CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2012年01月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
東京を再発見する会
書こうと思っていたのだけど (12/14)
タミリン
書こうと思っていたのだけど (11/14)
東京を再発見する会
野川を歩く 中流編 その1 (11/13)
タミリン
野川を歩く 中流編 その1 (11/10)
東京を再発見する会
荒川コミュニティカレッジ 地域活動入門 (11/09)
東京を再発見する会
荒川コミュニティカレッジ 区内活動紹介 (11/07)
東京を再発見する会
横浜 その2 (11/03)
東京生活を楽しみましょう。東京って楽しい、東京に住んで良かったと思ってもらえる様々な提案を行ってゆきたいと考えています
前進あるのみ(笑)[2012年01月08日(Sun)]
【(カテゴリなし)の最新記事】
富士山が見えなくなる?[2011年12月30日(Fri)]
江戸時代は高層ビルなどもちろんありませんから、富士山は当然、筑波山までよく見えたと思います。都内には数多くの富士見坂がありますが、小高い丘に登れば富士山が良く見えた証だと思います

ところが、近現代はドンドン高層ビルが立ち並んで、都内各地の富士見坂から富士山の眺望が奪われていきました。そんな中で唯一残ったのが、西日暮里、お諏方様の前にある富士見坂で、空気がよどんでいる日中は見えないことも多いのですが、風が強かったり、空気が澄んでる早朝や冬の日には綺麗な富士山が見えます

2000年には文京区内にマンションが出来て富士山の左側が隠れてしまいました。そして、住友不動産(新宿区)がJR高田馬場駅と新大久保駅の中間にあるJR職員宿舎跡地を「大久保三丁目西地区開発」として再開発。高さ約百六十メートルの住宅棟(四十五階建て)と事業棟(三十四階建て)各一棟などを建設する。現在は整地を終えた着工前で、一三年中に完成の予定。

これが完成すると富士山と判別不能になってしまうとか。東京の富士見坂が全滅の危機にさらされています。住友不動産は東京新聞の取材に「(眺望が損なわれることは)知らなかった。今から建設中止にはできず、大変残念だがご理解いただきたい」と話しているそうです

ちなみに国土交通省が制定した関東の富士見百景の一つに東京富士見坂が選ばれています。この東京富士見坂とは特定の坂ではなく、東京にある富士山が見える7つの坂を総称したもので、西日暮里の富士見坂も入っているものの、見えなくなってしまうと、後は江戸から離れた東京の西側ばかりになってしまいます。他の6地点は以下の通り、目黒駅周辺、目黒区青葉台地区、目黒区大岡山地区、大田区田園調布地区、杉並区善福寺地区、世田谷瀬田、岡本地区(富士山の眺望で有名な岡本三丁目の坂があり、ここに国土交通省の東京富士見坂の標柱がある)

東京から富士山の眺望が全くなくなってしまうわけではありませんが、江戸由来の昔からの富士見坂から富士山の眺望が全滅してしまうのは残念です。今さら再開発はやめられないものでしょうけど、東京の風景文化もよくよく考えてもらわないといけませんね。何でも高層ビルを建てればよいというのであれば、東京はいつまでたっても心豊かに過ごせる潤いの街にはなれませんから。次の世紀に受け継いでいくまちづくりを真剣に考えなければいけません>
荒川区の昔話 荒川区のお地蔵さん[2011年12月23日(Fri)]
今回も荒川の昔話を書こうとおもいます。

荒川警察署は明治通りに面していますが、このすぐ脇にお地蔵さんがあることをご存じでしょうか?

この地蔵は延命地蔵といい、江戸時代の元文5(1740)年に、浄正寺(三河島事故の慰霊碑があるお寺)十三世寛誉が村の安穏と五穀豊穣を願って建てたもの。

荒川(隅田川)からの用水路が流れ、雑木林や田んぼ、草原を横切る3mぐらいの道路があった。この道路は奥州街道箕輪から中仙道板橋宿に向かう間道で地蔵は三河島村の村外れにあって村に出入りする人達の目印になっていた。また旅に出る人が道中の安全を祈願したという

もともとは昔の荒川区役所(現在のサンパール荒川付近)の側の古墳の上にあったが、道路拡張により、大正14(1925)年に、現在地に移された。三河島と南千住の境界となったこの用水路は、この延命地蔵があったことから地蔵堀と呼ばれたが、現在は暗渠となっていて、用水路があったことがわかりません。区役所や警察署など荒川区の官公署が集まる中枢も、昔は牧歌的風景だったのですね。まあ、その頃の池袋も新宿も渋谷も郡部でのんびりした風景であったのですけど。

