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2019年04月06日

年金シニアの格安温泉旅行 初めての山形の旅 銀山温泉

ginn01.jpg山形のかなり辺鄙な雪深い温泉地、銀山温泉を知ったのはかなり前のこと、ちょうど早期退職した 2003年、銀山温泉の老舗旅館「藤屋」の和服を着こなした外国人美人金髪女将さんジニーさんを起用したTVCMでした。
ジニーさんは女将業と子育てに加え、華道、茶道など日本の伝統文化を身につけた“大和撫子”として登場。 「ニッポン人には、日本が足りない」というCMコピーとともに、 日本人以上に日本文化や習慣を理解する米国人として有名になり、同時に銀山温泉を全国区にしました。

ginn07.jpgこのおかみさんは二人の子供を連れて帰国、その後現在に至るまで帰ってきていません。
もう一つ、銀山を有名にしているのが、かの超有名NHK朝ドラ「おしん」の奉公先モデル撮影地として、 ここ銀山温泉が使われたということです。
確かに、雪に覆われた山形最上川の小舟での今でも心に残る別れのシーンと、3月末だと云うのに雪に 覆われた銀山温泉街のノスタルジックな大正ロマンかおる佇まいは、あのドラマとマッチしています。

銀山温泉の一人勝ち神話
ginn02.jpg山形には、今回私たちが泊まった「天童温泉」の他に名の通った温泉地は沢山あります。
温泉専門サイトで推奨する山形の有名どころは
 大正レトロな町並みが人気「銀山温泉」
 強酸性の湯「蔵王温泉」
 日本海側を代表する鶴岡、「あつみ温泉」
 傷が癒える湯!?「肘折温泉」(大蔵村)
 情緒あふれる温泉城下町「かみのやま温泉」
 共同浴場の豊富な「赤湯温泉」

銀山は交通アクセスが悪いのに何故?ginn04.jpg
銀山温泉の最寄り駅は、奥羽線「大石田」駅です。
山形新幹線停車駅ですが、13時台に2本の他、その他の時間帯は1時間に1本、山形からの各駅停車も 1時間に一本です。新幹線と云っても狭軌在来線の単線を走るのですれ違い時間が多く、新幹線では 山形から30分、各駅ですと約1時間かかります。
そして、大石田からのバス便は1日5便のみとなります。
はながさバス参照

ginn06.jpg銀山温泉は一時、おしんと外国人おかみで、他の温泉街よりもアクセス環境が悪いのに活況を博したのですが 2011東日本大震災で観光客の落ち込みが激しく、ピーク時の半分ほどになったのですが、復活したのは、 まさにインバウンド、外国人観光客のせいと、温泉街あげての改革でした。
一つには、街並みを古いノスタルジックジャパンに統一し、外国人向けサイトを充実させ、海外のTV、 映画ロケを積極的に誘致して、古き良き日本の温泉地をアピールしました。
そして、SNSの効果も大きく、Instagramで「#銀山温泉」とハッシュタグを付けて画像を付けた書き込みは、 1月24日時点で3万3000件超。多くの人が雪のちらつく夜の銀山温泉を撮影して投稿している。
「#ginzanonsen」も約4000件ほどの投稿があり、「国内外の方が情報発信をしている。 銀山温泉で検索をした方が十分に魅力を感じることができ、 実際現地に訪れていただくことにつながっている」(商工観光課)のだといます。

もう一つの理由はginn03.jpg
団体客よりも個人客にターゲットをしぼったこと。
私たちが銀山温泉に着いたのは一番のバスで入った10時半から帰りのバス13時25分の3時間ですから、 温泉街には、団体宿泊旅行客は全くいませんでした。
そもそも、銀山温泉には団体客用の大型宿泊部屋があるホテルは、入口に一つあるだけです。 銀山温泉組合は、最初から個人客をターゲットにしているのです。 それ故に、銀山温泉に行きたいが、高い、予約がし難いとの印象が広がっているのを、温泉街の人達は 憂いていました。
温泉街じたいに見るところは少ない
観光的には、温泉街の一番奥にある「白銀の滝」のみです。
銀山温泉の最大の売りは、レトロな東北の温泉街の佇みと、雪と、ガス灯に照らし出される夜景なのです。

ginn05.jpg私たちの行った3月27日の銀山温泉はときおり、小雪が舞い寒い日で、温度計は3度でした。
温泉街を端から端まで歩いて、滝を見て、お土産物屋さんを覗いても帰りのバスまで、3時間はつぶせません。 そこで、事前にしらべておいた、日帰り湯で一番評判のよかった、「瀧見館」でお風呂に入り帰りの時間まで ゆつくりとすることにしました。
※銀山温泉には、温泉組合経営の著名建築家「隈研吾」氏設計の共同浴場「しろがねの湯」があるのですが、 この日は水曜日で休館日でした。
わりと閑散としたイメージの温泉街だったのは、水曜日でお休みのところが多かったかもしれません。 でも、温泉街のお店、旅館に定休日があるんですね。

