塩沼亮潤さま&村上和雄さまの対談記事「極限の中に生きて」(『致知・六月号』)を読んで号泣 [2007年05月04日(Fri)]
昨年12月から購読しはじめた月刊『致知(ちち)』6月号を読んで2回大泣きしてしまいました。今日は1回目について書きます。
一つ目は、特集記事「塩沼亮潤(しおぬま りょうじゅん)さま&村上和雄さまの対談記事『極限の中に生きて』」です。 塩沼亮潤さん 村上和雄先生 人はここまで真剣に一心になれるのか!と感激しました。人間性を高めようとする凄まじいまでの崇高さに心が打たれ、感動が魂中に鳴り響いて止まらなかったのです。 頬を伝わる涙にかまわず一気に読みました。 自分で、「私は何をやっているのか、必死か!?」とおおいに反省しました。 塩沼さんは、現在仙台市・慈眼寺の住職さん。1968年生まれですから、今年39歳の若い方です。共著に『大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)』(春秋社刊)があります。 塩沼さんは、修行道の中でも最も過酷な行の一つであるといわれる吉野の千日回峰行に臨み、1988年から11年目に見事満行されたのです。吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目といいます。 塩沼さんと対談された方は、筑波大学名誉教授で、遺伝子工学で世界をリードする研究者のひとりの村上和雄先生。塩沼さんの心を、インタビューで引き出されていらっいます。村上先生は、遺伝子のあまりの凄さに「サムシング・グレートが創ったとしか考えられない」とおっしゃった世界的な科学者です。著書に『心の力』(致知出版社刊)があります。早速、『大峯千日回峰行』と併せてAmazonに注文しました。 では、千日回峰行とはどんな修行なのでしょう。 この荒行は、吉野の大峯山のふもとから、1日48キロメートルの山道を16時間で、登ってその日のうちに帰ってくることを千日行うのです。吉野では、登る期間は5月から9月の4か月間で120日と決められています。ですから、11年目に満行されました。 一日は、23時に起床。滝で体を清め、行者の参籠所(さんろうじょ)へ行き、小さなにぎりを2個。0時半から山へ。大峯山頂の行者がいる宿坊に着くのが8時半ごろ、おにぎりを食べ帰ってくるのが15時半ごろ。帰ってきて、泥だらけの装束を洗い、掃除をして日記をつけ就寝は19時ごろ。4時間半ほどの睡眠。 なんということでしょう。 毎年、行を始めて1か月ほどで爪がぼろぼろになるといいます。梅雨時には血尿が出たそうです。この極限を超えると、逆に体が軽くなったといいます。 その間、「後悔だけはしたくない」との思いで、一瞬一瞬を真剣にやりぬいたのです。 また、何か足をにつかまれ、ふと気がつく崖っぷちだったとか、イノシシが襲ってきたり、餓鬼に行く手を阻まれたりしたことがあったようですが、幻覚だったそうです。それが、4、500日頃から、如来さまや天女さまの幻覚が見えるようになったとおっしゃっています。 村上さんは、人間の遺伝子は95%は眠っているとおっしゃいます。その眠っている部分のスイッチが入るのは、楽しいこと、嬉しいことだけでなく、厳しいことでもスイッチが入るとおっしゃっています。 そして、塩沼さんは、極限の状態で嘆きの涙ではなく幸せの涙がでたお話をされました。 土砂降りの雨のなかで、疲労困憊のとき、おにぎりを食べていたら、雨で米粒が手から流れてしまう。一粒一粒をすするように食べていたとき涙がでてきた。「なんて自分は幸せなんだろう。この瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらって、なんて幸せなだろう」と思われたのです。 その後塩沼さんは、千日回峰行とセットになっている「四無行(しむぎょう)」を行っています。これは、9日間の断食・断水・不眠・不臥(ふが)。まわりの人は、死臭がしたと言っていたようです。この四無行も達成されました。この後も八千枚の大護摩供に挑戦し見事にやり遂げられています。 塩沼さんは、荒行を通じて得たメッセージをこのようにお話されています。 人間は雨を降らすこともできなければ、風を吹かせることもできない。与えられた環境の中で辛いこと、苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、それに共感しながら生きていくことが大切。 タンポポの種が山に落ちたり、アスファルトや水溜りに落ちる。人間もタンポポと同じで、自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精いっぱい花を咲かせることが人生。 与えられた環境の中で精いっぱい生かせていただく。そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、一日何事もなかったら「ありがとうございました」と」感謝して生きることが大切だと感じました。 ありがとうございました。 書いていて、また感動してしまいました。塩沼さん、村上先生を知ることができて幸せです。『致知』に感謝いたします。ありがとうございました。 ■てら |