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ノブの看板ぶらり旅

看板屋の息子のノブが相棒のNikonD40と共に看板・広告をご紹介♪
あれ?これってなんの広告?最近気になるあの広告は?
なんて疑問にお答えしていくそんなblogしたいと思ってます!


CFFってご存知ですか?

[2007年10月25日(Thu)]
私がこの夏参加したフィリピンでのボランティア。

これはCFFという特定非営利活動法人の活動を元に行われたものです。

その日本の事務所が池袋にあり、

先日行ってきました。



彼は東京事務局の渡辺正幸、通称マサという。

彼は、日本で一人CFFの理事として過ごすが、

一年の約半分をフィリピンで過ごすそうだ。

フィリピンにいるときは彼の言葉に何度も心を動かされた。

経済大国である日本にいる私たちが、

途上国の現状を知り、何ができるか。

もし、興味があれば、ぜひホームページをご覧ください。

CFF

ノブ、顔のYシャツに出会うの巻き〜後編〜

[2007年10月22日(Mon)]


さてさて、アポも何もありませんでしたが店内突入。

おびただしい数のYシャツに店員さんが一人。

『店長さんいらっしゃいますか?』

すると、

『いや、オレが社長よ』

失礼しました汗



こちらが社長の梶秀夫さん。

この看板を立てた経緯をうかがった。



この看板は先代で父親である梶永松さんを描いたものなのだそうだ。

戦前から顔の看板は存在していたのだが、戦争を経て焼失。

今の看板は戦後、有楽町の絵描き10人を呼んでその中から選んだのだという。

また、このお店の屋号はかつては

『栄屋』というものだったのだが、せっかくの看板ということで、

秀夫さんが『顔のシャツ屋』に変えたのだそうだ。



私と話している間も、仕事の手を休めない秀夫さん。

手作業での裁断、アイロンがけは職人のプライドを感じた。



帰り際に秀夫さんは私にふたつ大切なことがあると語ってくれた。

ひとつは、友達を裏切らないこと。

そしてもうひとつは、約束を守ること。

道行く人が見上げて、笑顔になるようなこの看板。

その社長の秀夫さんは心もあたたかい人だった。

ノブ、顔のYシャツに出会うの巻きその1

[2007年10月08日(Mon)]
フィリピン編も一区切りして、本題の看板紹介に入ります。

先週の授業の際、昨年ゼミでお世話になった村田先生から、

『顔のYシャツはここらへんじゃ一番有名だぞ』と言われまして、

探しました。

すると・・・














あったw



でかい看板、いや顔です。

すごいなぁこれ。

そんなことを思いながら、

いつもはここで終わってしまうのですが、

今日はせっかくだから話を聞いてみよう。

そう思い、いざ店内へ!



いったいこの看板にはどんな秘密が隠されているのか?

次回につづきます♪

ノブのフィリピンぶらり旅〜ありがとう編〜

[2007年10月01日(Mon)]


ありがとう。

今までどれだけ素直に言えただろう?

このフィリピンでの16日間、本当に感謝することばかりだった。












たくさんの“人”に出会った。

キャンパーのみんなに、

サポートしてくれたスタッフに、

子供達に、

人とのつながり、絆の尊さに改めて気付いた。

ありがとう。













たくさんの“知らない”に出会えた。

“知らなかった”ことを知ってしまったら、どう進めばいいんだろうか?

もう、知らないでは済まされない。

“知る”ことには責任があるんだ。

まだ、自分の中でその答えは出ていない。

けど、“知ること”ができたそのこと自体に感謝したい。

ありがとう。















たくさんの“笑顔”に出会えた。

子供達の笑顔、

キャンパー、スタッフの笑顔、

街中の笑顔、

みんなの笑顔。

励まされたし、勇気付けられた、自分も笑顔になっていた。

ありがとう。















たくさんの“命”に出会った。

ゴミ山で生きる人々にとっての生きることを考えた。

自然の中にあって生命の根源を感じた。

鶏肉はニワトリの命を奪ってることを教えられた。

今のボクらの平和は多くの命の犠牲の上にあると学んだ。

今、生きているこの瞬間に感謝します。

ありがとう。









そう、ボクはフィリピンで感謝することを学んだ。

ありがとうという言葉の持つ意味を、その素晴らしさを知った。

ここで出会った全ての人が、全ての環境が、全ての現実が、全てのことが愛しい。

きっとこうして書いていてもいつか忘れてしまうんだ。

忘れるのは仕方ないけど、ここでの出会いに対する感謝の気持ちだけは忘れたくない。

だから、こう書きたい。


ありがとう。


すべてのことを忘れないとは言えないけど、

出会ったこと、そこで感じた感謝の気持ちだけは絶対に忘れません。

ありがとう。

本当にありがとう。

また、会いましょう。

ノブのフィリピンぶらり旅〜それぞれの道へ編〜

[2007年09月29日(Sat)]


