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東日本大震災から10年 [2021年03月14日(Sun)]
今から10年前、2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生した。

それから10年経った今、新聞、テレビ等は、当時の超大津波の襲来に際しての人々の避難・被災の様子、被災地域の現在の姿、さらに当時を振り返り現在を語る被災した人たちの想いを連日伝えている。

当時私は、海洋政策研究財団で海洋・沿岸域の総合的管理と持続可能な開発に取り組んでいて、岩手県沿岸広域振興局や宮古市と関係が深まっていた矢先だったので、メディアで報じられる被災地の惨状にショックを受けた。

そこで何か被災地の力になれることはないかと思い、5月の連休明けにこの地震・津波により大きな被害を受けた岩手県の沿岸広域振興局、宮古市を訪問してお見舞いを申し上げるとともに、震災で壊滅的被害を受けた岩手県の沿岸各地を回ってその被害の状況を見て回った。そして、現地に行ってみないとわからない生々しい被害の状況に愕然とした。

その時のことを書いた海洋政策ブログ「がんばろう 岩手!(1)~(4)」(下記参照)を今あらためて開いて見ると、写真を交えた記述から、襲来した津波が全てのものを根こそぎ破壊した惨状が生々しく蘇ってくる。関心のある方々はどうぞ覗いてみてください。

「がんばろう 岩手!」2011年5月10日
https://blog.canpan.info/terashima/archive/571
5月10日、釜石にある岩手県沿岸広域振興局訪問、中村局長、熊谷経営企画部長、高橋海洋担当特命課長に今回の災害お見舞い、その後釜石、大船渡、陸前高田の被災状況を視察

「がんばろう 岩手!−宮古訪問(2)」2011年5月12日
https://blog.canpan.info/terashima/archive/572
5月11日、宮古市役所訪問、山口副市長、吉水産業振興部長、山根水産課長に今回の災害お見舞い、その後宮古湾沿岸の被災状況を視察

「がんばろう 岩手!−大槌町の惨状(3)」2011年5月15日
https://blog.canpan.info/terashima/archive/573
5月11日、宮古訪問の後、山田町、大槌町の被災状況を視察

「がんばろう 岩手!−釜石〜越喜來〜陸前高田(4)」2011年5月21日
https://blog.canpan.info/terashima/archive/579
5月10日に訪れた遠野付近の桜堤、釜石、越喜來湾、陸前高田を写真を交えて紹介 

以上が東日本大震災の2か月後に私が岩手県の被災地を訪れたときに書いたブログである。

あれから10年経った現在、被災地の映像を見ると見違えるように整備されてきているように見える。しかし、大震災で多くの人々が命を失い、安定した生活を支えていた多くの地域社会が大きな打撃を受けたことを思うと、まだ多くの被災地の人々や地域社会が震災前に営んでいた生活を取り戻しているとは言えないのではないかと思う。

被災地の皆さん、どうぞくじけずにこれからも頑張ってください。

東日本大震災については、このほかにもいろいろ思い出すことがある。その2,3を挙げると、次のとおり。

大震災の直後から、日本国内だけでなく、地震発生のニュースを聞いた米国デラウェア大学のビリアナ・シシン‐セイン教授をはじめとする海外の海洋関係者・知人から財団や私個人宛にこちらの安否の照会や地震見舞いのメールがたくさん届いた。そして、GOF(Global Ocean Forum)、IOI(International Ocean Institute) などの海洋関係者の国際ネットワークが、東日本大震災の被災者支援の寄付を国際的に呼びかけてくれたことは忘れられない。

私たちも大震災発生後、早速、政学産民からなる海洋基本法フォローアップ研究会(事務局:海洋政策研究財団(当時)、官もオブザーバー参加)において、海洋立国の視点に立って、東日本大震災の復興にあたって実施すべき海洋に関する施策・プロジェクトの検討を開始して、2011年5月27日には「東日本大震災復興に関する海洋立国の視点からの緊急提言」を内閣総理大臣、官房長官、復興構想会議議長に提出した。(本ブログ2011年年5月29日、6月1日参照)

また、2011年10月19日(水)には、「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」を日本財団ビルで開催し、東京では中々わからない現地の厳しい状況や被災地の皆さんの懸命な取組みにについて岩手県の中村一郎沿岸広域振興局長や宮古市の山本正徳市長ほかの皆さんから、中央で復興対策に関わる政府各機関、様々な団体・企業、研究所、大学、それにメディア等に話をしていただいた。

