変身。[2012年02月03日(金)]
中学1年生の練習、
うちらコーチ2人がフリーマンに入っての
「 5対5+2 」 のボール回しをやると、
最初は、もう、バタバタ、バタバタ、バッタバタ。
3本とパスが回らない状況でスタートしました。
でも次第に、
相手に奪われないようにボールを回すには、
バタバタしてたらダメなんだってことを思い出してきた様子。
パスを受ける前にスペースを探しておく、味方を見つけておく、
そして何より、相手を見ておくことができるようになってきて、
オモシロイようにパスが回る場面も出てきました。
思い出すまでの時間が早まったのは、成長した部分!
今度はそれを最初からできるようになれば、次の成長のステップ。
ひとつずつ学んでいくんだ、可愛らしいちゅーぼーたちよ。
サッカーって、本当に難しいスポーツだなぁと思います。
今の時点での彼らの良いとこは、
ディフェンス場面でのボールを奪う時の激しさなんですね。
奪う気満々で、思いっきり接触して来るので迫力満点。
サッカー選手で言ったら “ ガットゥーゾ ” 、芸人で言ったら “ エガちゃん ” 。
その位の本気さで来るので、たとえ奪えなくても、相手のミスを誘える。
この時期にそれを身につけられてるのは、素晴らしいことだなぁと思います。
でも、オフェンスでは、それが仇となってしまうんですよね。
そのテンションのまま攻撃してしまうと、
見える部分は 「 がっぺむかつく 」 精神のため一点集中に。
とにかく周りが見えなく、いざボールを受けたら、バタバタ、バタバタ。
オフェンスになったら、逆にならないとなんですよね。
サッカー選手で言ったら “ シャビ ” 、芸人で言ったら “ 松本人志 ” 。
その位のクールさで、場の状況を感じ取ってアドリブを利かせていくというか。
チームがボールを保持したら、
“ ガットゥーゾ ” から “ シャビ ” へ、“ エガちゃん ” から “ 松本人志 ” へ、
そして、ボールを奪われたりしたらまた、
“ シャビ ” から “ ガットゥーゾ ” へ、 “ 松本人志 ” から “ エガちゃん ” へ。
自分の中にふたりを同居させて、
一瞬で変身を遂げていかないといけないんだから、
サッカーって本当に難しいです、そう、だから、楽しいんですけどね!
目指せ、“ 松本2:50 ” 。
『 サッカー選手は、アスリートであると同時に、アーティストでもある。 』
元ブラジル代表監督 テレ・サンターナ
↑ うちの高校2年生 “ tomoya ” が紹介してた映像。気持ちいい〜。
携帯メモ A 。[2012年02月02日(木)]
『 ほぼ日 』 の 「 今日のダーリン 」 に、
勝手にライバルと位置づけている “ 糸井重里さん ” が、
自分の興味あることに関して、こんなことを。
なんだか急に「あれが食べたい」と思うことがあります。
その「あれ」を食べたくなった理由って、
どうも説明がつきにくいんですよね。
なにかの情報からの連想として食べたくなることもある。
つまり、テレビ番組で「とんかつ」を紹介していたから、
「とんかつ」を食べたくなるなんてことも、あります。
また、豚のことを話していて「とんかつ」ってのもある。
だけど、脈絡なく「あれが食べたい」ということのほうが
ずっと多いんですよね。
なんか、そのことって、ずっと気になってるんです。
夢ってものに似ているような気がしてね。
現実に起っていることや昼間思ったことと、
夜に眠ってからみる夢って、
因果関係がある場合もあるのだけれど、
どうにも関わりがつかめないものが多い。
そんなに意味と意味で対応してないんですよね。
そういうことと、唐突な「あれが食べたい」とは、
似ていると思うんだよなぁって、ずっと考えてるんです。
最近、ちょっと思い当たるのは、
なにかしら「酸味」のあるものが多いんじゃないか。
ポン酢みたいなもの、ソース味のものが多いんです。
