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2019年07月31日

BS1スペシャル「ラストトーキョー」 “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町をみて

日曜日の夜のテレビ番組は、本当ならNHK大河ドラマを楽しみにしていたのですが、今回の「東京オリンピック物語 いだてん」は酷過ぎる。別に私一人が見ないせいでもないのですが、視聴率は第22回で6・7%(関西地区6・0%)と、大河ドラマ史上最低の数字を記録し、第23回も6・9%と2週続けて6%台を記録するなど低迷を続け、これで第6回から第28回まで23話連続で1桁の数字となっています。

sinjuku3.jpgかと言って、民放のお笑い芸人の「おふざけ・楽屋落ち」番組を見る気にもなりません。
新聞のTV欄をみると、9時からBS1で、NHK若手32才の女性ディレクター制作による、興味惹かれるタイトルの番組が2時間に渡って放送されるのを知って、見ることにしました。

タイトルからして、東京歌舞伎町のアンタッチャブルな部分に切り込むのかと思ったら違っていました。新宿生まれのディレクターと新宿で3つの雀荘を経営する実母が母娘関係を見つめ直すドキュメンタリーでした。

以下がNHKBS1のサイトで公表されている、ディレークターコメントです。

私は、新宿で麻雀店を経営してきた母に育てられた。
新宿といえば世界一の乗降客数を誇る街。
そんな激動の街で、母は45年、3店舗を一人で切り盛りしてきた。
でも私はその世界を知らない。母が私を、新宿・歌舞伎町から遠ざけたからだ。
そんな“たたき上げ”の母に対して、私はいわゆる“優等生”。
小中高遅刻なし、受験勉強に邁進し、安定した職にもついた。
これまで、全力で生きる母を見習うつもりで、与えられた環境で最大限の努力をしてきたつもりだった。
でもやはり、自分には“たたき上げ”で生きてきた母のような強さがないのではないか…
見るべきものを見ずに来てしまったのではないか…という物足りなさがずっとあった。
母のような、我が道を歩む人々に憧れがあった。
母はなぜ、私をこの街から遠ざけたのだろうか?
“近くて遠かった街”新宿・歌舞伎町へ潜入する旅は、
ひょんなことから自分と母の関係を見つめる旅にもなりました。!
(番組ディレクター 柚木映絵)



新宿、そして歌舞伎町近辺は、私の現業時代のスタート地点であり、バブル時代のほとんどを、この街で過ごしました。18歳で田舎から上京して初めて足を踏み入れた大都会が新宿でした。
新宿西口には、まだ淀橋浄水場が残っており、西口開発が始まろうとしていた頃です。
西口には、当時大フィバーしていた、ボーリング場が何軒かあり、何処も数時間待ちの盛況でした。
やがて、学生運動のさなか、私は日本を離れ、27歳で海外から戻ってき、中途入社した建設エンジニアリング会社の西東京担当事業所が新宿でした。
時は、バブルに向かっていました。
帰国して専門学校を出たと云っても、建設エンジニアリングの現場は右も左も分からないのに、直ぐに多摩方面の、大学建設や、八王子周辺の工場建設のサブ監督・責任者として放り込まれ、協力会社・下請けの職人さんに支えられ成長してきました。

sinjuku.jpgやがて私は、新宿を中心とする地域のオフイスビルの担当になりました。
超高層は一人では無理でも、一般的な12〜13階建てのビルは一人で、同時に複数現場担当するようになり、毎日頻繁に歌舞伎町・新大久保・三丁目近辺、明治通り以内までの現場を担当部署の責任者として歩き回っていました。

新宿は西側ではどんどんと超高層ビルが建てられて行き、ピークは東京都庁建設でした。
私が担当する新宿東口は大きなビルは少ないものの、毎月、毎日町の様子は変わって行きました。歌舞伎町の飲み屋街、ゴールデン街、花園神社は毎日、仕事で通る通勤路でした。
1990年、都庁竣工と同時にバブルは崩壊します。
やがて、私は一時休職し海外に出た後、復帰した時には新宿を離れ、新宿とは正反対の、日比谷・丸の内・内幸町エリアの部署となり、55才で退職するまで、新宿は同じ東京でも違う、何処かアジアの匂いが漂う街と変化していきました。

ディレクターの母親は71才、私と同じ世代です。
新宿で三軒の雀荘を経営しています。もしかすると一度は行ったことがあるかも知れません。
母親は、わが子にはいっさい歌舞伎町に足を踏み入れることを禁止し、子供の頃から家庭教師を何人もつけ、学歴の大切さを教え、日本の表社会の主流を歩くことを教えて行きます。
若者は時として、自分の歩んできた道を振り返った時、これで良いのかと思う時は必ずある。
しかし、それを全て手放した時、残るのは後悔だけである。決して安易な思いで捨ててはいけない。と、わが子に話すのですが、番組の終盤になり、それは自分のわが子への押し付けではなかったのでないかと自問自答していました。

今回のBS1スペシャルは、過去に沢山見た民放の若いディレクターが一人、自主製作的に自分の家族にカメラを向けたドキュメンタリーと同じようなもの、と想像していました。
32才の若い女性がどのようなカメラワーク・切り口・映像作成をするのかと、アマチュアながら、映像に関わるものとして興味を持ってみましたが、全く違っていました。
ディレクター本人が家族を撮っている部分はごく少なく、NHKらしく、彼女の後ろ側には大勢のNHKスタッフがいるのを感じられました。
映像もかなり凝っていて、編集にはかなり多くのエキスパートが関わっているのが看取れました。やはり、NHKは違う。金をかけている。
そりゃそうでしょう、国民の財産である公共電波を使い、高額な給与を貰っているNHKが、高校生の自主製作・素人の家族ドキュメンタリーなんか、放映できるハズもないものね。

「NHKから国民を守る会」がでてくるのも、ちょっと納得の番組でした。


posted by 西沢 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年07月28日

涙ボロボロと泣ける本「永遠のゼロ」と映画「アルキメデスの大戦」

昔、現役時代は自宅から一時間の横須賀線の通勤電車は、6時台後半にも関わらず、座れることは有りませんでした。
それでも、他の乗客の邪魔にならない、何時もの場所を確保することは出来、毎日通勤では文庫本を読んでいました。
その頃、評判になっていた浅田次郎の短編集「ぽっぽや(鉄道員)」のなかの「ラブレター」を読んでいて、不覚にも涙ボロボロ、止まりませんでした。

zero1.jpgストーリーは、元大企業サラリーマンの主人公は不祥事で責任をとり、新宿のヤクザに世話になっていました。
ある日、地元の刑事から「お前のカミサンが死んだから始末をつけろ」と云われ何のことか、初めは気が付きませんでしたが、以前頼まれて、戸籍を貸したことがありました。
見知らぬ中国人女性と戸籍上では結婚していたのです。
話の筋だけ言えば、吾郎は千葉の片田舎で売春婦として働いていた今まで会ったこともない戸籍上の妻の中国人女性の遺体を引き取って、お骨を彼の田舎、北海道の海沿いの寒村にある吾郎の家のお墓に入れることを決心するまでを描いています。

