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2019年01月31日

退職年金シニアの旅、沖縄四日間自由個人旅行その1 予算と食事について

okinawa01.jpg沖縄は現役時代は、建設業界特有の現場打ち上げ旅行や、協力会社さんの社員旅行ご招待などで度々行ってました。
新婚旅行で行く沖縄から修学旅行で行く沖縄、そして会社・現場単位で行く沖縄。
時代はそう云う時代だったのです。
退職してから、沖縄本島を含め、石垣・宮古・久米島など何度か行っています。
最初は、大手旅行会社激安団体パックツァー四日間で298なんてこともありました。
が、今でもある団体沖縄激安パックツァーは、初日の羽田発のフライトは午後便ですから、3時間後那覇に着くと、そのままホテルで一日目は終わり、2日目に、主な島西部の海洋博公園、美ら海水族館や、沖縄テーマパークを廻り、
二日目は那覇のホテル泊まり。
三日目は、那覇市内の首里城を観光した後、お昼の便で羽田に戻る、ツァー会社の云う「シニアの体に優しい早めのお帰り」、と云うわけで、実質観光は中の一日、シニア・沖縄初めての方向けで、それでも四食・交通費込みで39,900円ですから、決して安いとは云えません。

沖縄に何度か来ている退職・年金シニアは、大手旅行会社のホテルとフライトパックをお勧めします。
今回の私たち夫婦の沖縄四日間のホテルとフライトパックは、当然ながら食事なし、フライトは選択出来ますが、追加料金が必要になります。羽田空港に近い私たちは、往路追加+1,000の羽田7時台、復路追加+2,000円の17時台、ホテルは、那覇中心部新都心のやや高級ビジネスホテルの20平米以上のツインを選択し、二人合計66,000円でした。

当然ながら、観光は全て自力、食事は普段と変わりませんが、出来るだけ沖縄らしい家庭料理をと心掛けました。
予算は、旅行会社に支払った66,000
+私たち二人の自宅・羽田間と現地移動交通費
+観光費+食事・喫茶合計44,000で総合計110,000で、今回納めました。
但し、これにはカミサンの一番の楽しみのお友達へのお土産代は含まれてはいません。
私たちの退職後の国内旅行予算より10,000円オーバーしたのは、一番高かかったホエールウォッチングの分です。

食事について
旅の楽しみの一つに地元の名物料理、季節料理がありますが、私たちにとっては高すぎます。
おしなべて、これらのお料理は観光客向けであり、地元の人たちが日常的に食べている訳でもないのです。
利尻島のウニ、北海道の毛ガニ、山陰の季節のカニ、高山の飛騨牛・・・等々、TVの旅番組で食べているようなものは、毎月旅する、年金シニア夫婦の旅のスタイルでは、とても手の届かない高嶺の花なのです。

沖縄だったらステーキ?
昔ならそうでした。沖縄が日本に返還される前、アメリカ統治時代は内地と沖縄では牛肉輸入にかかる関税が全く違っていたので、内地の半額以下で食べれていました。返還後も、急激な内地並みの関税移行に反対の声があり、徐々にがっていった経過があり、一時期は、沖縄へ行ったらステーキでした。しかし、今は違います。今でも国際通りには多くのステーキ屋さんが多く観光客を集めています。
沖縄の牛肉関税は内地と一緒ですから、安い訳ではありません。
あくまでも、多くの観光客が求めるので、それで商売が成り立っているのです。
扱っていてるのは、オージービーフが主流で、安い東京・内地と同じです。

food01.jpg沖縄家庭料理は?
沖縄と云えば、ソーキそば、ゴーヤチャンプルー、ラフテー、シリシリ、豚肉料理が多いです。
観光地、国際通りに沢山の沖縄料理を謳い文句のお店が沢山あります。
牧志市場の二階のフードコートは大勢の観光客で賑わっていますが、観光客用なのでやや高いのは仕方ないでしよう。
私たちが、国際通りで沖縄家庭料理を、普通にウチナンチューと同じ値段レベルで食べるお店があります。
日本の野球業界、プロゴルフ業界で知られているお店です。
今回は、野球・ゴルフのキャンプインの前でしたから、そんなに混んではいませんでしたが、値段と味は、ウチナーンチュ向けで、全品ほぼ同額の650〜680円と、旅先でも普段の生活感覚・物価感覚と云う私たちの旅にはぴったりのお店でした。
不定期ですが、三線ライブも行われます。
何処にあるかは、画像から検索して下さい。オバーがやっている居酒屋で、当然ながらホームページはありません。

food02.jpg沖縄でぜんざいと云えば・・・
沖縄を旅していると、一年中「ぜんざい」という幟旗を見かけます。
内地では冬の食べ物、お汁粉を想像しますが、内地で云うと「氷小豆」です。
雪のような柔らかい氷の下は、あんこや汁粉ではなく、大きな金時豆を甘く煮た甘納豆的なものがゴロゴロと入って
います。は運ばれて来た時に、とても食べきれないのではと思いましたが、案外、ケロッと食べれました。
値段はこれで、少々高めの350円です。
東京や内地の観光地でこの値段はないでしょう。

food03.jpgソーキそばと云えば・・・・
「沖縄そば」と一口にいっても、三枚肉か、本ソーキか、軟骨ソーキか?
ソーキそばとは、沖縄そばに骨付き肉(ソーキ)を乗せたもの。
ソーキではなく、三枚肉を乗せたものは、肉そばです。
私は、ソーキそばが好きで、ランチは毎日ソーキそばでも構わないほどです。
では、ウチナンチューもソーキそばが好きか?と云うとそうでもないようです。
流石に、日本蕎麦店は少ないものの、ラーメン店、うどん店の看板のほうが多く見受けられます。
そこで、那覇に住んでいた旧友に聞いたことがあります。
若い世代は、沖縄そばよりも、ラーメンやうどんを好む、特に最近丸亀製麺が進出してきて以来、多くなってきている。
諸説あるようですが、現在のように県民食として食べるようになったのは、大戦後のことであり、県外に知られるようになったのは、返還後のことであって、沖縄の家庭の伝統食ではないそうです。

