• もっと見る
« 奥尻島の再建 −津波被災地再建の実例− | Main | 今日の危険・有害ドラマ 4月18日(月) »
<< 2024年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
まいける東山
中国の腐敗と天罰 (05/21)
最新トラックバック
東北の食糧基地化構想?[2011年04月18日(Mon)]
東北を食糧基地化するため町・村を造りかえて農地を集約、壊滅した細かな漁港も集約する為の法案を、政府は提出する。前者は「新たな食料供給基地建設のための特別措置法」の名前も決まったとの事。例えば、壊滅した沿岸部市街地等は農地に転用して大規模農業が可能な農地にし、市街地は奥の安全な旧農地上に移転・集約、といったものだそうだ。地元自治体の意向を踏まえて「復興再生計画」を作り、「漁業」「都市」「農林業」などの地域を再設定する。
 実現できるなら全く結構な構想だ。水田農業などの大規模高能率化は私の大学院(博士課程)での研究テーマでもある。私が復興事業として述べてきた「町の造りかえ」のような大きな話の推進に使える法律になる事を期待したいし、行政側もそれを目指しているのだろう。
 だが、この手の話・法案には常に「理想論」「机上の空論」の傾向も残る点も忘れてはならない。また、法律はしょせん法律でしかない。それ以下ではないが以上でもない。たかが法律、されど法律。公務員の仕事は法律に基づくが、それに基づいて仕事をしなければならない。だが、特に、日本の政治・行政権力の集中する公共事業の世界などになると、ひたすら工事、工事の連続で、完全に技術屋(技術系官僚)の世界だ、一般職員でもキャリアでも。そこに法律系の事務屋の出る幕は、あまりない。そんな現場の感覚から見ると「法律の理想・発想は良いのだが」だけではダメなのだ、実際の事業は。その現場での推進策いかんなのだ。法律は事業推進の枠組み程度のものと考えた方が良い。そうすれば、過度な期待も過小評価も避けられる。
 「法律さえ作れば済むと思っている者が多い」。構造改善局長か林野庁長官かをやった法文系の事務官僚の述懐に出てくる話だ。確かに霞が関や永田町にはそんな者が多いだろう、それが役目でもあるし。しかし、現場で事業の推進が必要な場合、話はまた別となる。刑事物ドラマではないが、現場は国会とは違うのだ。

 「農林省のバカが!」。祖父と名乗る者が良く言っていた。声が大きいから怒鳴るようにも聞こえた。静岡県カンキツ試験場の初代の場長で、日本園芸農業協同組合連合会の創設メンバーの専務理事(事務局長格)だったとされる者の発言だ。戦後の日本の農政は「選択的拡大」「適地適産」とかのスローガンのもと、コメと麦が主体の古い農業を改善し、畜産や野菜・果物(園芸)への選択的拡大を唱えた。経済成長期の日本の食の改善?(欧米化)と農家の収入増等々を狙ってだろう。
 各地域に適した作物を新たに植える、と促した。しかし、全体での数字を追うあまり、適さぬ地に適さぬ作物を植えさせて失敗したとか、不慣れな農家を増やして該当作物の市場での評価を下げてしまった、とも聞かされた。後者は上記の自称・祖父なども語っていたと記憶する。元からのみかん生産地帯の農家の農協組織だった日園連からすれば、みかんつくりに適さない地域の知識・経験も伝統も意欲も不足気味の「にわか・みかん農家」の大量参入など迷惑。そんな産地のマズイみかんを押し付けられて市場での評価や価格の値崩れ等を起こしたのは痛恨事だったのだろう。
 戦後農政に対する批判には、反政府的・左翼的な無責任なマスコミ等による誇張も混じろうが、全てがマトハズレでもなかったようだ。農政では「国や行政の案や計画」とやらが機能しない事がよくあったそうだ。農水省ならずとも、市町村ではない国の役所からでは遠隔操作すら不十分だし、戦後の高度成長期の社会の激変にはついてゆけない面があったし。
 農水省の理想とする各地域への少数の(一点集中型?の)モデル農村建設案を広範なバラマキ政策にすり替えたのは自民党と言われる。モデル事業による知識やノウハウの普及では時間がかかりすぎて各農村にカネが行くのが遅くなる。当初はモデルに指定された農村だけの優遇にも見え、逆に不満が出る。「行政による選別だ」といった批判は効いたのだ、左翼化・悪平等化した戦後の日本では特に。その辺が、農村部の不満を受け付け、そこからの票をまんべんなく集めたい自民党には、もどかしかったのか。「行政の公平性を確保したい」との話になったのか。