亡くなった千葉房総の地を訪ねると、その戸籍上の妻の中国人女性がか、書き残した吾郎に対する、感謝の言葉がたどたどしい日本語でつづられていました。
身よりもない日本で、毎日客を取らされ身体を壊し、衰弱していく身で、見ず知らずの私に戸籍を与えてくれ、妻にしてくれた吾郎さんに、切実と感謝の言葉と、写真でしか知らない吾郎を慕うことばが書かれているのです。
地元やくざからみれば、ただ単なる外国人売春婦の死、さっさ片付けてくれれば良いだけの話、なのですが、吾郎はその手紙を見て、生まれてこのかた誰にも感謝されたことがない自分に、飾る言葉などない素朴な言葉で感謝を伝え、あえなく死んでしまった戸籍上だけでも妻だった彼女に憐れみだけではない、ともすれば愛情のような感情を覚え、彼女のあまりにも切ない人生に慟哭してしまうのです。
この文庫本を通勤電車のドア近くのスペースで読んでいて、廻りの乗客の目を気にしながら涙が止まりませんでした。

あれから、もう30年以上経ったでしょうか、文庫本の文字が小さく、老眼が進み、なかなか本を読む機会は減っています。
つい最近、仕事現場のNPOセンターで、ボランティア資金を集める中古本ブックフェアーがあり、なにもない温泉旅館で、簡単に読める本を探していた時で、厚い文庫本「永遠のゼロ」が50円で売られていたのを手にしました。
作家はかなり右寄り思想の「百田尚樹」、「永遠のゼロ」は、映画で見て内容は知っていました。大戦末期の特攻を描いた、戦記もの、と云う認識でした。
旅行中の新幹線のなか、移動のバスのなかで読んでも、内容は既に知っている第二次大戦中の航空隊の戦記で、半分斜め読みして飛ばすような内容でした。

zero2.jpgストーリーは、終戦8月15日近く、「絶対に死なない、必ず妻と子供の元に帰る」と日ごろ語っていた、特攻隊指揮官「宮部久蔵」の孫が、自分の家族史を調べていくうちに、世に言われている「神風特攻隊」について、知っていく話です。
本が終わり近くなるまで、戦史ものとして捉えており、泣ける話は全くなかったのが、最後はカミサンのいない場所でボロボロ泣きに変わりました。
「宮部久蔵」は、数多くの若者を特攻戦士にする教師係だった、そして、陰で死ぬなと云い続けた。しかし、8月15日直前、遂にそんな教育係まで、特攻せざるを得ない状況に追い込まれ、一緒に出撃することになる。
「宮部久蔵」に割り当てられた航空機は、ベテランの飛行士が乗るとエンジンの不調を感知する、彼は、その航空機を部下の青年「大石」の乗る飛行機と交換する。
そして、「宮部久蔵」は散っていく。大石の乗った飛行機は、エンジントラブルを起こし、途中の島に不時着する、そして座席に残された教官「宮部久蔵」のメモ書きを発見する。

「もし、君が生き残ったら、私の妻と子供が困窮していたら影ながら助けてやって欲しい」と書かれていたのです。
ここらあたりから、エンディングに向かって、もう涙が止まりません。
ネタばらしになるので、これ以上は書きません。映画よりも実際の本を読んでください。

「永遠のゼロ」と「アルキメデスの大戦」への繋がり
zero3.jpg
「アルキメデスの大戦」の監督は山崎貴、 「永遠のゼロ」を撮った監督です。
「アルキメデスの大戦」のオープニングファーストシーンは戦艦大和の轟沈シーンです。
「永遠のゼロ」と「アルキメデスの大戦」に共通するテーマは、戦前の職業軍人・軍人官僚・軍隊・階級と云う組織です。
一般兵士・民間人とかけ離れた考え方が生み出す、戦争というものを痛烈に批判しています。
「アルキメデスの大戦」では、天才数学者青年が、数字を使って、今建造されようとしている、巨大戦艦の建造を阻止しようとするお話です。
論理的・数学的に海軍の大鑑巨砲主義理論を打ち破るのですが、結果的に戦艦「大和」は造られ、特攻として鹿児島沖に沈んでいくのです。
なぜ、「戦艦大和」は造られ、何故特攻として沈んだのか、映画のラストで明かされます。
でも、「アルキメデスの大戦」では泣けるシーンは全くありませんでした。

還暦を過ぎた頃から、涙腺がかなり緩くなっているのを実感しています。
昔、子供の頃、祖母と一緒にテレビの学園ドラマを見ていて、祖母が泣いていました。
エー、こんな決まりきったべたべたのスポーツ少年の話の何処が泣けるの?と不思議だったのを鮮明に覚えています。
泣くのは、精神的に良いと云われていますが・・・なかなか最近、泣ける本、泣ける映画がないな。
posted by 西沢 at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年07月26日

湯治を兼ねて万座の温泉三昧と、思い出の結婚式の地軽井沢

01.jpg旅行会社からのダイレクトメールは日増しに厚く、重く、毎週のように届きます。
恐らく、私たちと同じリタイヤシニア夫婦のご家庭も同じなのでしょう。
づっと前から「万座温泉」の格安プランリフレットを目にしていましたが、食指は伸びませんでした。

万座プリンスに二泊三日、一番安い梅雨時では、二人で五万円ほどです。
・東京と最寄新幹線駅の軽井沢 往復
・軽井沢と万座ホテル シャトルバス 往復
・夕食二回 和・洋・中・ブッフェ選択 朝食二回ブッフェ
・ラウンジケーキセット 一回
と、かように、個人レベル旅行と比較すると、一人一万円ほど安い設定です。
でもこれまで行きませんでした。