それでも、カツオだしと、そばと云っても小麦粉で出来た太めの麺とソーキの絡みは絶妙です。

posted by 西沢 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月27日

今時の国内旅行ガイドブック、今日から沖縄四日間、現地ツァーのネット予約の不安

今朝の朝二番のフライトで沖縄へ行きます。
自宅を6時に出て、羽田発7:40、那覇到着10:35は、いつもの新幹線こだまで京都に行くよりも、早い時間に着きます。
沖縄は、現役の70年代から何度となく仕事関係の懇親旅行で行き、退職直後から、「終の棲家」探しで行っていて今回で10回目です。
今回の目的地は
1,慶良間諸島のホエールウオッチング
2,日本一早い桜開花の今帰仁城址の桜まつり
3,何度か行こうと思って果たせていない、斎場御嶽です。


rurubu.jpg勿論、個人自由旅行なので旅の計画する際に色々下調べをしなくてはなりません。
昔は、本屋さんでガイドブックを買い、旅行前の数か月、電車のなかで読んだり、お風呂に持ち込んでいく前まで数か月の間楽しんでいたのですが、現代はもっぱらネットと云う時代です。
しかし、カミサンはネット音痴の為、やはり従来通り、下調べ、予備知識で行く前から楽しむと云う意味で、毎回買っているのですが・・・
最近、国内旅行ガイドブックは様変わりしています。
今回買った、「るるぶ沖縄」を広げると、まるでネットのポータルサイトのようです。
昔は、沖縄の名所・史蹟、人気の場所の紹介と、行きかたなど詳しいページがあったのに、今はたったの一ページに大きな写真と短い紹介文だけです。

では、この厚く重たい、持ち運びに不便な旅行雑誌の中身はなにか?
全ページほとんどが、「るるぶ」発行元JTBと提携している、ショップ・レストラン・ツァー会社情報ばかりです。どこを捲っても、今注目のカフェ、人気のスィーツ、一度は食べたい沖縄料理の類で、細かい情報は全く有りません。

理由は何か、スマホとインターネットなんです。
旅行雑誌・地図の発行元「昭文社」が経営危機を報じられたのは昨年のことでした。
もう、大きな旅行雑誌を片手に、旅する若い女性の姿はありません。
確かに、ガラケーでは無理ですが、スマホが有れば旅先でも、確実に最新情報・行きたい場所、今自分がいる場所、時刻表まで手にはいるのですから。

今の旅行雑誌は、旅先に持っていってもらおうとは考えていません。
広告から本文か解らないようなページ構成で事前チェック用記事は全て、URLが書かれています。スマホが必須の今の若い旅行者は事前に、それを登録して旅にでます。
そして、雑誌には、旅先でお得なクーポンもついています。勿論、紙のクーポンではなく、QRコードクーポンです。

全てネットの予約で不安はないか?
今回の個人自由旅行用のホテル&エアーパックは大手「楽天トラベル」で購入しました。
ホテルは那覇市内の国際通りに近い、シティーホテル、ツイン20平米以上3泊と、エアーはフライト時間がチョイス出来るタイプのANAで、二人で66,000円と、かなりリーズナブルです。が・・・・
誰でもが、このホテル&エアーパックを上手に利用できるかと、と云うとそうではないです。
かなり、ネット・パソコンに通じていないと出来ません。
この楽天のパックが安いのには理由があり、完全ペーパーレスです。旅程はおろか、航空券のEーチケットさえ送ってきません。
Eーチケットは、ANAのページにログインして、自分がダウンロード・印刷です。
おまけに、登場する座席の指定を確定しないと、ダウンロードが完了しない仕組みです。
全ての手続き、案内はメールとネットなのですから、ネット・パソコンに不安のある方は止した方がよいでしょう。



そして、現地ツァーのネット予約の不安
ネット全盛時代ですから、今回のメインの一つ慶良間諸島のホエールウオッチングを扱う会社をネットで検索してみました。
ほとんどどの会社の同じような内容、料金ですから、google検索で一番上に表示された会社にしようと、先ずは問合せをしてみました。
当然メールなのですが、3日経っても返事が有りません。
このような天候に左右される「ホエールウオッチングツァー」の場合、頻繁に、確実に相手先と連絡がとれないと困ります。
3日経って返事がないので、再び雑誌るるぶを開くと、ホエールウオッチングツァーを扱う会社がありました。
ここには、メールアドレス、ホームページURLの他に、電話番号が固定と携帯が書かれており、実リアル店舗の住所が書かれていました。
最終的にこの会社にしました。

日本国内ならトラブルも少ないでしょうが、海外のマリンリゾートでは、ネットだけの会社はゴマンとあります。
くれぐれも選択は自己責任でご注意ください。
携帯番号・URL・メルアドは、何時でも自由に捨てることが出来ますが、固定電話番号とリアル店舗がある会社ならある程度信用できるでしょう。