いろいろな歴史があって面白いですね

この延命地蔵と共にあるのは、交通安全地蔵。戦後、近くに住む蕎麦屋の娘さんが出前の途中で、トラックに跳ねられ、反対車から来た車に轢かれて亡くなりました。それを見て憐れんだ近所の印刷業の方が昭和31年に建立したお地蔵さんです。このお地蔵さんの参詣者であった金物屋さんが、ある日、トラックに跳ねられたが、怪我一つしなかったのは、このお地蔵さんのご利益と屋根をかけた。こうして日々、地域の安全をお地蔵さんは見守っている。

お地蔵様の話をもう一つ。以前、住んでいた東日暮里の家から日暮里駅に向かう途中に寿美吉地蔵という小さなお地蔵さんがあります。特に由緒が書いてあるわけではないので、個人的にお祀りされているお地蔵さんだと、ずっと思っていたのですが、調べてみると、明治時代に、三河島に入植、開拓をして功績のあった沢辺氏の顕彰と供養を兼ねて、大正4年に近隣の住民が建立したものだということがわかりました。
荒川区の昔話 袈裟塚耳無不動[2011年12月10日(Sat)]
三河島に残る昔話を一つ書きたいと思います

筑後柳川藩(福岡県柳川市)立花家の家臣であった田名綱光三郎は恋のいざこざから、許嫁のお絹を同藩の佐野兵馬に奪われ、佐野はお絹を連れて江戸に出奔した

光三郎は江戸に出て、上野の寺で僧侶となって佐野とお絹を探した。苦心の末、佐野兵馬を見つけ出して仇を討ったのだが、お絹は新吉原に売られており、光三郎はお絹のいる新吉原に入り浸った

吉原通いがもとで上野の寺を追われた光三郎に、三河島の植木屋久兵衛が同情して、三河島の古刹、仙光院の9世の住職として迎えてくれた。しかし遊び場通いの悪疾がもとで耳が落ち、腰が抜けてしまったそうです

仙光院9世光慧となった光三郎は感ずるところがあったのか、門前の道路の傍らに法衣を埋め袈裟塚とし、その上に片耳の不動尊像を安置し、台座には道しるべを刻んで旅人の便宜を図った 

光慧(光三郎)が亡くなると、お絹も後を追って門前の松に首をくくって亡くなった。薄幸であった二人は天国で幸せになれたのでしょうか?その後、もとの抱え主が施主となって二人の供養が盛大に行われた。いつしか、この不動尊は花柳病に霊験があるとして花街の人の参詣が多かったそうです

仙光院は幕末に荒廃し、明治初年に廃寺になってしまいました。その跡地に寺子屋が建てられ、明治16年に荒川区で最初の公立学校である峡田小学校が建てられました。峡田小学校が移転すると、跡地に三河島町役場が建てられ、後に荒川区役所の初代庁舎が建ちました。荒川区の歴史の歩みに深くかかわっているのが仙光院ですね。仙光院廃寺後は袈裟塚耳無不動は三峰神社と共に祀られています

お不動さんの前にたくさんのお椀が置かれているのは、お椀は伏せると耳のような形をしているので、耳の病に霊験があると言われるお不動さんに祈念して、念願成就した人がお椀の底に穴を開け自分の名前を書き入れ、傍らの木柱にくくりつけていくそうです

荒川区にはいろいろな伝説や昔話がありますので、たまに書いていこうかな

11月の週末まとめ書き続き[2011年11月26日(Sat)]
11月19日の土曜日は19日は越谷の利水の歴史をたどる街歩き。東京東部の水利は埼玉県とリンクしています。昔の人達の水との戦いや知恵を学ぶことが出来ました。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

雨の中での街歩きとなりましたが、木々は色付き、晩秋の様相だったのは東京とは違った雰囲気。ランチでは焼肉の名店「やまと」でワインやマッコリを飲みながら美味しくランチを頂きました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

荒川区の人は隅田川が荒川であったことは知っていると思いますが、江戸時代以前は荒川ではなく入間川であったことまで知る人は少ないかもしれません。しかも利根川も渡良瀬川も東京湾に流れ込んでいたのですよね。埼玉で川を歩けば東京の水利がわかってくると思いますよ最後はレイクタウンで街歩き終了。着替えて商業施設をブラブラして帰還しました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

翌日は仕事だったのですが、終わってからは日比谷公園の農業イベントに立ち寄りました。トラクターに試乗出来たり(子供に人気)豚しゃぶを無料で配布してたり、東北の物産もいっぱい。伊達鶏のから揚げと、揚げたてポテト、人形町今半のもつ煮込みなどを肴に福島県の日本酒を飲みました。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

$東京ネイティブが語る東京の魅力

OLとほぼイケメンの輪投げ・・・・・ほぼイケメンって?

