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蔵部(小布施)、ロッジ・アボリア(Avoriaz 菅平)、足立原玄・仏画美術館を訪問 [2009年05月04日(Mon)]
5月2日(土)、3日(日)と、1泊2日で妻と信州旅行に出かけました。

目的地は、蔵部(長野県小布施市)、ロッジ・アボリア(Avoriaz 菅平)、八ヶ岳美術館、足立原玄・仏画美術館。快晴の下、初めてのオープンカー・マツダユーノスロードスターをレンタルして爽快にドライブしてきました。



蔵部(くらぶ)、(株)桝一酒造場が経営するレストランです。尊敬する久米信行さんが小布施の素晴らしさを語っていたのを聞いて、いつかは行きたいと思っていました。蔵を改装した店内は趣があり、吹き抜ける風が一段と爽やかでした。
蔵部



ロッジ・アボリア(Avoriaz)は、27年前に新婚旅行で泊まった思い出の宿。ヨーロッパのロッジを思わせる落ち着いた内装のおしゃれなロッジです。いつか再訪したいと妻と話していました。
経営される橋本ご夫妻とは、27年間のお話を楽しむことができました。変わらぬ暖かいおもてなしに感激です。ありがとうございました。
ロッジ・アボリア(Avoriaz)



八ヶ岳美術館も27年前に訪れたところ。当時は、村野藤吾氏が設計されたことも知りませんでしたが、今回は建物そのものも、じっくり観賞することができました。
八ヶ岳美術館



2月に安達原玄さんにお会いしてすっかりファンになってしまった私たちは、玄さんの仏画が展示されている八ヶ岳にある美術館に行きたいと思っていました。今回の旅行は、玄さんの美術館に行くことが大きな切っ掛けでした。
安達原玄・仏画美術館は、八ヶ岳美術館から車で40分ほどのところ。大きな民家のような外見の建物に足を踏み入れるとびっくり。仏画の数々に圧倒されます。5m四方の曼荼羅は完成まで10年近くかかるとのこと。細い線一本一本に、安達原玄さんの思いが込められています。心が洗われ、とても豊かな気持ちになりました。
安達原玄・仏画美術館

2階には、13mほどの仏陀涅槃仏(ぶっだねはんぶつ)が寝ていらっしゃいます。聞くと、玄さんのご子息である文彦さんが、愛・地球博(2005年日本国際博覧会)で見染めて、いくつものハードルを乗り越えて、タジキスタン共和国に永久貸与していただいているとのこと。
発掘された涅槃仏は6世紀ごろ作られたもので、バーミヤンの石仏が破壊された現在、往時の精神のありさまを示す唯一の大型仏像とされています。
涅槃仏の「甘いお顔」に魅せられたと文彦さんはおっしゃいますが、確かに、仏様は玄さんの曼荼羅に囲まれて、この世とは思えぬ甘い空間を作っていらしゃいました。

「もう少し広いところで多くの方に見ていただきたい」そうおっしゃる玄さんは、「八ヶ岳まんだらミュージアム」を作るプロジェクトを進められています。2011年の完成を目指して、5億4千万円の寄付金を募集中です。多くの方が応援されていらっしゃいます。
八ヶ岳まんだらミュージアム

今回も足立原玄さん、文彦さんにお会いしお話を伺い、夢を実現しようとされる方の輝き・元気に触れることができました。人の素晴らしさに感動しました。ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

素晴らし出会いの数々に感謝です。ありがとうございました。

■てら
Posted by 寺内昇 at 03:23 | 5.旅行 | この記事のURL
猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝/第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その6〜 [2007年05月13日(Sun)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


午前中は御木曳行事に参加。午後は、折角ですので、タクシーを3時間チャーターして、猿田彦神社金剛證寺天の岩戸(恵利原の水穴)伊雑宮(いざわのみや)を参拝しました。

3時間まとめて契約すると、通常のメーターでの費用に比べてはるかにお安かったです。4名で行くなら、一人当たりはとってもリーズナブル。お勧めです。

金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を守る寺として神宮の奥の院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われたそうです。
濃密で柔らかい雰囲気が漂っていました。人も少なく、ゆっくり空気に浸ることができました。

