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『奇跡のリンゴ−「絶対負不可能」を覆した農家 木村秋則の記録−』(幻冬舎)に感動 [2009年06月22日(Mon)]
『奇跡のリンゴ』
『奇跡のリンゴ』

『奇跡のリンゴ−「絶対負不可能」を覆した農家 木村秋則の記録−』(幻冬舎)を読みました。
私は、電車での移動中は読書することが多いのですが、この本も、電車で読んでいて涙がこぼれてしまいました。

無農薬でリンゴを育てて収獲するまでの8年間

が、書かれています。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班の監修、石川拓治さんの著です。

自分を信じ、リンゴに語り、無農薬でリンゴを実らせた木村さん。必死なのは木村さんだけではありませんでした。家族も全身全霊で木村さんを、支えました。

本の帯には、こう書いてあります。「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う」「ニュートンよりもライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた男の物語」。その通りだと合点です。

本の表紙には、主人公である木村秋則さんの満面の笑顔が載っています。が、しかし、何故か前歯がありません。この理由は、本を読むとわかります。皆さん、お楽しみに。

軌跡のりんごを生んだ夫婦
軌跡のりんごを生んだ夫婦
木村 秋則・美千子さん(青森県 弘前市)


Chez Iguchi(シェ・イグチ)さんHPよりリンク

■てら
「クライマーズ・ハイ」のDVDを観ました。 [2009年02月14日(Sat)]
久しぶりにDVDでも観ようとTSUTAYAへ行きました。ぶらぶらしながら棚を見ていると、目に飛び込んできたのが「クライマーズ・ハイ」

横田秀夫さんが上毛新聞記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故(1985年8月12日)をもとに、事故時の群馬県の架空の地元新聞社を舞台にした小説『クライマーズ・ハイ』を映画化したものです。監督は、原田眞人さん


クライマーズ・ハイ
命を追った、あの夏。クライマーズ・ハイ


日本航空123便墜落事故は鮮明に覚えています。1985年は長男が3月に生まれた年で、私は29歳でした。

1985年8月12日(月)、テレビの報道番組に釘付けとなっていました。何故、日航機に乗っている人と、ここでテレビを見ている人がいるのか、その運命の違いを感じながら、刻々と推移する悲惨な事故を追っていました。

翌日13日(火)、朝刊を読んでいて驚きました。当時所属していた三光汽船が負債総額1兆円という戦後最大規模で倒産したことが書かれていたのです。まさか、自分が所属している会社が倒産するとは思ってもいませんでした。

単独では世界最大の航空機事故と、戦後最大の倒産が重なった日でした。自分の中では、事故と倒産がオーバーラップして刻み込まれました。

「クライマーズ・ハイ」のDVDを手にして説明を読んだ瞬間、当時のことが蘇り思わず借りました。


DVDを観て、当時のことを違う面から再現しているかのように感じました。今でも親しくお付き合いさせていただいている友人が、当時会社の命令で遺体を収容していた体育館に詰めていたことが思い出され、内容がリアルに感じられました。

DVDでは、人間の熱意、いえ、熱意というか人生における使命そのものが伝わってきました。誰もが、自分に課せられてポジション、つまりお役を全うしようとしている一所懸命に胸が打たれました。

また、登場人物誰もが、自分の考えを持っていて、どれが正しいということも無いようにも感じました。
日航事故全権デスク・悠木和雄(俳優・堤真一)は、自分の役目を全うするにあたり悩みます。そして決断します。その決断は、周囲の思惑に惑わされるわけではなく「真実を社会に伝える」という、己の人生の使命に基づいていたのです。

正しいか間違っているかではなく、己の人生における使命を意識し、それにぶれることなく生きることができるかどうか、それが重要だと教えてくれたように感じました。

Wikipediaによると「クライマーズ・ハイとは、登山家の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態」とのことです。主人公悠木和雄は、極限の状態になっても、我を忘れることなく、己の人生における使命を果たしたのです。

「私にそれができるか?」、考えさせられました。

■てら
『クラウドの衝撃』城田真琴(野村総合研究所)著に感動 [2009年02月13日(Fri)]
『クラウドの衝撃――IT史上最大の創造的破壊が始まった』城田真琴(野村総合研究所)著を読みました。



いやー、凄いです。まるで、SF小説のようでした。でも、ここに書かれていることは、現実なのです。今、世界で動いている事実なのです。

コンピュータシステムはより使いやすくなって、人を幸せにする道具として進化していくことでしょう。その過程で、クラウドという形態をとることがよくわかりました。

興味深かった点を引用します。

・世界にコンピュータは5つあれば足りる。1つはグーグル、2つ目はマイクロソフト、そしてヤフー、アマゾン、イーベイ、セールスフォース・ドットコムだ。(サン・マイクロシステムズ CTO(最高技術責任者)グレッグ・パパドポラス氏が2006年11月に自身のブログに綴った言葉)

