CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

ボランティア ブログランキングへ
プロフィール

さんの画像
最新記事
カテゴリアーカイブ
リンク集
<< 2012年05月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新コメント
カプラン
横須賀で海プロを主催 (02/18)
安里
左よりの洗脳 今の教育 (01/27)
KazuKira_12SR
Summer Camp 2011の下見 (11/02)
http://blog.canpan.info/togashi/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/togashi/index2_0.xml
月別アーカイブ
最新トラックバック
ご飯を一緒に食べることがキーワード [2012年05月04日(Fri)]
IMG_2426.JPG

 先日、情熱大陸や行列のできる法律相談所でおなじみのロシナンテス会長の川原尚行さんと東北本部長の大島一馬さんのお話を伺いに行ってまいりました。

 僕がロシナンテスの方とお会いしたのは宮城県名取市閖上にある閖上まちカフェで第一回目の閖上復興こども会議を開催した際に、閖上中学校の慰霊碑の前でロシナンテスの方とお会いしたのが初めて関わるきっかけとなった日でした。閖上に毎回訪れる際は必ずといっていいほど一番最初に閖上中学校前の慰霊碑で手を合わせます。あの日、多くの人が閖上中学校を目指し走りました。そして沢山の命も失われました。閖上でリーダーを務めるひろき君もあの日は閖上中学校に向かって走りました。そして数秒の奇跡で助かりました。しかし、閖上中学校では14人の生徒の命が失われています。その中にはひろきの友達もいます。

 ロシナンテスのご協力によって、閖上では復興に向けての新聞が発行されたりがれきの撤去、震災直後の医療支援など、閖上で大活躍されました。もともとは途上国の支援を行っているNGOとして動いていたそうで、その経験を今回は活かすことができたと語っていました。

 またロシナンテスの川原医者は、被災地で活動する仲間と一緒にご飯をたべること、これで仲良くなってコミュニケーションがとれて、活動もスムーズにいったとお話をされていました。たしかに、CWPJでも一緒にご飯を食べる。一緒に短い間でも生活をするだけで、仲良くなれてしまいます。しかも、ただ食べるだけでなく一緒に苦労してだと更に仲良くなります。ロシナンテスさんとは、これから閖上で閖上のこどもたちが中心となって活動を始めていくにあたって、僕たちの活動もご支援いただけるそうです。

 こどもということもあり、なかなか閖上まで出かけることはできませんけども、東京でもこうやって繋がりを作って行くこともできます。それぞれが出来ることから復興に向けて一歩ずつ前に進んでいくことこそが復興への道だと思います。これからも、復興に向けて学び、動き、動かせるように活動していきたいと思います。

540995_258240570937436_100002544858039_542949_1927489561_n.jpg
そして、絶対に閖上中学校の前に書いてあったこの言葉を忘れません。復興はとても大事なこと、だけども沢山の命がここにあることを絶対に忘れない。次の世代にも、その次の世代にもことのことを伝えていく、残していくのは僕たちの使命なのかもしれません。
自然放射線量と福島第一原発後の線量。 [2012年04月30日(Mon)]
Radiation-m2.gif
 群馬大学早川由紀夫教授作成の放射能汚染地図(六訂版)

0911gmap06.jpg
 日本地質学会による 日本の自然放射線量 今井 登 (産業技術総合研究所 地質情報研究部門)

 昨年の3月11日に端を発した福島第一原子力発電所事故。この事故によって日本いや世界にも放射能汚染を広げてしまいました。もともと私たちは自然放射線を浴びているから大丈夫だと主張されるかたもおられるようですので、自然放射線量と比較して放射線量の違いをわかりやすく伝えようとブログに今回は掲載させていただきました。

 政府は通常人の年間被曝量を20ミリシーベルト/毎年という値に福島第一原子力発電所事故の後に引き上げたことは多くの方がご存じのことでしょう。これは従来の1ミリシーベルト/毎年の20倍であることも。そしてチェルノブイリの避難基準は5ミリシーベルト/年です。今の日本はチェルノブイリの避難基準の4倍の地域であってもまだ生活することができるという状態でいます。 