では行ってきます。





posted by 西沢 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月26日

退職リタイヤライフには、買い物、特にほしいものがないのだが

リタイヤ退職後の一か月のお小遣いは30,000円です。
これには、時々の外食代も含まれていますが、基本的にはお昼は自宅で済ませ、午後からの活動が多いので外で食べるのは、せいぜい週にに一日か二日程度です。
この一か月の小遣いの他に、教養・娯楽費として、一年に12万円の枠があります。
これは、主にスポーツクラブや、趣味のクラブの月謝、活動費及びスマホ・ネット代に充てています。
つまり、ひと月40,000円は自由につかえるのですが、飲まない・打たない・買わない?ですし、ゴルフはしない、旅行はカミサンと一緒ですから、別会計ですし、私は独自に、パソコン・Web・プログラム講座の講師をしているので、ボランティア
料金程度、時給は神奈川県の最低賃金ですからたかが知れていますが、月に二万〜三万程度あります。

一般的な団塊世代の退職年金シニア男性の皆様の一か月のお小遣いはどのくらいなのか?
いろいろネットで調べたり、廻に聞いてみても、ピン・キリです。
ゼロから7,8万円、使い道もガソリン自分持ちの場合もありますし、100%自分だけの為の小遣いという話もありました。
平均して、30,000円は近辺が妥当な線ではないかと思います。

でも何につかうの?
時々、臨時収入的なもの、予定していなかった入金があった時も、果て何に使おうか?、何を買おうかと考えます。
かなり大きな金額でも、今更海外旅行には行きたくありません。
現役時代、世界の果てまで歩き、退職後の10年間で行きたい所、経験したいことはほぼやり尽くしました。
ビジネスクラスでハワイへ行って、今まで泊まれなかったようなラグジュアリーなホテルに泊まって、豪華な食事でもと、友人は云いますが、元々染みついた、貧乏性ゆえ、仮に持っていてもそんなお金を、その程度のことで使いたくないと考えてしまいます。

今月もほんの少しですが、予定外の収入がありました。
さて、どうしたものか?
旅行・・・?、国内旅行はカミサンと二人の年間予算があります。
この臨時収入を加算すれば、今までよりも豪華な宿に泊まり、食事できるかもしれませんが、先立つ案はもったいないです。

kaimono1.jpgでは身の回りのものを何か?
そうだ、スマホを使い始めて、今苦労しているのが、スマホ用の三脚、スマホホルダー、そしてスマホカメラリモコンがあれば手振れが発生し易い、スマホカメラ撮影が楽になる。
さっそく調べました。
ここで生来の貧乏性の性格が現れます。
スマホ用三脚なんて、必要がない、今持っているカメラ・ビデオ用の三脚がある。
スマホフォルダーだけで良い。
ネットで探すと、ほとんどのスマホなら、100円ショップのフォルダーで十分とのことです。
では、リモートシャッターリモコンは、と探すと、何とアマゾンで140円で売っていました。
よく見ると、納期は4〜5日、という事は100%中国製のバッタものでしょう。

もう一度ググると、何とダイソーで同じものが300円で売っています。
同じものでも、実物が見られるし、今日手に入るし、100均と云っても、ダイソーで売られているのだから、買ったその場でダメはないだろう・・・と自宅周辺のダイソーを調べると、家から20分ほどの距離にありました。

定年退職後の買い物の鉄則
欲しい買い物があっても、一日置いて、再度考えてみる。
本当にその品物が欲しいのか?
ないと困るのか?
便利だけど、他に代用できるものはないのか?
その金額を払うだけの価値があるのか?


kaimono2.jpg何時もはこの鉄則を守っているのですが、今回は臨時収入ですし、出ていくのは、スマホフォルダー108円、リモートシャッター324円ですから、まあいいじゃないかと、寒空の中、買ってきました。スマホフォルダーは、事前に自分のスマホの大きさを測っていきましたので、何ら問題はありません。
肝心のスマホ用リモートシャッターがちゃんと機能するのか?

当然のことながら、取説なんてありません。
スマホの詳細設定画面から、ブルートゥースを選択し、ペアリングを試みますとちゃんと反応しました。
たった324円でもOKだと、早速カメラをセットして撮影しようとしますが、シャッターは落ちません。
ボタンを押す度に、画面が拡大していくだけです。
試しに、IOSのボタンでも、画面の拡大、音量の拡大は出来ても、シャッターは効きません。

ネットで調べていくと、アンドロイドの簡単スマホでは、リモコンによるシャッター機能がどうやらないようです。
結局324円のリモートシャッターは使えない。
言ったじゃないか?1日置いて考えろって!
便利かもしれないけど、無くても何とかなるのじゃないの?
それに、それってこれから何度使うの? 頻繁に使うものなの?
確かに、おっしゃる通りです。

これは、ビデオクラブのアイフォンを使っている人に差し上げよう。

posted by 西沢 at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月25日

不当統計ではないけど、アンケート調査データーは60才台まで、70才以上がないのはおかしくない?

テレビなどのクイズ番組などでの回答成功率とか、新聞紙上での人気ランキング回答者とか、年代別の調査データを見ていると10代から順にグラフ化されていって、最後は60代で終わっているか、或いは60才以上で済ませているケースがほとんどです。



昨年までは、このようなことにはとんと目がいかなかったのですが、自分が古稀を迎えて改めて見ると、オカシイと思うようになりました。
2018年統計によりますと、日本の人口1億2270万人のうち、60才以上は4,060万人 総人口の1/3、33%を占めているのです。
いろいろな調査目的があるでしょうが、この日本の人口の33%を占める世代を、一概に60才以上として様々なデータとして現わすのは、間違っているのではないでしょうか?