・インターネット上に雲のように浮かぶ巨大なコンピュータ群を必要に応じて利用できるコンピュータの形態が、クラウド・コンピューティングとなる。

・電力や水道などが、それぞれ、コンセントにプラグを差すだけ、蛇口をひねるだけで利用できるのと同じくらい容易にコンピュータ・リソースを利用できる。料金も電力、水道と同じように実際に利用した分だけを支払う。

・グーグルが保有するサーバが仮に100万台とした場合、・・・グーグルが保有するサーバの1日あたりの故障率を0.55%とすると、全世界で1日に故障するサーバ台数は5,500台にもなる・・・グーグルはシステム管理、ネットワーク、そして負荷分散に関する技術を、おそらくは検索アルゴリズムそのものよりも厳重に管理している。

・いち早くクラウドコンピューティングを開始したのはアマゾン。・・・ウォールストリートでは、アマゾンのクラウド・コンピューティング関連事業の売り上げは1億ドルに満たないと想定されている。・・・年間150億ドルの売上を誇るアマゾンであるが、年間で黒字化に成功したのはサービス開始から8年後の2003年である。

・オラクルデータベースなどをアマゾンEC2上でライセンスを提供できるサービスを提供する。
 (てらうち注:オラクルのDBを、クラウド・コンピューティングで使えようになると、CANPANも移行可能になるかも)

・端末には高速なプロセッサーも大容量のハードディスクも不要となり、これまで主役だった高性能なPCは主役から引きずり下ろされる。代わって主役の座につきそうなのは、「ULCPC(Ultra Low-Cost PC)あるいは「ネットブック」と呼ばれる超低価格PCだ。


クラウド・コンピューティングの技術は、決して特定の大企業だけが使う最先端技術ではないと思います。ベンチャーなど小さい企業こそ、スピーディに導入して事業に専念することが可能な仕組みだと思います。ツールを準備する力を、事業に傾注することができるからです。財団でも、2009年4月から 次期グループウェアとしてGoogle Apps Premier Editionを採用することが決定しました。

いよいよ、天野敦之さんがおっしゃる「会社とは人を幸せにする価値を創造し、その対価として利益を得ること。仕事とは、人を幸せにする価値を創造すること」が実現しやすくなっていきます。そして問われるのは、福島正伸先生がおっしゃる「夢しか実現しない」の「夢」だと思います。

CANPANは、世のため人のためにお役に立ちたい人と活動を応援します。

■てら
「ハンコック」のウィル・スミスと、シャーリーズ・セロンの相性の秘密とは?!「告発のとき」の映画をDVDで観て感動。 [2009年01月18日(Sun)]
「告白のとき」のDVDを観ました。2007年のアメリカ映画です。
子供を思う親の気持ち、そして、戦争に隠された暗部とそれに心を壊す若者たちが描かれていて胸がつまりました。子供はいくつになっても、イラクで戦う戦士になっても、親にとっては子供。自分の親の気持ちに思いを馳せてせつなくなり、そして子を持つ親としての自分を思い、恥ずかしくなりました。

告発のとき


主なキャストは、主演のトミー・リー・ジョーンズ、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドンの3人。皆、情念を感じさせる演技をしていました。
とくに、トミー・リー・ジョーンズは良かったです。「メン・イン・ブラック2(2002」「追跡者(1998)」「ボルケーノ(1997)」「メン・イン・ブラック(1997)」を覚えています。

彼は、1946年生まれの63歳。Yahoo!映画によると、

トミー・リー・ジョーンズ
トミー・リー・ジョーンズ

トミー・リー・ジョーンズ 大学はハーバードの英文学を専攻(ルーム・メイトはゴア元副大統領)。フットボールではアイビー・リーグの最優秀選手賞を受賞するという才能の持ち主。その一方では高校時代から演技に目覚めて、大学でも4年間演劇部に所属。卒業後はニューヨークに渡りブロードウェイの舞台に立つ。・・・


凄い人です。天は二物を与えないといいますが、彼にとっての才能は演じて人を感動させることだったのでしょうか。迷いもあったかもしれません。しかし、今まで演じ続けている人生は、やはり凄いと思いました。

そういえば、「告発のとき」のトミー・リー・ジョーンズの相方とでもいう地元警察の刑事は、シャーリーズ・セロン。「メン・イン・ブラック」のトミー・リー・ジョーンズの相方はウィル・スミス。
先週から全国で上映が始まった「ハンコック」は、主演ウィル・スミス、相方は、シャーリーズ・セロンです。
ハンコックの映画上映キャンペーンのTV放送をみたとき、ウィル・スミス、シャーリーズ・セロンの相性が良いように感じたのは、トミー・リー・ジョーンズのご縁だったか?などと妄想をふくらませました。

■てら
塩沼亮潤さま&村上和雄さまの対談記事「極限の中に生きて」(『致知・六月号』)を読んで号泣 [2007年05月04日(Fri)]
昨年12月から購読しはじめた月刊『致知(ちち)』6月号を読んで2回大泣きしてしまいました。今日は1回目について書きます。



