルで東京から飛んでくる團伊玖磨さんと待ち合わせて、フォスターの記念碑をたどる旅にでた。ピッツバーク大学フォスター記念館、デトロイド・デァボーン公園の移築された生家、ケンタッキー、インデアナポリス、シンシナティ、フロリダのスワニー川、ゆかりの地はさまざまな風土であった。



 フォスターは、晩年をニューヨークの1ストリートの東果て、中華街に近いバゥワリーストリートにあるアメリカンホテルという名ばかりの木賃宿でアルコール中毒によって悲惨な最後を遂げた。通称、酔っぱらい通りでは資本主義の物欲からはみだした落伍者がたむろしていた。信号待ちの車の窓ふきで二十五セントコインをねだる。一j貯まると一目散にドラックストアに飛び込んでビールを買う。マンハッタンの寒さは厳しく、朝になると公衆電話ボックスでうずくまって死んでいる傍に受話器がぶら下がっていた。
 フォスターが残した財布の中に三十八セントと「親しい友、優しい心」と書いた紙片があった。

   遥かスワニーの流れる彼方     
  そこは、私が思いを馳せるところ
  そこは、私の懐かしい仲間の住むところ

フォスターは、兄を訪ねて、この曲のタイトルを相談した。合衆国南部の地図を広げ鉛筆を指した所がスワニー川だった。

 フロリダ州特有の湿原を流れメキシコ湾にそそぐその川がどんな川か知るよしもなかった。川巾15米ほどの小さな川は、水質は鉄分を含んでコカ・コーラと同じような色に青空が反射していた。水しぶきが上がると5米ぐらいの鰐が数匹泳いでいた。ユーカリか柳のような大きな木にスパニッシュ苔が白く垂れ下がっていた。

 シーズン外れなので客は一人もいない小さなフィシングキャンプモテルのロビーに白いピアノがあった。翌朝、「これ、今朝書いた三週分のパイプのけむり頼むね」と言うと、團伊玖磨さんは、ピアノに向かい夢中になって弾き始めた。いつの旅でも飛行場からエアカーゴで原稿をアサヒグラア編集部に送るのが役目であった。

 ステファン・フォスターに触発されたのか、そのモテルに一週間も泊まることになってしまった。食事もあまり取らず、会話も少なくなった團さんに、何を作曲しているのかと訊ねると、「武田泰淳のひかりごけ、人が人を食べて生き延びていく恐ろしい話です。」

オペラ「ひかりごけ」は大阪のフェステバルホールで1972年、初演は大好評であった。もちろん大阪に観に行った。
 1971年 週刊朝日カラー別冊秋号


参考サイト:
富山治夫・世界の旅」(財)ハイライフ研究所のウェブサイトより配信
幻の超特急・亜細亜号「パシナ」 [2009年08月16日(Sun)]

 一九三四年、南満州鉄道が製造したパシフィック・七型急行旅客用蒸気機関車。重量二〇二トン、最高速度・百三〇キロ。大連ー長春間・七百一キロを(約東京ー岡山間に相当) 八時間三十分で運行。一九三四年一一月ー一九四三年二月、わずか九年三ヶ月の運命だった車輪配列を表す「パシナ」は、大陸の大平原を真っ白い煙を吐きながら大東亜共栄圏の牽引車、幻の超特急として爆走したのだ。戦争の悲劇の象徴として。

 旧満州で暮らした人たちに、大陸の一番の印象は、とたづねると、ほとんどの人が「真っ赤な太陽」と答える。パシナの動輪は直径二メートル、真っ赤に塗られていた。

 一九八二年六月一四日の深夜、一五回目の中国取材旅行から自宅に帰り着くと、岩波ホールの高野悦子さんから父の与作が亡くなったと、電話があった。戦前、日本最大の国策会社南満州鉄道で、大陸の鉄道施設開発に青春の夢をかけた父上には面識がなかった。お通夜にかけつけると、姉上の淳子さん(岩波雄二郎夫人)と並んで肩を落としていた。焼香をすませて二人の前に行くと、いきなり手を握った瞳には涙が溢れている。

 「お願い、亜細亜号の写真を撮ってよ。どうしても写してほしいの」。その場の雰囲気にのまれて、思わず口走ってしまった。「いいよ、僕が亜細亜号を撮ってあげるよ」と。

 亜細亜号を撮影することには目算があった。「仁義なき戦い」以来、東映の松田仁プロデュサーから、中国のSLを映画にという話があったからだ。しかし、映画製作は莫大な資金もさることながらズブの素人だ。よほどの度胸がなければ、手をつけられる仕事ではない。

 「よし、中国へ行って考えてみるか」高野さんの言葉から勇気をもらって、八月、梅棹忠夫氏を団長の民族学研究内蒙古自治区の旅に参加した。大草原の果てに彼方の満州。パシナが走る姿を心に描いた。日本の二〇六倍の大地に、約七千三〇〇両のSLが活躍している中国、SLの宝庫だ。

 包頭から東映の松田氏に、映画製作を引き受けたと連絡した。向こう側の 北京に戻ってから関係部署の交渉のために一人で残った。中国撮影家協会、鉄道部、映画公司に交渉したが、なかなか承知してくれない。中国の鉄道五万二〇〇キロは、いま電気化、ディゼル化を進めているのに、それでは社会主義建設の大方針にそぐわないと、必死になって説得した。