02.jpg一番大きな理由は、万座温泉は現在、白根火山の噴火による交通路制限下にあり、万座温泉を拠点にしての周辺観光は、足がないとほとんど動けず、二日間、どんづまりの万座で過ごすしかないのです。
車がある方は、遠く志賀高原や渋峠、遠くは長野まで日帰り往復はできるのですが、足のない私たちのようなシニア個人旅行者は、一日万座のお風呂に浸っているしかない、条件の地なのです。だから、子供たちの夏休み前、梅雨真っ只中の6月〜7月末までは、万座は安いのです。
※万座と草津は直ぐ近くですが、現在2019・7この道路は閉鎖されて使えません。

04.jpg万座は私が生まれ育った長野市の中学校1年生の夏の一泊林間学校の地で、良く覚えています。
昭和35年、万座温泉の老舗日進館の木製プールのような巨大の露天風呂に入り、その頃ちょうど子供から大人の体に変化する思春期で、同級生と下半身を比べっこしたのを覚えていますし、同級生のマドンナ的同級生の私服姿にときめいていました。

日本全国、長雨の時期、どんづまり、動けないのを承知で7月の旅行を万座にしました。
理由は
・湯治です。先月の帯状疱疹の大きな原因か゜、過労とストレスでした。
 今までのように、大きな都市を拠点として、3日間周辺を毎日歩き回る観光旅行から、齢相応の
 ゆっくりと、乳白色の露天風呂に浸かり、のんびりと本でも読む旅でもしようと考えました。
・万座へのシャトルバスが出る軽井沢へは新幹線で東京から1時間と近い
 今回の新幹線は行きも、帰りもある程度時間帯を指定でき、往路・復路とも軽井沢で3.5時とれるので41年前、二人だけで結婚式をあげた、星野の教会を再び訪れてみよう、と云う思いがありました。

03.jpg万座プリンスホテルは、沢山のシニアグループでいっぱいでした。
中華系の団体客も3グループほどみかけました。
ホテルの仕様は、プリンスとは名ばかりの、冬のスキー客用のホテルです。
ロビーは貧弱で、暇な時間、ゆっくりと本を読んで過ごすスペースは皆無です。
客室は私たちが泊まる目安の21平米は届かなく、都市型ビジネス仕様で17平米と狭く、設備も古く
この地のリゾートホテル客室とは思えないレベルと云って良いでしょう。

※一度、星のやグループの宿に泊まると、このような宿泊客がホテルで過ごす場所がないのが気にかかります。

それでも、やはり万座温泉、標高1,800mの露天風呂は、時々の小雨模様ですが、十分に楽しめました。そして、プリンスの姉妹館、直ぐしたにある「万座高原ホテル」の露天風呂も自由につかえました。3日間小雨模様と云うネツトの天気予報でしたが、外出できないほどの雨ではなく、時々青空が見えました。

06.jpg万座には温泉街はなく、周辺観光は登別温泉と同じような湯畑・地獄谷を廻る、周遊ハイキングコースだけです。車のない私たちは、この周遊コースを歩き、昔中学校の時に泊まった「日進館」で時間をつぶしたりプリンスの裏にある名前は何の情緒もない「牛池」、実際に行って見ると綺麗な湿地帯にある美しい池の周りの散歩で2日間を過ごしました。

カミサンの感想は、「次回はもういいわ」でした。

41年前の思い出の地を訪ねる
08.jpg1978年、私29才、カミサン26才は二人だけの式を挙げる為に、中軽井沢の駅に降り立ちました。
その当時、本当に小さな駅だったのが、今では、星野エリア観光の最寄り駅として、大勢の若い観光客、外国人の姿が多い駅と変貌していました。

ちいさな軽井沢の木造の温泉宿だった星野温泉旅館は、名前をブレストンコートと名を替え、新たに星野リゾートbeb5が今年春開業し、若者たちのあこがれの地となっていました。
私たちが式を挙げたた教会は、移設して残っており、訪ねると「おかえりなさい」と迎えてくれました。
41年前のあの頃、私たちと同世代でこの高原教会で式をあげた方は結構いたようで、同じ青春を過ごした仲間として親近感が湧く思いがしました。

09.jpg今では、この教会よりも、その奥にある「石の教会」で式をあげるカップルが増えているそうです。
確かに、このネット時代、インスト映えするは、この内村鑑三記念堂「石の教会」の挙式は、中国の若者の間では大人気
です。もしこの記事を読んで、軽井沢観光のさいに行ってみようと思う方は、挙式がある日は、周辺にも立ち入りできません
ので、事前にネットで調べてから行くことをお勧めします。
https://www.stonechurch.jp サイト内フッターに見学予定と云うメニューがあり、挙式のない日カレンダーが表示されます。

07.jpgここを出ると、もうひとつ星野エリアのおしゃれスポットハレニレテラスがあります。
園内を流れる清流沿いに、おしゃれなカフェ・ショップが並ぶエリアです。
数年前まえまでは、軽井沢南口から無料の送迎シャトルがあったのですが、現在は北口から路線バス460円で行くしかありません。少し健脚な方は、しなの鉄道中軽井沢駅から一本道、1.35km徒歩18分です。

10.jpgもう何回、軽井沢に来たことでしょう。
子供の頃は地元長野市から軽井沢へは、大旅行でした。
今では、東京駅から新幹線で1時間かからない距離なのです。
しかし、新幹線ができて在来線が「しなの鉄道」に代ってから、長野から在来線で軽井沢へは1時間28分・1.640円もかかるのです。
ちなみに新幹線だと32分3,880円もするのです。

新幹線は誰の為にあるのか?考えてしまいます。
posted by 西沢 at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年07月24日

参議院選 若者の支持政党が自民党? そんな馬鹿な

参議院選の結果、若者が自分たちの将来を壊しています。 #若者よ、選挙に行くな?
今回の参議院選の投票率の低さや、議席配分の変化のなさは、予測されていました。
それは、長期保守政権に対抗する革新勢力の不甲斐なさ、魅力のなさ、政策ビジョンのなさが原因で反保守、長期保守勢力の政権を望まない人でも、その投票の受け入れ入れ先がなかったからでしょう。
選挙前に、若者有権者向けの動画が人気になりました。


ご覧のように、私たち同じ高齢者シニアが若者有権者に向けて、メッセージを語るものです。
「貴方たち、選挙なんて行かなくてもいいのよ」
「どうせ、何にも変わらないわよ」
「そのぶん、私たちシニアが助かるわ」
と、語りかけるものです。
もちろん、これは、若に政治的関心を持つてもらい為の自虐的パロディなのですが。

翌日の朝日新聞紙上に今回の選挙で、無党派層の年齢別投票グラフが掲載されていました。
うそだろう、若年層が保守政党に投票し、シニア高齢者層が、革新政党に投票しているなんて。
私たち団塊世代、昭和22年から24年生まれの子供の頃は、街中でしばしばデモをみました。
労働争議・ストライキは日常茶飯事でした。
社会的構図としては、若者は現社会構造に不満をいだき、選挙では、革新系の政党に一票を投じる。それが若者の意思であり、年齢が上がるに従い人間は保守化する、自分の廻りの変化をおそれ、守るために、保守系政党に投じる・・・ずっとそれが日本人だと思っていました。



しかし、このグラフ・・・確かに「無党派層」は比例区でどのと政党に・・となると
若い世代ほど保守系政党に投じ、年齢が高くなるほど、革新系政党を支持していることになります。私たち昭和世代と全く逆の傾向は何故でるのか?