 放射能の影響は、確率的・確実的と分かれており
すぐに現れる確実的の影響は100ミリシーベルトからと言われています。しかし、癌や白血病などに影響の出る確率的での影響は100ミリシーベルトを越さなくても線量が高ければ高いほど影響がでるとされています。そして、できるかぎり被曝をしないことが必要だとされています。加えて、内部被ばくというものがあることもみなさんはご存じのことだと思います。外部被ばくで1ミリシーベルトであったとしても内部被ばくにより更なる影響の可能性が出てくることも事実でありますし、年間20ミリシーベルトであると単純に計算すると5年で100ミリシーベルトの被ばくをするということにもなります。

 いま、日本政府が自治体がすべきことは線量が高い地域からできるだけこどもも大人も避難できるような体制をつくること、確かな情報を提供すること、食料品等に対するチェックを強化することを中心として多くの事をやらなくてはなりませんが、なかなか僕の耳に入る事はありません。そして政府や自治体だけでなく、個人個人がしっかりと自分たちで情報を見つけ考えていくことも必要ではないでしょうか。

 ■放射線の影響から身を守る方法を少しだけ
(1)各自治体のサイトで毎日の放射線量をチェック
○自治体の情報が信頼性のあるものかどうかは判断しかねます。NPOや地元住民などで作成されているマップもみること。もしくは+−で20パーセントの誤差の可能性はありますがエアカウンターなどで自分でも測量をすることが大事だと思います。
(2)外出する際はマスク
○花粉や感染症からも守る事ができます。マスクは砂・花粉などからの内部被ばくを避けるのに有効的ではないかとおもいます。
(3)ゴーグルなどで目もガード 
○これは花粉が強い時や、大あらしのあと、もしくは線量が高い時に使うことをお勧めします。
(4)家のなかに入るときは服をはらう。着用したマスクも捨てる
○家の外で払ってから入ることをおすすめします。できればマスクも室内に持ち込まないほうがいいのですが。また室内で空気清浄機を回すのも良いかもしれません。
(5)放射線が強いときは換気をしない
○あたりまえのことですが。
(6)雨を避ける
○傘やレインコートなどを普段からされていると思いますが念のため。
(7)産地に気をつけて食べ物を選ぶ、外食するときはそのお店が使っている産地を調べる。
○納豆や酵素玄米などが内部被ばくをしてしまったときに食べるといいという話を聞いたことがあります。ソースがいまわからないので、これはまだきっぱりとはいえません。


日本地質学会 日本の放射線量 http://www.geosociety.jp/hazard/content0058.html#map
早川由紀夫の火山ブログ 放射能汚染地図(六訂版)http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-473.html
世界一大きな授業 国会議員向け [2012年04月28日(Sat)]
8049786364397eaf78f308bfa6c7de89.jpg

 先日は「世界一大きな授業」に先生役(ファシリテーター)として参加させていただきました。これは子どもたちが「先生」になり、いつもは「先生」と呼ばれている国会議員に生徒になってもらって世界の途上国の教育の実情・現状について理解を深めてもらう試みです。同じテーマについて、世界中で1000万人以上の人々が問題意識を共有することから、このような名称で呼ばれるようになりました。世界で6700 万人の子どもが学校に通っていない現状に対し、教育の普及を訴える「世界中の子どもに教育を」キャンペーンは180カ国で開催されています。

 今回は、衆議院第二議員会館にて岡田副総理らにもご出席いただきながら
スマトラ島沖地震での津波被害のところから、教育を受けることができる男の子、できない男のと、教育を受けることができる女の子、できない女の子というふうに国会議員のみなさんに役をしていただく形でワークショップを行いました。文字を読むことができないために、赤ちゃんにミルクではなく農薬などの有害物を買ってしまい飲ませることによって実際に赤ちゃんが病気になったり死亡してしまったりするということが起きています。それを、国会議員の方には中身が見えないコップに水・ウコンジュース・お茶をいれといたものを飲んでもらうというような形で表現しました。

 僕は今回で2回目の参加でしたが、また新たに僕自身が学んだことも多くありましたし、アクティブに活動していたものですから知り合いになっている国会議員さんも多く、この世界一大きな授業でもお会いすることができ、話が弾みました。

 日本も世界も、大きな問題を抱えています。そしてその問題を解決していくためにはお互いに助け合って引く必要があると思うのです。先進国にも途上国への責任はもちろんあります。いままでの支援方法を改善していく、たとえばODAもただお金の額を増やしていくのではなく用途を選びもっと良いものへとしていくニーズがあるもににたいして行っていく必要があるのではないでしょうか。
閖上への想い [2012年04月26日(Thu)]
 宮城県名取市閖上。
最近、僕のブログをご覧の方はこの地名をよく目にすることではないでしょうか?
いま、僕は閖上の復興に向けてほんとに微力ではありますが、閖上のこどもたちと一緒にできることから手助けをさせていただいています。