これらのほか、東日本大震災については、このブログでも、大震災発生直後からかなり集中してこの問題を取り上げてきている。それらについては、本ブログのカテゴリー「東日本大震災」(記事数47)をご覧ください。
https://blog.canpan.info/terashima/category_35 参照
Posted by 寺島紘士 at 01:07
宮古市の橋本久夫さん、NHKの朝7時のニュースに登場 [2021年03月09日(Tue)]
大塚万紗子さんが、宮古市の橋本さんからの「8日のNHKの朝の7時のニュースで宮古から震災10年の関係で出演予定です。よろしければご覧下さい。」とのメッセージを7日の夜に知らせてくれたので、8日の朝はいつもより早く起床した。

7時のニュースを見ていると、「東日本大震災から10年 被災者・被災地はいま 岩手県宮古市からの中継」が始まり、2011年3月11日の東日本大震災当時と10年後の現在の姿の映像などとともに、「月刊 みやこわが町」を被災後の困難を乗り越えてこの10年間発行し続けてきた橋本久夫さんが登場した。

宮古市や岩手県とは、大震災の前から地域振興と沿岸域の総合的管理を目指して協力してきた私(当時海洋政策研究財団常務理事)は、東日本大震災発生直後も被災のお見舞いのために現地を訪れるなど交流を重ねていたので、宮古にも当時親しく震災復興や海を活かしたまちづくりについて語り合った人たちがいて、NPOいわてマリンフィールド理事長の橋本さんもそのお一人である。

橋本さんには、2011年秋に、被災地域の人々と地域外で復興支援を願う人々との「きずな」を強化するため東京の日本財団ビルで開催した「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」で、中村一郎岩手県沿岸広域振興局長、山本正徳宮古市長、山根幸伸岩手県指導漁業士とともに発表もしていただいている。
https://blog.canpan.info/terashima/archive/658 参照

このところお会いする機会もなくすごしてきたが、久しぶりに当時を思い出すとともに、少し貫禄がついたお元気そうな橋本さんのお姿を拝見して嬉しくなった。

橋本さん、お久しぶりです。ますますのご活躍をお祈りしています。
Posted by 寺島紘士 at 01:51
東日本大震災から7年 [2018年03月11日(Sun)]
東日本大震災(2011年3月11日午後2時46分発生)から7年が経過した。

今日、政府主催の「東日本大震災7周年追悼式」が東京の国立劇場で行われ、その状況がテレビで中継された。家内と二人でそれに参加して、テレビの映像を見ながら国歌を斉唱し、午後2時46分から1分間黙とうして、犠牲者の霊に哀悼の意を表し、被災者の皆さんの御苦労をねぎらうとともに安らかな生活を送られるよう祈った。

追悼式では、その後安倍総理大臣が式辞を述べ、秋篠宮殿下がお言葉を述べた。

テレビ中継は、そのあといったん追悼式から離れて被災地の様子を伝えた後、再び追悼式に戻って岩手、宮城、福島の遺族代表がそれぞれ身近な人を失った自らの思いを込めて追悼の辞を述べるのを伝えた。それを聞いて、大震災の痛みとこの7年という歳月の重みを痛感した。

東日本大震災については、このブログでも、大震災発生直後からかなり集中してこの問題を取り上げてきた。
本ブログのカテゴリー「東日本大震災」
https://blog.canpan.info/terashima/category_35 参照

今振り返っても、いろいろ思い出すことがある。

大震災からの復旧や復興のためには、「海洋の安全の確保」や「沿岸域の総合的管理」をはじめ海洋基本法の施策が密接に関係していることから、大震災発生後、早速、国会議員・学産民の有識者からなり、官もオブザーバー参加している海洋基本法フォローアップ研究会(事務局:海洋政策研究財団(当時))において、海洋立国の視点に立って、東日本大震災の復興にあたって実施すべき海洋に関する施策・プロジェクトの検討を開始した。

そして、発生から2か月半後の2011年5月27日には「東日本大震災復興に関する海洋立国の視点からの緊急提言」をとりまとめ、内閣総理大臣、官房長官、復興構想会議議長に提出した。(本ブログ同年5月29日、6月1日参照)