いなりずしとか、寿司類も酸味があるでしょう、
ラーメンも、ぼくの食べ方としては酸味につながる。
ここらへんは、ぼくの場合だけかなぁ。
ま、実にどうでもいい話だったかもしれませんが、
ぼくは、じぶんの「無意識」に、興味があるみたいです。
そうそう、
オレが携帯にメモを残してしまうのも、
きっと、この 「 じぶんの無意識 」 に興味があるからなのです!
てんでバラバラなことばかりだし、
なんの脈略もないし、どんな繋がりも頭では見えてないんですが、
たぶん 「 じぶんの無意識 」 では見えてるんですよね。
なので、
そのままプカプカと浮かばせておいちゃえー、と思ってる次第であります。
どっかでね、何かの経験をした時にね、「 こんにちは 」 するかもしれませんしね。
早くも長くなってしまい、すみませんぜよ。また長しです。ではー。
● 選択肢の多い東京という街での個々のサッカーの在り方。
ネット社会になってからのサッカーの在り方。
● 練習後のどうしようもない頭の疲れ。
きっと、たくさんの生の情報を 「 感じ取る 」 ことをしてるから。
● 「 クリスチャニア 」 と 「 BARに火ともる頃 」
● 「 コトバによる世界の単純化 」 に反抗して
「 世界の複雑性の総体 」 をいかにつかんでいくか。
● 「 プレイフル 」 からサッカーをとらえること。
● 選手の感覚を鈍くさせないために、中途半端な状態では話さない。
● 「 楽 」 は、「 楽をする 」 じゃなく 「 身体に楽をさせる 」 。
そのために必要な技術とインテリジェンス。
● 「 教え 」 というものは 「 具体的 」 「 部分的 」 なものになってしまう。
「 意識 」 に気づかせないような指導。
● 松井大輔の言う、
どんな環境・状況でもいつも通りのプレーができる選手こそが
クリエイティブな選手という言葉、
つまり、「 環境&状況 」 に対してのクリエイティブさ
● カオス溢れる練習を
● 探偵小説の部分の繋がりが見えてきた時の興奮、
解決された後のトーンダウン→想像力が持つ喜び
● 部分から全体を捉える。そうすることで、それぞれの全体が生まれる
● 音楽も造形美術も 「 時間 」 に根差したもの ( クレーの言葉 )
→ サッカーも人も → 時間の概念 → 想像の余地
● 感覚のコントロール
● 内省的なものと、スタイリッシュなものとの両立
● うちらの役割は 「 地図を見せること 」 。
運転は選手、コーチは地図を見せたら助手席でのんびり、
迷ったりしたらたまに見せる。カーナビじゃなくて、地図。
● 予測がつかないサッカーをコントロールしようとすることは、
自然をコントロールしようとすることと同じこと。
● バルセロナ本の相互作用、森永博志の 「 間 」 の言葉、
ルイの空気作り、オレのこれまでの指導、アート、
繋げること ( ブログ、サッカーでの説明 )
● 『 メッセージ 』 を 「 言葉 」 としてではなくて 「 歌 」 として伝える
● 上手いかどうかよりも、カッコいいかどうか
● 目標は、眼の悪い人にとってのメガネみたいなもの、
方向感覚が良くない人にとっての地図みたいなもの。
● 誰かのミスをみんなで取り返せるチームに → プレッシング
● 目に見えないものを 「 言葉 」 という形にすることへの欲求
● 詩的なイメージから始める
● 黒木メイサとフラメンコ ⇒ サッカーアート ⇒
マイカちゃんが話した本来の人間が持つ可能性。
感情、表現、解放、アイデア、問いかけ、カオス。
技術は職人芸的、でもメンタリティの表現 ( = アート ) はどうなのか。
● 自分の中にある、それぞれの場所で鳴らしてきた
それぞれの楽器を自分の感覚で織り合わせていく。宮内さんのように。
● 『 楽しい 』 と、「 無心 」 になりやすい、「 直感 」 が働きやすくなる。