 戦争中や戦後の食糧難時代の必要から生まれた日本の農業政策の乱暴な物資動員計画的な側面を指摘する声はある。が、日本の農業は国営産業とは違うので、元から国や県の役人が命じて出来るものではない。ましてや土地利用までは完全には決められない、共産独裁国ではないから。それ故、農業の「改良普及」などには手間も時間もかかるモデルの設定による周囲への情報伝達、説得といった地味で地道な作業が必要になる。いくら東京で「理想を目ざして作った法案」といっても、実現は別の話。その推進策こそ重要なのだが。そのような観点からすると、この「新食糧基地建設特別措置法案」は実物や推進策を見てはいないが、政治家に命じられた霞が関の理想を追った作文の疑いも感じない訳ではない。もう少し情報と整理の時間がほしい・・・。
 「新食糧基地建設特別措置法」の話を報じた朝日の記事にも懸念が述べられている。「ただ、住民の集団移住を伴うことも想定され、地元との合意形成は簡単ではない。」 具体的に合意を形成するのは国の役人でなく、あくまで地元の話。いちいち国の役人ができる訳がない。結局は委託を受けた地元自治体の仕事。しかも、同僚の多くを失った被災自治体の超多忙な職員の仕事だ、自身が被災者でもある。
 それとも、昔の「住宅都市整備公団」のような国レベルの「復興再建事業団」的な組織でも作ってくれるのか? それが各自治体に事務所や支部でも置き、窓口となって面倒な国の各役所との連絡係を肩我かわりしてくれればとも思うが。総合計画や規制緩和などの判断は仙台の復興庁、現場での合意形成の手助けや官庁との連絡は復興事業団、とか・・・。
 事業の推進に必要な「地元での事業の合意形成」が最も難しいのだ。その推進策等の話が最も重要なのだが、まだ聞こえてこない。ただ聞こえないだけか? 

 今後の続報を待とう。詳述はそれからだ。今の段階では、どうも。現場での事業推進上の具体的なイメージがわかないのは、単に情報不足なのか、イメージの基となるもの自体が存在しないのか・・・。
 良くある話だ。私の問題もそうだ。報道機関やら小沢一郎やらに何度も私の虐待の経験を書き送り続け、結果、最初(初代)の「児童虐待防止法」ができたようだが、法律という書きつけだけでは意味が薄い。その精神に基づいて自治体の関係部局の権限や職員が大幅に増強され、子供の保護が大幅に進んで、初めて意味が出てくる。だが、この最初の防止法は、「虐待の定義を明確にした」程度の効果しかなかった、とも聞く。虐待という事件・事案?に関わる者の法律上の解釈・判断等を助け、「コレは虐待じゃないぞ」と開き直る朝鮮系の親などに反論する道具にはなっただろう。だが、これは学者先生の研究・論文作成作業の資料か何かか? 言葉の定義の大切さを知る博士号を持つ者の疑問の声だから聞いてほしい、そして極めて凶悪な虐待の被害者の。
 法律の制定作業が世論を喚起し該当領域に関心が集まる効果は存在する。この児童虐待防止法の制定前後から急に虐待報道が増えた。それまで日本のマスコミは見向きもしなかった問題だ。虐待者の親に媚びて部数や視聴率を維持したか、マスコミは虐待者側の肩を持っていたか。だから報道が増えただけでも改善だ、私には50年遅かったが。そんな効果はあったが、結局は自治体関係部局の強化などは全て財政難の自治体まかせ。部分的な改善はあっても、全体で大きな前進があったとは思えない。それは、その後も連続する虐待死や見殺し等を見れば分かる。