また、この地震・津波により大きな被害を受けた岩手県沿岸部とは、そのころ、海洋・沿岸域の総合的管理と持続可能な開発の取組を通じて岩手県沿岸広域振興局や宮古市と関係が深まっていた矢先だった。

そこで震災2か月後の5月の連休明けには岩手県を訪れ、震災で壊滅的被害を受けた各地を回って、その壊滅的な被害の状況をこの目で確認した(本ブログ2011年5月10日、12日、15日、21日参照)。そのときの写真からは現地に行ってみないとわからなかった当時の被害の状況が生々しく蘇ってくる。

被災地の厳しい状況は、東京から見ていたのでは中々わからないことを痛感したので、同年10月19日(水)には、被災地の生の声を聞いてもらうために「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」を日本財団ビルで開催し、岩手県の中村一郎沿岸広域振興局長や宮古市の山本正徳市長ほかの方々に来ていただいて、現地の厳しい状況や被災地の皆さんの懸命な取組みについて、中央で復興対策に関わる東日本大震災対策本部・総合海洋政策本部の事務局や関係各省庁、様々な団体・企業、研究所、大学、それにメディア等の皆さんに話していただいたことも思い出した。

さらに、大震災直後に、地震発生をニュースで聞いた米国デラウェア大学のビリアナ・シシン‐セイン教授をはじめとする海外の海洋関係者や知人から財団や私個人宛にこちらの安否の照会や地震見舞いのメールがたくさん届いて、そのような海外からの暖かい心配りに、驚き、かつ、感謝したことも記憶に蘇えってきた。

GOF(Global Ocean Forum)、IOI(International Ocean Institute) などの世界の海洋関係者のネットワークが、東日本大震災の被害に対するお見舞い先として日本財団のCANPAN「東北地方太平洋沖地震支援基金」を紹介して被災支援の寄付を国際的に呼びかけてくれたことも忘れられない。

大震災から7周年の今日、あらためて被災地の復興、被災者の皆さんの心の幸せを強く願った。
Posted by 寺島紘士 at 23:30
東日本大震災から4年 [2015年03月15日(Sun)]
東日本大震災が発生した2011年3月11日から4年が経過した。このところ新聞・テレビも様々な角度からこの問題を集中的に取り上げている。テレビの画面で、津波に襲われて生徒・教員が犠牲になった石巻市大川小学校の校舎や屋上に避難した職員まで犠牲になった南三陸町の庁舎の建物の保存か解体かをめぐって議論する地元の人々の表情を見、それぞれの思いを聞いていると、この4年間の時の経過とその重みを感じる。

このブログでも、発生直後からかなり集中して大震災の問題を取り上げてきた。
本ブログのカテゴリー「東日本大震災」 参照

震災2か月後の5月に震災で壊滅的被害を受けた岩手県の現地を訪れたときのブログの写真からは当時の状況が生々しく蘇ってくる(本ブログ2011年5月10日12日15日21日参照)。また、「被災地の復興は、地方中心、陸域・海域一体的に行うべき」(本ブログ2011年4月20日参照)など、この頃集中的に当時の状況を踏まえて行った「沿岸域の総合的管理」「海洋の安全の確保」などの施策に関する提言・提案の内容は今でも重要と思う。

今回の大震災は、海洋基本法が推進している海洋・沿岸域政策に防災・安全という観点の重要性を再認識させ、2013年改定の新海洋基本計画では「東日本大震災を踏まえた防災・環境対策」が重点的に推進すべき取組のひとつに採り上げられた。

大震災から4年という節目に当たり、ここでもう一度この大震災の教訓と発生から今日までの海洋・沿岸域の取組みを振り返り、思いを新たにして被災地の復興を応援していきたいと思う。

その思いを胸に海洋政策研究財団では、海洋に関する総合的な議論を喚起するために刊行している「Ocean Newsletter」の3月5日号(No.350 )を東日本大震災特集として、次の3編の大震災に関連するレポート・オピニオンを掲載した。

<東日本大震災から4年>
○福島復興・浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業〜実証研究事業の取り組みと今後の課題〜 福田知史(丸紅(株)国内電力プロジェクト部)
○東日本大震災後の沖合海底ガレキ調査〜漁業に役立つガレキマップづくり〜
藤原義弘((独)海洋研究開発機構東日本生態系変動解析プロジェクトチーム)
○深層海洋環境の変化から地震発生のメカニズムを解明する
高畑直人(東京大学大気海洋研究所助教)、佐野有司(東京大学大気海洋研究所教授)
(執筆者敬称略)