$東京ネイティブが語る東京の魅力

11月23日の祝日は「あらかわらいふ」の街歩きで南千住から汐入を歩いてきました。昔ながらの町並みから、再開発でニュータウンのようになってしまった汐入の新旧対比。これからのまちづくりの課題など考えながら歩くことが出来ました。偶然にも浪花屋がやっていてたい焼きを買うこともできたのがラッキーでしたね

$東京ネイティブが語る東京の魅力


$東京ネイティブが語る東京の魅力
11月の週末まとめ書き[2011年11月26日(Sat)]
おはようございます。11月は4週連続でイベントを行ったのでバタバタでした。まとめて書きますね

11月5日の土曜日は隅田川貨物駅の公開イベントに行ってきました。普段は入れない貨物駅の構内を見学できるのは興味深いです。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

機関車や貨物列車を間近で見たり、レアグッズの販売もあったり。鉄道好きだけでなく、家族連れなどでもたのしめる面白いイベントだと思います。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

あらかわらいふの仲間、くーさんと共に荒川区観光課の課長からいろいろな情報を交換したり、イベント終了後は、くーさんと南千住の蕎麦屋で通っぽく(笑)お蕎麦で一杯飲ってきました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

翌日の6日の日曜日は日曜日に五日市まで窯焼きピザの体験&五日市散歩に行ってまいりました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

以前は西多摩郡五日市町でしたが、現在は合併によりあきる野市になっています。五日市線の終点武蔵五日市は緑濃い雰囲気で癒されます。ここからハイキングがてら川を遡ってゆくと秋の雰囲気が漂ってきます。沢蟹が道路を歩いていたり、小川に魚の姿が見えたり自然を満喫

$東京ネイティブが語る東京の魅力

深沢小屋でピザ焼き体験。自分の手でこねて伸ばして、好きな部材をたっぷりのせて窯で焼きます。ハート形だったり、しょうゆ味があったり、いろいろなピザを分け合って食べます。やっぱり焼きたてを自然の中で食べるのは美味しくてビールも進んじゃいます

$東京ネイティブが語る東京の魅力

$東京ネイティブが語る東京の魅力

再び歩き出す頃には雨も止んで、五日市の郷土資料館では古民家を見学できたり、古刹を訪ねたり、秋川の渓流を見て武蔵五日市駅に戻りました。その後、立川で打ち上げをして帰ったのですが、秋の風景の中、自然と五日市の歴史に触れることが出来ました。深沢小屋は駅から40分ぐらいで手軽に行ける山小屋で、小屋番の小林さんの手作り感があふれています。焚火をしたり、のんびりするには最高の場所だと思います。23区内に住んでいるとなかなか五日市のことはわからないと思いますが、東京にも緑豊かな場所があることが紹介できて充実感がありました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

翌週、11月12日は日暮里駅で千葉県の物産展をやってました

$東京ネイティブが語る東京の魅力

戦隊?姿のおねーさんが風船でいろいろ作ってくれていたり

$東京ネイティブが語る東京の魅力

ゆるきゃらが居たり、いろいろな千葉の物産を販売していました。日暮里駅前の広場ももっといろいろと有効活用されて欲しいですね。母の誕生日だったので会食

$東京ネイティブが語る東京の魅力

ウナギで一杯やったり

$東京ネイティブが語る東京の魅力

ひつまぶしを久々に食べました。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

しゃぶしゃぶで飲むのも好いですね

$東京ネイティブが語る東京の魅力

翌日は横浜山手の街歩きイベント。横浜の本村である元町から山手に上がって瀟洒な洋館を見て歩きます。画像はフェリス、横浜雙葉、とならぶ横浜女子校御三家の一つ横浜共立学園の山手214号館(旧スウェーデン領事公邸)の建物。急坂をハアハア言いながら上ってきた男たちが女子校を覗きこんでる姿はちょっと怖かったかも(笑)風見鶏のある洋館など根岸方面にも足を延ばし、観光客の歩かないような道をたくさんあるきました。

$東京ネイティブが語る東京の魅力

ポカポカ陽気の中で根岸森林公園でのんびり昼ご飯を食べるのも気持ちが良かったですね。ここは横浜競馬場の跡地で戦前に建設された旧一等馬見所の建物が圧巻でした。この辺りは米軍施設や住宅があり、谷底にひしめき合うように密集した日本人の住宅と対照的に、金網で囲まれたアメリカ人の住宅は芝生があって家の間隔も広く全く違う雰囲気です。荒川区を出てあちこちを歩いてみると色々な発見がありますよ