 上記の自称・祖父は横暴・傲慢で極端な非常識人間で、とても日本人社会には順応できない。そこで、愛人に産ませた子供(私)をカワイイからとワガママや養育条件で家に引き込んだはよいが、本妻(祖母)にメノカタキにされたという空想小説のストーリーも出来るのだ。実際に自称祖父は日常生活ではゴタゴタだらけ。自称・祖母は私を敵視し、自称・父は左翼で朝鮮のスパイで家の外でごたごたを起こし子供の私を身代わりにし、表面は私を虐待をしなくても自称母親の虐待は見ぬふり。私が成長すると試験前夜の虐待は自称父自身がやったが。自称・母親はガサツでズサンで何一つまともにできないどころか、それを少しでも指摘されるといきり立って開き直って被害者ぶって私に当たり散らし続けた。異常に反抗的でルールや規則に従う精神が無いどころか、フテクサレと開き直りと弱者への当たり散らしによる凶悪犯罪しかしない。従順さや謙虚さが全くない。主婦なのに日本人には当然の家の掃除などさせようものなら「奴隷扱いされた」と大騒動、食事時には私を他の家族から引き離して二人だけで食べさせ、なじり続け、食べ終わった時には毒を飲ませて食べた物を全て吐かせた。こんな悪魔どももみな日本人だと教えられたが、これが非日本的で三国人的、朝鮮人的(韓国人的)な特色と知ったのは最近。遅すぎた。
 家族はみな、私を虐待か見殺しかが普通の当然の日常だった。私という奴隷は虐待するのがルール。虐待でしつけるのが当然の美徳だった。誰も疑問にさえ思わない。だから、みかん産地から送り込まれる若い女のお手伝いまで私をバカにして虐待するし、6歳も年下の妹と名乗る女も私をバカにして「目下扱い」。未だにその「我が家の常識」は変わらない。

 クサレ小役人の日本政府が母親による毒物連続殺人未遂さえ見て見ぬふりして黙認し、結果として「連続殺人未遂という超凶悪犯罪の政府公認」をした。政府が私への殺人を放置黙認する以上、我が家では私の奴隷的立場は公認状態で、私へのあらゆる犯罪行為が認められた訳だ。しかも、校医と称する者に毒物(主にヒ素類)の後遺症・痕跡であるツメの横方向のスジが出たのを確かめさせた上で握りつぶしたから、黙認程度では済まない。完全な政府の「お墨付き」だ、連続毒物殺人未遂への。「毒なんて何度飲ませてもいいですよ、でも殺すとヤッカイだから、僕らに迷惑がかからない程度にしてね」とか。これは朝鮮人(韓国人)による竹島侵略や周辺の日本漁民の虐殺(射殺)とにている。また、「福島第二原発」にある程度強固な津波対策を施しながら、それを下劣米人のGEの手抜き設計の古い「福島第一原発」にフィードバックしなかった事とも似ている。危険を承知しながら見殺しにした点だ。更に、見殺しだけでなく、役所の関係者と思しき者が直接に悪さもした。下水道事業団の理事長の子と名前が似ているらしい思われるクソガキのアオった「ウジ太郎!」の大合唱で、私は以後の人生を全てノイローゼ状態、字の読み書きも不自由な状態で過ごした。
 それへの日本政府のけじめがいまだになく、一時保護の情報開示も罪人どもへの罰もない。その状況が続く以上、私は日本の政府も政治も信用しない、許さない。更なる天罰を求める。近所の旧建設省等々力宿舎、および元下水道事業団理事長と似た名の者が住んでいた家の更地化と売却も強く求める。国庫へ返すか賠償金に充てるか・・・。


 そんな状況でも放置し黙認し弱い立場の私にしわを寄せて保身を図ったのだ、日本のクサレ小役人は。役人を抜いては行政は出来ないが、役人だけに任せると、どんな偽善も野放し、放置の連続になる。そして、日本の政治家は、それを制御できない。しようともしない。自民党が責任を問われて下野し民主党が政権をとったので、私の問題の善処を期待したが、結局はだめ。私は民主党政権も信用しなくなり、「こんな奴ら(政府)とは距離を置く、離日だ」と書くにいたったのだ、東日本大震災の日の未明だが・・・。
 
 私の問題に話が戻ったわけだが、いくら政権が交代しても、私が虐待で殺されそうになって一時保護された時の情報を被害者の私にさえ開示もしないのはどういう事だ? 私を殺させようとし続けたばかりでなく、虐待に積極的に加担し続けた点に関して何のけじめもない。そして、毎日殺そうとした私に散々世話になる。こんなバカな話が許されてたまるか。直ちに結論を出せ。具体的に示せ。さもなくば、更なる天罰を天に求刑する形になるが、それで構わないわけ? 政府の責任でないからよいか、天罰は。「神様の話は私の管轄ではないから」とは宮沢大臣の話だったか、私には直接関係ないだろうが。それで責任逃れをしているとすれば噴飯ものだ。いい加減にそんな奴らはこの世から消えてほしい。

 そろそろ復興ブログからも離れたい。一カ月以上の無理で疲れた。
この記事のURL
https://blog.canpan.info/thaikingdom/archive/292
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
プロフィール

高橋洋一さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/thaikingdom/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/thaikingdom/index2_0.xml