保守政党に投じた若者よ
「今の貧富の差、社会格差・階級格差を生んだのは保守党なんだよ」
「一度会社を退職したら、一生低賃金の派遣でしか生きていけないんだよ」
「老後の社会保障は、自己責任で貯めろって言っている政権なんだよ」
「将来、男性の3人に一人は一生独身だと予測されている未来が待っている国なんだよ」
「いつか君たちは徴兵されて、海外で戦争するかもしれない国なんだよ」

確かに、現保守党に代わり・対抗できる革新政党はないけれども、一党長期政権は必ず腐り、崩壊するのは、世界史を見ても知ってのとうり。

若者よ、君たちがやらねば誰がやる。
団塊世代、バブル勝ち逃げ、少子化の原因でもあるDINK(ダブル・インカム・ノー・キッズ)の古稀手前のシニア連中に反撃の狼煙の次の衆議院選で上げてくれたまえ。

posted by 西沢 at 07:30| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年07月21日

脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人

以前から本書の著者「水谷竹秀」氏の本を読んでいます。
filipin1.jpg著者はマニラの「日刊まにら新聞」に籍を置き、これまで11年間、フィリピンで暮らす多くの日本人を取材してきたノンフィクションライターです。
これまでに
「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる困窮邦人」
「だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人 」
など、海外に暮らす日本人を取材した著書が話題を呼んできました。
今回の「脱出老人」は著者の一連取材と同系列のものですが、対象の日本人は、これまでの、ヤクザ・犯罪者や、日本の社会に馴染めずに海外に出た若者と違い、日本の年金生活弱者の定年退職者、介護が必要な家族のお話です。

第一章 寂しさからの脱出
第二章 借金からの脱出
第三章 閉塞感からの脱出
第四章 北国からの脱出
第五章 ゴミ屋敷からの脱出
第六章 介護疲れからの脱出

いずれも、現代の日本人退職シニアが多少なりとも抱えている問題からの脱出がテーマで、本書に登場する方々は、主に家庭的な理由、経済的な理由により、この問題の解決方法を海外にフィリピンに求めたケースです。

プロローグは東京ビッグサイトから始まります。

ロングステイ財団主催の「ロングステイ2012」入口に並ぶ長蛇の高齢者の行列を目にし、本当にこの人達は皆、海外移住を考えているのだろうかと著者は唖然とします。
各ブースには、
「癒しを求めて」
「極上のセカンドライフを楽しむ」
「ゆったりと海外生活」 といった謳い文句が目に飛び込んでくる。
来場者の表情も概ね穏やかで、これから始まる第二の人生にいささかの期待抱いているようにみえる。
「フィリピンは英語も通じるし、同じ10万円でも豊かな生活が出来る」
「フィリピンってみんな親を大事にするでしょ、そんな国なら介護も安心できそう」
「セブ島は気候も良いし、海が綺麗で治安も問題なさそう、それに生活費がやすそう」

来場者からはこんな言葉が聞こえ、海外で生活することへの期待、日本で老後を送ることへの不安の気持ちが交差してしていた。
日本で高齢者の海外移住やロングステイを扱った書籍が既に数多く出版されているのは知っている。だがその多くは、各ブースのキャッチコピー反映した「塗り絵」のような内容だった。
このロングステイフェアにつめかける大勢の高齢者の姿を見て、「本当に移住して大丈夫なのか」と云う違和感を拭い去ることが出来なかった。



私は、実はフィリピンに行ったことはありません。
あれだけ、現役時代世界各国、それもアジア・中南米の奥地を旅していても、近場・簡単なフィリピンに行ったことはありません。
昔、一度だけ、現場関係の竣工打ち上げでマニラ旅行が企画され出発直前に、例のアキノ暗殺を発端とした市民革命が起きて、キャンセルして以来ら、一度もこの国に足を踏み入れたことはありません。

理由は、日本人が個人旅行する国として危険すぎるからです。
パック・団体旅行でしたらOKです。何かしら安全ネットやら、頼るべき場所が確保されているからですが、全くの個人旅行となると、全てが本人の責任になります。
フィリピンは、警察・入管職員・弁護士・裁判官・刑務所まで、99%お金次第で動く、典型的なラテン社会なのです。
マスコミのニュースで、出国時に自分のスーツケースの中から知らない、白い粉が発見んされたとか、街角の警察官から不当に逮捕されたとか、そんな話はゴマンとあります。
言葉の解らない、金持ち旅行者は、泣き寝入りして、金を払って釈放を願うしかない国なのです。正義を貫いてもダメです。裁判官も簡単に買収される国なのです。
私は、昔暮らした南米ラテン社会でこのような目にあった日本人を、それこそ10本の指でも数えきれないほど知っています。

早期退職して、団塊世代の海外ロングステイをテーマにしたwebサイトを立ち上げた時、一度は行かなくてはと思った矢先、退職者の無知に付け込んだ「セブ島 ロングステイ詐欺事件」が報じられ、フィリピンは除外されました。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/index.html#11

filipin2.jpg各章では、様々な理由から、日本を脱出してきた日本人を取材した、生々しい記事が掲載されています。私はこの本で一番衝撃をうけたのが、第六章の介護疲れからの脱出でした。
2003年早期退職した当時、ロングステイブームの到来し、2008年の団塊世代の一斉退職でピークを迎えていました。
当時、それまでの比較的裕福なサラリーマンの老後の一次的な生活の場として、ハワイをはじめ
とする、美しい西欧文化の国々、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドが持てはやされていたのが、この頃から、「夫婦ふたりの国民年金でも豊かに暮らせる」と云う謳い文句で、アジアの国々が人気になりフィリピンもその国のひとつ、としてもてはやされていたのです。