4ヶ月ほど前のことだ。

ふと、散歩に出た。

飛行機雲が2本、交差していた。

たまらなく切なくなった。

きっとどの出会いも奇跡的で、

でも、始まりがあれば終わりがあるように、

出会いがあれば別れもある。




ボクらはそれぞれの道を行く。

別れは悲しいけど、これは別れじゃなく新しいスタート。

そう思えれば悲しくなんかない。

フィリピンでは多くの出会いがあった。

そして、ボクはそのひとつひとつの出会いに本当に感謝している。

最後のセミナーがあった夜、ボクらは火を囲んだ。

それは、きっと出会いを表していたんだ。

そして、それぞれの道を歩んで離れていく。

けど、振り返ればそこにはみんながいるんだ。

火はまだ燃えているよ。

迷ったら、振り返ればいい。

みんながいる。




話したことも、笑ったことも、バカやったことも、

真剣に考えたことも、ぶつかり合ったことも、

協力したことも、なにもかも・・・

すべてに感謝している。

これから、オレはオレの道を歩む。

自分の“これから”はまったくもって不安だらけで、不安定で、真っ暗だ。

けど、踏み出してみようと思う。

一歩一歩、一生懸命歩くんだ。

フィリピンで得た経験、出会いは、きっとこの先の道につながってる。

それぞれの道が素晴らしいものになるように、心から祈っています。

今一度、ありがとう。

ノブのフィリピンぶらり旅〜子供たち編〜

[2007年09月29日(Sat)]


子供の家に行ったのだから、もちろん子供たちがいる。

けど、子供に何かをしてあげようとした

というわけではない。

むしろ、どちらかと言えば、

子供たちから教えてもらった

という方が正しい気がする。




今まで、あんなに無邪気な笑顔を見たことがあったろうか?

今まで、あんなに自分に正直な子達に会ったことがあっただろうか?

彼らは、さまざまな境遇であの家にいる。

つらい過去を背負っている子もいる。

けど、彼らの生きているのは紛れもなく今というこの瞬間だ。

ディレクターのマサは言った。

『今の彼らを見て欲しい』と。

彼らは今を一生懸命生きていた。

あの笑顔、ときにふてくされる顔、どうしていいかわからなくなるような顔、

あのとき出会ったあの表情をオレは絶対忘れない。





『クヤノブ!』(クヤ=お兄さん)

何度呼ばれただろう?

その度、向けてくれたあの笑顔。

朝、学校に行く前にバスケを一緒にした。

海に行っては、『もっと深いところに行こう』とせがまれて一緒に泳いだ。

ときにワガママを叱り、ふてくされていた。

ダンスを教えてくれ、成功したときは互いにハイタッチした。

手紙を渡すと、全員に返事を書いてきてくれた。

そこには家族の絵が描かれていた。

ラブレターまでもらってしまった。

あの笑顔に毎日救われていた。

そして確かに家族だとオレは感じることが出来たんだ。






彼らは生きていく。

そしてオレも生きていく。

オレは彼らに出会えて、本当によかった。

ありがとう。

心から、ありがとう。

ノブのフィリピンぶらり旅〜家族編〜

[2007年09月29日(Sat)]
家族。

そう言われて何が浮かぶだろう?

いつも当たり前のようにそこにいたけど、

本当はとても大切なんじゃないかな?

うちはしあわせな家庭だと思う。

ボクには家族を思い出して、涙するようなエピソードはない。

いつも笑顔で、そりゃあぶつかったりもするけど、

間違いなく帰る場所だった。





けど、人によってはうまくいかないことがある。

子供の家の子供たちもそうだろう。

子供の家でグループごとにファミリーを作った。

まるで、ひとつの家庭のように、

同じ食卓を囲み、休みの日は遊びに行き、ときに一緒に踊った。

ボクは不意に父親を思い出していた。

親父。

不器用で頑固で短気で、絵に描いたような頑固親父。

オレに『おまえは広い世界を見ろ』と言ってくれた。

親父、おかげでオレは広い世界を見ているよ。

面と向かってはなかなか言えないけど、感謝してる。

向き合ってくれたことに感謝するよ。

ボクがファミリーでいい父親だったかはわからない。

けど、向き合いたかった

それだけは逃げたくなかった。

いいパパになれたかなぁ?w





ある日、自分の家族の食卓を書くよう言われた。

食卓。

最後に家族全員で食卓を囲んだのはいつだったろう?

姉が働くようになり、オレは東京の大学だから一人暮らし、

双子の弟、妹もそれぞれ部活で忙しい。

気がつけば、家族で食卓を囲むことは滅多になくなった。

けど、なぜか容易にその光景をオレは思い浮かべることができた。

そうだ、家族で囲む夕食がオレは何より好きだった

4人の兄弟は騒がしく、父親はスーパードライを片手に小言をつく。

母親は忙しくテーブルと台所を行き来し、ばあちゃんはそれをゆっくり眺める。

あたたかい食卓だなと思う。





フィリピンでファミリーをつくったとき食卓はあたたかかっただろうか?