60才、70才、80才では、先ず体力・健康面で全く違います。
60才、70才、80才では、お金の価値観も徐々に違ってきます。
死生観、宗教意識は、当然ながら、60才、70才、80才では違います


そんなシリアスな問題でなくとも、食べ物の好み、ファション、音楽、等の人間の内面に関するものは、年齢とともに変化するでしょうが、一概に60才以上を一緒にするのは、間違いです。
こんな簡単に誰でもが解ることが、TV・新聞社・広告業界・経済調査専門会社が知らない訳がありません。
ただ、単純に60才以上と片付けてて、調査コストを落としているだけなのでしょうか?

超高齢化社会が日本にやってきています。
60才代、70才代、80才代では、大きく違う云う意識を持って統計調査にあたるべきで、これらの調査企画をする時には、民間も・国も、各年代、そう70才台、80才台のスタッフを組み入れて、意見を聞きながらやるべきだと、団塊世代のオジサンはみんなそう思っています。

統計学を教えている、今現役の大学の先生も、学んでいる学生も、広告業界の企画担当者も、宣伝する側の人間も、そして政府のお偉いさんも、60才以上を十把一絡げにするのは間違いだと古稀を迎えるころにきっと解るでしょう。
posted by 西沢 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2019年01月24日

ネット上の友人との初めて会う、鎌倉でのOFF会

退職直後に入学・学習したwebエンジニアクラスの卒業制作として、「海外ロングステイと定年後過ごし方」 と云うサイト・ホームページを立ち上げました。
定年退職した或いはこれからする、日本のサラリーマン、特に同じの世代に向けた情報発信と、交流の場として 一方的な発信だけではなく、自由な投稿、意見交換の場として、多少の管理リスクや手間がありますが、 BBS・掲示投稿板を造りました。
bbs.png
16年前、当時は今のような、フェーブックもツイッターもインスタもラインない時代、知らない、会ったこともない 人との交流の場は、掲示板だけでした。
ネット上で交流はインターネット回線を繋いだつまりON状態に対して、実際にFace to Facesでお相手お会いする、 ネット回線をoffにした状態なので、オフ会と呼ばれています。
掲示板に訪れる人も増え、何年か経過するうちに、この掲示板をで知り合った同志のオフ会が中京地区で行われる、 その時の様子が、主催幹事さんからご報告をいただいたこともあります。
やがて、私の住む関東首都圏、横浜・湘南地区でもオフ会開催のお話も持ち上がり、掲示板管理人の私への参加 お誘いがありましたが、掲示板管理と云うある種の絶対的権限を持つ人間としては、あくまでも影の存在である べきとして、ご辞退した経過がありました。




数年前、ハワイにお住まいの同年代の男性の方から、日本に行くので是非一度お会いしたいと云うメールを いただきました。そのお便りには、会ってみたいと云う内容がありました。
私が、南米アルゼンチンに向かう時に乗船した「ブラジル丸」にその方もアメリカに向かう為に乗船しており、 アメリカで起業し、ある程度の成功を収め、仕事を畳み、現在ホノルル、高級住宅地に住まいを建てて住んでおり 私と同じような人生を歩んでいると:leftのお話でした。
基本的には、掲示板の管理者としてオフ会の参加はご遠慮しているのですが、お住まいが当時私が頻繁に通って いたホノルルであることから、何かしらの新しい情報やら、その方の生き方・人生に興味が惹かれたのでした。

01290122-4.jpg■ 実際にお会いしてみて
少しがっかりしました。
相手のかたのお話は、一言で云えば「自慢話」・「武勇伝」だけなのです。
私が期待していたのは、同じ昭和・平成の時代を生きて来た、団塊世代の定年後の生き方やらに、共感するような お話でしたが、全く一方的な内容だけでした。
お会いする前からある程度の予想はしていました。
昭和の高度経済成長の黎明期、単身アメリカに渡り、事業で成功し、仕事を畳んでホノルルで60代の老後を 過ごす方ですから、私たちのサラリーマン人生と違って、かなりのやり手の男性とは思ってはいたのでずが、 まさに想像していたとおり方でした。
この方との出会いが最初で最後ののオフ会でした。
2019年の年が明けて、私のサイトに度々実際に海外でロングステイを実践し、情報・紀行文をお寄せになる 地方在住の方からメールが有り、今回、関東首都圏に用事があり、半日だけ余裕があるので、割り勘ランチでも 如何と内容でした。
前述のように、掲示板の管理人はあくまでも絶対、中立の立場です。
個人的にお会いし、知合うことには抵抗がありましたし、私のイメージ・行きかたはもしかすると、相手の方が 持っているものと違うこともあるのを恐れていたのです。が、しかし、この方だけは特別です。
書かれている文章の内容、書き方、ロングステイのスタイルから察しは尽きます。
前述の方のように、自分の自慢話をしたくて来るのではなく、昔ながら旧友に、近くまできたからランチでも どう、と云うのがはっきり解ります。