しかし、時代はそんなアジア諸国の経済成長で物価は上昇し、バブル以降に退職する日本人の年金は円安傾向のなか、とても昔の夢のような暮らしは幻と気が付くようになり、経済的な問題で、海外ロングステイする人は、激減しています。
しかし、この本で書かれている理由で、今でも老後を海外に住もうと考える人々がいます。
「介護移住」です。
日本の少子・高齢化で、今後高齢者が介護が必要になった場合の不安は、かなり裕福な高齢者でも抱えています。そこに、日本政府は、多くの介護現場で外国人労働者の受け入れを政策として決めました。

いつも登場するのが、フィリピンの女性です。
フィリピンは、家族、ファミリー、身内、高齢者を大切にする文化があると云われており、この人達に注目が集まっています。
そんなお国柄もああって、フィリピンに次々に日本人を対象として、老人介護施設が誕生しました。今まで、フィリピンには、老人ホームと云う存在は皆無でした。
理由は、その必要がなかったからです。
家族が一緒に親・親族を介護し、看取るのが当たり前の常識だからです。

この本で衝撃的な事実を知りました。
次々に建設された、日本人向け高齢者ホームはほぼ全て、経営難で現在閉鎖されている、とのことです。
理由は、日本人経営者と現地共同経営者との間の意識の違い・・・と書かれていますが、本音のところは、日本人経営者がうまく、嵌められた、のではないか・・・と
日本人経営者側も、もっと大勢の日本人が来ると試算していたようです。

それでも、現在はこのような法人高齢者施設ではなく、個人がフィリピンの優しい女性を直接雇用して、親の介護を手伝ってもらつているケースが増えていると、本書では伝えています。
但し、それには介護を依頼する、子供、伴侶本人が、フィリピンに正式に住むことが前提であるとしています。
親を一人、或いは二人フィリピンにおいて、数ヵ月・半年おきに訪ねるようなやり方は、失敗すると書いていました。

エピローグ

フィリピンに移住する日本人たちの姿をとおして、高齢者の幸福論をかんがえるのがこの取材のテーマであった。
結論から言うと、幸せになる人も、そうでない人もいる。考えれば当たり前の話だが、そもそも海外で老後を送れば幸せになれると云う論調のほうが不自然である。
分かっていても、島国から海をまたいだ海外という新天地は誰の目にもよく映るだろう。
・・・・中略・・・
ただし、日本でそのまま暮らしたら、寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来たから幸せになったと云う事実だ。



ともかく百聞は一見にしかず、手に取って読んでみることをお勧めします。
「自分の人生もろくでもないが、この本に登場するひとよりもマシかな」
posted by 西沢 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年07月18日

同じ団塊世代、シニア男性のカンボジアボランティア活動

テレビや新聞で色々な人を紹介する時、最近、年齢が気になります。
私より幾つ上、私よりも幾つ下、70才ってこんな感じなの?、自分もこんなふうに見られているのかな、と思って見ています。
あるTV番組、「世界の果て・・・」の、「こんな所に・・・」的な番組で、同じ時間、時代を、同じ場所で共有していた、同じ年齢のシニア男性の活動を見ました。
https://wadai-pocket.com/takayamaryouji/

cavola01.jpg今回、登場してきた人物は、「高山さん」元陸上自衛隊1948年生まれ、現在71才。
この方が現在、住まわれているのは、カンボジア、シェムリアップ郊外の田園地帯です。
1992年、第二次世界大戦後初めての日本の軍事組織の海外派遣「カンボジアPKO」に参加されていました。
1992年、44才、道路補修など工兵的組織の一員として、まだゲリラの影響が残る地域で活動していたようです。

1992年、同い年の私もその時、カンボジアにいました。いち観光客として・・・
1990年代のカンボジア、ポルポトの恐怖政治、混乱は、ベトナム軍の介入で収束し、日本をはじめする国際社会の援助で、民主的な選挙が行われようとしていた時期、カンボジア政府は、外貨獲得手段として、閉ざしていた外国人の「アンコールワット」観光の解禁を決定しました。
私達夫婦は、その時行われて団体ツァーの第一陣グループに参加し、ぺノンペンにいたのです。

cavola02.jpg8日間のツァーで一人45万円でした。27年前のことです。
この頃、私たち秘境世界遺産好きの間の常識では、「危険、危ない、政治的理由などの国で、国境が観光客に開放されたなら、安全第一だが、お金のことは考えず、すぐに行くべきである。いつまた閉鎖されるか解らないのだから」と云われていました。
「日本のPKOが行くくらいだから、安全だろう」と云う変な考えで行きました。
このツァーを催行した旅行会社の幹部は以前からの知合いで、外務省ほか、政府関係者からもツァー催行を密かに打診されたいたそうです。
政府は戦後初めてのPKOで、国民に「観光ツアー」が行くくらい安全なのだ、という意図があったようです。

それを象徴するのが、お正月特番、NHKがアンコールワット遺跡から生中継をしたのです。
ゲストはあの日本画家「平山郁夫」さんです。
私たちの団体が予約していた、シェムリアップのホテルは全てキャンセル、NHKのスタッフに抑えられてしまい、たんぼのなかの見るからにチープなホテルに変更されていました。
※数年後、このホテルを訪ねると「ラブホテル」に変わっていました。
日本政府は、野党の大反対や、国民の不安視を、こうやって、「カンボジアは安全なんだよ」と一生懸命アピールしていた時代でした。

ぺノンペンもシェムリアップ、国連軍の白い車、青いヘルメットで溢れていました。
アンコールワット周辺観光には、小銃をもったカンボジア兵士小隊がいつも同行していました。
遺跡内のあちこちに、ドクロマークの地雷原立ち入り禁止看板が立っているなかの観光でした。

あの頃、私と同い年の自衛官「高山さん」は、プノンペン南部、ベトナムと国境を接するタケオに駐留していたのです。
「高山さん」はこの地に駐留している時に、内線当時埋められた地雷に触れて、亡くなられた子供を見て衝撃を受けます。
しかし、いちPKO兵士として派遣されている身では、出来る事に限度あり、その想いをもって帰国された後、自衛官の定年、その当時55才に退官し、カンボジアの子供たちの為の、地雷撤去を自費で始められたのです。