携帯メモ @ 。[2012年02月01日(水)]
スマートフォンじゃない、
アドレスがまだ 「 vodafone 」 のオレの携帯、
ふと感じたことをメモで残してたりするんですが、
その数がえっらいことになってきてしまったので、
ちょっとこっちに貼り付けておこうと思います。
個人的で、すんません、まっことに ( 福山的 “ 龍馬 ” 風 ) 。
何か引っかかるもんがありましたら、
「 おいおい、あれはどういうことやねん、この龍馬ヤロー 」
と遠慮なく吹っかけてきてくださいね。お話しましょうね。
● 「 聞く 」 と 「 話す 」 の真ん中に存在するのが、『 考える力 』
● いい意味での 「 ルーズさ 」 を残すことで、
その部分で選手は独自の判断とプレーを求められる
● 流れに身を任せる。
歩く人たちのリズムにじゃなくて自分の心臓のリズムに。
その時に起こる出来事は真実。それに身を任せる。
● まずその根源を見極める。
それからプランを考える。
( 相手に伝えたいことは何か、相手に気づいてほしいことは何か )
● 技術が高まれば高まるほどサッカーは難しくなる。
やりたいこと、できることの選択肢が増えるから。
そこで 「 判断力 」 が求められるようになる。だから 「 楽しさ 」 は増していく。
● 自分の心が、場所や人に左右されないことを追い求めてきた。
サッカーでの気づき。外国へ行っての気づき。
● 吉祥寺駅の地べたに座った子供の
「 われわれはうちゅうじんだ 」 お母さんも一緒に。電車の中でも。
新宿で仲良く手を繋いで降りて行った。
● 自分が興味あるのは、人が目の前のものをどう捉えているのか、
どう感じているのか、それを知ること。そこにその人が表れる。
その素晴らしさを伝えたい。自分がまず柔らかくいたい。
( ロバート・フランクとジム・ジャームッシュの対談を読んで )
● 「 自分を経営 」 するような観点
● マイナスはプラスには近づけるけど消さない。
そのマイナスを埋めようとするプラスを持った人の能力を
最大限に引き出し、活かしていくため。
● バスの運転も声かけもすべては表現。
目的を達成してOKか、それに加えてどんな表現をしていこうとするか。
そこに人が表れる。
● 明るい場所と暗い場所があることの実感。
(夕刻時の井の頭線で車内照明を落として)
思ってたよりも暗い場所が多い。
建物が多いから。地方の電車だったらもっと明るいはず。
じゃあ、その差は無意識の部分に影響を与えてるんだろうか。
● もし花粉が目に見えたら、
花粉症の人たちはそれでも日本に住むかどうか。
● 練馬小3年生に移った
オレの言葉(ボールを受ける前に周りを見ておく)を
「 言葉という形になった 」 と捉えるか、
「 イメージを固めてしまった 」 と捉えるか。
● たくさん学んだら、その分、たくさん忘れていく。
● 多くの疑問に触れると
自分の中にも疑問が湧いてくる、転がっていく ( 海老蔵の対談を読んで )
● 東京と田舎での視線の違い。
見られないから見ない。見られるから見る。人の多さの違い。
● 荒川修作が抱いた人間の可能性への志と環境作り、
それらとアタッキングフットボールのリンク。
オレだからできる、サッカー側からのアプローチは?
● 見えないものをどう捉えるかがその人を決める。 ( イチロー対談を観て )
意識的であろうとしてきたこと。そのことだけの限界。
● ワゴン車に乗って仲間を集めていきながら、一緒にサッカーをやる。
● すべての国で、すべての街で、草サッカーをする。
● 集団のリズムやテンポをどこに合わせるか。
(オシムがW杯決勝のブスケッツについて語った
“ 一番テンポの遅い選手にまわりが合わせてしまった ” という話から )
● フィクションも描ききればリアル。
ノンフィクションも描ききれなければノンリアル ( トータス松本の映画を観て )
● ひとつの画面が2つに分かれていて、
それぞれの人生がそれぞれで進行していく。
出逢いの瞬間。それまでのニアミス。
● 『 配球と受球 』
受球があって配球がある。どのように受球するか。
受球したら、どんな形での配球をしていくか。
各ポジションによって、配球と受球の重要性パーセンテージは違ってくる。
じゃあ、自分のパーソナリティに変換したら、どうなるか。
● 『 何か 』 には 「 なる 」 ものじゃなく 「 なってる 」 もの。
● 訳のついてない映画を観る。感じ取ろうとする。
「 理解できないもの 」 への歩み寄り。解説なしのサッカー観戦。
ああ、長くなりすぎるので ( もう長い ) 、また次回に・・・。