伊雑宮は、御田植式が有名で、志摩地方第一の大祭とのこと。一般に「御神田(おみた)」といわれていて、国の重要無形民俗文化財です。
境内には、数々の大木が鎮座していました。木々が声をかけてきそうな感じさえしました。それにしても、神社の木々は素晴らしく存在感があります。「大木から力をいただいた」素直にいえる自分がいます。

その後、なかなか行くことのできないであろう天の岩戸を訪れ、そして40分ほど山道を歩いてところの風穴にも行くことができました。私は驚きました。股関節が痛いと階段ですらやっと登っていた妻が人工股関節の全置換術を受けたとはいえ、足場の悪い山道を一所懸命に歩いているのです。神聖な場所から力をもらったからでしょうか。以前には考えられなかったことです。それにしても、私は心底嬉しかったです。

今回は、妻と二人で企画して計画した旅。癒しと力と元気に満ち溢れていました。素晴らしい機会に心から感謝します。ありがとうございました。これからも全国の一の宮を訪れたいと思います。


 
 金剛證寺入り口の急な階段


 
 天の岩戸。こんこんと湧き出る泉の水は
 「環境省選定 名水百選」に選ばれています。
 柔らかくて美味しい水でした。


 
 天の岩戸から山道を登って訪れる風穴。
 風の音が聞こえる、そうです。


 
 伊雑宮境内の大木。神社境内の大きな木々は、触れると
 冷たくもなく暖かくもなく、落ち着く感じの肌触りです。


 
 帰りの新幹線から、地平線に落ちる夕陽を見ました。
 お疲れさんと言われているような、暖かな気持ちになりました。 


■てら
 
Posted by 寺内昇 at 21:08 | 5.旅行 | この記事のURL
御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝/第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その5〜 [2007年05月13日(Sun)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


今日(5月13日)は、いよいよ1300年も前から続いてきた御木曳行事に参加しました。何という幸せでしょう。古代より守り続けられてきた日本人の魂の行事に参加することができたのです。

それにしても、去年の12月に太田空真さん、中村隊長と京都旅行をしてから、いろいろなことが急に起り始めました。暮れには、伊勢神宮に参拝する機会を得て、朝5時に五十鈴川で禊をすることができました。さらに、今年の4月には奈良・飛鳥路を旅することもできたのです。

そして、今回の御木曳行事へ参加することができました。素晴らしいご縁をいただいています。ありがたいことです。心より感謝いたします。

朝、5時に起きて宿の近くの月夜見宮(つきよみのみや)と外宮に参拝しました。月夜見宮は、天照大御神の弟神の月夜見尊(つきよのみこと)の荒御魂を祀っています。女性に関わる強い神様とのこと。月の満ち欠けは出産や女性の周期に影響を与えていると言われています。

朝のお宮を御木曳の白装束で歩くと、霊気が肌から染み入ってくるような感じがしました。厳粛で、もったいなくて命を授かってよかったとさえ感じられるような時空だったのです。 人間の感覚は不思議です。このようなことは、今まで感じたことが無かったのですから。

御木曳きがある今日は、昨日の天気予報では雨。宿のおかみも「明日は雨みたいで、ひどくなれけばいいのにね」と話していました。私は「貴重品をビニール袋に入れてから布の財布に入れるようにしようと」妻に言ったところ、妻は「大丈夫。晴れるから! 雨だったら、って考えるから雨になるのよ」の一言。
結果は青天! 何でしょう。偶然か必然か・・・。。

得がたい経験をすることができたありがたい1日でした。今日のこの巡り合いに心から感謝です。



 
 早朝5時、宿から徒歩10分ほどにある
 別宮「月夜見宮(つきよのみや)」へ。木の鼓動を感じる。



 
 御木曳き開始前、説明を聞いていると胸が高まります。
 9時ごろに出発して、1時間ほど曳きます。


 
 御木曳き。約1200名の皆で「エンヤ!エンヤ!」と
 声を出し合いながら曳きます。


  
 約800mの距離を歩いて、外宮・北御門(きたみかど)へ到着。


 
 神宮の車は三台。車の絵符に書かれた「太一(たいち)」とは、
 「天に唯一の尊いもの」という意味とされています。
 (御遷宮対策事務局作成パンフレットより引用)