一つ目は、特集記事「塩沼亮潤(しおぬま りょうじゅん)さま&村上和雄さまの対談記事『極限の中に生きて』」です。

塩沼亮潤さん  村上和雄先生

塩沼亮潤さん  村上和雄先生


人はここまで真剣に一心になれるのか!と感激しました。人間性を高めようとする凄まじいまでの崇高さに心が打たれ、感動が魂中に鳴り響いて止まらなかったのです。
頬を伝わる涙にかまわず一気に読みました。

自分で、「私は何をやっているのか、必死か!?」とおおいに反省しました。

塩沼さんは、現在仙台市・慈眼寺の住職さん。1968年生まれですから、今年39歳の若い方です。共著に『大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)』(春秋社刊)があります。

塩沼さんは、修行道の中でも最も過酷な行の一つであるといわれる吉野の千日回峰行に臨み、1988年から11年目に見事満行されたのです。吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目といいます。

塩沼さんと対談された方は、筑波大学名誉教授で、遺伝子工学で世界をリードする研究者のひとりの村上和雄先生。塩沼さんの心を、インタビューで引き出されていらっいます。村上先生は、遺伝子のあまりの凄さに「サムシング・グレートが創ったとしか考えられない」とおっしゃった世界的な科学者です。著書に『心の力』(致知出版社刊)があります。早速、『大峯千日回峰行』と併せてAmazonに注文しました。

では、千日回峰行とはどんな修行なのでしょう。

この荒行は、吉野の大峯山のふもとから、1日48キロメートルの山道を16時間で、登ってその日のうちに帰ってくることを千日行うのです。吉野では、登る期間は5月から9月の4か月間で120日と決められています。ですから、11年目に満行されました。

一日は、23時に起床。滝で体を清め、行者の参籠所(さんろうじょ)へ行き、小さなにぎりを2個。0時半から山へ。大峯山頂の行者がいる宿坊に着くのが8時半ごろ、おにぎりを食べ帰ってくるのが15時半ごろ。帰ってきて、泥だらけの装束を洗い、掃除をして日記をつけ就寝は19時ごろ。4時間半ほどの睡眠。

なんということでしょう。

毎年、行を始めて1か月ほどで爪がぼろぼろになるといいます。梅雨時には血尿が出たそうです。この極限を超えると、逆に体が軽くなったといいます。

その間、「後悔だけはしたくない」との思いで、一瞬一瞬を真剣にやりぬいたのです。

また、何か足をにつかまれ、ふと気がつく崖っぷちだったとか、イノシシが襲ってきたり、餓鬼に行く手を阻まれたりしたことがあったようですが、幻覚だったそうです。それが、4、500日頃から、如来さまや天女さまの幻覚が見えるようになったとおっしゃっています。

村上さんは、人間の遺伝子は95%は眠っているとおっしゃいます。その眠っている部分のスイッチが入るのは、楽しいこと、嬉しいことだけでなく、厳しいことでもスイッチが入るとおっしゃっています。

そして、塩沼さんは、極限の状態で嘆きの涙ではなく幸せの涙がでたお話をされました。

土砂降りの雨のなかで、疲労困憊のとき、おにぎりを食べていたら、雨で米粒が手から流れてしまう。一粒一粒をすするように食べていたとき涙がでてきた。「なんて自分は幸せなんだろう。この瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらって、なんて幸せなだろう」と思われたのです。

その後塩沼さんは、千日回峰行とセットになっている「四無行(しむぎょう)」を行っています。これは、9日間の断食・断水・不眠・不臥(ふが)。まわりの人は、死臭がしたと言っていたようです。この四無行も達成されました。この後も八千枚の大護摩供に挑戦し見事にやり遂げられています。

塩沼さんは、荒行を通じて得たメッセージをこのようにお話されています。


人間は雨を降らすこともできなければ、風を吹かせることもできない。与えられた環境の中で辛いこと、苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、それに共感しながら生きていくことが大切。

タンポポの種が山に落ちたり、アスファルトや水溜りに落ちる。人間もタンポポと同じで、自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精いっぱい花を咲かせることが人生。

与えられた環境の中で精いっぱい生かせていただく。そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、一日何事もなかったら「ありがとうございました」と」感謝して生きることが大切だと感じました。


ありがとうございました。
書いていて、また感動してしまいました。塩沼さん、村上先生を知ることができて幸せです。『致知』に感謝いたします。ありがとうございました。

■てら
 
太田空真さま新著『夫婦でありがとうといえる 幸せマネージメント』 [2007年04月27日(Fri)]
尊敬する太田空真さんの新著『夫婦でありがとうといえる 幸せマネージメント』が4月25日に配本されました。おめでとうございます!心よりお祝い申し上げます。
ありがたいことに、空真さんは、私たち夫婦を取材して本に掲載してくださいました。貴重な機会をいただき、ありがとうございました!心より感謝いたします。