ここで、この元自衛官「高山さん」と私はシンクロします。
cavola03.jpg1992年、同じカンボジアの地の何処かにいた自衛官が55才で退官し、翌年カンボジアに戻った。
私も、定年退職した55才の正月、奇しくも、2度目のアンコールワットにいたのです。
「高山さん」は、資金的にも、組織的にも、如何に継続してカンボジアの人達の為に、地雷撤去を進めるのか悩んでいた頃です。
外国からのボランティアではなく、カンボジア人の手によって、仕事として、事業として成り立つ組織・運営をこの方は確立しました。
彼は、その経験、人脈を生かして、現在はカンボジアの地で、「国の礎は教育」の信念で、地方での学校建設、教育者育成に携わった人生を送っています。

奇しくも人生の節々ですれ違っていたかも知れない、「高山さん」
お目にかかったこともありませんが、同じ団塊世代として、づっと同級生・友人として、遠くから見続けて行きます。
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2019年07月16日

高校野球連合チームの初勝利一勝目が見たくて、50年ぶりに球場へ

夏の高校野球地区予選のシーズンになり、朝日新聞のコラム「天声人語」で、連合チームの存在を知りました。記事によると、最近の少子化と、高校クラブスポーツの多様化で、野球をする生徒が少なく、1チーム編成がが出来ない高校同士の連合で参加するチームが増えているそうです。

yaky01.jpg私の時代では考えられない状況ですが、特に都会の公立高校の多くが部員数の減少に悩んでおり、大会に向けて一次的に校内、他スポーツ部から人を借りて参加していたのですが、他校との連合参加が2012年夏から認められ、年々増える傾向にあります。
一時的に校内の野球未経験者人員を借りるよりも、例え他校であろうと、甲子園を目指す、同志・仲間のほうが圧倒的にポテンシャルが上がるのは明白です。
平日は、各校独自の練習をし、土日に合同、連携プレーの練習をしているそうです。

yaky02.jpgこの記事を見て、さぞや、初戦一勝でも出来たら、どんなにこの野球少年の一生の宝、人生の思い出、或いは生き方の指針となるのでは!、その瞬間を見てみたい、映像に納めたいと、直ぐに地元、神奈川県大会の予選日程を調べました。
2019年神奈川大会では、連合チーム6チームありました。
そのうち、私の自宅からバスで直接行ける「俣野公園 横浜薬大スタジアム」開催の1回戦
横浜緑園と横浜明朋の連合vs市ケ尾(何れも県立高校)の試合を見に行くことにしました。

yaky03.jpg高校野球の観戦は、高校三年生の時以来、54年ぶりです。
試合開始の一時間前に、球場に着くと応援スタイルの生徒・父兄が大勢いました。
そのなかの若いお母さんに、「1勝目」を見に来たと伝えると、
「是非見て行ってやって下さい。私たちもこの3年間、その想いで来ています。」
「合同・連合チームと云っても、各個人の能力は、他校に比べて劣っていません」
「一つ、他校と比べると不安なのが、守備の連係プレー」
「特にこのチームのバッテリー、投手と捕手が他校同志なのよ」
「あとは、学校のグランドが昨年から改修中で、休日しか練習出来ていないの」

両校のグランドノックを見ていて、確かに「市が尾」チームの内野・外野の守備力とこの連合チームには、素人の私にも力の差を感じました。
それでも、軟式草野球チームとは比べ物にならない、溌溂さ、機敏さを感じ、全く一方的な試合、コールドはないだろうとおもいました。

yaky04.jpg試合は小雨の降るなか始まり、一回の裏、捕手のパスボールで1点とられ、2回に外野手のエラーで1点とられ、父兄の不安は的中しました。
相手チームの投手は左腕でかなり良いコースに投げ分けしていますが、スビートは、この連合チームピッチャーと変わらず接戦になるかと思いましたが、5回を終わって0:6と負けているさなか、かなりの本降りの雨となり、一次中断し、私は連合チームの念願の「一勝目」を見ずに帰途につきました。

yaky05.jpgその日の夜のネット速報にはよると、6回、0:10のコールド負けしたようです。
そして、同じ日、他球場で行われていた「横浜旭陵と相模向陽館」(何れも県立)の連合チームが初勝利を挙げたと伝えていました。
相模向陽館は県立ですが、定時制の学校で昼間の時間にかなり練習できたようです。
それでもメンバーは9名に至らず、今年は横浜旭陵と連合チームでの参加です。
一回戦は7月13日横浜旭陵と相模向陽館は寒川と対戦し、7;5で初戦突破し、本日7月16日、横浜高校と2回戦を戦います。11:30分、場所は保土ヶ谷サーティフォー球場
第一シード、横浜高校、あの超エリート神奈川県の高校野球集団、松坂大輔の出身校です。

先ず、どう贔屓目に見ても勝てないでしょうが、せめて、半プロ集団から一点でもとって、何とかコールド負けを回避して欲しいと願っています。
でも、今日16日は、このブログ書いて今、そとはかなりの土砂降り、中止でしょう。
グランドコンデションの良い状態でやってもらいたいものです。



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2019年07月14日

さんざんな一日、一日二か所の病院・医院めぐり

退職し16年もすると、当然ながら病院・医院に通う日数は、現役時代と比べ物にならないくらい、増えていきます。

・2ケ月に一度のファミリードクターでの、高血圧、逆流性食道炎、痛風予防の検診と投薬。
・歯医者、眼科への数か月に一度の通院。
・老化による、足・腰の痛みでの整形外科。
・そして、男の宿命、前立腺がらみの定期検査。


昨年から、70才、医療費2割負担になり、加えて住民税非課税所帯は、1か月の通院・投薬の
上限が8,000円を超えると、高額医療還付となったので、なるべく、定期的な通院・検査・投薬をひと月にまとめるようにしています。
今月は、4か月に一度の前立腺がんマーカー検査と2ケ月に一度の主治医の内科医院が重なる月で、一日で済ませることにしました。

前立腺がんマーカー検査PSA
自宅の前の道路から、徳洲会の旗艦病院「湘南鎌倉総合病院」が見えます。
パソコンの地図上の距離を測れる、ソフト「地図蔵 ≫ 距離測定マップ」
https://japonyol.net/distance.htmlで、自宅からの直線距離を測ると、1Kmです。
しかし、自宅から湘南鎌倉総合病院へは、その間にある大船植物園と巨大ショッピングモールをぐるっと迂回しなくてはならず、距離は1.4Km,アプリ上では徒歩18分と表示されます。