■てら
Posted by 寺内昇 at 21:08 | 5.旅行 | この記事のURL
京平荘(三重県伊勢市、堀京子社長)で夕食/第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その4〜 [2007年05月12日(Sat)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


今日(5月12日)は、早朝に東京から伊勢へ移動。二見興玉神社(ふたみおきたま神社)でお禊(みそぎ)をし、内宮・外宮を参拝。さらに、おかげ横丁を散策、と盛りだくさん。

夕食は、食品を作るときの衛生管理システムを推進する「NPO法人 日本HACCP協会(ハセップ)」理事長の栗田守敏さんからご紹介いただいた、伊勢の迎賓館と謳われる京平荘(きょうへいそう)でいただきました。



栗田守敏さんとは、4月1日に横浜のレストラン「Soul Ponte 驛(うまや)の食卓」で開催された、テノール歌手の於保郁夫(おほいくお)さんと奥様の田中光さん(ピアノ)のコンサート「於保郁夫(テノール)日本の心を唄う」を聞きに行ったときにご縁をいただきました。

コンサートが終了したとき、レストラン驛の食卓のオーナーでいらっしゃる栗田さんからお声をかけていただいたのです。「よかったら飲んでいきませんか?」。声をかけていただいたのは、ご一緒していた、尊敬する田中肇さんご夫妻と、私たち夫婦でした。

レストランで醸造している横浜ビールの「北鎌倉の恵み(特別限定醸造アルト) 」に舌鼓を打ちながら、お話を伺いました。栗田さんは日本で初めて病院の無菌ルームを設計した1級建築士、さらに日本で初めて地ビールプラントを作った凄い方。

いろいろ話題は展開して、於保先生の歌謡スクールに通っている田中さんと私による「田中肇、寺内昇のテノールのプライベートコンサート」の開催が決まったり(!)、式年遷宮の御木曳行事参加がテーマになりました。

そして、栗田さんが「伊勢なら、HACCP協会の中部支部長をしている堀京子さんが経営している京平荘に是非行くといいよ。よし、電話してあげよう。えっと、電話番号、登録してあったかな?」と話されたのです。

すると、そこへ突然電話がかかってきました。

なんと、堀京子さんからの電話だったのです! あまりのタイミングの良さに田中ご夫婦も私たちもビックリ! 栗田さんに聞くと、堀さんは、栗田さんに携帯で電話したことは初めてとのことでした。こんなこともあるのですね。もうその場で夕食の予約をお願いしました。

こんな驚きのご縁から、京平荘で夕食をいただくことになりました。どうも最近、驚くような偶然に出会います。ここまで偶然が重なると、全てが必然なのでしょうか。



堀京子さんは、明るくて元気一杯な素敵な方です。心を込めておもてなしする暖かさが京平荘中に満ちていました。味をお伝えすることができないのが残念ですが、素晴らしい夕食を写真でお伝えします。もっと上手に写真が撮れれば、もっと伝えることができるのですが、これが精一杯、残念。

素晴らしい夕食の機会をいただくことができたご縁に心から感謝いたします。ありがとうございました。

料亭旅館 京平荘

〒516-0012 三重県伊勢市通町511
TEL:0596-23-9188 FAX:0596-23-9919
URL: http://www.kyoheiso.com/

最後になりますが、お客様に配られている印刷物「独り言」をご紹介させていただきます。堀京子さんが書かれた随筆で、ご本人の掲載許可をいただきましたので、掲載させていただきます。堀さんのお人柄がにじみ出ていると思います。私には、京平荘は、堀さんの分身だと感じられました。

 
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「独り言」 堀京子

第二次世界大戦、陸軍病院の衛生兵だった父が娘に残したものとは

今年の1月末に医者からもう最後です、と言われて入院している実家の父に会いに行ったのですが、とても痩せて目だけが大きく感じられました。あぐら、をかいた事がなく、正座で常に腕を組み大変厳しい父だったのを覚えております。