詳細については、当財団のウェブサイトでご覧いただきたい。

今後も引き続き東日本大震災の復興と海洋政策の推進に心を配っていくこととしており、先日の外部有識者を交えた「Ocean Newsletter編集委員会」でも、最近の被災各地の取り組みの状況を順次取り上げていく方策を議論したところである。
Posted by 寺島紘士 at 00:39
今週の海洋フォーラムで畠山重篤さん講演 [2014年09月22日(Mon)]
海洋政策研究財団は、四方を海に囲まれた海洋国日本の発展のためには、広く海洋に関する情報の共有や意見の交換、世論形成が必要であると考え、その時々の時事テーマを取り上げて、毎月「海洋フォーラム」を開催している。

9月26日(金)に開催する次回の第114回海洋フォーラムのテーマは、甚大な津波被害をもたらした東日本大震災からの復旧・復興に向けた三陸沿岸地域のまちづくりである。大震災から3年半の月日が経ったが、最近でも、被災した各地のまちづくりが必ずしも順調に進まずに苦闘している様子がテレビなどで報道されている。

そこで、今回は、「森は海の恋人」の提唱者として著名な畠山重篤氏に講師をお願いして、大津波後の気仙沼市舞根地区におけるまちづくりの実践体験をもとに「海と生きるまちづくり」についてお話頂くこととした。

畠山さんとは日本財団時代からの長いお付き合いであるが、NPO法人「森は海の恋人」理事長、京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授として、さらに震災からの復旧・復興の取り組みでも、このところ毎日お忙しい日々を送っている畠山さんが果たして講師を引き受けてくれるかどうかお返事をいただくまでは若干心配だった。しかし、そんな気配も見せずに快くお引き受けいただいて感謝している。

畠山さんは、大震災直後から、本ブログ「海を恨むつもりはない」(2011年5月4日)でも紹介したように、気仙沼市舞根地区の高台移転等のまちづくりに取り組んできた。それらの取り組みが、その後どう展開したのか、カキの養殖が現在どのようになっているのか等々、いろいろお聞きするのが今から楽しみである。

いい機会なので海洋に関心のある皆様にも是非聞いていただきたいと思う。
海洋フォーラムの開催場所、時間等の詳細は、海洋政策研究財団ホームページでご覧ください。
Posted by 寺島紘士 at 14:34
東日本大震災から3年 [2014年03月09日(Sun)]
海洋政策研究財団は、海洋の重要性を広く認識していただくために広く各界の皆さんから海洋に関する様々なレポートやオピニオンをいただいて「Ocean Newsletter」を毎月2回、5日と20日に発行している。
3月5日発行のOcean Newsletter No.326は、「東日本大震災から3年」特別号として刊行した。

2011年3月11日、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生したマグニチュード9.0という巨大地震は、最大遡上高40.5mにも上る大津波を引き起こし、東北と北関東の太平洋沿岸に壊滅的な被害をもたらした。
また、大震災の被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所が起こした大量の放射性物質の漏洩事故は今も深刻な影響を社会に与えている。

その東日本大震災からもうすぐ3年が経つ。

震災発生以来、被災地の皆さんは震災からの復旧、復興に懸命に取り組んでいるが、それが生易しいことではないことが、このところ連日、新聞、テレビで報道されている。その復興を心からお祈り申し上げたい。

そんな中で、わが「Ocean Newsletter」の編集会議は、大きな被害を受けた被災地の皆さんがそれぞれの復興に前向きに取り組む姿を全国に発信することにより、被災地の皆さんと全国の皆さんとの交流が広がることを願って、今年も震災が発生した3月11日に近い3月5日号で東日本大震災特別号を企画した。

幸い、福島、岩手、宮城から復興の取り組みについて心が明るくなるレポートをいただいくことができたので、ここに紹介したい。なお、それぞれの内容の要約は、執筆者によりニューズレターに掲載されたものである。

○ Ocean Newsletter No.326
<東日本大震災から3年> (2014年3月5日発行)