どんなときでも。[2012年01月31日(火)]

『 実生活において、
われわれが必要とするさまざまなものをサッカーは与えてくれる。
常にコレクティブに生き、いいときはもちろん、困難なときでも、
仲間とともに生きる。どんなときでも、ともに生きる。 』
サッカー元日本代表監督・オシム
われわれが必要とするさまざまなものをサッカーは与えてくれる。
常にコレクティブに生き、いいときはもちろん、困難なときでも、
仲間とともに生きる。どんなときでも、ともに生きる。 』
サッカー元日本代表監督・オシム
やっちゃってるやつ。[2012年01月30日(月)]
さて、みなさん、
もうお気づきかもしれませんが、
双子座でB型のわたくし “ テツアリサカ ” 36歳、
じつは、大のネコ好きだったりするんですね。
ずーっとイヌが好きで、
特に、柴犬&チャウチャウLOVEだったのに、
実家がネコを飼い始めたら、コロコロッと鞍替えですよ。

↑ 特技は、「 ごはーん 」 おねだり “ マイ ”

↑ 特技は、オドオドすること “ アン ”
オレがネコを好きなのは、
あの奔放さとそれがゆえの 「 やっちゃってる感じ 」 にあるんだと思います。
なので、たまに、「 You Tube 」 とか見ちゃうと、さぁ、大変。
次から次へと、世界中のありとあらゆるネコ先輩たちを見てしまうのです。
で、やっちゃってるやつ、発見。
これからも、「 やっちゃってる 」 と言われがちなB型人間に、勇気と希望を!
『 どちらのほうが美しいのだろうか・・・
猫の動きか、はたまた、猫の静寂か。 』
エリザベス・ハミルトン

果物ゲット。[2012年01月29日(日)]
この日の高校生の練習試合、
トップチームのゲームは、先制したものの、
結果的には、あり得ないスコアでの大敗。
そして、失点のほとんどは自分たちのミスから。
いやぁ、いいものを得ることができました。
「 新人戦 」 が終わってから、
シーズンインとなる 「 春 」 に向けて、
これまでより難しいことにチャレンジしてる最中なんですね。
それは、めっちゃ大まかに言うと、
得点チャンスをもっと生み出せるようになっていこうぜ、というもの。
で、今回の失点のほとんどは、
これに対してチャレンジした結果、起こってしまったミスからでした。
だから、いいものを得ることができたなぁと。
前に指導者講習会で、
「 FCバルセロナ 」 の育成コーチだった人から、
バロンドール3年連続受賞のスーパースター “ メッシ ” の、
高校生年代だった頃の話を聴いたことがありました。
「 彼はその時期、ボランチをしていたんですが、
一番大事な大会の拮抗した試合のなかで、
彼は自陣近くで不用意なパスミスをしてしまい、
チームは失点、結局、それで負けてしまったんです。
試合後、人目もはばからず大泣きしていました。 」
「 でも、それから彼のなかで、
パス一本に対してのこだわりが生まれたんです。
どんな簡単なパスであっても、絶対に成功させようというこだわりが。
それはひとつのミスが試合の結果を決めてしまうことを知ったからです。 」
「 あの時のミスがあったからこそ、
そして、そこからこだわりを持つようになっていったからこそ、
今のミスが少ない “ メッシ ” がいるんだっていうことは、
確信をもって言えると思います。 」
「 失敗 」 は、いっぱいの栄養が詰まった果物のようなもの。
それを、食べるも、食べないも、自分次第。
ちょっと苦くて飲み込みずらいかもしれないけど、
「 えいっ 」 って食べたら、必ず、自分を大きくしてくれる。
だから、チャレンジして失敗したら、今度は飲み込むことにチャレンジ!
一生、チャレンジャーであろう。 “ メッシ ” のようにね。
『 僕は生まれながらの天才ではない。努力の人間なんだ。 』
「 FCバルセロナ 」 リオネル・メッシ
日本人。[2012年01月28日(土)]