20190122-2.jpg■ まるで学生時代の同級生との再会のよう
ご本人にお会いしたのは、自宅のマンション前でした。
カミサンはこの日、鎌倉の名画座へ出かけて留守でしたが、「ネット上で知り合った人と自宅前で会うのに危険では ないの?」とネット音痴にしては珍しく真っ当なことを云います。しかし、「僕も長年ネット上で掲示板を運営しているから、投稿記事 を読めば、どんな人物、考え方の人かは解る、心配しなくても良いよ」と答えました。
私は、一度だけネット上で自分が写っているややピントの甘い集合写真を公開していますので、彼は私を知っている のですが、私はその方の顔を知りませんでしたが、体形は別にして、イメージ通りの方でした。
先ず、自宅近所の人気のこじんまりとした家庭料理レストランで食事しました。
話て見て思っていた通りの人物であり、お互いに歩んできた人生が不思議なほどシンクロしているのにびっくりしました。 生まれたのも昭和23年の2月と3月の三男、現役時代の仕事は彼は発注元の設計屋さん、私はそれを請け負う建築屋、 結婚の話になり、70年代半ば式を挙げたのが、今を時代の最先端を行く「星野やグループ」の発祥の地、軽井沢の 高原教会というのです。あの時代、結婚式の費用を節約してこれからの新婚生活に生かそうという発想を、私たち二人 は、持っていたのです。

01290122-3.jpg■ お天気の良い日、半日鎌倉散歩
彼は退職しから、海外ロングステイ・国内二地域生活を実践し、地域のボランティアに積極的に参加し、 身体を動か地元に貢献しながら若干の収入を得、自分の老後、終末を伴侶と話すという生活をしています。
二人で似た者同士ですね。と笑って話しました。
質問したことには適格に答え、自分からは聞かれないことは話さない。
今、鎌倉のNPOでお会いする、リタイヤシニアの方とは違っていました。
この日の鎌倉は、お天気が良く、真っ青な青空には雲一つなく、インスタ映えする一日でした。
鎌倉の定番、江ノ電で長谷まで行き、歩いて鎌倉大仏の高徳院から、鶴岡八幡宮へと廻り、地元の大船の 湘南のアメ横と呼ばれる庶民的な仲通商店街の一角にある、シニアに人気のカフェで積もる話で過ごし、 彼は、次の目的地箱根湯本へと旅立っていきました。
楽しい、充実した、有意義な一日でした。
posted by 西沢 at 07:57| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月23日

三浦雄一郎さんの冒険と登山ビジネス

冒険家「三浦雄一郎」さん86才の南米アコンガグア登頂は、心臓に不安があり断念したとの報でした。三浦さんは、世界7大陸の最高峰をスキーで滑降すると云う夢を実現したあと、これで自分も定年だと思ったそうです。
その後の講演で語るのは、自分の過去の話ばかり、自宅近く、札幌の藻岩山に登ると、遠足の小学生にも追い抜かれ「このままじゃダメになる、何か目標を持たないと」と、一発奮起して、身体づくりを再開し<70才、75才、80才の3度、エベレスト登頂を成功させた・・・のはご存知のとおり。

miura.jpg確かに、齢をとると
「過去を振り返る」
「過去と比較する」
「年寄りの昔話・自慢」
は自分でも実感しています。
最近の自分自身のブログやホームページのコラムにしても圧倒的に、過去を振り返り比較するものばかりです。

何か、目標を持ってアクティブに突き進む人生。
86才でアコンカグアに挑む、それは素晴らしい。

でもちょっと待って、それってなにかビジネスの匂いがプンプン漂ってきます。
南米、アルゼンチンのアコンガグアにしろ、エベレストにしろ、今や登山ビジネスとして成り立つている山です。
アコンカグアの最年少登山記録は9歳の小学生なんです。
今や、資金があれば、子供から老人まで、サポート登山会社の支援で登れる山であることは、登山経験者なら誰でもが知っています。

南米アルゼンチン、ブエノスアイレスから大草原、パンパを西にバスで12時間向かうと、アンデスの麓の緑並木の美しい大都市メンドーサに着きます。アコンカグア登山の起点となる町です。
50年前から友人がこの町でクリーニング店を営んできており、日本人登山客のお世話をしてきました。
あの「植村直己」さんも、この友人のお宅で準備を整えて、単独で登りました。
その後も、多くの日本人登山者や、南米を旅するバックパッカーをお世話してきています。
しかし、最近はめっきりと減っていると云います。
理由は、アコンカグア登山サポートビジネス会社の乱立だそうです。

アコンカグアは簡単に誰でもが登れる、南米の最高峰と云うイメージがあり、日本に来る外国人旅行者が富士山に気軽に軽装で登るのと同じイメージが定着してしまった。と嘆いていました。
確かに、ベースキャンプと成り得る、5000メートル近くまでアルゼンチンのメンドサとチリのサンティアゴを結ぶ国際路線バスで行けるのですから、バックパッカーの日帰り単独登山が可能と思われているのです。

最近のTVでは、お笑い芸人やタレントが、アフリカの最高峰キリマンジャロや、ボルネオのキナバル山に登らせており、比較的簡単なイメージが定着しつつありますが、とても危険な傾向であると、山の知人たちは憂いています。
信州で育った私は、日本アルプスが身近であり、3000m級の山々を登っていました。
そして、高校生の時にふらっと富士山に登りに行って、8合目あたりから体調異変を実感しました。なんでこの程度の山なのにこんなに体が重く感じるのだろう、一歩の踏み出しが辛く感じました。
原因は標高でした。
南米アンデスでも、高原列車の最高地点駅標高4200mで列車に置き去りになりかけ、走った時も、かなりヤバイと本気で死ぬかと思った経験があります。
シニアの登山者の事故が年々増え続けています。

