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ブンジと呼ばれた人。[2007年06月10日(Sun)]



2005年の秋、
大好きな雑誌『Coyote』の
“沢木耕太郎”特集を読んだ。



そのなかに、
こんな言葉が書かれていた。




  『教師というのは、学問上の何かを
   教えることも重要だけれど、結局のところ、
   若い人たちに情熱を伝えることがいちばん大切なこと。』




俺は真っ先に“あの人”のことを思い出した。
そして納得のもと、その言葉をノートに書き写した。








初めての“あの人”の授業。
大柄というかちょっと太った“あの人”は、
何かへの自信からきてるんであろう
大きな張りのある声で自己紹介を始めた。




  「これから君たちに
   社会を教えていく“吉田文治”と言います。
   学生の時の友達からは
   名前の読み方を変えて“ブンジ”って
   あだ名で呼ばれてました。」




中学1年生だった俺は、
堅苦しそうなその本名よりも、
“ブンジ”って軽さのほうが気に入った。



年齢はまだ30歳あたり。
先生らしくない雰囲気にも興味を引かれた。



“ブンジ”は意外にも、
サッカー部の顧問だった。
あの体型からは想像できなかったが、
よくよく話を聞いてみると自分では
本格的にはやってなかったとのこと。
一抹の不安を覚えた。



サッカー部の練習は、
練習というかシゴキだった。
ボールを使わず延々と走らされたり、
至近距離から思いっきり蹴られたボールを
クリアしなきゃいけなかったり。



そして、
笑顔を見せたり、手を抜いた瞬間、
とんでくるヘビー級のビンタ。



俺はキャプテンに指名され、
よくみんなを代表してビンタされたり、
キックされたり、バケツの水を浴びせられた。
まったくもって反抗の許されない世界。



だからうちらは決して
“ブンジ先生”なんて呼べない。
有無を言わせず“吉田先生”だった。



一度うちの実家に
双子の弟“ルイ”あてに“吉田先生”から
電話がかかってきたことがある。
その電話に出たのは当時1年生で
やはりサッカー部だった三男の“ソウ”。
“ソウ”は受話器を押さえることなくこう言った。




  「ルイー、ブンジから電話。」




電話に出た“ルイ”。
“吉田先生”にこう言われた。




  「おい、ソウに代われ。」




受話器を受け取った“ソウ”と“吉田先生”のやり取り。




  「おい、今ブンジって言ったろ。言い直せ。」



  「ルイー、吉田先生から電話。」




そんな“ブンジ”が
最も影響を受けたものはやっぱり、
「スクールウォーズ」だったそうだ。



こんな辛くて理不尽な世界なのに、
どういうわけか辞めたいとは
ただの一度たりとも思わなかった。



それは残念ながら、
サッカーが好きだからという
綺麗な理由ではなかった気がする。
「何か」に引っ張られてただけな気がする。



でも中学生の時は、
その「何か」がわからなかった。










2007年6月5日の火曜日、


 “ブンジ”が、ガンで亡くなってしまった。











俺は、ダメな教え子だった。



理不尽だった練習方法を否定して、
そうならないようにそうならないように、
ここまで指導者になってきた。
ある種の反面教師にしていた。



今の江戸川区の中学校の
サッカー部の練習を手伝ってくれ、
と言われていたのに数回しかいかなかった。



うちらの中学校サッカー部OBの
集まりを企画してくれと言われてたのに、
ついに一度も実現させなかった。



本当に、ダメな教え子だった。



でも“ブンジ”は俺に、
コスタリカ行きの話を嬉しそうに聞いてくれ、
Jリーグのコーチに無理矢理合わせてくれ、
その上、初めての講演会のチャンスまでくれた。



感謝の言葉しかない。








中学校の時、
「情熱」で引っ張ってくれて、
本当にありがとうございました。



俺が今の場所にいるのは
間違いなくそのおかげだから。



亡くなる2年ほど前、
あなたはこう話していましたね。




  「俺は学校のシステムに
   馴染めない子こそ、どうにかしたいんだ。」




そんな「人への情熱」を持った、
葬儀に2000人以上も来てしまう、
あなたみたいな人間に俺もいつかなりたいです。



出逢ってくれたことに感謝。



また会いましょうね。










 『教師というのは、学問上の何かを
  教えることも重要だけれど、結局のところ、
  若い人たちに情熱を伝えることがいちばん大切なこと。』


                          作家・沢木耕太郎



この記事のURL
http://blog.canpan.info/tetsupuravida/archive/18
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コメント

バレー部さん

 書き込みどうもありがとう。
 誰だろ、誰だろ。
 オレ以上に馴れ馴れしい人はいないのでご安心を。

 覚えてくれてるって嬉しいことです。
 でも「特に双子!」って・・・
 インパクト強くてラッキー(笑)。

 オレも当時はわからなかったけど、
 あの時の光四中に集まった先生たちの顔ぶれは、
 ほんとに奇跡に近いメンツだったみたいだよ。
 オカシイくらい熱い学校だったもんね。

 ホームステイの話、
 出さなかったって言ってたみたいだけど、
 知りもしなかった・・・(笑)。
 でもそうしてでも名前を上げてくれるのは、やっぱ嬉しいよ。
 教えてくれて本当にありがとう!