 閖上は東日本大震災前、かつては「活気のある漁港」で、人口はおよそ7000人ほどの街でした。東日本大震災で甚大な被害が出た名取市閖上地区では、指定避難場所とされている閖上中学校ののほんと目前で、津波にのまれた人が多くいたと。閖上公民館に避難した人々が「ここじゃ危ない」ってなってから閖上中学校に誘導され、指示に従って移動していたところを震災による津波が襲ったと聴かされています。閖上地区は津波のサイレンすら聞こえなかったと聴きました。津波に音は無く、大人のひとの声で無我夢中ににげたのだと。

 閖上中学校では14人の生徒が失われました。僕が閖上中学校を初めて訪れた際に心に残ったメッセージがあります。それは慰霊碑が建てられる前のことで、机の上に「まちの復興はとても大切なことです。でも沢山の人たちの命が今もここにあることを忘れないでほしい、死んだら終わりですか?生き残った私たちにできることを考えます」と書いてあったことです。

 先日、閖上中学校の遺族会会長の丹野さまからあたたかいコメントをいただきました。それは僕とひろき君へのメッセージで、すぐにひろきにも伝えさせていただいて、ひろきと2人で僕たちができること、やることってなんだろうか話しました。ひろきも3月11日は公民館から閖上中学校へ逃げたひとりで、そのときに丹野さんの息子さん公太君も一緒にいたそうです。僕は震災直後は全くお役にたてるような活動はできませんでしたが、これからでもできることはやっていこうと思っています。ほんとに微力ですし、閖上のことは全然いまは知りません、しかも当事者ではないので完全に同じ想いをもつことはできません。しかし、少しでも近付くことができるように学び、伝え、お役に立てるようにがんばらせていただきます。

 いま、僕と閖上まちカフェの柳澤さん、そして中心となっている閖上の同い年の学生とともに「閖人」ゆりんちゅという名前で最初は「閖上復興こども会議」を行って、そこで決まった「こども神輿」の復活と次の祭りでの出展に向けて活動を行っています。津波で街が流され、がれきは仮置き場に運ばれ、街に何も無くなり一年がたったけども、まだ復興への道のりを歩むことができていない。それどころか、市と住民とで意見の違いもある。そんななか僕たちは、人が集まる、こどもが集まるためになにをすればいいかと想い街づくりを話していくこども会議を開催することにしました。震災から一年がたっての開催ではありましたが、決して遅くも早くもなかったのではないかと思います。東京から、ときどきしか閖上には出向けませんがさせてくださっている早稲田の研究員のかたとともに、東京のこどもとともにサポートさせていただきます。


WS000019.JPG
こどもからこどもに伝える責任 [2012年04月23日(Mon)]
 
なかなか更新することができず申し訳ありません。
東日本大震災で被害を受けた宮城県名取市でのこども神輿の復活やこども会議の開催等などがあったほか、家の引っ越しが重なるなどしてなかなか更新することができませんでした。

 東日本大震災から一年を迎えた今年の3月11日に、大人が作る記録映像もいいのだけどもこども目線でこどもからこどもに伝えていく記録映像も必要ではないかと思い、ショートバージョンではありますがNF-TVにて公開させていただきました。公開までにご協力いただいた皆様には多大なる感謝を申し上げます。そしてあらためて東日本大震災で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

 ぼくたちが伝えることのできることは、ほんのわずかなことでなかなか伝えたいことが伝えられないだけでなく本当のことを伝えなくてはならない事を伝えられているのかはわかりません。しかし、なにもしないのでは無責任ではないかと思い、作成に踏み切りました。ぜひご覧いただければと思います。




【編集は】宮城県名取市閖上、911人の方が津波により犠牲にあわれいまもまだ見つかっていない方々もいます。閖上には仙台・名取支部のリーダーを務めている籠島君が住んでいたところで、本人は津波が来た時に閖上中学校まで走り、ほんとに数秒の奇跡で助かりました。籠島君、そして地元の方々と、閖上中学校に通っていたこどもたちと話をしているうちに、ドキュメンタリーを作り多くの方に知ってもらう、そして未来のこどもたちに残していく... それが僕のやるべきことではないかと想い撮影させていただきました。