それでも、と天声人語では書いています。

定年を迎えて、目標を失い、途方に暮れてばかりでは始まらない。
新たな友人をつくることも、立派な冒険である。
人生とは、そんな冒険探しの連続なのかもしれない。
いったん目標を失ったことのある冒険家の言葉に勇気づけられる。

posted by 西沢 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月22日

韓国の働き方改革 強制退社で「夕方のある暮らし」

長時間労働や、待遇格差の改善を目指す「働き方改革」は日本のみならず、韓国でも進められていると云う朝日新聞の報道記事で、目についたのは「夕方のある暮らし」と云う言葉でした。
確かに、私たち現役時代には「夕方のある暮らし」は有りませんでした。



労働時間があやふやな建設業界、それも超大型現場の担当・責任者となると、早朝出勤・残業・深夜作業は当たり前で正直、働かされていると云う意識は全くありませんでした。
皆んなで協力して、地図に残る、日本を代表とする建物を造る、それに携わるという使命感、高揚感で仕事をしていました。
当然ながら、建設会社では残業に関する「3・6協定」はあり、社員全員知っていましたが、それは、表向き、対外的体裁のもので、そんな「3・6協定」を遵守していたのでは、ビルが建たないのは、明白な時代に私たちは働いていました。

「夕方のある暮らし」
ヨーロッパの働き方を見聞きすると、定時には会社を出て、夕方に自宅に戻り、子供たち、家族と一緒に夕食をとり夕方から夜の時間を過ごす風景が当たり前のようで、知っていましたが、それを日本の今の自分に当てはめる事は到底無理なのは解っていましたし、それなりに社会一般よりもかなり高額の収入を得ていて、仕方ないない、日本の高度成長を支えているのだと云う自負が支えでした。

しかし、その当時の新入社員の言った言葉を今でも忘れられません。
90年代、私たちの会社での部・課単位の会議は、夜やるものと暗黙の了解で決まっていました。
特に、私が課の責任者だった当時、課員全員、それなりの建設現場を幾つも担当しており、日中は朝から出ずっぱりで全員が会議に出席できる時間帯は、夜の8時頃しかなかったのです。
その入社2年目の若い社員が
「なんで時間外の夜に会議をするのですか?」
「正規の労働時間の昼間に何でできないのですか?」と問うてきたのです。
「だって仕方ないだろう、みんな昼間は現場にでているのだし、この時間しか集まれないのだから」と私は答えました。
「それっておかしくないですか?、会議に出席するのだって、現場管理と同じく正当な業務なのに。」
「昼間に出来ない理由は、課の人員数にたいして、業務量が大幅に超過しているからではないですか?」
「君、自分の貰っている給与のことを考えたことがあるか?」と私。
「それは、問題のすり替えです」と反論されました。
毎月一回の会議後は、焼き肉屋で懇親会、飲み会が定例行事でした。
その若い社員は、懇親会には出ず、そのまま、夜の9時帰宅しました。
彼は、入社と同時に結婚し、小さな子供がいました。
生まれ育った町の少年野球の指導者をしたり、お祭りの手伝いもしていました。
何とか、残業は受け入れていたものの、休日出勤は頑なに拒否していました。

その時の若い社員は今、オリンピック景気で湧き、人手不足が深刻な東京の大型建設現場を担当しながら、課員10数名を抱えるリーダーになっています。
彼が今どう仕事と家庭を切り盛りしているかは知りません。
しかし、この働き方改革が会社や、建設現場で公に、堂々と議論できる時代、きっと、家庭も仕事も現場も、昔よりは改善されて、彼にも週に一度は「夕方のある暮らし」があることを望んでいます。

私はまだ悪夢をみることがあります
退職して、現場を離れて16年になりますが、頻度は少なくなりましたが、まだ現役時代の仕事に関する「悪夢」を見ます。
昨夜は、現場が終わっているのに「竣工図」に全く手を付けていない、今週中に提出しなくては・・・と焦っている自分を、夢のなかながらこれは、夢なんだと云い聞かせている自分がいました。何時こんな現役時代の仕事の夢を見なくなるのか?
もしかしたら、ずつと最後まで見ているのかも知れません。
人生そのものが夢だったと、そう思って逝くのかもしれません。


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2019年01月21日

団塊シニア世代は、まだシルバーシートには絶対に座らない

じばらく前のTVニュースで、あの何でもあり中国の列車指定席に、横になって居座り、早い者勝ちでしょとうそぶく女性の姿を映し出していました。さすがにあの報道規制の厳しい中国でも、これでは欧米諸外国から、中国の民度を疑われると、放映を見逃がしてくれたのでしよう。

中国は今、トイレ革命とうたって、公衆トイレの改修にまい進しているように、中国政府、人民自身が、このような公共モラルは中国国内では通じても、国際社会では通用しないし、恥だと思っているようです。
確かに、1980年代から中国を旅してきた私たち夫婦にとって、中国の旅の最難関はトイレと、公共交通の列車の切符の入手でした。
1993年の敦煌以来、中国には行っていません。
この頃から中国は経済の改革開放にかじを切り替えました。
唐の長安、現在西安の大伽藍が見渡せる大通りに、大きな赤いネオンが幾つか現れてきたのを見て、中国を卒業しました。
この数年後からでしょうか、当時あった兌換券が廃止され、人民元に統一され現代の中国へと走り続けているのです。

話は、中国ではなく日本の話です。silver.jpg
私たちは車の免許がないので、何処へ行くにも公共交通機関を利用します。
電車には、「シルバーシート」なる席があります。お年寄り、妊婦、身体が不自由な方の優先席です。
昨年、古稀70才、健康保険負担20%の前期高齢者と呼ばれ世代です。
でも、これまでにこの「シルバーシート」に座ったことはありません。
この席に座るという事は、自ら高齢者と認めることになり、それが嫌だからです。
例え、車内が混んでいて、シルバーシートしか空席がなくとも、座りません。