温泉街の各旅館の半数ほどは、日帰り入浴をやっています。
時間帯は、宿泊客が帰った後11時から、この日の新規客チェツインの3時までが一般的のようです。 入浴料は600円、フェースタオルは300円販売、バスタオルは200円レンタルでした。
日帰り入浴のほとんどは、若い世代のカップル、グループのようで、有名温泉場で良く見かけるオバサンシニア グループは全くいませんでした。

それでも時間は余ってしまいます。ginn10.jpg
露天風呂に入って滝をじっくりと眺めても、30分も入っていることは出来ません。 この瀧見館では、日帰り入浴客専用のちょつと横になって寛げる場所は特別提供していませんので、ロビー にいるしかありません。バスの出る1時間前にバス停にいきましたが、外は寒く、近くに公衆トイレはないので 、バス停そばの銀山温泉で一番大きいホテル「銀山荘」に行き、トイレを借りることにしました。
ロビーは暖かく、カミサンの大好きなお土産も沢山あります。
フロントスタッフはとても親切で、「バスがくるまでここでゆっくりして下さい。 無料のコーヒーサーバーもどうぞ自由にお使い下さい。」・・・と云ってくれます。
マネジャーは「私たちは皆さんのようなシニア個人客を大切にしています。次に銀山温泉に来るときは 是非、泊まって、美しい夕景を撮影して下さい。」とおっしゃって下さいました。
次に来る機会は解りませんが、ネツト、SNSでこの銀山荘の対応の良さはしっかりと書いておきます、とお礼 申し上げました。
銀山温泉・銀山荘さん、寒いなか、本当にありがとうございました。
但し、高級すぎて私たちは泊まれないかも(一泊2食付き二人で38,000円、但しネット上の言い値ですが)
居心地の良い銀山荘でのんびりし過ぎたのか、帰りのバス停は長蛇の列で満員。大井田まで40分立って帰える ことになりました。まあ個人自由旅行にはよくあるケースです。
posted by 西沢 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年04月04日

年金シニアの格安温泉旅行 初めての山形の旅 山寺

海外旅行を卒業した65才以降、基本的には、毎月一度2泊3日の国内旅行をしています。
自由に動いて、映像撮影をしたいので、団体パック旅行は原則敬遠し、大手旅行代理店の宿と足、ホテル&トレインorフライトパックを利用しています。
二月の下呂温泉に続いて、今回の場合、阪急交通社の温泉バックです。
yama01.jpg天童温泉Aクラスホテル2泊と東京・山形間の新幹線指定席往復が含まれて、一人30,000円です。
東京・山形間の新幹線料金は、個人ノーマルで買うと、往復22,000円。天童の温泉旅館のこの時期の一泊二食料金はおよそ13,000円が一般的ですから、このプランですと正規料金は48,000円で、36%引きの値段となります。

yama06.jpgこの3月末、桜には早く、雪も花もお祭りもない季節の山形ですから、ホテルもJRもかなり割引商品をだしています。
36%割引には条件があります。
行き・帰りの列車の指定は出来ません。
いつもの阪急のパターンですと、「ゆっくり出発・早めのお帰り」でJRの一番空いている時間帯を安く仕入れているようです。
今回の旅では、東京駅発10時、山形着12時44分、帰りも同じく山形発13時、東京着16時ですから、1日目、3日目は移動日となり2泊3日と云っても、実質観光として動けるのは、中日だけとなります。

yama02.jpg今回は、山形に13時に到着、帰りも山形発13時ですから、上手く自分でスケジュールを組めばこの中途半端な時間を使えますので、3月末の予定のない3日間、一人3万、二人で6万、現地移動・観光費、お昼代とカミサンの旅行目的の一つお土産代を入れて総予算80,000円で組みました。

1日目 山寺へ
yama04.jpg山形ミニ新幹線は12時44分山形着で12:56分発の仙山線に間に合うので、1日目の後半は予ねてから行きたかった山寺に行くことにしました。お天気は曇り時々晴れ。
JR仙山線山寺駅は、日本の駅百選に選らばれています。いる趣のある駅舎で、この日も若い鉄道ファンが沢山写真を撮っていました。
駅から山寺への参道は思っていたよりもこじんまりとしていました。
善光寺の仲見世で育った私は、この人気の名刹立石寺も、大都市の同じような大お土産・仲見世街を想像してしたのですが、季節なのでしょうか、あの買いまくる団体オバサンシニアも少なく、ましてやアジア系の観光客の姿もありませんでした。