そんな、楽しい食卓を子供達は、そしてキャンパーは感じてくれたかな?

もし、少しでも感じてくれたら、うれしい。

“家族”

そんなつながりを確かめながら、旅ももう終盤である。

ノブのフィリピンぶらり旅〜夢編〜

[2007年09月29日(Sat)]
とりあえず、

『いつかオレはやる男だ!』

みたいな人が嫌いです。

いつかっていつだよ?

なんだか、明日があるのは当然っていう感覚が信じられない。

世界には明日が見えず、今日一日を必死に生きている。

そんな人がたくさんいる。

だから、明日のために今日を生きるのは傲慢だと思っていた。




けど、ある日子供達に“将来の夢”を聞いた。

ある子は言った。

『先生になりたい』

またある子は、

『社会福祉士になってハンディのある人を助けたい』

と言った。

みな、自分の夢を目を輝かせて語っていた。





ディレクターのマサは言った。

この子供の家を作った二階堂さんは子供の家をつくる際こう言ったそうだ。

『ここには何もない。けど、ここにはがある』

子供の家は元々は山だった。

その何もない山を前に確かなだけがあった。

マサは続けた。

『大切なのはどう生きたいのか』

だと。





そして、思った。

きっと、夢を持つことは素敵なことなんだ。

キレイごとでもいい。

理想でもいい。

語り続け、努力し続け、実現させてやる。

夢を語れない今はきっと寂しい。

だから、今を大切にしながら、明日を想って生きていきたい。

そんなことを思った旅はまだ続く。

ノブのフィリピンぶらり旅〜耳をすませば編〜

[2007年09月28日(Fri)]
伝言ゲーム。

最初の人が言葉を聞いて、次の人に耳打ちで伝える。

これがなかなか難しい。

大抵の場合、最後の人に伝わってるのはもう全然違う文になってたりする。

実際に、グループごとに伝言ゲームをしてうちのグループは最下位。

×ゲームにセクシーダンスまでさせられたww




けど、何が難しいんだろう?




聞いたことをそのまま伝えればいいだけだ。

ディレクターのマサによれば、

ボクらのコミュニケーションの7割は言語以外にあって、

言語を介するコミュニケーションは3割程度に過ぎないそうだ。

何を使って聞くか→ear(耳)

聞くとは→hear(聞く)

本当に使って聞くのは→heart(心)

耳をすまして、心で聞かなきゃね





個人的な話だがメディアに関わる仕事をしたいと思っている。

けど、ある意味でメディアも伝言ゲーム

伝えるべき情報は歪められ、脚色され、原形をとどめず伝えられたりする。

あくまでイメージだが・・・

だから耳をすまして聞いてみよう。

そして、正しく伝えたい。

夢については次回に・・・

つづく!

ノブのフィリピンぶらり旅〜シャッター編〜

[2007年09月26日(Wed)]
写真が好きだ。

『みんな違ってみんないい』

なんて最近よく聞くけど、

写真ほど人の個性を表すものはないと思う。

写真が映しているのは自分自身だ。

別に偉い人の言葉ではなく、オレの印象ですw

人それぞれ撮る写真の表情は違って、

そこにはその人の感性が反映される。






けど、写真にはこんな批評もある。


カメラは銃と似ている。


ファインダー越しに被写体を覗き、シャッターを切る

それはいつでもあなたを撃てますよ

そういう意味だという。

確かに、デジカメから一眼レフに持ち替えてから

微妙にその感覚は感じていた。

けど、実際に人に向けてシャッターを切れない

そういう瞬間はそのときまでなかった。






ピースセミナー。

戦争体験者の方がその当時のことを語ってくれるセミナー。

ここで私たちは日本軍がフィリピンを占領していた当時の話を聞いた。

そのとき私は写真係を申し出たのだった。

マサさんという女性はその当時の日本兵の残酷さ、彼女の経験した恐怖、

さまざまなことを時には声を荒げながら話してくれた。

彼女にカメラを向ける。

カシャ。

一枚撮る。

何か違和感があった。

もう一度カメラを向ける。

・・・

シャッターが切れない。

なんだこれは?





怖い。





そう思った。

戦争の話とカメラがなんだかリンクしてしまって、

まるで自分が凶器を向けているような気分になってしまった。

カメラはときに凶器だ。

まさにこれも実感だった。





別にボクはカメラマンではない。

けど、カメラの力を信じているし、これからも撮り続けたい。

ただ、それにはいい面だけじゃなく、怖い面も知らないといけない。

ものごとにはなんでもいい面と悪い面がある。

力があるものならなおさらだ。

ある意味責任を持ちながら、写真を撮ろう。

そう思って、今日もカメラを持ち歩く。