・福島県の震災復興
〜再生可能エネルギー関連産業の集積に向けた取組〜
 吉田孝氏(福島県商工労働部再生可能エネルギー産業推進監兼次長
東日本大震災から3年が過ぎようとしている現在の福島県の復興の取り組み状況と、これまで取り組んできた中から、特に再生可能エネルギーの推進による関連産業の集積に向けた事業を紹介する。浮体式洋上風力発電の実証研究事業はそのシンボリックな存在である。

・三陸復興「岩手モデル」の実証フィールドを目指して
 石川義晃氏(岩手県商工労働観光部科学・ものづくり振興課総括課長)
岩手県の海洋再生可能エネルギーに関する取組については、本ニューズレターにたびたび取り上げていただいているが、本稿では、国が公募している「実証フィールド」誘致に向けた取組を中心に紹介したい。

・市民組織が復興に向けた議論を支える
〜宮城県塩竈市における市民の取り組み〜
 鈴木美範氏(塩竈市港奥部ウォーターフロント活用市民会議事務局長)
平成23年8月に、宮城県より「仙台塩釜港復旧・復興方針」が出され、北浜緑地護岸の整備を含む復興のシンボルとなる水辺空間の検討が始まっている。市民組織の議論を復興のまちづくりに活かしている塩竈市の取り組みについて紹介したい。 

これらのレポートはいずれも復興に向けた意欲的な取り組みを紹介しており、読んでいてこちらが励まされる。執筆していただいた吉田さん、石川さん、鈴木さんに厚く感謝申し上げたい。

関心のある皆さんには、下の海洋政策研究財団のホームページを訪ねてこれらの全文と秋道智彌編集代表の編集後記をご覧いただければ幸いである。
http://www.sof.or.jp/jp/index.php
Posted by 寺島紘士 at 20:43
宮古湾の美味しいマガキを味わう [2012年03月31日(Sat)]
今週は宮古湾の美味しいマガキを十分味わった。

昨年9月に宮古湾カキ養殖組合の飛鳥方組合長さんたちが上京して来て「復興支援1年ものマガキ・オーナー募集」を行ったことは、昨年の本ブログで紹介した(本ブログ2011.9.11)。

これは、津波で被害を受けた養殖漁業者が共同で牡蠣養殖を再開し、収入を組合員に均等配分することで、大震災で被害を受けた養殖業全体の再建を図ろうとする取り組みである。

そのとき2口申し込んだところ、先日殻つきマガキ10個とむき身マガキ500g入りの箱が2箱送られてきた。

早速、家内が、同封されていた「三陸宮古の牡蠣(かき)レシピ集」にある「殻付牡蠣の蒸焼き」、「牡蠣のバター炒め」、それに築地で聞いてきた生姜を使った「牡蠣の佃煮」などをつくってくれて、家中で味わった。様々に料理されたマガキは、それぞれ香り、味ともに素晴らしく、大好評だった。

いただいたマガキは、大きくたっぷりとしていて海域の環境がマガキの成長にいい状態に戻っていることが推測された。

送られてきた箱には、宮古湾かき養殖組合・宮古漁業協同組合による2年もの・1年もののマガキ販売(募集5月末まで、発送来年3月中旬から4月)のパンフレットが同封されていたので、我が家では、早速、来年のために1年ものマガキ2sの申し込みをした。(販売問い合わせ先:宮古漁業共同組合 電話0193-62-1234)

大震災から1年、被災地の漁業者の皆さんが元気になって、被災地の養殖業の再建が進むことを期待している。
Posted by 寺島紘士 at 14:33
緊急災害対策本部の議事録未作成に思う。 [2012年02月03日(Fri)]
1月23日の「原子力対策本部、議事録まったく作成せず」という東京新聞の報道に端を発して、東日本大震災や福島原発事故に関して政府が設置した会議の議事録が作成されていなかったことが明らかになった。
この問題で、野田総理が1月30日の参議院代表質問で「誠に遺憾」と陳謝している。

これらの報道を見て、まず頭に浮かんだのは、3月11日に東日本大震災が起こった後直ちに設置された「緊急災害対策本部」のことである。報道は、どちらかというと原発事故関係の会議の議事録に焦点をあてているが、私は、わが国で初めて設置された総理を本部長とする「緊急災害対策本部」が議事録を作成していなかったことにもショックを受けた。