『 ほぼ日 』 の 「 今日のダーリン 」 ( 糸井重里 ) より
「日本人はどんどん悪くなっている」
というような言いかたは、
「このごろの若いものは‥‥」と怒るのと同じように、
ほんとはちがっているんじゃないかと思う。
大震災の大きなショックがありながら、
人々がたがいをいたわり合い思いやっていたという話は、
あちこちに当たり前のように残っている。
それは、昔の人たち、つまり老人たちの話ではない。
若い人たちの行動のなかに、たくさん表われていた。
他人の考えや行いについて、
高いところから、ひどいだの悪いだのと言い募って、
「どういうふうに矯正してやろうか」と、
道徳の先生のように口から泡を飛ばしている人たちに、
ぼくは「おうおう、えらそうに」と言ってさえやりたい。
どうしてなのだろう、ぼくの目には、
かつての若者だったじぶんなんかよりも、
ずっと優しくてしっかりした若い人が見えている。
「あれだけの大震災があっても、
日本はちっとも変わっていない」なんて
言う人もいるけれど、たくさんの人たちが、
それぞれに、どうしたらいいのか、どう生きたいのか、
真剣に考えたり動いたり、立ち往生していたりしている。
まだまだ、残念ながら復興への道のり、先は長い。
いまの若い人が、さらに実力を身につけたときに、
その人たちの力を必要とするときもくる。
あせらず、こころに置いておくだけで、
必要とされ、きっと呼ばれるときがくると思うのだ。
富士山の樹海などの清掃をしている若者たちがいる。
彼らが、地面の下から
ビニール袋にいっぱい詰まったゴミを掘り出すと、
多くが30年ほど前のものだったりするらしい。
30年前に無遠慮にゴミを捨てていた人たちがいて、
いま、それを掘り出し清掃をしている若者がいる。
「日本人はどんどんよくなってる」とさえ、
言いたくなるような、意外(?)な話ではないか。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「日本人はどんどん悪くなっている」
というような言いかたは、
「このごろの若いものは‥‥」と怒るのと同じように、
ほんとはちがっているんじゃないかと思う。
大震災の大きなショックがありながら、
人々がたがいをいたわり合い思いやっていたという話は、
あちこちに当たり前のように残っている。
それは、昔の人たち、つまり老人たちの話ではない。
若い人たちの行動のなかに、たくさん表われていた。
他人の考えや行いについて、
高いところから、ひどいだの悪いだのと言い募って、
「どういうふうに矯正してやろうか」と、
道徳の先生のように口から泡を飛ばしている人たちに、
ぼくは「おうおう、えらそうに」と言ってさえやりたい。
どうしてなのだろう、ぼくの目には、
かつての若者だったじぶんなんかよりも、
ずっと優しくてしっかりした若い人が見えている。
「あれだけの大震災があっても、
日本はちっとも変わっていない」なんて
言う人もいるけれど、たくさんの人たちが、
それぞれに、どうしたらいいのか、どう生きたいのか、
真剣に考えたり動いたり、立ち往生していたりしている。
まだまだ、残念ながら復興への道のり、先は長い。
いまの若い人が、さらに実力を身につけたときに、
その人たちの力を必要とするときもくる。
あせらず、こころに置いておくだけで、
必要とされ、きっと呼ばれるときがくると思うのだ。
富士山の樹海などの清掃をしている若者たちがいる。
彼らが、地面の下から
ビニール袋にいっぱい詰まったゴミを掘り出すと、
多くが30年ほど前のものだったりするらしい。
30年前に無遠慮にゴミを捨てていた人たちがいて、
いま、それを掘り出し清掃をしている若者がいる。
「日本人はどんどんよくなってる」とさえ、
言いたくなるような、意外(?)な話ではないか。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほんきがいちばん。[2012年01月27日(金)]
すっごくいい光景だったなぁ・・・。
高校生の練習の、
7対7のゲーム形式の合間に、
ふたりの1年生が言い合いをしていました。
ふたりは同じチームだったので、
話の内容は、おそらくポジショニングのこと。
何がよかったって、その 「 本気さ 」 。
ひとりが全身全霊でぶつかっていっては、
もうひとりがそれに勝るくらいの想いでぶつかっていって。
その 「 本気さ 」 は周りにも伝播。
彼らの周りに自然と人が集まってきては、
ふたりの言い合いを茶化すことなく、じっと見ていました。
もちろん、
「 言い合えば、とにかくOK 」 ではないと思うんです。
一番の目的は、相手に伝わることで、そして、伝わり合うこと。
そのための方法っていうのは、いっぱいあるはずですしね。
ただ、「 言わなきゃ 」 と思った時に、まず、ごまかすことなく言うこと。
それが、すべてのコミュニケーションの始まり、そんな気がします。
サッカーって、
「 戦い 」 の前に、「 チームワーク 」 の前に、
まずは 「 自分を表現すること 」 だと思うんですよね。
プレーでも、伝えることでも、
自分が感じたものをどんどん本気で表現していってほしいです。
それが合ってたって、間違ってたって、どっちだって全然構わない。
本気で表現すれば、そこからまた本気なものが生まれ、
中途半端に表現すれば、そこからまた中途半端なものが生まれ、
表現しなければ、そこからまた表現しないということが生まれていく。
本気なものだらけになったら最高だなぁ・・・。
そう、そしたらきっと、
「 本気で聴く 」 「 本気で受け入れる 」 ことも出来ていくんでしょうねー。
『 人はこの世界からはみ出ることで、この世界の秘密を知る。 』
クリエイティブディレクター・後藤繁雄
心から。[2012年01月26日(木)]

『 イニエスタはフットボールを感じている。だから誰よりもフットボールを理解してるんだ。 』
「 FCバルセロナ 」 セイドゥ・ケイタ
クリエイター。[2012年01月25日(水)]

『 選手は道具ではなくてクリエイターだから、
そのパッションや躍動感は大事にしたいんです。 』
「 松本山雅FC 」 監督・反町康治
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