 これからも、よろしくね。
Posted by:セニョール・テツ  at 2009年06月14日(Sun) 17:07

友達のご主人が二中のサッカー部だったそうで、
「四中って強かったよね〜。特に双子!」って。
なんだか懐かしくなって検索したら・・・
サッカーがんばってるんだね。

そして、ブンジ
死んじゃったんだ。。。
2年も前に。。。

今まで生きてきて一番楽しかったのが中学の3年間。
ブログ読んでたら、それって先生のおかげだったんだなぁって思った。
先生のあの情熱で四中が元気だったんだ。。。

そうだ、思い出した。
3年生から代表でホームステイに行くのがあったでしょう?
あれ、中1の頃から憧れててね。
受付はじまってすぐに希望を出したんだ。
そしたらブンジに言われたの。
「お前希望出したのか。
バレー部はどうするんだ?
哲は出さなかったぞ。」って。

なんか哲を誇りに思っているみたいだったよ^^

久しぶりなのに馴れ馴れしくてごめんね。
頭の中、中学時代にタイムスリップしてます。

ブログ、これからも遊びに来させてもらいますね。
Posted by:バレー部  at 2009年06月09日(Tue) 20:50


ゆみさん

 はじめまして、
 書き込みありがとうございます!

 なんだかすっごく嬉しいです。
 先生が亡くなってから残してくれた縁。
 それがあまりに多くて、
 先生の大きさをあらためて感じています。
 そして、自分も頑張らなきゃって。

 書き込みしていただいて、
 本当に本当にありがとうございました。
 大切な方にも、
 ありがとうございますをお伝えください。

Posted by:セニョール・テツ  at 2009年06月09日(Tue) 10:52


はじめまして
私は文治さんと面識はないのですが
大切な人が文治さんと大親友でした

文治さんとの思い出話を
よくしてくれてました。

このページを見つけて
「俺の知らない文治に会えた気がして嬉しかった」
「泣けた」と言って教えてくれたのは4月17日。
すぐ私も見て、泣いてしまいました。

本当に大きい方だったんですね。

私も会って話してみたいです。

今日は3回忌なので書き込みさせて
頂きました。

突然の書き込み失礼しました。
Posted by:ゆみ  at 2009年06月05日(Fri) 20:08


rinさん

 はじめまして、
 書き込みありがとうございます!

 ブンジの歴史をまたひとつ知れたことが嬉しいです。
 そして、ブンジのご縁でこうして繋がれたことも。

 いつかお会い出来る日を心から楽しみにしてますね。

 本当に本当に、ありがとうございました!!!

Posted by:セニョール・テツ  at 2008年02月11日(Mon) 02:26

初めまして、突然の書き込みですみません。

私は1985年の文治先生の教え子です。
当時の担任が産休に入ると言う事で臨時教諭の文治先生と
出会いました。

小学生だった私達にとても優しく、ときには本気で叱り、
いつも真剣に向き合ってくださいました。

3年前の同窓会の時もとてもお元気そうでした。

先生の死は先日奥様からの欠礼ハガキで知りました。

先生が亡くなられたのが半年も前ということ、直接お別れできなかった事
そして何よりも先生の死があまりにもショックで・・・
そんな時こちらのブログを拝見し「これも何かの縁」と思い、書き込みを
決意しました。

年明けに先生のお宅にお伺いするので、この話も報告したいと思います。

まとまりのない文章になってしまい申し訳ありません。

最後に1つ。
私の知らない先生のお話を聞かせてくださってありがとうございました。
Posted by:rin  at 2007年12月11日(Tue) 20:04


匿名さん

 ほんとに何もかも大きかった先生だったよね。
 そんな先生を大好きな人がこうしていることが嬉しいです。
 書き込みしてくれてどうもありがとう!



蹴球LOVEさん

 すごくわかるなあ。
 俺もガンガン殴られてたので。
 でもあの人の凄さは後からわかる。
 俺も最高に感謝です。

 書き込み本当にありがとう!



先生loveさん

 ビックリするほどの大きな声も、
 みんなの変化に気づくところも、
 昔と全然変わってなくて、嬉しいです。
 今でも「がはは」と笑ってるんじゃないかな。
 書き込みしてくれて、ありがとう!