4月16日の本ブログで取り上げたように、マグニチュード9.0という巨大地震、千年に一度という大津波に襲われて、わが国で初めて総理を本部長とする「緊急災害対策本部」を設置したのは、迅速かつ適切な判断である。ちなみに、あの阪神・淡路大震災のときでも設置されたのは国務大臣を本部長とする「非常災害対策本部」であった。

「緊急災害対策本部」は、次の所掌事務が示す通り、まさに非常災害時における中央、地方の行政組織の司令塔である。

1. 所管区域において指定行政機関の長、指定地方行政機関の長、地方公共団体の長その他の執行機関、指定公共機関及び指定地方公共機関が防災計画に基づいて実施する災害応急対策の総合調整に関すること
2. 非常災害に際し作成される緊急措置に関する計画の実施に関すること 等

私は、「緊急災害対策本部」が、災害対策基本法が定める災害対応の仕組みに則ってここが中心となって今回の未曾有の大震災の災害応急対策が着実に推進されることを期待したのである。

しかし、その後の状況を見ると、ちょっと期待外れであった。「災害緊急事態の布告」(同法第105条)も行われず、「緊急災害対策本部」は開かれてはいたようだが、あまりその活動は報じられなかった。

その上、大震災発生直後に緊急災害対策本部及び原子力災害対策本部が設置された後も、いろいろな震災関連の組織が発足して、そのことがかえって震災への対応を分かりにくいものにし、問題になったりした。

私は、当時、そのように組織を増やすよりは、わが国が長年に亘って築き上げ、共有してきた災害への対応のノウハウが詰まった災害対策基本法や防災関係の仕組み・組織・要員を最大限活用して災害応急対策などを実施すべきではないか、と本ブログで指摘したものである。(本ブログ2011年4月16日

今回議事録未作成が指摘された10の会議のリストを見て、原子力災害対策本部と並んで緊急災害対策本部が入っているのを見て、正直がっかりするとともに、緊急災害対策本部の大震災への対応及び復旧の中心としての社会的存在感がいまひとつだった理由の一端をここに見たような気がした。

会議の議事録すらないようでは、緊急災害対策本部がどのような議事経過を経て災害応急対策を総合調整し、決定し、実施したかがわからないから、それらが社会に伝わらないだけでなく、後からそれを検証し、評価しようとしても、それをすることもできない。

いま、東日本大震災を経験してみて、近い将来の発生が想定される東海、東南海、南海地震に対する防災対策、災害対応が改めて問題になっている。それには、今回の東日本大震災の緊急災害対策本部の経験から学ぶものが多くあるはずである。

それなのに、その重要な資料となる本部の議事録が作成されていなかったと聞いて、言葉を失った。政府は、議事録未作成(むしろ非作成)の重大性を認識し、原因を究明して、このようなことが二度と起こらないようにしてほしい、と思う。
Posted by 寺島紘士 at 01:29
今年1年の回顧(2)−海洋をめぐる動き [2012年01月01日(Sun)]
今日(12月31日)は大晦日、八重原の空は雲ひとつなく晴れ渡って穏やかな日和だった。
北に烏帽子、三方、高峰、黒斧、浅間の浅間連山、南には蓼科、美ヶ原などが連なり、師走の穏やかな青空を縁取っている。朝は、白い煙を上げていた浅間山も午後は静まり、雪化粧した晴れやかな山容が陽射しを浴びていた。

今回は、今年1年の海洋をめぐる動きを振り返ってみたい。なお、1年間このブログにいろいろ書いてきたので、そちらも適宜ご参照いただきたい。

今年なんと言っても一番印象が強いのは、3月11日に起こった東日本大震災である。宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生したマグニチュード9.0という巨大地震は、最大遡上高40.5mにも上る大津波を引き起こし、東北と北関東の太平洋沿岸に壊滅的な被害をもたらした。

また、被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所が起こした大量の放射性物質の漏洩事故は今も深刻な影響を社会に与えている。

この大震災は、海洋政策に対しても、災害時における海からの緊急支援、防災対策の拡充、海洋調査・観測の強化による地球・海洋に関する科学的知見の充実、放射性物質の海洋への流入の影響の究明、海域・陸域一体とした沿岸域の総合的管理による復興施策の推進、海洋再生エネルギーの開発利用・・・など、数多く課題を突きつけた。