昭和19年1月10日、父に召集礼状が来て、当時の満州である牡丹紅という所へ行き、「宝清陸軍病院」(参考文献及び資料『満州開拓史』満州開拓史刊行会)へ衛生兵として行ったそうです。

終戦でシベリアへ抑留され昭和24年9月に最後の引き上げ列車で日本に帰ってきたのですが、小さな頃から戦争の悲惨な状況は沢山聞かされてきました。私が覚えているのは、少ない治療薬で負傷者を診、少々の傷ではビクともしない父の姿です。

私が幼少の頃、歯(たぶん乳歯)がグラグラして痛いといえばその歯に糸を絡ませ「あっ!空に何かが飛んでいる」と、私の気を逸らしながら、一気に抜く。不思議と痛くなかったのです。そんな調子で何回か同じことをされてしまったのです。

又、有る時は転んで擦り傷が足に出来ようものなら、ズボンのポッケをひっくり返し、端にたまった綿埃を傷に被せるのです。子供心に汚い・・と思いながら泣いていた自分を思い出します。

こんな事もあります。御飯粒を茶碗に残したとき、頭を拳骨で思いっきり殴られて「米の有難みを分からない奴は御飯食べるな」と、今でも一粒も残しません。

痛いと簡単には言いません。我慢は限りなくします。食べ物は大事にします。

私が83歳になる入院中の父に、お土産の人形焼をあげたら5分の一位をやっと口に入れ「うん、美味いね、うん、うん」と言って大変嬉しそうに食べてくれました。病室を出るとき、遠い所に嫁に行った私ですからもう来れないと思い「一日でも多く長生きしてね、又来るからね」と声を掛けたら黙って顔だけ何回も頷いていましたが、病室を後にした自分の目に涙を隠せませんでした。

食の安全、安心、そして食育は衛生も含めていろんな意味も含んでいると、今更ながらではありますが新たな発見を感じている自分が居ました。

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■てら
Posted by 寺内昇 at 21:07 | 5.旅行 | この記事のURL
外宮・内宮参拝/第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その3〜 [2007年05月12日(Sat)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


浜参宮を終えて、13日の御木曳行事への備えも万全。そこで、伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)を参拝しました。

日本全国には、8万数千の神社があり、それらを統括する神社本庁が本宗とするのが伊勢神宮。この伊勢神宮の正式名称は「神宮」で、神宮は、125社の総称です。

神宮の中心となるのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮=皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る外宮=豊受大神宮(とようけたいじんぐう)。外宮からお参りするのが順番です。

外宮についたときは、午後3時近く。御木曳の法被(はっぴ)をきた団体の皆さん、そしてアジアからの団体さんや参拝の皆さんで混んでいました。そんなざわめきにもかかわらず、大木に囲まれた境内を歩いているうちに、どんどん体が浄化されていくように感じました。

とても、落ち着きを感じたのです。さらに、内宮で最後にお参りした「風日祈宮(かぜひのみのみや)」では、不思議な感覚を覚えました。

お参りを済ませたときはもう陽が傾き始めていました。今日は早朝から歩き続けで、妻もかなり疲れています。参拝を済ませて、五十鈴川の支流、島路川にかかっている風日祈宮橋を渡っていたときのことです。

疲れが全く無いことに気がつきました。もう二人してビックリ。こんなことがあるのでしょうか。すっかり元気になっていたのです。

天から、そして木々から力をいただき、精霊なる川から癒しをいただいたのでしょう。こんな感覚は初めてです。驚きつつ、素直に受け止め、ありがたい感謝の心で一杯になりました。

夫婦で内宮を参拝しない方がよい、と聞きました。でも、こうして元気にしていただき感謝の一言です。神宮は素晴らしい、日本人の心の故郷です。

全てのお宮では、「CANPANを通じて、世のため人のために仕事をする力を与えてください」と祈らせていただきました。


◆ 外宮(げくう)(豊受大神宮・とようけだいじんぐう)

地元の奉曳団 
 地元の奉曳団(ほうえいだん)による木遣り(きやり)。伊勢市内には
 77の奉曳団があるそうです。

外宮の御正宮入り口近くの大木 
  御正宮(ごしょうぐう)入り口近くの大木。鼓動が感じられます。

新御敷地 
新御敷地 
 2013年(平成24年)に大御神が遷御される
 神殿の建つ新御敷地(しんみしきち) 