$東京ネイティブが語る東京の魅力

横浜の外人墓地は山手だけでなく根岸にあったり、中国人だけの墓地としての地蔵王廟があります。地蔵王廟は横浜で最も古い近代建築。横浜も歴史が浅いようで、なかなか奥が深いです

まちづくりへの想い[2011年11月05日(Sat)]
私が学びに通う場でも、新聞を読んでいても思ったのですが、それ行けドンドンだった右肩上がりだった日本の成長が滞り、今までのスタイルややり方が否定されてきています。それを受け、今までのバリバリ働いて日本の経済成長を支え一線を退いた人達が、我々がしてきたことが否定されているとマイナス思考になっている人がいるようです。

日本の繁栄を支えてきたのは評価していますし、現在になって、既存のやり方が否定されているのは、時代の変化であって、過去の事績まで否定しているわけではないのです。なぜもこう、先輩方は自信喪失になったり、自己を否定されたと対立姿勢に入るのか謎なのです。

時代と共に考え方もやり方も変化していかないと。既存の考え方にしがみついていたら、何も産み出せないと思うのですが?

先日は、ある講座でまちづくりについて学んだのですが、講師の方は参加者の個人的な活動の悩みの相談に来られたのかな?荒川区の問題点についてまちづくりという観点からお話をしに来たのではないのかな?荒川区で幾つかの講座を受講しましたが、講師の方々はいろいろな専門分野からいらいろな切り口でお話をして頂けるのですが、荒川区について、あまりお調べになってないので、荒川区における問題点を提議しても、関心がないのかスルーされてしまうのが残念です。一回こっきりの講座なら致し方ないと思うのですが、同じ講座を今後も荒川区内で行うのであれば、荒川区について、荒川区ではどのような問題があるかなど、もう少し知って欲しいですね

まちづくりについてボランティアベースで教える講座が多いのですが、ボランティアでは、時間と家計的に余裕のある人ばかりに限られてしまいます。NPOでも任意団体でも、もっとビジネスベースで語った方が多種多様の人が参画出来るのではないでしょうか

先日の講座で、まちづくりとは街を育てながら自分も育つとか、人生をいいものと思えるすこやかな生き方を育むところという言葉に共鳴しました。

これからも荒川区がもっともっと素敵な街になるように提言できたら良いな
伝説の美人[2011年11月03日(Thu)]
荒川区内の主要道路で「尾竹橋通り」という通りがあるのはご存じだと思います。尾竹橋を通るので、尾竹橋通りというのは分かりやすいのですが、なぜ、尾竹橋という名前がついたかは、あまり知られていないのではないでしょうか?

一般に尾久と竹の塚を結んでいるので尾竹橋通りと考えている人も多いようですが、尾竹橋通りができる前から「おたけ」の名前がありました。それはどのような由来があるのでしょう

尾竹橋架橋前には隅田川には、お竹の渡し、茶屋の渡しと呼ばれた渡し船がありました。江戸時代にはここに茶屋があり、そこの看板娘、おたけさんがメチャメチャ美人で有名で、渡し船まで、お竹の渡し、茶屋の渡しと呼ばれたそうです。

江戸時代の美女の名前が現代にまで残っているというのも、何とも面白い話でありますね。それほど有名になるほどの美人とはどんな人だか見てみたくなります
都市計画とまちづくり[2011年11月02日(Wed)]
まちづくりについて話し合う機会があったのですが、私はかねてから、荒川区で行われている再開発には疑念を感じていました。汐入、日暮里、町屋、これから行われる三河島。木造住宅密集を解消し防犯、防災力を高めるという目的はわかりますが、駅前に巨大マンションをドーンと建てる。住民は地元を歩くことなく、部屋と駅の改札を行き来するのみ。講師の先生はハコモノを建てて、大きいことはいいことだというのは1960年代の高度経済成長期の話だと話しましたが、現在、荒川区で行われている再開発はまさにそのままで、役人の考えることは当時から基本的に変わってないのではないかと思います。

しかし、あるご年配の方は高層マンション群は荒川区にしては素晴らしい。そもそも、都市開発とまちづくりは相対するものだと仰います。果たしてそうでしょうか?

新しいマンション群は近代的な街並みの象徴のように思われますが、機能性のみを追求し、地元との一体性を欠いた場合はどうなるでしょう?機能性という魅力が失われたときは、住民が減少したり、若年層が流出し老人ばかりになってしまわないでしょうか?