お寺参りではなく、半分登山の雰囲気
yama05.jpg大規模なお寺さんは"山"全体がお寺の敷地、聖地となっています。
高野山も比叡山も、奈良の吉野も、私の地元鎌倉でも、建長寺・円覚寺などは大きな敷地とともに"山"となっています。
この立石寺が別名「山寺」と呼ばれるのは、まさに切り立った岩山に、寺院が建てられているからなのでしょう。
山寺のパンフレットには山門から奥の院1,050段と書かれています。それもかなり金毘羅さんのような幅広の階段と違って急峻な狭い階段ですから、シニアにはかなりきつい登りとなります。

yama07.jpgパンフレットには、山門から奥の院まで往復時間の目安として、1時間から1時間30分と書かれていました。仙山線は、一時間に一本ですから、駅からの距離・時間を考えて登らないと、帰りの列車待ちが一時間となる可能性が大きいのと、ゆっくりと休むようなしゃれたカフェテラスもないので、自由、列車派の旅人は注意が必要です。
私たちは、この山寺で2時間半過ごしました。
撮り鉄ファンのとしては、このゆったりと時間の流れる山寺の鉄橋を渡る、仙山線の列車を往復撮れるチャンスが十分にあったので満足しています。

初めてのミニ新幹線、山形新幹線で今回の宿 天童へ
新幹線と云っても、在来線り上を走るミニ新幹線ですから、福島からは全くスピードがあがりません。奥羽本線に入ると、単線ですから新幹線なのに、在来線電車の行き違い待ち時間が結構あります。
軌道幅がちがう、新幹線と在来線車両、構造的にどうなってるのでしょう。
線路をみましたが、二本しかありません。
ネットで調べてもあまり良く解りませんでした。

tendo.jpg天童駅から温泉街へは徒歩12分、歩道にはいくつもの詰将棋が埋め込まれていて、流石は将棋の駒生産量日本一の町です。この時期、まだ寒く、何にもありません。
天童温泉が一番賑わうのは、桜の季節人間将棋が行われる4月半ばだそうです。
でもこの季節、2泊3日新幹線込み一人30,000円は到底無理でしょうね。
posted by 西沢 at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年04月02日

テレビ東京はエライ、新年号「令和」の首相会見を中継しない英断、さすが首都圏の地方局

新元号「令和」が発表されました。
安倍首相談話の引用します。

これは、万葉集にある
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭ははい後の香を薫(かおら)す」
との文言から引用したものであります。
そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合うなかで、文化が生まれ育つ、と云う意味が込められております。
〜中略〜
悠久の歴史と誇り高き文化、四季折々の美しい自然。
こうした日本の国柄を、しっかりと次の世代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、ひとり一人の日本人が、明日への希望と共にそれぞれの花を大きく咲かせることが出来る、そうした日本でありたい。の願いを込め「令和」に決定しました。


reiwa.jpgふーんそうなの、一緒にTVを見ていたカミサンは「れいわ」ってちょっと冷たい感じがする、と云います。発表後のネット上の書き込みでも、「つめたい」イメージを持つひとがかなりいるようです。
確かに「令和」の令の字にはそんな印象があります。
命令の令、それ以前に令の字に対する日本人の印象はと云うと、「律令」の令の字です。
律令とは・・・
古代国家の基本法である律と令。
律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定
つまり、役所、官僚、お上の匂いがプンプンする言葉なんです。
しかし、令の字は別の意味、姿、形が良い・・・令嬢の令もあるようですが・・・

テレ東は、日本経済新聞系列なので、そんなに政府に対して反抗的ではないのですが、独自のポリシーなのか、各局どこを回しても首相会見をやっているのに、通常番組「昼めし旅」をやってました。
それで良いんです。昭和天皇が亡くなり時も、東日本大震災の時もテレ東は東京キー局として一番早く、通常番組にしました。この時は賛否両論あったと聞いていますが、全国民、全マスコミが右へ倣えではいけないのは、太平洋戦争で私たちは経験しています。

テレ東の人気番組、「ユーは何しに日本へ」・「家ついてっていいですか」や、「出川の電動バイクの旅」は絶対にNHKやTBSの頭の固い上層部や、エリート大学卒社員では出来ないでしょう。

ともかくとして、気にいらなくても五月から年号は「令和」なります。
戦後、昭和生まれの私は、昭和・平成・令和の3っの時代を生きることになります。
今、明治生まれの方はいるでしょうか?
明治44年は1911年ですから、現在108才、結構いらっしゃるでしょうね。
明治・大正・昭和・平成・そして令和と五つ時代を生きていく、すごいですね。

昔子供の頃、親からそろばん塾に行かされたので、暗算は得意でした。(過去形)
古稀を迎えてから、単純な暗算、二桁の引き算でも迷うことがあります。
もう、元号、和暦は使いたくない、自分の過去を振り返る時、今でも和暦、西暦で混乱しているのに、ここにもう一つ増えるなんてこれから、造る終活資料は全て西暦にしましょう。
どちらにしても、私は20代前半から海外に出ていたので、全ての記憶は西暦だったのですから。
posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