◆ 内宮(ないくう)(皇大神宮・こうたいじんぐう)

内宮の御正宮 
 御正宮を、新御敷地から見ます。屋根から飛び出ている柱を
 鰹木(かつおぎ)といい、内宮では切り口が地面と平行です。
 ちなみに外宮は、地面と垂直になっています。

風日祈宮橋から見た島路川 
 風日祈宮にお参りするときに渡る風日祈宮橋から見た、
 五十鈴川の支流・島路川。
 橋を渡るときから、全身が洗われるような神々しさを感じました。

参集殿の前の池の鯉  
 参集殿の前の池の鯉。大木に見守られています。

御禊をさせていただいた五十鈴川 
 昨年の暮れに御禊をさせていただいた新橋ふもとの
 五十鈴川
にお参りしました。

「おかげ横丁」の猫の置物屋さん 
 「おかげ横丁」の猫の置物屋さん。よくぞ集めたものです。 

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  可愛い猫が笑顔で迎えてくれました。


■てら
Posted by 寺内昇 at 21:07 | 5.旅行 | この記事のURL
浜参宮・二見興玉神社を参拝/第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その2〜 [2007年05月12日(Sat)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


5月12日(土)に伊勢に到着。東京発08:30の新幹線で名古屋へ。10:30ごろ名古屋を発って、JR二見浦駅に着いたのが12:10頃。ゆっくり歩いて海に面した二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)へ浜参宮(はまさんぐう)をしにいきまました。事前に申し込んでいた13:00からお祓い(おはらい)にどうにか間に合いました。

御木曳行事に参加するためには、事前に禊(みそぎ)をする必要があるのです。御木曳は、5月13日の早朝から。今日は、禊です。地元に人に「二見興玉神社で禊をしていただいきました」と話すと「ああ、浜参宮してきたんですね」と言われました。

浜参宮って何でしょう。ネットを調べましたら、「■浜参宮だより:発行所 : 浜参宮観察隊事務局/三重県伊勢市二見町」というブログにたどり着いたのです。知りたかったことが書いてありました。感謝して引用させていただきます。

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神仏に参拝する時,水を浴びて身心を清めることを禊(みそぎ)や垢離(こり)と言います。古来より立石浜は伊勢神宮の禊場(垢離場)として人々の信仰を集めてきました。

神社の入り口には,ヒシャクがあり,口をすすぐための水場が見られますが,これは本来水を浴び,心身を清める禊が簡略化されたものです。

伊勢神宮に参拝する人や伊勢神宮の神事に参加する人は,まず二見浦の夫婦岩のあるこの立石浜で禊をするのが慣わしです。

この,事前に禊のために立石浜を訪れてお祓いを受けることを「浜参宮」と言います。

本来は実際に海水に浸かって禊をするのですが,現在では二見興玉神社に参拝し,興玉神石より採取した無垢鹽草(むくしおぐさ:アマモという海草)で身を清めるお祓いを受ける浜参宮が一般的です。

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二見興玉神社は、「みちひらき」の神、猿田彦大神(さるたひこおおみかみ)を主祭神としています。今回は御木曳きの禊のために神社に訪問したので、「夫婦岩(めおといわ)」を見ることができたのはとても幸運。今まで、写真でしか見たことがありませんでした。今回は、間近で見ることができたのですから。

御木曳行事参加者は、お祓いをしていただくときに法被(はっぴ)を着るようにいわれました。「伊勢」の文字が入った真っ白な法被をきて、お祓いを受けると、ピリッと身が絞まりました。

 
 素晴らしい富士山が見送ってくれました


 
 思ったより岸から近くにある「夫婦岩(めおといわ)」


 
 「道開きの神」猿田彦大神のお使いの「カエル」


 
 お昼は「伊勢うどん」。色は濃いですが、さっぱりした汁です。


 
 地ビール「伊勢乃國麦酒」もいただきました。



■てら
 
Posted by 寺内昇 at 13:25 | 5.旅行 | この記事のURL
第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)」 〜その1〜 [2007年05月12日(Sat)]
2007年5月12日(土)〜13日(日)、第62回神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)」「御木曳(おきひき)行事(第二次)」に参加するため、妻と伊勢へ旅行しました。