荒川区の再開発地区は違う。最新設備が整っているし、いろいろな魅力あるイベントが行われているから。と仰られた方もおりました。しかし、過去の例を見て、ニュータウンなど、最新設備に新しい街並み。発展性や将来性を感じて移り住んだ人は多いでしょう。しかし、街や施設は時代にそぐわなくなり、老人ばかり住むようになった所は少なからずあるはずです。施設や設備は老朽化するものです。しかし街に魅力があれば出ていく人も少ないのではないかと思います。イベントもワンパターンてはなく、時代、時代にあわせ、継続していくことが必要なのです

都市計画とまちづくりは対極にあるものでしょうか?まちづくりの定義は曖昧です。ある都市計画のホームページを見ると、まちづくりのための都市計画です。とすら書かれています。都市計画はお上がするもので、まちづくりは市民団体がするものであると考えるなら大きな誤解です。行政と市民が一帯になってまちづくりや都市の開発をしていけるようにならなければいけません。

お上から与えられることを受け入れるのではなく、自分達で創り出すことが大事なのです。我々より先輩方は与えられることに慣れてしまっているのでしょうか?

子々孫々のためにも暮らしやすい街を自分たちが参画して実現させていきましょう
あらかわらいふ 南千住街歩きイベント報告[2011年10月22日(Sat)]


先日の10月16日に「あらかわらいふ」初のイベントとして南千住の街歩きを行いました。その報告をさせて頂きます

13:45に地下鉄三ノ輪駅に集合。台東区になりますが江戸五色不動の目黄不動尊の永久寺や、写真家アラーキーの実家の横を通って、投げ込み寺の浄閑寺、音無川と三ノ輪橋の跡など回りますが花電車の時間が差し迫っていてゆっくり見られずにすみませんでした

花電車は遅れて三ノ輪橋駅に到着、デコレートされた電車は可愛らしく、ディズニーランドにあってもおかしくないような感じ。わずか5分の滞在でしたが楽しませてもらえました。電停は混雑していましたが、思ったより混雑していなくてよかった

花電車を見た後は、ジョイフル三ノ輪の中を散策します。オオムラでコロッケパンを買ったり、砂場総本家を紹介したり、日曜なので閉まってるお店が多くて、紹介したいお店がたくさんあったので残念でした。でも下町らしさを区外の方も感じたのではないでしょうかね

円通寺ではユウさんがガイド。素晴らしいガイドでした。また次回以降もお願いしたいですね。スポーツセンターで千住製絨所や東京スタジアムの歴史に触れます。荒川工業の煉瓦塀ではくーさんが煉瓦マニア?ぶりを発揮。若宮八幡、板紙発祥の地、アクロシティと回って川べりで隅田川の眺望を楽しみます

ライフで小休止して煉瓦塀を見ながら中山式、エイケンといった企業の前を通って、お天王様に到着。ここでもくーさんのガイドで地元ならではのお話をすることが出来ました。素盞雄神社は誇るべき歴史と、お祭りがあるのに、区外の人にはあまり知られていないので、こうした機会をもっと増やしていくべきだと思います

千住大橋も荒川区の立派な観光資産だと思います。もっとPRが必要ですね。コツ通りの由来も「へえ〜」とおっしゃる方も多くて、南千住のあれこれをガイドする甲斐があります。幾つかの寺社を経て、鰻の名店尾花を紹介。回向院、延命寺まで至りましたが17時を回ってしまったので、中を見学することが出来ませんでした。予定ではもう少し歩くのですが、次回、汐入散歩を計画しているので、その時に合わせてこの辺りも見るようにします

区内の人には再発見になったでしょうか?区外の人も荒川区の人が思うよりも下町的な部分に興味を持ったり、歴史的な部分にも興味があったりするので、観光資源として開発していったら良いのではないかと思いました。参加された20名の皆様、お疲れ様でした。

次回の街歩きは回向院付近を含めた南千住駅界隈と汐入地区を歩きます。南千住駅スタートで三ノ輪駅終了。11月半ばに行いたいと思いますので、皆さん宜しくお願い致します

街歩き終了後は「もんじゃ」のリクエストもあったのですが、お店がいっぱいで入れず、駅前の居酒屋へ。鍋を食べたり、たくさん飲みましたね。終了後はくーさんとカンカン森通りの焼き鳥屋に行きましたが、10年ぶりぐらいかな?当時は焼き物しかメニューになかったけど、いまはいろいろ増えてました。また今度行ってみようかな



$東京ネイティブが語る東京の魅力
| 次へ
プロフィール

さんの画像
特定非営利活動法人 東京を再発見する会
プロフィール
ブログ
リンク集
http://blog.canpan.info/tokyosaihakken/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/tokyosaihakken/index2_0.xml