【ひらめき】客観性とは何か
[2010年08月29日(Sun)]
【ひらめき】「流行と文化」
「流行」が根付いたものを「文化」とすると一体何年続けばいいのだろうと考え始めた。
少しの空き時間にカフェに行くのが、一息付けるし、気分転換ができる。 宇都宮にもいいcafeがたくさんある。 その一つに宇都宮のまちなかに「おーるどびーんず」というカフェがある。 そこは、確か、1980年代くらいからあるカフェで、マスターが一杯一杯をネルドリップで入れてくれる。 父親に、そのカフェの話をすると、親父も若い時に通ってたことがあるとのこと。親父もそこの珈琲が好きだった。親子の2代で「おーるどびーんずのコーヒー」に共感した。 そこで、これが、「流行」から「文化」になる臨界点ではないかと思う。 同一世代の間だけでの話題や共感は、「流行」。世代を越えての話題や共感が、「文化」だとする。 農山村ではあまり「流行」という言葉は聞かない。 「文化」という言葉は聞く。お祭りや価値観など、目に見にみえるものから見えないものも。 農山村は、世代の違いによる役割の違いはあれど、世代を包括した体験があるのではないか。世代を越え、集落の中で話題になり、共感できる「文化」になっているのではないか。 世代を越え、親子で共有できることを「文化」とできるならば、もうひとつ考えることができる。 それは、「流行」で終わらせない方法だ。 簡単にいえば、メインターゲットの20歳上にも共感してもらえればいい。 世代が上になるほど、一般的に客観性が高まる。 10代相手に、”かっこいい””かわいい”の主観的インセンティブでは通用しないだろう。 そこにある本質的価値を追求し、磨き、発信できたとき、世代を越えて理解されるだろう。 ほんとに根付かせようと思ったら、メインターゲットとその20歳上の層の2方向に届くようなものを創りたい必要性があると思う。それぞれに合わせたものと言う意味ではなく、どの世代にも本質的必要性や本質的価値を認めてもらえるようなものを考えたい。 「流行」が「文化」になるのは年月ではない。親子で共通の話題になれるようにすればいい。 日本の携帯電話もお祭りも、親子で語りあえるものは文化だ。 政治、音楽、ファッション、時代に流れが速すぎてコロコロ変わるのには、両者が落ち着いて理解する時間がない。 「市民社会づくり」が「文化」になるためには、うちの親父と話すとこからかな。
【ひらめき】主観と客観
若者支援に携わるとき、客観的視点が重視される。
客観というのは、自分なりに捉えてみると、 「他の人からも見ても”そう思える”と思わせることができること」 それに対し、主観は、 「他者の見方は意識せず、自分が感じること/思うこと」 と考える。 客観性を育てようとした時、何をすればよいのか。 考えた結果、 主観だけではいけないと思いつつも、まず自分の主観を持たないと生まれない。 その主観を人に話し、そのぶつかりや違和感、共感など、自分の主観を提示したことで他者との考え方に触れることができたときに、客観性の芽が育っているように思える。 また客観性を高めるためには、日々の情報や学習も欠かすことができない。 客観性は、自らの主観を仮説として持ち、外部環境と照らし合わせることで客観性になる。 客観性を持つためには、自分の主観を持つことと自分以外のものに触れなければならない。 とはいうものの、何か、まだ違和感と言うか矛盾を感じている。
【ひらめき】「よそ者、わか者、ばか者」を疑う
まちづくりをしていると耳にする
まちづくりには「よそ者、わか者、ばか者」が必要だと。 確かに!と思い続けてきた時間もあって、ふと立ち止まって考えた。 彼らが必要なのは、間違いない。 しかし重要なのは、「よそ者、わか者、ばか者」以上に、そこに住んでいる人だと思う。 地域開発やまちづくりなど、外からの介入によって地域活性化していくイメージがあるが、あくまでも外からの関わりは、なか者(地域住民)を自信や誇りを再興させるエンパワメントの役割が大きいように思う。 これから人口が減っていく中、今のように人の流れが活発になるか。 自分の足元をいやがおうにも見ざる得ない社会になれば、それぞれの足元からどうしていくかがそれぞれに問われてくると思う。 その時に、外からの介入がまちづくりに常識化され、定着すると、成り立たなくなのではないか。 「地域住民自らが人を育て、地域へ還元していく。そして、その人たちの動きにひかれてよそ者が入りたくなる、そんなエリアづくり」をやってみたい。 なか者がよそ者を育てることのできる地域は、魅力だ。 宇都宮の西地区でその芽が生まれるかもしれない。
【ひらめき】地域づくり=人づくり?