も く じ
 その1:第62回神宮式年遷宮」の「御木曳行事(第二次)に参加
 その2:浜参宮で二見興玉神社を参拝
 その3:外宮・内宮参拝
 その4:堀京子さんの京平荘で夕食
 その5:御木曳に参加、朝5時に月夜見宮と外宮に参拝
 その6:猿田彦神社・金剛證寺・天の岩戸・伊雑宮 を参拝


伊勢神宮を訪れたのは、私は昨年の暮れの参拝に続いて2回目、妻は初めてです。

神宮式年遷宮とは、国家の繁栄、国民の幸福を祈る神宮の年間千数百のおまつりの中で、最大のおまつりです。1300年にわたって20年毎に、新しい神殿、装束、神宝などを、同じ技法で全て新しく造り、大御神さまに新殿へお遷りいただくのです。
第62回遷宮は、平成25年(2013年)秋に行われます。あと、6年後です。

私は最初「遷宮、新しく神殿を造る」と聞いて、伊勢以外の違う場所に神宮を移すのかと思いました。実際は、隣接した場所に新しい神殿を作ります。一軒屋でいうと、2件分の敷地内の半分に家を建てて、空いている土地に、20年目に全く同じ家を建てるということです。そして、今までの家は壊して、廃材は全国の神社などで再利用するのです。

遷宮制度は、天武天皇の御発意によって、持統天皇4年(690年)に最初の遷宮が行われました。一時の中断(戦国時代)や延期などがありましたが現在にいたっています。

遷宮式典は8年間にわたって、約30のおまつりと行事が行われます。平成17年(2005年)に最初の行事、山口祭(やまぐちさい)が山口県で開催されました。今年は、御木曳行事(第二次)だけです。

何故、20年ごとなのでしょう。伊勢神宮式年遷宮広報本部が作成したパンフレット「日本の源郷 伊勢神宮」によると、「・・・定説はありませんが、・・・二十年というのは人生の一つの区切りとして考えれらるでしょう。また、技術を伝承するためにも合理的な年数とされていますし、・・・萱(かや)の屋根という素木造りの社殿の尊厳さを保つためにもふさわしいとされています。・・・この制度が定められたとき、すでに奈良の法隆寺が建てられていました。当時の技術で立派に永久的な社殿は造れたはずです。・・・いつでも新しく、いつまでも変わらぬ姿を求めて、二十年に一度造り替えることにより永遠をめざしたのです。・・・二十年に一度生まれ変わる発想、これは世界のどの国にも見られないのです」

素晴らしい考えです。永遠とは、物ではなく、人の心の中にこそあるものだということを教えてくれます。そして、新しく変化し続ける時代に、1300年前からの日本人の心を伝え続ける神宮は、日本人のDNAに刺激を与え、日本人であることを呼び覚まさせてくれると感じました。

今回は、6記事に分けて記念すべき御木曳行事参加と伊勢旅行について書きます。



◆第62回神宮式年遷宮御用材奉曳
御木曳行事参加 一日神領民募集


・日程(第二次)

2007年5月
 5日(土)、6日(日)、
 11日(金)、12日(土)、13日(日)、
 18日(金)、19日(土)、20日(日)、
 25日(金)、26日(土)、27日(日)、
2007年6月
 1日(金)、2日(土)、3日(日)

・申込先

三重県観光販売システムズ
 代表受付電話 052-589-2689
  受付: 平日 10時〜18時
       土曜日 10時〜17時
       日曜日・祝日は休み


 
御木曳行事参加 一日神領民募集・パンフレット


 
奉曳参加証 (奉曳参加費7,500円)


 
法被(はっぴ)、鉢巻 :参加費込み


 
白シャツ(鯉口):2000円、白ズボン(股引):2000円
、参宮財布:500円 

 
裏が白いゴム底で珍しい参宮たび:1500円


■てら

Posted by 寺内昇 at 13:25 | 5.旅行 | この記事のURL