 「勝利号、解放号、建設号、それに毛沢東号、周恩来号、朱徳号と英雄たちの名を付けたSLが、東北の大草原を爆走する姿こそ新しい長征のの旅ではありませんか」。とこの話が効いた。

 泊まっていた北京飯店の大きな部屋で、撮影ロイヤルティの交渉が始まった。金額はとくに記さないが、一千万単位だ。

 初日、XX US ドルでどうか、と言われ早速、東映松田氏に連絡すると高すぎるとの返事。鉄道部と。映画公司の人たちの顔が見えやすい逆光にならないように椅子を置き換えて二日目、同じ金額でXX 円でいかが、と提案された。高すぎるから東京に帰ると言うと、明日もう一度話しましょうと帰った。三日目、同じ金額でXX 中国元ででいかが、と。素早く頭の中で計算すると四分の一になった。東映松田氏も九月十日から二十日までの撮影で了解した。いつの間にか窓からの光が順光になっていたが、ほっとした安堵感が胸にこみ上げてきた。三日後にパシナの撮影隊が出発するから淳子さんと準備するようにと高野さんに電話した。

 あわただしくとってかえっして、成田空港へ行く。撮影スタッフ十七名と初顔合わせで紹介されたが、困ったことに映画カメラマンが一人もいないのだ。つまり、いじったこともない映画用アリフレックスカメラを回さなければならないのだ。

 大連駅は亜細亜号の始発駅、日本の上野駅をモデルに造られている。向こう側のホームにSLが入ってきた。急いで三脚にカメラを乗せ、ゆっくりパーン撮影を試みた。回りきれずパトンとカメラが倒れた。見ていた高野姉妹は、いたたまれないような顔で眺めていた。映画初撮影の大失敗。

 映画監督兼、構成監督兼、撮影監督兼、東京鉄道研究会会長と、にわか団長として、いらだちながら蘇家屯機関区の接待所で挨拶をする。中国流の長い説明が腹立たしかった。パシナが窓越しに見えるからだ。流線型の巨大な鉄の塊が朝の太陽を浴びて真っ黒に光り輝いている。蒸気機関車の貴公子パシナは貫禄十分な勇姿で、歴史の風雪を耐え抜いていた。

 現役のSLを隣の線路に並べて、パシナの煙突に合わせて蒸気を上げてもらう。手前の線路にもう一台、ゆっくり走らせる、石炭車の上に乗って撮影開始だ。全長二〇五・七メートル、高さ四・八メートルの巨大さに圧倒された。

 松花江に父上の遺骨を流す前夜、高野姉妹の部屋を訪ねた。大連で買った漆塗りのお盆と数本のロウソクを立てて浴槽に浮かべてテストしていた。故人が大好きだった酒を遺骨にふりかけ、明日は松花江ですよ、と言っていた。

 「高野与作先生が松花江に戻ったのを祝って乾杯」。鉄路局の超俊文副局長が晩餐会を開いてくれた。

 春は南から杏の花で、冬は北から氷柱で知らす、詩の列車がかららん鐘を、鳴らして走るよ南満本線。

 古い唱歌を口ずさみながら、日中友好のためにも、高野姉妹のためにも、よかったし思う。

 映画「真っ赤な動輪」は、中国ロケを四回に分けて撮影・完成した。チャゲアンドアスカ作曲の音楽「明日に向かって走れ」をテーマ曲にして、一九八二年七月に、東映系で全国一斉公開された。

追記
 蒸気機関車の吐き出す煙が迫力を増す冬の時期に二回目のスタッフ二四人と撮影した。鉄道公司は北京ーハルピン間を運行している列車にさらに二両を付けてくれた。撮影目的地で切り離し、次の目的地まで運行している列車で運んでくれる。ホテル代が助かった。
 三回目ー四回目は、辺境の地トルファンや景勝地、桂林などを、キヤノン・スキューピックを担いで、二四〇〇〇キロの一人旅をして完成した。

 もう一台のパシナは、北朝鮮国境の丹東機関区でボイラーとして使われていた。

 映画編集の事後取材で旧満鉄役員やインドネシヤ、タイに駐在経験した人たちに、当時の話を聞いた。大東亜共栄圏の構想はもの凄く遠大で、石炭、石油エネルギー確保のために、亜細亜号を東京まで走らせる夢を描いていたらしい。 

参考サイト:
富山治夫・世界の旅」(財)ハイライフ研究所のウェブサイトより配信
Posted by 富山治夫 at 20:32 | 中国 | この記事のURL
ポッドキャスト「世界の旅」 [2009年08月03日(Mon)]
「世界の旅」旅を通じて人生を振り返るポッドキャストを始めました。第一回目はアルジェリア1969「カスバの女」。第2回 サハラ砂漠、タッシリ・ナジェールへの旅。第3回 中国満州鉄道「幻の超特急・あじあ号」です。
富山治夫・ホームペイジのリンク集http://blog.canpan.info/tomiyama/世界の旅をクリックして下さい。                               富山治夫
Posted by 富山治夫 at 14:42 | この記事のURL