空真さんは、(株)生活デザイン研究所の代表取締役社長、総合プロデューサー、8冊の本を出版された作家と、マルチな活躍をされていらっしゃいます。そして、僧侶でもいらっしゃいます。

私が空真さんと初めてお会いしたのは、今は解散してしまった(社)ソフト化経済センターが主催されたソフトノミクス・フォーラム2002(2002年12月6日)でした。
セミナー終了後の新橋での懇親会で、初めてお話したことを思い出します。

その後、何度となくお会いする機会がありました。そして、尊敬する久米さんのお薦めにより、2005年冬、空真さんがブログをCANPANで作ってくださいました。空真さんは、隣接著作権がご本人に帰属するところを評価してくださったのです。当時は、CANPANブログが開設して3か月ほど。空真さんから戴いた嬉しい評価に、おおいに勇気付けられました。

そして、2006年6月ごろでしょうか、空真さんから、「定年後のプランついて夫婦で語りあうための『チャート』を書いてみませんか?」と封筒に入った資料一式を戴きました。

一式には、空白の多い表が書かれたA4用紙が、15枚ぐらいあったでしょうか。なかなかの分量でした。

申し訳ないことに、戴いてからしばらく忘れていたころ、「空真さんが待っているようですよ」との声を耳にしました。「これはいかん」と妻と取り組んだのが7月ごろ。

当時のことを思い出してみます。

確か、チャートから書き始めたと思います。自分の過去ですから、記憶をたどって順番に書いていきました。すると、当時のことが頭によみがえってきたことを覚えています。
そして、「自分が変わるべきところ」 チャートなどに取り組みました。

「夫(妻)のここが好き」「夫(妻)のここがあまり好きでない」をお互いに見せ合っては、「え〜!」とムッとしたり、「だよね」と笑ったり。

難しかったのが、これから1年間、10年間の目標、予定表です。書き始めてから、時間も経っているので疲れもピーク。考えるというより、手が勝手に動いて思っていることを字にしたような感じでした。本音そのもののような気がします。

全てを書き終えるまで、気がつくと5〜6時間たっていました。夜の9時ころから始めて終わったら2時を回っていました。何回かに分けて書いてもよさそうなものなのに、どうも私たちは、集中するほうが合っているようです。夫婦二人で、一緒に考えながら昔を振返り、そして未来を語り合った貴重な時間でした。

これからの目標について書いていたときは、「こんなことできるの?」とおぼろげだったことも、字になって読み返すと、なんだか可能に思えてくるのが不思議でした。

後日、空真さんから数時間にわたるインタビューを受けました。


今こうして、私たちの思いが活字となり、立派な本に掲載されていて、「本当にいいの?」と恥ずかしいやら、嬉しいやら、複雑な気持ちです。

一方で、一冊の本が出版されるまでの道程の一部を体験させていただき、そして端で垣間見させていただき、出版にいたるまでの関係者皆さんの情熱の凄さを知ることができました。

この本は、空真さんの3年にわたる取材によって抽出された、夫婦の皆さんのお互いへの思いと未来への夢が詰まっています。

登場された皆さんは、今でも日本のどこかで、今までと変わらず、生活されていらっしゃることでしょう。でも、ひとつだけ違うところがありそうです。

私たち夫婦にとっては、これからしたいことを、文字にしたことです。何がしたい?と思っていることを、共有して意識したのです。

「ふたりで書きこむ幸せチャート」を書き終わってみると、夫婦がお互いをどう思っているのかが分かります。そして、これからの二人がどうやって生きていくと楽しいかを二人で共有することができました。

チャートを作る作業は大変でした。今思うと、当然かもしれません。これから数十年を生きるための道しるべを初めて考えたのですから。

空真さん、貴重な機会をありがとうございました。心より感謝いたします。

こんな私たち夫婦ですが、本をお読みいただき皆さんのご参考になればこれほど嬉しいことはありません。そして、本をきっかけに、ご縁が広がることを願っています。ありがとうございました。


P.S.

チャートを実際に作るワークショップが開催されます。私たち夫婦も参加します。ご興味のある方は是非ご参加ください。


夫婦でありがとういえる 幸せマネージメント  
「ふたりで書きこむ人生チャート」のワークショップ


主催 生活デザイン研究所
協賛 日本財団CANPAN運営事務局  

日時 2007年6月17日(日)
会場 日本財団・2F会議室
時間 10時半から15時まで

定員 夫婦35組+他30名  
参加費 1500円(昼食・資料代含む) 

お申し込みはメールで mail[@]sdl.ne.jp
([@]を半角の@に変えてお送りください)

夫婦でもおひとりでも参加できます。

ワークショップでは、
「ふたりで書きこむ人生チャート」に、ご夫婦で書きこみをします。  
多くの夫婦と一緒に書きこみをすることで、
また、アドバイスを受けながら、この作業をすることで
家庭で書くよりも効率的に、チャートが完成します。
午前中は、座学、午後は、チャートに挑戦する
時間割になっています。