「地図蔵 ≫ 距離測定マップ」は、旅行のさいにとても便利です。
車がつかえない私たちは、どうしても鉄道・バスがたよりなのですが、便がなかつたり、間隔が長ったりする時にこのアプリで距離を測り、歩ける距離なのかを決めています。基本的には2kmまでなら歩いています。



psa.gifPSA検査は事前予約で、朝一番で血液採取し、ドクターの受診は、検査結果のでる二時間後と決まっています。
この日のドクターの受診は11時でした。9時に血液採取すると、最低2時間は病院内で待たなくてはなりません。
病院内には、コンビニも、ドートールカフェもあるので2時間時間をつぶそうと思えば出来ます。
そして、2年前から、待合室ロビーで病院のWifiが使えるようになって、かなり待ち時間は潰れるようになりました。

しかし、病院まで徒歩15分の私は、湘南鎌倉病院の受付が始まる7時30分に行って採血を済ませ、8時に一旦自宅に戻り朝食をとり、自宅で過ごし、10時45分に再び病院の泌尿器窓口に行ってます。この日も、10時40分には到着しました。
待つこと、30分で私の本日の番号が最上位に表示され、もう直ぐだと思って待ちますが、予定の11時になっても、呼ばれません。
11時20分、泌尿器の顔見知りの受付にそっと聞いたところ、ドクターは緊急・重篤患者の処置が入ったので、しばらく時間がかかりそう、というのです。
なんで、30分以上前から予約で来ている私の前にそんなのが入ったの?とそれとなく聞いて見ると、私の場合、ただ単なる定期検診、PSAの値を伝えるだけなので、医学用語で云うトリアージ対応になった。と云うのです。

医学用語トリアージとは
災害時発生現場等において多数の傷病者が同時に発生した場合,傷病者の緊急度や重症度に応じて適切な処置や搬送をおこなうために傷病者の治療優先順位を決定することをいう。フランス語のtrierからの派生語で,「選別する」意である。



kamah.jpg結局、受診が終わったのは、12時半でした。
予約の11時から遅れること1時間半でした。
そして、定期PSAは最悪、今までの最高値20です。
普通、初めてのPSAが20ですと、青ざめるような値なのですが、伝えるドクターもそれを聞く患者の私も、「あっそう、少し前回よりもあがったね」
この10年近く、前立腺がんマーカーは高値安定、やや年齢とともに上昇気味程度です。
過去に、このドクターで3回精密検査「生検」をしていますが、全てセーフでした。
ドクターの見解は、急激に上昇したらもう一度「生検」をしましょう。次の4か月後に下がっていれば。このまま様子見にしましょう。
では、次は11月。たったの5分で終わりです。
この日の午前中は朝、7時15分に家を出て、8時15分に自宅に戻り、再び10時30分に家を出て、帰ってきたのが13時近くとなりました。
家から大病院が近いから良いもの、遠くからくる患者さんは本当に一日仕事となるのです。

この日はもう一つ、ファミリードクターの二ケ月に一度の検診日です。
このファミリードクターも同じ徳洲会出の女医さんです。
予約時間は、この医院の一番空いている時間、16時30分です。
自宅から歩いて、15分程度で16時に自宅を出ました。
いつもは待合室は一人程度しかいないのに、五六人の患者がいます。
この女医さんは、患者の話をよく聞くドクターとして高齢者に人気の先生で、診察室に入った患者さんは15分経ってもまだ出てきません。
やはり、顔見知りの受付で話を聞くと、この日、湘南鎌倉病院と同じで、診察した重篤患者を救急車で搬送したばかりで、予定予約時間から1時間は遅れているとのことでした。
結局、いつもの血圧を測って、5分で終了。帰宅したのは、18時半を廻っていました。

スマホの歩数計を見ると、8,000歩、良く歩き、待ちくたびれた一日でした。
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2019年07月12日

70才を超えても、まだ知らないパソコンの知識があった

内蔵ハードディスクやUSBメモリ、外付けハードディスクなどには、ファイルシステムというものがあります。パソコンで使われているあらゆるデータは、必ず記憶媒体の何らかのファイルシステム上にあります。
一般的には、この用語を知らなくても、別段支障はないのですが、
先週、ビデオクラブの例会で今年の秋に上映する「クラブ共同作品」造りで、このファイルシステムFAT32問題に直面しました。

70pc1.jpg粗編集したものを書きだして、各自自宅で再編集するのですが、レンダリング・書き出ししたものを、USBに保存しようとすると、途中で「容量不足」とアラートでで停止しまいました。
USBの空容量は12ギガあるので、十分余裕があるはずですなのですが。ダメです。
別の64ギガのSDカードで試しても同じく、書き込み出来ません。

メンバーの一人が、それってフォーマットがもしかしてFAT32じゃないの?と云います。
FAT32?、それって何?
FAT32はwindos規格の一つで、一つのファイル容量が4ギガと決まっており、それ以上大きなものは、書き込めない仕組みになっているので、今回の動画粗編集の容量をオーバーしているのだろう、という結論。

ではどうしたら良いのか、USBにしろ、SDカードにしろ、一度に大きな4ギガ以上の単独ファイルを扱う場合は、買った時にプロバティで見て、FAT32なら、大容量ファイルも扱えるNTFSにフォーマットし直せば大丈夫だと、教わりました。確か一度そんな事を聞いた記憶があるはずだったのですが・・・・忘れていたのか。

私は建設業、それも入力された数値をコントロールして、各制御機器に伝えると云う、大型ビルオートメーションのの世界に従事していましたので、同じ世代の方よりは、比較的早い時期からパソコンに接していました。
でも、自分専用のコンピュータ、パーソナルコンピューター・パソコンとなると、1998年のwin98からです。
もうこの頃は、建設現場の打ち合わせの席に、パソコンは必須で、図面も現場での手書きから、会社のCAD課の女性に差し入れして、急ぎで書いてもらっていたのが、2000年を前に自分で書かざるを得なくなっていました。
2000年が、一部上場企業では、全社員一人一台のパソコンに突入した年でした。

70pc2.jpg退職して、地域の趣味のクラブや、市民活動団体とのお付き合いが多くなりました。
退職した2003年、まだ、市民活動団体単位ではパソコンは必須ではありませんでした。
しかし、この時期、急にふえだしたのが、パソコンを女性・高齢者・初心者に教える団体です。
早期退職した私より5〜10才、年齢が上の退職シニア男性が中心でした。
一度、この方々が教えている教室の生徒さんから相談を受けたことがあります。
デジテルカメラのメディアの消し方、削除の方法で、この女性生徒さんがどうしても納得しない、どちらが本当なのか、教えて下さい。というものでした。