しかし、このシルバーシートを平然と占拠しているのは、若い世代と、子供を連れた若い母親が目立ちます。
私は、混んでいてもシルバーシートを付近には近づきません。
もしも、座っている人から席を譲られたら時のことを考えると、とてもではありませんが、近寄れません。
それなのに、若い男性はそれ相応の年齢の人が目の前に立って、スマホから目を外さずいます。
小さな子供を座らせている若い母親も、乗車してくるシニアの姿を見ようともしません。
荷物を沢山持ったシニア女性はシルバーシート二席占領してバックをおいて、平然と座っており、「空いていますか?」と声をかけられると渋々無言で、席を空けていました。
バックパックを背中に背負った、シニアオジサンは、混雑した車内を歩き回って席を探しています。その背中のバックが乗客にとって大迷惑なのは、解ってはいないようです。

TVで唖然とする、とんでもない事故やニュースがあると、ほとんどは中国のニュースです。
そして、私たち日本人は、「中国は経済発展しても、民度は発展途上国」と冷ややかな目でみています。
でも、日本だって同じ道を歩んできたのは、団塊世代のオジサン達は知っています。
つい数年前まで、電車のプラットホームでタバコを吸って、そのままポイと投げ捨ていたのを。



posted by 西沢 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月20日

ネット商法の大迷惑、勝手に送られてくるメルマガとFAX

私は、ネット黎明期からパソコン、webに携わってきています。
ですから、一般的な人よりもネット商法というものが、どんなものかは分かっていた心算です。
しかし、ガラケーからスマホに切り替えてから、一か月が経ち、これほど、一般人をバカにした手法がまかり通っているとは、知りませんでした。

メールマガジンが勝手に大量に送られてきます
ソフトバンクのセカンドキャリア「ワイモバイル」と契約したその日から、大量のヤフーメールが届きます。
・ヤフーショッピング
・ストアーニュースレター
・ニュースクリップ 等々
契約した時のデフォルト設定に関しては、「ワイモバイル」は何も説明がありませんでした。
説明ではメールは無料で配信されると云いますが、実際にはパケット、デター通料金は、パケ放題でない限り発生します。
1回の受信について500文字程度のメルマガで約5円弱の料金が発生しています。
最初の設定を変更しない限り、ヤフー関連のメルマガは10数通届きます。
つまり、1日50円程度のパケ代を受信者側が負担して、ヤフーの宣伝・販売メールを受け取っていることになります。

では、これを停止設定するにはどうしたら良いのか?
まだスマホに慣れていない、シニアビギナーにはどうしたらその画面にたどり着くかは、至難の業です。
簡単にするのでしたら、パソコンのほうが絶対に楽です。
私は、スマホを手にした翌日から、これらの大量のメルマガの発信停止画面に入りました。
先ず、自分のID・パスワードですが、これは「ワイモバイル」と契約する際に、
***@yahoo.ne.jp
***@yahoo.co.jp
***@ymobile.ne.jpが必要と云われ、用紙に書き込み、係員に手渡した控えが手元ありました。
この時点で、メルマガ配信のデフォルトは、上記3つのアドレスは全て登録されてしまっているのです。
一応、係の人は後から配信停止にすれば良いです。と云うだけ。
ヤフーからのメルマガに対して、パケ代、データー通信料金が発生することは伝えていません。
全てのメルマガの配信停止は出来ません。スマホ使用に関するお知らせ、料金案内などは、停止出来ませんでした。

TV画面では毎日お得なアプリの宣伝CMが流れています
コンビニやファストフードチェーンのアプリをインストールすると、お得な割引クーポンが送られてきます。
確かにそれ自体はお得なのですが、アプリをインストール際に登録が必要になり、最低限メールアドレスや個人情報を書き込むことになります。
他にも、アンドロイドスマホOSにない、便利なアプリにしても、登録が必要で、これらをインストール際、良く読まないとこれまたメルマガが送られてきます。
アプリのインストールだけでなく、旅行の際のホテルを予約する際にも、登録が必要なサイトは多いです。
登録したほうが、その場で多いと数千円安いのですから、そうするかも知れません。
すると、これまたホテル予約サイトから、メルマガが届きます。
パソコンのように常時接続利用料金固定なら構いませんが、パケットに制限があるスマホの場合、メルマガでもDATA通信料金は発生しているのです。

「モノタロウ」から三度、迷惑FAXがおくられてきました。
2回目の時に、FAXで配信停止、再度送られてきたら、法的処置をとる、消費者庁に通告すると伝えたにも関わらずです。
「モノタロウ」は新興IT通販ではなく、住友商事系とアメリカのアマゾンと匹敵する米グレンジャー社が親会社の大企業です。
このような企業が、相手の承諾もなしに、受信者側のインク・紙・電気代を使って、自社の営業をしているのです。
FAXを止めるにはと、パソコンで調べました。
この通販を使う時には登録が必要でした。
手元のパスワード覚書には、パスワードは残っているものの、IDはありませんでした。
パスワード設定する際に、IDは表示されず、パスワード設定が完了してから、勝手に何処かに表示されたのでしようが、書き残してはいませんでした。
パソコンの操作に精通している、私ですから、何とかIDを調べ、ログインしてFAX配信停止設定するページにたどり着きました。
その画面は
□ Eメールでのお得な情報配信は希望しない
□ FAXでのお得な情報配信は希望しない
□ 郵便でのお得な情報配信は希望しない
□ カタログの送付を希望しない