なお、当日はお弁当が出ます。
昼食時間は他の夫婦との語らいの時間となっています。



夫婦でありがとういえる 幸せマネージメント「懇親会」

主催 地球探検隊
会場 未定
時間 16時から
定員 100名  
参加費 未定(4000〜5000円予定) 

「夫婦でありがとういえる 幸せマネージメント」の
出版に関連して、全国から集まった人たちと
懇親会を開きたいと思います。

それぞれの方のプレゼンテーションから
なつかしのツイストパーティまで
自由に楽しく、皆様と交流をしたいと
思っています。

会場・会費などは決定していませんが、
仮エントリーを受け付けています。

お申し込みはメールで mail[@]sdl.ne.jp
([@]を半角の@に変えてお送りください)

■てら
不都合な真実(An Incovenient Truth)に感動 [2007年02月11日(Sun)]
今日は、妻と映画『不都合な真実(An Incovenient Truth)』を観ました。



尊敬する久米信行さんが発行されているメルマガ『縁尋奇妙=異人種交歓「縁」メール』の2月8日号で、久米さんが涙したと書かれていらっしゃったのがとても印象的だったからです。

どこで上映しているのか公式サイトで調べたところ、思ったより映画館が少ないことに驚きました。運よく、1時間もかからないで行くことのできる、府中のトーホーシネマズで夕刻から上映していることを知り、早速出かけました。

観てみて、「今、地球の温暖化がこれほど進んでいることが、何故人々に伝わらないのか?」と単純に感じました。それとも、十分な情報があるにもかかわらず、人が目を背けているだけなのでしょうか。

私は、地球の温暖化の現実にただひたすら驚きました。

以前、ネットワーク『地球村』の高木義之さんの講演を聴いたときも、地球が汚染されていることに驚きました。そして、映画 『The Day After Tomorrow』を観て、描かれている未来に驚愕し、さらに、先日、『地球交響曲第四番』を観て、地球の愛おしさに気がついた私としては、今日観た映画が伝える現実は凄すぎると感じました。

このままいくと、事実が伝えるように地球の温暖化は、さまざまな天変地異をもたらすのでしょう。しかし、温暖化と因果関係が深い、CO2の排出を防ぐことによって、温暖化傾向を大幅に低めることができるというシミュレーションも提示されました。

可能なのです。

つい悲観的になってしまってもおかしくない内容でしたが、私は大いに元気付けられました。
アル・ゴア元アメリカ副大統領は、息子が交通事故で九死に一生を得たとき、守るべき命の大切さを痛感し、その命に素晴らしい地球を次世代に残すことが自分の使命だと語っていました。

彼は、一人の上院議員として1000回以上の講演を重ね、映画をプロデュースし、ひとりひとりの意識を変えようと、動いています。彼の必死な行動こそが、温暖化を防ぐ勇気となり元気を与える源だと思いました。こうすれば防げるという手法ではなく、防げるというメッセージを伝え続けるという行為が、温暖化を防ぐ行動を起こす大きな勇気になるのだろうと感じました。




『不都合な真実』ランダムハウス講談社の大型本の帯には次のように書いてあります。

  私たちが直面している気候の危機は、ときにはゆっく
  り起こっているに思えるかもしれない。
  しかし、実際にはものすごい速さで起っている。
  これほど明らかな警告が私たちの指導者たちの耳に
  届いていないように見受けられるのは、なぜなの
  だろうか?
  それを認めた瞬間に、道義的に行動をおこねばなら
  なくなるのを知っているがために、警告を無視する
  ほうが都合がよいから、というだけなのだろうか?
  そうなのかもしれない。
  しかし、だからといって不都合な真実が消え去るわけ
  ではない。
  放っておけば、ますます重大になるのである。
                     ───── アル・ゴア


■てら
 
「地球交響曲第四番」に感激。 [2007年01月28日(Sun)]
今日は、妻と一緒に「地球交響曲第四番」を渋谷の東京ウィメンズプラザで観てきました。こんな映画があったとは!もう感激の一言です。

上映に先立って、KNOB(ノブ)氏によるディジュリドゥの演奏がありました。
照明をすっかり落とした会場のステージに、笛の音と共に着物姿で現れたKNOB氏。ステージにはシロアリによって空洞となった2mほどの木筒。この木筒・ディジュリドゥに息を吹き込みながら奏でる音は、生まれて初めて聞く、風のうなりのような音色。そして肌で感じるのは、大地のうねりのような振動。

音が途切れません。説明によるとディジュリドゥの独特な奏法、循環呼吸(サーキュラーブリージング)によるようです。鼻から息を吸うときにも常に口から息を出す循環呼吸によって、音を途切らせずに続けることができるとのこと。そんなことできるのでしょうか、と思いつつ気分はすっかり自然、虚空、宇宙へといざなわれました。