この教室のシニア先生は、カメラからメディアを取り出して、パソコンで全消去すると云います。この生徒さんは、メーカーの取説では、カメラ本体で削除・消去する、と書いてありますが、どちらが良いのか聞いたところ、かの先生に聞いた時、「オレの云う事を信用しないのか」と怒られたそうです。
正解は、カメラ本体側での消去。
パソコンで消去する時、間違ってメディアにプレインストールされている、カメラのベーシックアプリまで消されてしまう危険性がある為です。

年齢的に見ても、専門職でない限り、この年代の方々は、ワード・エクセル・パワポ、メール、ネット、が出来て、年賀状をテンプレで造り、プリンターで印刷出来れば、パソコンが出来る、と思っている世代です。

私は退職してから、このような環境の団体、クラブをサポートする立場を長く続けてきました。
ともかく、自身満々の方々に、それは違っているよ、それは古いよ、ちゃんとプログラム言語で書かないと崩れるよ、ウインドウズだけがパソコンじゃないんだよ、と云うのに疲れています。
それも後一年、来年は東京オリンピックで、取り敢えずの目標72才の年。
もう、こんなオジサンがパソコンを教える時代ででもないのです。

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2019年07月10日

住民税非課税所帯のメリット・デメリット、幾らなら非課税なのか?

55才で退職し、56才で現在の住まい鎌倉に越してきて、15年、これまで住民税・県民税はゼロでした。つまり、収入が二人の年金収入だけなので、住民税非課税所帯となっていたのです。・・・が、今年2019年6月、市役所から、納税通知書が届きました。年額2,700円
金額面はささやかな額なので、市民の義務として払うのはやぶかさではないのですが、何で15年間非課税だったし、昨年の年金収入は前年よりも若干減っているのに、今年に限って、住民税課税なの?そして、1週間後には、介護保険料決定通知書が届き、開けてみると、昨年よりも倍近い金額になっていました。

notax.jpgこれは、市役所窓口に行って聞いてみるしかない
鎌倉市の市民窓口は8時30分から開いているので、朝一番で行ってきました。
原因は解りました。
カミサンの配偶者控除が落ちていたのです。
私は、昨年まで確定申告をしていました。医療費が年間10万円以上かかつていたからです。
しかし、今年は確定申告をしませんでした。
理由は、メディアで65才以上で所得が年金だけの所帯は、確定申告は不要と云う記事を見たからです。

市民税課の窓口でこの件について聞いてみると、確かに「国税」に関しては、申告は不要だが、地方税に関しては、原則必要、したほうが確実であると云うのです。
市のコンピューター上では、配偶者がいない一人所帯になっていました。
この場、再申告しなおして一件落着・・・と思っていたのですが。

先週、市から修正税額通知書が届きました。
確かに、配偶者控除330,000が引かれていたのに、納税額が変わっていませんでした。
再度、朝一番で窓口で尋ねると、複雑な通知書の見方の違いと判明しました。
今回の市から書類を見ると、前回同封されていた、市民税・県民税納付書は同封されていませんでした。

市民税課で、住民税非課税を確定してから、次は介護保険を扱う窓口「高齢者いきいき課」に行きました。先ず、私の介護保険設定が昨年の第3段階から第6段階に、カミサンが第2段階から第5段階になつた理由を尋ねました。
二人合計で、年60,000も増えているのですから。
窓口で、修正申告をして住民税非課税確定をした旨を伝えると、私のマイナンバーカードの提示を求められ、データーベースにアクセスすると、
「確かに修正されています。」
「数週間後、修正された介護保険料通知書がご自宅に届きます」
「8月までは、修正前の金額が年金から引かれますが、10月からは修正し直した金額での納付となります」

やれやれ、確定申告を続けていて、昨年分をしなかっただけで、こんな面倒なことになるとは。

一体、住民税課税・非課税のボーダーライン所得は幾らなのか?
その前に、住民税非課税のメリット・デメリットは?
メリット
・市民税、県民税がゼロになる
・介護保険の保険料段階が低くなる(3段階低くなる)
・国民健康保険は良く解らない、課税・非課税に関係なく、雑所得額(公的年金はこう呼ばれてる)によると思う。
・高額医療限度額は非課税所帯は低所得者となり、外来の場合、月8,000円を超えると戻ってくる
・政府の高齢者、低所得者給付金が受領できる

デメリットは
特にない、但し、「住民税非課税なのに随分とゆとりのある生活をしている」、と冷ややかな目で見られたり「不公平な税制」だと陰で云われているかも知れません。
つまり、日本の税制は前年度の所得によって決定されます。
ご本人の金融資産がどんなにあろうとも、昨年の所得が少なければ、住民税非課税所帯になるのです。

では、住民税の課税・非課税の所得ボーダーラインは幾らなのか?
これはなかなか計算が難しく、市町村によっての違いがあると云われています。
早期退職する5年前ほどから、住んでいた横浜市の住民税課税所得額を調べてみました。
年齢や、扶養家族の有無などにより変わってきます。
私が調べていた段階で、ボーダーラインは雑所得額(公的年金)255万円と云う数字がありました。
最近よく目にする、給与所得者の平均1か月の生活に、2000万円問題に出てくる数字です。
255万割る12ケ月は212,000円、それでも生活するには50,000円足りないと云われて金額が、住民税非課税のポーターラインなのです。

私たちは早期退職を目指している、毎年のように社会保険庁で、将来二人がもらう年金金額の概算をはじき出してもらっていました。このまま、働き続けると将来このポーターラインをオーバーするのは、何時かを大まかでも知ることができました。
それと、自己資産の目標額が合致したのが、夫55才、妻52才の時だったのです。

2019、政府発表の年金だけが所得の平均的な所帯の大半は、住民税非課税所帯となるのです。
大半の所帯は、それでは足りない、それでは満足できない、それではゆとりのある老後ではない、少しでも働いて、可処分所得を増やそうと、低賃金で働かざるを得ないのが、今の日本の退職者ライフなのです。
働かないで、住民税非課税のメリットを得るか?
少しでも働いて、非名誉な、聞こえの悪い低所得者所帯になるか?
ひとそれぞれの考え方と、資産体力によることでしょう。

ネットで「住民税非課税の壁」と検索するいろいろな金額がでてきます。
211万円と云う数字をよくみかけますが、年齢・家族構成などが良く解りません
https://manetatsu.com/2019/03/176402/

実際の例として、今回私たち夫婦の場合を実数値で公表しました。
鎌倉市に住む私たちは、公的年金だけが所得の世帯で一年間の雑所得額(公的年金)は、政府発表の標準世帯平均と同じです。
そして、住民税非課税所帯です。


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