当財団でもこれらの課題に対応するため、様々な活動を展開した。そのいくつかを挙げれば次の通り。
○ 海洋基本法フォローアップ研究会における検討及び政策提言「東日本大震災復興に関する海洋立国の視点からの緊急提言」(本ブログ5月29日参照
○ 被災地岩手県を訪問してお見舞いと現地調査(本ブログ5月10日等)、
○ 東京で「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」を開催(本ブログ10月22日参照
○ 宮古市と沿岸域総合管理に関する研究協力など

大震災復興の取り組みはむしろこれからが正念場であり、当財団も様々な大震災からの復興に関する海洋・沿岸域の施策の促進に努めていく方針である。
特に、「東日本大震災からの復興の基本方針」が、復興を担う行政主体を市町村と位置付け、県は市町村に関する連絡調整や市町村の行政機能の補完等の役割を担う、と定めていることから、岩手県、宮古市などと協力して、海洋基本法が定める沿岸域総合管理を活用して、被災した地域社会の復興を支援していくこととしている。 

…と、ここまで書いたところで新しい年になってしまった。そこで2011年に印象に残ったそのほかのことについては、次回に回すことにして、

皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年も海洋政策ブログを愛読していただければ幸いです。
Posted by 寺島紘士 at 02:23
「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」開催 [2011年10月22日(Sat)]
10月19日(水)、「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」を日本財団ビル1階バウルームで開催した。

開催のご案内が1週間前だったので、集まりの状況を心配したが、内閣官房や各省庁、様々な団体・企業、研究所、大学、それにメディア等から160人ほどの参加を得て盛会裡に会を進めることができた。
中央で復興対策に関わる東日本大震災対策本部・総合海洋政策本部の事務局、国土交通省、農林水産省、環境省、経済産業省など、政府各部局からも大勢参加して聞いていただいた。

冒頭に私が、開会の挨拶を兼ねて、今回の「岩手県沿岸域の生の声をきく会」の開催趣旨を述べ、この会が被災地域の人々と地域外で復興支援を願う人々との「きずな」を強化する機会となることへ期待を表明した。



続いて、「岩手県沿岸域からの報告発表」を次のように行った。敬称略。

「輝く明日を創ろう!いわて三陸〜東日本大震災津波からの復興に向けて〜」
岩手県 沿岸広域振興局長 中村一郎



「宮古市、被災実態と復興への挑戦」
 宮古市長 山本正徳



「東日本大震災からの復興−宮古湾の漁業と環境について−」
岩手県指導漁業士 山根幸伸



「リアスハーバー宮古 新たな出航に向けて」
 NPO法人 いわてマリンフィールド理事長 橋本久夫



中村局長さんと山本市長さんは、ともに冒頭に、大津波が押し寄せてきて建物、自動車を飲み込んでいく生々しい映像を映した。会場はその凄まじさに言葉を失った。

山根さんが、津波の凄まじさを道路わきの高い電柱に絡まった漁業用の浮き球で示し、橋本さんが、当日シーカヤックで海に出ていた生徒たちを岩手マリンフィールドの女性職員の的確な判断が救ったことを語った。3月11日の津波来襲を現地で受け止めた人たちから直接聞く話は、語る人が抱いてきたもろもろの思いとともにその時の様子を伝えてくれる。

中村局長さんが、岩手県の被害の状況について丁寧に説明し、復興に向けた『3つの原則〜「安全」の確保、「暮らし」の再建、「なりわい」の再生〜』を掲げた復興計画、これまでの取組の課題と対応、市町村の取組、三陸地域の産業復興構想(案)等を示すと、参加者は熱心に聴き入り、これに対する共感が会場に広がった。

山本市長さんは、宮古市の被災や避難の状況とそれへの対応について説明し、宮古市の復興基本方針を示して復興の取り組みについて熱っぽく語りかけた。
最近合併で宮古市となった内陸部の旧新里村、旧川井村の存在が今回の大震災への対応で支えとなったこと、また、被災した住民は、仮設住宅だけでなく、市内外の親戚・知人宅やその他の避難先などあちこちに分散しているので、その把握と連絡・対応が大変なことなど、自治体の責任者ならではの話しが随所にちりばめられていて、印象的だった。

