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明石は、鯛や蛸だけではない。
ゆったりした地域性には歴史的なわけがあるのです!
明石をもっと知って「大好きになってほしい」との思いで情報発信していきます。
歴史の主人公は男性だけではないヨ!


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小式部内侍〜プレイガールは母ゆずり〜 [2008年09月25日(Thu)]

情熱の女性歌人としてその名も高い和泉式部。
彼女の最初の夫は、和泉守道貞という県知事クラスのオジサマでした。
二人の結婚生活は和泉式部の相次ぐ恋愛沙汰によって破たんをきたしましたが、この二人の間に生まれた娘が小式部内侍です。


佳人薄命のひと

 大江山いくのの道の遠ければ
 まだふみもみず天の橋立


という歌が百人一首に残っていますが、このとき、小式部は若干12〜13歳。
即興で詠んだにもかかわらず、見事な出来で周囲の大人たちを驚かせました。

また、恋愛遍歴のほうも母に劣らず華やかなものでした。
藤原道長の息子たちとも浮き名を流しました。
その一人、藤原教通との間には静円という子どもを産んでいます。
また、万寿2年(1025年)には、藤原公成の子どもを出産しましたが、それが原因で20代の若さでこの世を去りました。

小式部祈りの松

魚住町に小式部ゆかりの史跡が残っています。
その史跡にまつわるお話です。

小式部の歌の才能を見込んだ天皇は、御所にある枯れそうな松を歌で蘇らせて欲しいと命じました。
小式部が祝い歌を詠むと、不思議なことに松は元気を取り戻し、緑の色濃い松に蘇ったそうです。

小式部に先立たれた母の和泉式部は、せめて菩提を弔おうと姫路の書写山を訪ねました。
その帰り道、魚住の長坂寺を訪れた和泉式部は同寺の寂心上人から法華経を詠むことを勧められました。
一心に法華経を詠んでいると、立ちのぼる香煙の中から小式部の姿が現れました。

和泉式部は、京に帰ってこのことを天皇に申し上げ、小式部の歌で蘇った御所の松を魚住の長坂寺山に移し植えました。
村人たちは「小式部祈りの松」と呼んで大切にした、ということです。


※魚住町錦が丘には、寂心上人が小式部の供養のために建てた五輪石塔があります。
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