地域づくり=人づくりとよく聞く。
それはそうだと思うが、重要なのは、どんな人をつくる(育てる)のか。 自分が思うに、地域づくりに必要な人は、自分に地域に対し、「誇り」を持っている人だと思う。 「誇り」は観光名所だけでない、人の想いに触れ、この人がこの街にいてくれることが街の誇りであっていいし、そもそもの誇りは、そのようなところから生まれたのではないだろうか。 色んなところで出会う、「誇り」を持っている人は、自立していて、かっこいい人が多い。 今の地域にしろ、国にしろ、自分の足元を「誇り」に思える人がどれだけいるかが、「地域力」であり、「国力」ではないか。 今に「誇り」に思える者を持っている人を増やしていくか、それが今の自分にとってのキーだ。 ユニオン通りには、「誇り」までいかないが、「こだわり」を持っている人がいる。 なんとか「誇り」と「こだわり」が繋がらないものか。「こだわり」の文化的価値を説明できないだろうか。そんな頭中旅、真っ最中。
【ひらめき】 ”間”
自分は、自分の成長を捉えたとき、何が必要かと考えると、いつも思うことがあった。
「群れと隙間」で育つと。 それを実際に人とむき合う中で、人と育っていくとき、もう一つ重要なことがある。 「成長することを信じて疑わないこと」 これは自分自身にも言えるし、おこがましくも人を育てるときに、重要だと思っている。 それらの思い込みに近い個人的視点を実践する中で、人が成長する時に必要なことを整理して捉えるみると 「 群れ=仲間 と 隙間 と 時間 」 ではないかと考えたとき、 すべて”間”の文字が入ることにを発見した。 この“間”という字をもう少し深く追っていきたいと思った。
【ひらめき】チャレンジする意味のロジック形成過程・・・
メモ程度で失礼します。本当に、頭中旅の最中で書き始めてみます。
チャレンジする意味と価値 そもそも、チャレンジは、はったりでもいいので、自信がないとできないものとして捉える。 チャレンジの原点はどこか。 →好奇心から生まれたら趣味か?必要性に心動かされたらボランティアか? 原点の設定が難しい。 仮説として、(課題解決系)ボランティアの始まりは何かと考えたときに、悲しみやショックだったこと、だとする。 身の回りでリアルな社会課題を経験 ↓ 悲しみ、ショック →自分の気持ちを感じるアンテナ(感性、感受性)が大事。 ↓ ↓ 悲しみ、ショックから解放されたい 気持ちの余裕が必要 ↓ ↓ 理解者を求める ストレスの軽減 ↓ ↓ 自分の気持ちと向きあう受け止める 発生源を経つか、適応するか、 ↓ ↓ 自分に何ができるか向き合う― 理解者、共感してくれる人の存在 ↓ ↓ ↓ 自分の力不足を感じる。 ↓ 人のつながり、出会い、共感が大事 ↓ ↓ 力を付けたいと思う。 できないとと思うと対応するようことを諦める。無関心を装う。 ↓ しかし、不安 ↓ できないことができるようにためには、チャレンジが必要 ↓ チャレンジするためには自信が必要 ↓ チャレンジに必要な自信を付ける ↓ チャレンジする ↓ 自分がやってやる、自分だからできるイメージ ↓ ↓ ↓ ひとりであることの壁に直面 ↓ ↓ ↓ 自分ひとりだけではできないへの気づき ↓ ↓ ↓ 仲間、協力者の力を借りて、実現・・・・・・・→新たなのニーズの発見 ↓ ↓ ↓ 他者への感謝と受けた恩返しをしようとする。 ↓ ↓ ↓ 自分も支える側になれるように頑張る→人を大切にする人が増える。 ↓ チャレンジの中で動くことでさらに多くの人に出会う ↓ 自分の想いを伝える ↓ 多く人に社会課題を身近に感じてもらう ↓ 身近に感じた人が、自分の気持ちと向きあい、受け止め、動き出す。 ↓ ・ ・ ・ ↓ @人を大切にできる、A感受性が豊かで、Bほっとけない気持ちに対して動き、C自分を高め、できることが増え、D責任感を持ち、E仲間が広がり、Fさらに動くことで共感できる人と出会い、G人のつながりが自分にとっての社会保障になり、H行政に頼らない自立した市民による社会ができるのではないか。 書き始めて、およそ、30分かかりました。 今後さらに肉付けや修正していければと思います。
【ひらめき】NPO village
久しぶりの更新になってしまってすいません。書く内容がないわけではなく、ブログと向き合う時間がおろそかにしてしまいました。