映画は、地球そのものは生きていて、そこに熱いさまざまな命が活き活きと生きていることが胸に染み渡る感動ものでした。登場人物は4名。
生物物理学者のジェームズ・ラブロック氏、版画家の名嘉 睦稔(なか ぼくねん)氏、野生チンパンジー研究家のジェーン・グドール氏、プロサーファーのジェリー・ロペス氏。登場人物は、心から愛さずにはいられぬほど素敵な人でした。

今こうして生きていることに心から感謝する思いが満ちてくると共に、この地球をしっかり後世に残していかなければ、と思えてきました。

ところで、この映画はどのようにして制作されたのでしょう。疑問に思いましたのでネットで「地球交響曲」を調べてみました。公式ガイドに、このドキュメンタリー映画が伝えようとする魂が書いてありました。



かつて人が、花や樹や鳥たちと
本当に話ができた時代がありました。

その頃、人は、自分たちの命が
宇宙の大きな命の一部であることを誰もが知っていました。

太陽を敬い月を崇め風に問ね(たずね)火に祈り水に癒され
土と共に笑うことが本当にいきいきとできたのです。

ところが最近の科学技術のめまぐるしい進歩と共に
人は、いつの間にか「自分が地球の主人であり、自然は
自分たちのために利用するもの」と考えるようになってきました。

その頃から人は花や樹や鳥たちと話す言葉を
急速に忘れ始めたのです。

人はこのまま自然と語り合う言葉を
永遠に忘れてしまうのでしょうか。

それとも科学の進歩と調和しながら
もう一度、その言葉を思い出すことができるのでしょうか。


経緯を調べると以下の通りでした。

 ・1940年宝塚市生まれの龍村仁監督によるドキュメンタリー映画

  第一番:1992年に完成、公開
  第二番:1995年に完成、公開
  第三番:1997年に完成、公開
  第四番:2001年に完成、公開
  第五番:2004年に完成、公開
  第六番:2006年に完成、2007年4月公開予定

 ・今まで多い年は170万人もの観客が観ている。
 ・制作費は、個人は1万円、企業は一口50万円による寄付。
 ・寄付をされた方々は「共に奏でる仲間たち」として
  全員が記名でネットで紹介されている。四番五番六番
 ・上映は、自主上映によって全国で開催されている。

今回の上映は、TokyoPros.主宰の青樹洋文さんによって自主上映されました。開催に際して、青樹さんは、「地球交響曲を風力エネルギーで上映していきます」と熱く語られていました。

今、こうした動きが日本中で動いていることを肌で感じたひとときでした。

最後に今後の「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)上映予定をまとめてみます。是非ご覧になってはいかがでしょうか。お勧めです。

 第一番 1992年 
 第二番 1995年 第一番から第二番へ
 第三番 1997年 故星野道夫に捧ぐ
 第四番 2001年 21世紀に生まれ育つ子どもたちのために
 第五番 2004年 全ての存在は時空を超えて繋がっている
 第六番 2006年 全ての存在は響き合っている

■てら
 
『無二的人間・空外書道の世界』空外上人の記録映画DVDを見る [2007年01月08日(Mon)]
空外(くうがい)上人のドキュメンタリー映画・DVD『無二的人間・空外書道の世界』を見ました。



以前より、尊敬する人生の先輩から空外上人のお名前を聞いていました。昨年の暮れに京都旅行が決まったとき、ネットで空外上人のことを調べてみました。すると、尊敬する久米さんが空外上人のことをブログで書かれていらっしゃたのです。不思議なご縁を感じました。

経営者会報ブログ・久米繊維工業株式会社 『空外記念館で今岡昭雄さんに山本空外上人の素顔を教わる縁起』

私もすぐに、DVDと本をネットで注文しました。ネットに在庫数が出ていました。本は834冊、DVDは83冊(2007年1月8日)です。

・『空外の生涯と思想 KUGAI,THE GREAT BUDDHIST,PHILOSOPHER,AND ARTIST』 龍飛水著(A4 602頁 2003年8月刊行)
・空外上人の記録映画DVD 『無二的人間・空外書道の世界』



空外上人は、京都知恩寺で永眠されています。京都旅行の前に是非ともDVDを見たかったのですが、かないませんでした。

今日、ゆっくりDVDを見ました。DVDは、2時間くらいでしょうか。まるで今そこに生きていらっしゃるかのように、空外上人が語ってくださいます。

山本空外上人の略暦を簡単にまとめてみます。

 明治35年(1902年)広島県生まれ。旧制松山高校から東京帝国大学へ。ギリシャ哲学を専攻。卒業後は、広島文理科大学で教鞭をとる。昭和4年から、ヨーロッパに留学し、ハイデッカー、ヤスパース、フッサール、サルトル、ピカソなどと昵懇。
 原爆投下のとき広島で被爆し「生き地獄」を目前にする。教え子を亡くす。昭和二十年の秋に京都の智恩院で「得度(とくど)式」をする。その後、出雲の隆法寺(りゅうほうじ)の住職となる。その後請われて、愛媛大学教授、広島大学教授に復職し、合間を縫って、各地で念仏の指導をした。
 湯川秀樹博士も私淑し、現在は空外上人の隣で永眠されている。
 英語、ドイツ語、フランス語、古代ギリシャ語、ヘブライ語、中国語、梵語(サンスクリット)、パーリー語、などにも精通した語学の天才。
 書家としても著名。レーガン大統領が来日の際、空外上人の書を希望したという。
平成13年(2001年)保寿100歳にて遷化(永眠)。