 
Posted by:セニョール・テツ  at 2007年08月12日(Sun) 11:05

私は文治先生がとっても大好きでしたハート
ビックリするほどの大きな声・・・
いつも響いていましたびっくり
でも、ある時ピタット大きな声が聞こえなくなって私はとっても寂しかったです悲しい
文治先生が最後に私とした会話は・・・
先生:○○、髪の毛切ったのか笑顔
いいじゃないかびっくり
私:スッキリしてみたのー笑顔
と、とっても短い会話しかしなかった・・・
この時はまだ、先生とのお別れなんて考えてもいなかったから・・・
あの時もっと話しとけばよかったって後悔してる・・・
今更こんなこと言ったって、ダメだっておもってる悲しい
でも、もしその日に戻れるのならば、先生と沢山お話をしたい・・・ 
今先生は何をしてますか?
私は毎日頑張っていますキラキラ
そしてもうすぐ林間学校です♪
文治先生も来て下さい.+:。゙d(・∀・*)ネッ゚.+:。

先生、今まで有難うございました笑い
Posted by:先生love  at 2007年07月26日(Thu) 21:10

僕はブンジ先生にサッカーというスポーツを教えてもらい
ブンジ先生にサッカー部の顧問をしてもらってがんばってきた... 
そのブンジ先生が…
今までなんかい怒鳴られ何回殴られたことか...
正直うざかった
けど,
今はブンジ先生のことを尊敬できるようになった。
ブンジ先生の凄さがわかった気がする
あいつも大変だったんだよね?


今はこの一言だけ言いたい



ブンジ先生ありがとうございました
どうかゆっくり休んでください
Posted by:蹴球LOVE  at 2007年07月26日(Thu) 18:16

私のクラスは先日まで文治先生が担任でした。
声が大きくて、手が大きくて、存在までもが大きくて、
私達が大好きだった先生。

今までありがとう。

もうすぐ林間です。
先生来て下さいね

Posted by:匿名  at 2007年07月21日(Sat) 12:11


 えりさん

  怖かったっていうのは、
  きっと本気だったから
  なんだろうね。
  うん、いい先生だった・・・。
  書き込みどうもありがとう!


Posted by:セニョール・テツ  at 2007年06月22日(Fri) 15:03

私は文治先生の授業をうけたことはありませんが、部活の顧問の先生が居ない時、面倒を見てくれました。
小学校の頃から怖い先生だなと思っていました。でも本当にいい先生でした。私が最後に中学に行った日、文治先生はいつもと変わらず元気でした。
文治先生が病気に負けるなんて・・・
Posted by:えり  at 2007年06月20日(Wed) 19:39


chicoさん

 ほんとに信じられないよね。
 あの時のイメージのままだから。
 「情熱」伝えていきたいや。



Eliさん

 そうだね、
 うちらが会ったのも
 久しぶりだったもんね。
 ブンジの仕業かもしれないね。
 やつの「情熱」をうちらなりに
 変化させていって残していきたい。
 そう思ってるよ。



クミクミちゃん

 そう、あん時話してよね。
 ブンジな話題であんなに
 盛り上がるってやっぱ
 スゴイんだよね。
 俺も日々を大事にしたいです。



ikedaさん

 はじめまして、
 書き込みありがとうございます!
 そうです、法政大学でした。
 これも先生がくれたご縁ですかね。
 もしよろしかったら、
 先生の思い出などを
 教えてもらえませんか?
 今、それらを集めて奥さんに
 お渡ししたいと考えています。
 
 football1014@hotmail.com

 可能でしたら、
 ご協力お願いします!


Posted by:セニョール・テツ  at 2007年06月15日(Fri) 11:23

法政大学で一緒にサッカーをやった文治だろうか?
突然、久しぶりに同級生から電話が来て、彼の訃報を知りました。大学時代からもう26年も会っていなかったし、、、もう会うことも無くなってしまった。。。今、地方にいるので葬儀に参列することができませんでしたが、、、2000人も。。。。大学時代から「情熱」は人一倍ありましたから!彼は!
吉田文治で検索して。
突然のコメント失礼しました。
Posted by:ikeda  at 2007年06月13日(Wed) 13:33

ムルメルンで皆からブンジ先生のお話を聞いて、私は会ってみたいなぁと思った先生でした。
皆の印象に残っている先生って、やっぱりどこか素敵な部分を持っている人なんだと思います。

いなくなってからわかること。会えなくなってから気づくこと。あると思う。
でも、いつ会えなくなるかなんてわからないから、
日々を大切に相手の言葉をちゃんと受けとめていきたいと思いました。

ブンジ先生のご冥福お祈りいたします。
私も今度出逢いたいです。
Posted by:クミクミ  at 2007年06月13日(Wed) 01:21

先日はとても悲しい1週間でした。
ブンジとの永遠のお別れ・・・、言葉になりません。
なかなかブンジとお会いする機会を作れず、ブンジからそのような機会を私に与えたのでしょうか・・・。
そして、テツがブンジと対面することが出来るよと教えてくれたお陰で、なおもブンジに声をかけることが出来ました。
あの時は本当にありがとう!

それぞれにいろいろな想いはあると思うけれど、それをこれからの私たちに活かして過ごして行きたいものです。

私もブンジに出逢えた事に感謝してます。
Posted by:Eli  at 2007年06月13日(Wed) 01:00

今でも信じられないです。
日記読んでいて涙がポロポロ。。。
ブンジが教えてくれたこと
「情熱」
子供たちに伝えていきたいね。
Posted by:chico  at 2007年06月13日(Wed) 00:53