 閖上には最初、大雪のなかサポーターのかたの車で、高速道は大雪・福島第一原発事故の影響で利用できないために一般道を利用し道が限られたため福島第一原子力発電所事故による警戒区域のスレスレを通り向かいました。ドキュメンタリーの最初の方に標識に双葉・川俣と見えるためお気づきのかたもいらっしゃたかと思います。僕自身、震災後に福島市に訪れたことはありましたがギリギリを通ったことはもちろんなかったために正直不安もありました。しかし、伝えていかなくてはならないことがある。だから警戒区域すれすれのルートであろうともいくことに決めました。(閖上の線量は都内より低い、もしくは同じくらいです) 沢山の想いがこもったドキュメンタリー、今回はショートバージョンでの公開となりましたが、ロングバージョンにはもっと僕たちの伝えたいこと、伝えなければならないことを充実させていきますので、ぜひ見ていただければと思います。
閖上のこどもと一緒に [2012年04月09日(Mon)]
 宮城県名取市ゆりあげから昨日の夜に東京に戻りました。津波で周りにはなんにもないゆりあげのまちカフェを会場にしてゆりあげの同年代の仲間と復興にむけて話し合いを行いました。

東日本大震災、地震のあとに襲ってきたのはだれもが想像することのできなかった巨大大津波でした。街がまるごと津波につかりこれから復興していこうとするときに、復興は数年いや10年20年と、いまのこどもたちが大きくなったときに果たすことがきでるものであるということ。だから、こどもの意見は、こどもが復興を考えると言うことは彼らの将来を考えると言うことにつながるので大事にしていかなくてはならないことだと思います。

これからゆりあげの街を取り戻していくときに
ゆりあげにしかないもの、ゆりあげの好きなとこ、ゆりあげになきゃならないもの そしてぼくたちができることはなにか?暗くなるまで話し合いました。

「復興への答えは絶対に閖上にある。だから僕たちは津波で街がやられてもこうやって閖上に集まるんだ」「閖上というのは、閖上にいるひとりひとり、想い、繋がり」本当に感動して衝撃を受けて涙が止まらない一日でした。

このこども会議では、閖上の老若男女問わずみんなで作っていたこども神輿というものがあり、津波のあとは行っていないのですが、そのこども神輿をこの日集まったメンバーが中心となって自分たちの手で復活させることが決まりました!

写真に写っているメンバーが中心になって若い力でこれからがんばります!
今回はこの会議の進行役と主催者(共催)を務めさせていただきましたが主役はゆりあげの同年代の仲間たちです!!これから、彼らへの応援をよろしくお願いします。僕もできるかぎりのことはしていこうと思います。

538522_265287783566048_100002544858039_561386_911952983_n.jpg
閖上へメッセージを [2012年04月01日(Sun)]

東日本大震災で被害を受けた宮城県名取市閖上、閖上で来週から本格的に地元のこどもたちを中心とした活動が始まるに伴い、東京のひとたちから閖上のこどもたちに向けて応援メッセージを集めました。

 休日の東京タワー・増上寺の近くということもあり多くの方がたにメッセージをいただくことができました。なかには被災地にボランティアで行かれた方、出身が近くであったかたもいらっしゃり会話も弾みました。また差し入れやあたたかいことばを懸けてくださる方も多く日本人の優しさを改めて感じることが出来ました。

 メッセージのなかには、名取市名物のビールカステラを食べたい!と書いてくださったかたや、小学生にもみたないこどもからがんばろう!と短くとも想いのこもったメッセージまで多くのメッセージが集まりました。責任をもってこの気持ちをとどけさせていただきます。


548491_384967691525726_217711158251381_1230900_1720098812_n.jpg
がれき 環境省と交渉 [2012年03月26日(Mon)]
 僕の質問「がれき焼却による今のこどもへの健康被害は100パーセント大丈夫なのか?」 環境省 「将来のことなのでわからない」