空外上人の「無二的人間」については、『空外の生涯と思想』に語りとして記されていますので、抜粋して引用します。

 ・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・・〜・

■無二的

無二的の二というのは仏教用語で「能取」と「所取」のことで、簡単に言えば自分と相手。この双方が対立せず、自分も楽しいし相手を喜ぶという状態が、「無二的」です。自分勝手をせず相手を生かす。そうすれば自分にも満足のいく仕事ができるのです。

「弘法筆を選ばず」という言葉は、どんな悪い筆でも弘法大師は上手に書くと解釈されているが、それは誤り。筆と紙、紙と墨、墨とすずりにはすべて相性があり、それぞれを生かし合ってこそ真価が発揮される。「筆を選ばず」は逆に「生かす」という意味です。

法然上人の『選択(せんちゃく)集』には、ちゃんと「筆を選ぶ」となっている。選ぶ、は自由ということでもある。自由はもちろん自分勝手ではないし、選ぶには知恵も必要。つまり広い考えで相手のためを思い、そして自分を喜ぶ境地が説かれている。

人間は、自分なりの自分にしかできない仕事をすべきで、だれもがそうすれば、世の中の文化は目覚しいものになるに違いない。光としてその人の心を照らすものがあれば、その人の人生も開けてくるのではないでしょうか。

相手は、人間のときもあれば、国の場合もあり、物、道具、機械のときもあるが、その相手を生かしきっていくのは、自分の心の深さによるほかはない。そうして相手を生かし、自分の働きも実るのを「無二的」というのです

■言葉は心の声

「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ」と称えるのはなんだか口先だけのようですが、そうではない。人間で大事なのは心であり、言葉は心の生の声なのです。

■「おかげ」は阿弥陀さん

私たちは寝ていても自分の吸う空気を心配することはないし、心臓を自分の力で動かしているわけでもありません。みな「おかげ」によって空気も吸えるし、心臓も動くのですが、その「おかげ」のことを「阿弥陀」さんというのです。

その中身を、別の言葉で「自然」といってもいいし、あるいは「大自然」と言ってもいい。私たちは大自然とのつながりのなかで生かされているのです

私たちにしても生まれてくるまでに何十億年もかかっているのです。お父さんお母さんがおられないと、あなたは生まれてこない。そして、おじいさん、おばあさんがおられなければ、お父さんもお母さんも生まれてこられなかった。そういうふうに考えますと、何十億年もたっている。地球が回りだしてからでも四十六億年ですが、命のつながりはそれ以前までさかのぼれるのです。

しかも、途中で何か一つ欠けても、今の私たちは生きてはいなかった。いま生きられる「おかげ」にみんなつながっているのです。それを縁起というのですね。お釈迦さまがお悟りになったのは縁起です。

人のあるべき生き方を簡単に言えば「自分を大事にする」ということです。お金や地位のために自分をごまかしたりするのは社会のためにも感心しませんが、何よりも本人にとって意味がない。せっかく生まれてきて才能もあるのに、それを無駄にして人さまにも迷惑をかける。

本来、だれもが自分勝手なことをしないで相手を尊重し、損だ得だと腹を立てたり喧嘩などをせず、みんな助け合って楽しく日々を過ごす。

きょうはきょう、明日は明日で自分の力いっぱいの仕事ができる。つまり満点の生活が南無阿弥陀仏と命の杖をついていればできるのです。

まさに人生の秘訣は念仏にあり、と言えるでしょう。

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空外上人は、自らの思想を集大成した空外記念館を、島根県雲南市加茂町に1989年に建築されています。運営は、財団法人空外記念館。空外上人の思想と教えを永遠に伝えたいという、帰依者の皆さんの熱望で実現しました。

この記念館は素晴らしい建物です。千年もつように、鉄釘を1本も使わっていない木組みの木造。壁は土や漆喰で、屋根は世界で初めてチタン合金を使っているとのことです。

「心の荒廃が進んで、人間の主体性がますます失われがちな世相の中で、人々が自分なりの人生を全うする生き方を考えてもらうよすがとなれば幸いです」と空外上人は語っています。

機会を作って、空外記念館に是非行きたいと思います。そこで、自分を見つめなおしてみたい、そう思います。そのときは何を思っているのか、今から楽しみです。

素晴らしい空外上人に出会えることができた偉大なるご縁に、心から感謝いたします。ありがとうございます。南無阿弥陀仏。

■てら
 
松林光男さま『週2、3日働いて1000万円稼ぐコンサル起業術』ダイヤモンド社 [2006年11月18日(Sat)]


松林光男さま(著)『週2、3日働いて1000万円稼ぐコンサル起業術』ダイヤモンド社を読みました。

松林さんとは、7月30日の土井英司さんのセミナーでご一緒したのが最初でした。その後、松林さんの会社の方がブログ道場にいらっしゃたり、メールを何度か交換させていただいています。

7月のときは、シニア世代を応援する本を執筆中とおっしゃっていました。その本が、ついに11月3日に出版されました。

おめでとうございます!