今回は、「NPO village」について。 単純に、栃木のNPOには、village(村)的要素があるなと。 どういうことか。 栃木には、法人や任意団体含め、多くのNPOがある。 それらのNPOは単体で活動しているところもあれば、他のNPOと連携して活動しているところがある。 先日8日、県内のNPOが集い、社会課題については話し合う栃木ボランティア市民活動フォーラムが開催された。 とちぎボランティアネットワークを中心に、宇都宮市民活動サポートセンター、とちぎユースサポーターズネットワーク、宇都宮まちづくり市民工房、若者自立塾、等々、関わりの強い団体と実行委員会を組み、実施された。 その実行委員会は、専門性の違う様々なNPOで構成された。普段のNPOの事業とは別に(正確にいえば、延長線上に)、時間をとり、基本的に夜会議が開かれた。 村として捉えるべきポイントとしては、 @一つは、単体ではなく、集団になっている。 A本来の業務を越えたところで繋がっている BAに近いものが、わずらわしさがある。(自分でやった方が簡単。それぞれの思考や思惑を合わせながら創っていくので。) Cそのわずらわしさが、携わった者のセーフティネットとしての機能になる。 D住民になると楽しいが、住民になるまでが不安。 E住民から、一緒に住まないか(NPOで一緒にやらないか)と話かけられると参加しやすい。 F村独特の言語がある。文化、価値観の共有されつつある。 Gどこに村があるのか、普段は気にしない。わざわざ村を探しに行かない。 つまり、NPOは排除をしないwelcomeな村でありつつも、外からは見えにくく、また固有の文化を持ち始めていることからも親近感がわきにくい側面がある気がする。 ただその村の中には、安心感と人のつながりによる個人的社会保障が存在する。 そんな住民内部からのレポートでした。
【ひらめき】ボランティアコーディネーターのミソ
ボランティアコーディネーターという専門職も3月から6年目。
6年間のこのボランティアコーディネーターという仕事と向き合う続け、見えてきたミソ。 ボランティアコーディネーターの定義については、日本ボランティアコーディネーター協会(自身も会員)が示している。 「ボランティア活動を理解し意義を認め、その活動のプロセスで多様な人や組織が対等な関係でつながり、新たな力を生み出せるように調整することにより、一人ひとりが市民社会づくりに参加することを可能にするというボランティアコーディネーションの役割を、仕事として担っている人材(スタッフ)のことをいう」 その通りだと思いますし、一つの行動基準になっています。 しかしながら、個人的にここがミソだなと思ったことがひらめきました! というのは、 「”共感”で人を繋いでいくということ」・・・つまり、共感できる環境や機会を作り、共感しろ!的なアプローチではなく、顔が見え一緒にいる空間を創り出し、じわじわと”共感”させる空間づくりを行う。 加えて、もう一つは、”共感”で終わらせず、それをアクションとして動きださせるしかけを作りだすこと。さらに共感できる人と出会うための旅に出させる。 つまり、”共感”プロデューサー!?って思い込みそうになるが、人の感情は自分の計算できるほど簡単でもないし、そこが神秘的だし、プロデュースすると意気込まなくても自然と生まれるものだし、ごく自然にありたいなと思います。そのためには、まず自分がいろんな共感していきたいなと改めて考えてます。
【ひらめき】若者の育て方
若手社会事業家の育成と輩出をするとちぎユースサポーターズネットワークで育てたい若者像をまとめてみると
社会事業家という言葉にこだわらず、惑わされず、 「自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の力で前に進んでいくことのできる若者」を育てたい。 彼らをどうしたら育てられるかという質問を受け、回答したことを記録の意味でも載せたい。 彼らは、 リアルな社会認識できる課題の現場 × 自由度のある隙間的空間と時間 × 本気の大人との出会い だと考える。 それらの機会と出会う時、若者は自然と自分に何ができるか、何をすべきを考える。 社会全体が情報にあふれたことで、どこかリアルなものと距離ができてしまっている気がする。 情報からのイメージは捨て、よりリアルなことに直視できる目と頭と体を育てていきたい。 そして、若者を育てたい自分が体験し、言語化していくことは極めて重要であり、口先だけの指導者にはなりたくない。大人が試行錯誤しながらも、進んでいこうとすること自体を一つのリアルとして捉えてもらい、そのこと自身が若者をエンパワメントさせるような人物になりたいと思う。
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