山根さんは、宮古湾の漁業と環境について、ニシンやアマモなどを取り上げて全国的にも豊かな宮古湾の稚魚の状況、その棲家となる藻場、などについて具体的に話してくれた。特に、磯建網を使った‘タモ網採集法’について話す中で、それまでは大きな成魚しか目に入らなかったが、小さな稚魚に集中すると今度は大きな魚が眼に入らなくなるとニッコリしたのを見て山根さんの漁業にかける情熱をあらためて感じた。津波によって藻場が被害を受けたが、個体数は少ないものの稚魚の成育を確認したので、藻場の再生に向けて頑張っていきたい、という山根さんに心の中で声援を送った。

橋本さんは、海を通じたまちづくり活動に打ち込んでいて、マリンスポーツの振興、海をフィールドにした社会教育の推進、青少年育成、環境保護活動、国際交流、災害救援などを目的とするNPO法人岩手マリンフィールドが幅広く行ってきた活動を紹介した。そして、受託管理してきた県施設「リアスハーバー宮古」が被災した逆境にめげずに、全国から例年を上回る150人の参加を得て「2011三陸シーカヤックマラソン」を10月9日に開催して復興の海への第一歩を踏み出したことを紹介し、2015年の宮古開港400年を目標に頑張りたいと力強く結んだ。

発表後、発表者と会場との質疑応答が行われ、海の中のガレキの問題、地域や漁村の復興、水産業復興のあり方、研究機関等による復興の支援・協力、海での様々な活動を通じた海洋教育等について、活発な討論が行われた。漁協の対応や漁港・漁村の問題などかなり突っ込んだ質問もあったが、4人の発表者は、それらに対しても、率直、かつ丁寧に答えていた。

会場からの発言の多くが、被災地の復興に向けた取り組みについて、一緒になって考え、こちらで協力できることはないかという前向きな姿勢に裏打ちされたものであったので、岩手県からはるばる来ていただいた発表者の皆さんにも発表の手ごたえを感じていただけたのではないかと思う。

この被災地の生の声をきく会の開催を思い立ったきっかけは、私が、以前から海洋政策の推進や沿岸域総合管理の取り組みを通じて交流のある岩手県沿岸広域振興局や宮古市を5月の連休明けに訪問して東日本大震災のお見舞いを申し上げ、あわせて岩手県沿岸域の被災の状況を見て歩いた時にさかのぼる。

被災地を実際に訪れて津波の傷跡も生々しい廃墟に立って、変わり果てた地域の姿を我が眼で見、肌で感じたとき、テレビや新聞で見聞きするのとは大きな違いがあることを痛感した。それ以来、被災地の復興を支援したいと願う多くの人々に、被災地の実状と復興に向けた取組、さらに現地の方々の思いを生の声で届けたい、と考えてきた。

その後、8月に「東日本大震災からの復興の基本方針」が改定された。それには、
「復興を担う行政主体は、住民に最も身近で、地域の特性を理解している市町村が基本となる。県は、被災地の復興に当たって、広域的な施策を実施するとともに、市町村の実態を踏まえ、市町村に関する連絡調整や市町村の行政機能の補完等の役割を担う。
国は、復興の基本方針をしめしつつ、市町村が能力を最大限に発揮できるよう、財政、人材、ノウハウ等の面から必要な制度設計や支援を責任を持って実施する。」
と定められている。

そこで、復興の取り組みの重点が、地方レベルの取り組みに移ってきた9月に入って、今が、大震災発生以来、復旧・復興に寝食を忘れて取り組んで来られた被災地の方々を東京に招いて、被災地の実態や復興に向けた苦労を語っていただく時期ではないかと考えて、岩手県や宮古市にこの会の開催を相談してみた。すると、岩手県沿岸広域振興局から中村一郎局長、宮古市からは、山本正徳宮古市長をはじめ、山根幸伸岩手県指導漁業士、橋本久夫NPO法人いわてマリンフィールド理事長という、そうそうたる方々が、お忙しいなか都合をつけて来てくださるという。

こうして実現したのが今回の報告会「東日本大震災からの復興−岩手県沿岸域の生の声をきく会」である。

この会が、大震災の復興に向けた被災地の取組みの現状と被災地の人々の復興への思いとニーズに対する理解を深め、被災地と地域外の人々を結ぶ「きずな」を強化することに役立つことを期待している。(了)
Posted by 寺島紘士 at 13:03
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