土井英司さんが毎日出されているメルマガ『ビジネス・ブック・マラソン』を読んでいましたら、松林さんが出版された記事がありました。嬉しくなってお祝いのメールを松林さんにお送りしたところ、サイン入りの著書を贈ってくださったのです。とても、嬉しく思います。味わって読ませていただきました。

読んだ感想を一言でいいますと、「私も松林さんのように、自分の人生を楽しく生きるように、自分で創りたい」です。

題名からは、ベンチャービジネスを成功させるノウハウが書かれているような印象を受けましたが、実際は違いました。

前半は、どのように人生を生きるか、30歳代のころから、松林さんが実践されてきたことが綴られているのです。そして後半は、シニアコンサルタントとして、社会のお役に立つためのエッセンスが散りばめられています。

微力ながら日本財団の情報システム導入に全力を尽くした私としては、目の覚めるようなノウハウが詰まっていると感じました。

「たら・れば」を話しても仕方が無いのはわかっていますが、当時(1998年〜2001年ごろ)、この本に出会っていたら、手探りで進めていた業務改革や情報システム導入がどれほどスムースになったことか・・・そんなことを考えました。

それにしても、現場の経験に裏付けられた智恵が詰まっているこの本は、組織をさらにバージョンアップされようとしている30代の若手から、50代になって人生をさらに楽しく活き活きと生きたいと思われている方に、是非読んで欲しい本です。

松林さんの人生が詰まっている素晴らしいご本をありがとうございました!

印象深かったことを記します。



・長い間、サラリーマンを続けていると、知らず知らずのうちに「働くこと」=「組織に所属すること」と思い込み、条件の悪い再雇用や転職の誘いを当たり前のように受け入れてしまう。けれども、「脱サラリーマン」の道もあることを忘れてはいけない

・経営コンサルタントになるのに、若さや資格が必要だとは思わない。むしろシニア世代のほうが向いている職業ではないかと思う

・コンサルティング業界の人月単価の相場は、20代から30代の若手で300万円〜400万円、40代のチームリーダークラスで500万を超えることもある

・自分の人生の棚卸をして、日本一の得意技を見つけること。自社のテレビの品質管理なら日本一など、どんなにニッチな分野でもかまわない

・コンサルタントに向いていない人
 (1)体が丈夫でない人
 (2)地道な努力ができない人
 (3)得意技を持っていない人
 (4)人と会ったり、話をしたりするのが嫌いな人
 (5)自分に自信がない人

・Give & Take の基本は「自分から与えること」
 Give & Give & Give and Take

・信頼関係で結ばれた人脈は、100人か200人だが、その友人に100人、200人の信頼できる人脈があるとつながっていく

・顧客指向の本質を教える故伊丹十三監督の「スーパーの女」(1996年)を見るべし

・新しいことを始めようとするときは、古いものを一度壊す必要がある。「ありたい姿」を現実のものにするには、抵抗勢力に屈してはいけない。「ありたい姿」に向かってまい進するための旗振り役が必要

・提案書で必ず押さえておくべき7つの項目
 (1)プロジェクトの目的と当活動の目的
    最終目的と期間を区切った目的
 (2)活動の範囲
    業務(問題の限定)、事業(全体か特定か)、地域
 (3)活動の成果物
    業務診断書、プロジェクト企画書
 (4)活動の基本的な考え方
    ・仮説立案
    ・外部からみた診断を通して課題を提示
    ・解決策提案を提示
    ・プロジェクト目標を設定
    ・業務改革、情報システム改革コンセプトを企画
 (5)活動の進め方とスケジュール
    手をつける順番とスケジュール
 (6)活動体勢(案)と役割
 (7)プロジェクトの成功要因
    提案書と見積もり書は別々につくる

・コンサルティングを行う会社が上場企業の場合、個人(松林さん)として1万株以上を買うことにしている

・コンサルタントに限らず、企業がシニア世代に求めるのは、自らが若い人たちと一緒に動き、彼らの状況を把握し、足りない部分を補い、彼らが迷った場合には方向性を指摘してあげることが求められる



松林さんが創立された会社名は、「ワクコンサルティング株式会社」です。ワクは、「ワクワク」して楽しく仕事をしようという思いを込めて命名されたそうです。なんと素晴らしい心意気でしょう。

中村天風先生の「人生というものは、苦しみを忍ぶとか、辛さを忍ぶとか、そのような忍苦忍耐よりも、現在の自分の生きている命にできるだけ喜びを多く味あわせて生きることだ」という言葉を、松林さんの本を読んでいて思い出しました。

■てら
 
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