中央アジアの真珠 [2010年02月01日(月)]
![]() 安保改定五十年。あっと言う間に時がすきせましたね。 アフガニスタン中枢部に同時テロが十八日発生した。カブールには二度ほど行ったことがあるが、通過点なので、この国ほど印象に残らない国は無い。2001年三月にバーミヤン渓谷の二体の大仏破壊 が行われた。 大仏はタリバーンによって破壊されたのだ。ドイツの調査チームの報告によると、破壊後、その瓦礫から発掘された木片や藁などを放射性炭素年代測定法で分析したところ、大仏の築造年は507年ー12年、西大仏は551年ー15年という結果が報告れた。 1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以来外国人の立ち入りが難しくなり、外国の支援を受けた調査と保存事業は中断状態に追い込まれた。1980年代以降の内戦で1990年代には内戦の激化にともなって遺跡の周囲にも多くの地雷が埋設されるほどの状況で、遺跡の破壊が世界的に憂慮された。 アフガンの空爆が始まったのは二〇〇〇年、すでに十年が過ぎた。アフガニスタンのカブールからカイバル峠越えでは、ソ連が造った道路とアメリカ舗装した道路が回遊。山賊に気お付けろと言われ、恐怖におののきながらのドライブであった。タジキスタンのドシャンベでは、スパイ容疑で三日間の牢獄監禁生活を味わった中央アジアの取材を思い出した。 最近では現地から送られてくるテレビ映像は、パソコンなセットされた携帯電話から、インターネットを通じて送られてくる。「中央アジアの真珠」と言われ、アフガニスタンは歴史的にも多民族国家であり、古代から東西文明交易路の要衝の地でありアレクサンダー大王、玄奘三蔵、チンギスハンの混交する多くの文化遺産が残されている。アフガニスタンの北西部に位置する、ハリ・ルド川沿いの町は、ヘラート県の首都。かつては中央アジアとインドを結ぶ要衝の地として栄えた。ヘラートの歴史は、破壊と復興の繰り返しであった。古代はアレキサンダー大王の時代から、時の支配者たちに幾度となく征服され、破壊し、そのたび再建してきた。古い寺で装飾彫りされた小さな石片を子供に貰った。玄関に置いてあるその石を見るたびに激化する戦争の狙撃を思い出すのだが、二度も旅をしたのに、なぜか記憶に残らないアフガニスタンだった。 ![]() |

