本日は衆議院議員会館にて環境省とがれき受け入れに対する交渉を行わせていただきました。僕の住む港区でもがれきを燃やそうとしています。東京は女川からのがれきです。がれきに関して、広域処理をする必要性がないのは知っている人はわかることだと思います。というのも、がれきは被災地の街からは消え、とっくに仮置き場に置かれています。それが復興の妨げになることはないということ。沿岸部での処理が難しい時は原則として同県内、もしくは隣町にまずはお願いするのがあたりまえであって沖縄までもっていく必要も東京までもってくいく必要もありませんし、移送コストや汚染の問題を考えると地元の復興にむけても被災地、もしくは周辺で焼却することが望ましいと考えます。また8000ベクレルまで許可していることになっていますが、根拠がありません。多くの問題を抱えるがれき問題、本日の詳細はぜひ http://www.ustream.tv/recorded/21377096 をご覧ください。

また詳しい文字お越しなどは http://togashi.jimdo.com/%E5%BF%97-%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%96%E3%81%97/%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%81%8D%E4%BA%A4%E6%B8%89/ にてご覧いただけます。


380738_256937954401031_100002544858039_539411_612617960_n.jpg
卒業式から→わくわくのかけらへ! [2012年03月17日(Sat)]
417089_295286563877606_100001887934762_727567_769272074_n.jpg


 今日は卒業式でした。小学校のときからいままで9年間という長い間を東京のど真ん中である池袋で過ごしました。中学を卒業してからはいままで通っていた学校の付属高校ではなく他校を受験しもっと世界に向けて日本で僕が感じたことを発信、伝えていき、逆に外国で学んだことを日本でも活かしていくことが出来ればと想い進学を他校にすることに決めました。

 この時代に生きていた僕たちには、どうして忘れられない大事なことがあります。それは東日本大震災のことです。東京でも感じた強い揺れ、それよりも僕たちと同じ世代が津波の犠牲になり卒業を迎えられなかったこと。負の遺産も、復興への道作りも担っていくのはまぎれもなく僕たちです。僕は卒業証書をその仲間たちの分も大事にして新たな学校生活をも迎えたいと思います。

 3年間、少しずつの成長ではありましたが嬉しいことがありました。卒業式のあと、なぜか保護者の方々から「富樫くん、一緒に写真撮って」のお願いがあったことです。... いつのまに有名人かい(笑)ってつっこみたくなりますが、僕は写真を撮ることではなくそのときにかけてもらった言葉に感動しました。僕の活動の事を陰ながら沢山の方が応援して下さっていたこと。本当に感謝でいっぱいです。

 そして走ってトークセッションに出演してきました。ゆりあげでのこと、わくわくすること!卒業を迎えての想いなど、伝えられたことは本当に少ないことではありますが、たっくさん話して繋がって楽しかったです。そしてまた新たな仲間が増えました。点が線に、そして面になっていく、中学校3年間でも本当に多くの事を経験することが、学ぶことができました。改めて本当にみなさんありがとうございます。


ヒッチハイクを経験して [2012年03月14日(Wed)]
IMG_0419.JPG

 先日は、東京から閖上までの片道をヒッチハイクさせていただきました。
東京の足立入谷から閖上まで12時間足らずで着くことができ良かったです。

ひとことで、ヒッチハイクと言うと多くの方が危険性だとかを気にする方が多いかと思います。
たしかに、ヒッチハイクには危険も伴いますが僕の経験上、そして一緒に活動している方々の経験上トラブルに巻き込まれたことはありません。といっても、万が一の事はやっぱり考えなければいけないと思いますが。

 そもそも、ヒッチハイクって本当に乗せてくれるのかっと疑問に思われる方が多いのではないでしょうか?しかし、経験されたかたはご存知の通り、日本人のあたたかさが本当に伝わります。必ずといってもいいでしょう。場所や天気、時間等でミスをしなければ乗せてもらうことが出来ます。最近のひとたちは優しくないとかよく言われていることもありますが、全くそのようなことはありませんでしたし、一番最初に今回乗せてくれたのはなんと結婚式翌日のカップルでした黒ハート本当にありがとうございます。

 そして、なによりヒッチハイクでは改めて多くの方と繋がる事が出来たのもよかったです。実は福島にこれからボランティアで行くんだっという方にも乗せていただくことができ、そのあともフェイスブック等を通して連絡を取り合っています。時間等の見切りが正しく付かないのでスケジュールが細かく決まっている方やあまり時間に余裕が無い場合はヒッチハイクは不向きではありますが、ぜひ人生に一回でも試してみてください!!人のあたたかさに涙が本当にでてきます。


クリックにご協力お願いします!

ボランティア ブログランキングへ
| 次へ