デフォルトは、チェツク項目はすべて空欄なのです
このやり方はあくどい、半分以上の人はこれを理解していない。
普通は、希望する時のみ、チェックを入れるべきものなのです。

私以外のシニアのネット通販やパソコン設定に関する知識は如何ほどのものか?
我が家のカミサン67才を平均として見るには、かなり無理がありますが、それでも、相当の意識・注意をもってネットに関わらないと、痛い目に遭います。
日本ってそんな社会ではなかったはずなのに。

posted by 西沢 at 08:22| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2019年01月18日

災害大国日本、阪神淡路大震災・大事件。あの頃何をしていたのか思い出す日々

阪神淡路大震災1995年、1月17日早朝。高速道路が横倒しになっている衝撃的な映像を自宅のTVで見ていた。今でも月曜日の朝ということを鮮明に覚えている。
地下鉄サリン事件、同じ年1995年3月20日の朝、あの日も月曜日だった。
東日本大震災、2011年3月11日、午後2時46分、あの日は金曜日だった。

年寄りは、昔の思い出ばかりを繰り返し話す。
若い頃は、そう思っていた。
しかし、古稀を境にして、自分がそうなって来たのを今、実感している。

jiken01.jpg確かに、新聞記事で阪神淡路大震災から24年と云う記事を見ると、あの日の朝のことが鮮明によみがえる。
そして、反射的に当時の自分は何歳だったのか計算してしてしまう。
今、70才だから24を引くと・・・子供の頃からソロバンが得意だったので暗算をしようとおもうと、直ぐに答えがでてこない、たった二桁の引き算なのに。46才だったのか。
月曜日と云うのは良く覚えている。
当時担当していたオフィスビルの竣工が迫っていて、一番忙しい時期を迎えていた。
客先の担当者は大坂の人間だった。
1995年、関東首都圏はまだバブル時の受注が残っていて忙しかったが、関西では関空の完成後、建設業界は落ち込み、人手が余り、大阪支社の人間が関東に応援に来ていた。
彼は私と同い年で、単身赴任で東京で働いていたが、ひと月に一度、土曜日に関西の家庭に帰り、月曜日の朝一番の新幹線に乗り、現場の朝礼にでるような生活をしていた。

この日のTV画面を見て、彼は当分現場には来れないだろうと思った。
普段、私は立場上、現場の朝礼に出る必要はなかったのだが、彼が戻れるまでは朝からでて、指示・打合せが必要と判断し、何時もよりも早めに自宅をでたのを覚えている。
その日、現場ではこの大地震の話題でいっぱいだったが、午後になると、日本を代表する大手ゼネコン・電気・設備の社員が集中するこの現場に、ポケベルの着信音が鳴り響いていた。
関西への応援と、その後の復興事業を見越した、人員配置の連絡だった。
夕方、現場を仕舞う頃に、その大坂の担当者が現れ、現場はびっくりした。

早朝、新幹線の神戸駅に向かう途中が震災にあったそうで、怪我もなく、駅に着いたが勿論新幹線はストップ、街中は騒然としていて、取り敢えず家族が心配で歩いて自宅に向かったそうである。幸い、新築したばかりの家も家族も無事だった。
それではと、東京の竣工間近の現場が気になり、電話するが不通。

家族のことも心配だが、何とか、東京の現場に行かなくては・・・と。
建設業界の人間だから、電車・新幹線は当分無理なのは解る。
彼は、神戸から車で東京を目指すことにした。
大坂方面への道路は渋滞していたので、姫路方面から中国山地を縦断し、日本海を北上して、東京にたどり着いた。
現場事務所では本人も家族も無事で良かった。でもわざわざ無理して来なくても。との声が大半でした。日本のサラリーマンなんだな、としみじみ思ったのを覚えています。

jiken02.jpg今日このブログ書きだして、地下鉄サリン事件が同じ年、阪神淡路大震災の2ケ月後だったのに気がつき唖然としています。
あの日も月曜日でした。
当日の朝、地下鉄八丁堀駅近くのゼネコン事務所で早朝会議が予定されていました。
当時、お台場は野っ原で、再開発の為の交通手段、「ゆりかもめ」の建設中でした。
ゆりかもめの全駅を無人化し、空調を中央監視するシステムの開発設計の責任者だった私は、新駅の幾つかを受注するゼネコンの会議に呼ばれていたのです。
新橋駅に降り立った時、理由は良く解りませんでしたが既に地下鉄は停まっており、都営地下鉄だけが動いているというので、日本橋まで行って歩きました。
日本橋から予定していたビルの間は、上空はヘリコプターが飛び交い、新大橋通は緊急車両の赤い点滅ライトで溢れていました。
何とか、会議開始の時間に辿りついた時、「毒ガスは大丈夫でしたか?」と問われ、事件を知りました。後から考えてみると、その時予定していた出席者は私も含めて、全員会議開始の時間に間に合っていたのです。
あの後世に残る大事件のさなかにいても、サラリーマン・職業人・プロのプライド、責任感、日本人故の責任感がそうさせたのでしょう。
jiken03.jpg
東日本大震災はまだ過去の話、思い出として、シニア世代の私たちが語るには早すぎます。
まだ現実に起きて、継続していることなのですから。
時々、あの年の3月1日から書き始めたブログ、を読み返しています。忘れない為に。

http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/blog1.html




posted by 西沢 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