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2018年12月31日

2018年12月31日・大晦日 団塊リタイヤ夫婦の一年間の生活費総決算

40年前、私たち夫婦は結婚に先立ち、二人の預貯金をお互いに公開しあいました。
私30才、妻27才。合計金額は、一千万に少したりない位の金額がありました。
お互いの夢は、少しでも早く自由な時間、環境を手に入れ、退職後は世界の住みやすい、理想の国・場所を見つけて住むことでしたので、お互いに今手持ちの資金を合体して、これからやっていこうと云う事で、一年の目標貯蓄金額を決め、毎年年末の日に、総決算を確認しあう、と云う約束して、結婚40年間、毎年大晦日の日の大切な行事としてきました。

退職リタイヤ夫婦の一年間のリアルな生活費はどの位か
1か月の生活費 (夫婦二人)








食費60,000
雑費15,000
公共料金・光熱費  .28,000
マンション管理費37,000
夫 小遣い30,000
妻 小遣い30,000
1か月合計200,000
年合計2,400,000


この1か月の予算は、15年前に退職した時から、全く変わっていません。
これもひとえに、日本経済なゆるやかなデフレョンのおかげです。

しかし、これは1か月の純粋な生活費であって、当然ながらこれだけで生きてはいけません。
この他に、年間を通じて必要な経費を計上しています。












国民健康保険料80,000
固定資産税160,000
介護保険料85,000
火災保険料15,000
年間医療費120,000
耐久消費財100,000
夫 教養費120,000
妻 教養費120,000
旅行&冠婚葬祭費  .1,000,000
合計1,800,000


かなり慎ましい生活をしても、年間420万必要となります。
では、収入は・・・となると、二人の公的年金だけです。
私たち二人は、実質25年間しか働いていませんので、公的年金は、日本のサラリーマン世帯平均とほぼ同じですから、毎年150万円の収入不足になります。
その150万を、個人年金より取り崩す生活が、退職後15年続いています。

そんな毎年150万の赤字で退職後の不安はないのか?
最初からのシミュレーションで解っていましたから、今のところ不安はありません。
一番の不安は、日本のインフレです。
これまでに私は、世界各国のハイパーインフレを実際に目にしてきました。
アルゼンチンでは、お札印刷が間に合わず、旧札にハンコが押されるほどでした。
ソビエトの崩壊時は、年金老人たちが市場裏通りで、長靴を目の前にぶら下げてずっと立っている姿がありました。
今のところ、私が団塊世代の平均的な余命でなくなった後、残されたカミサンは、今と全く同じ生活は多少落とさなくてはなりませんが、ほぼ問題なく過ごせる計算になっています。

そして2018年の総決算は
今年は想定外の出費が多かったです。
私の実兄の死と、カミサンの母親の死による交通費、そして葬儀の出費
退職して15年経つと色々なものが壊れる時期なので、それらの買い替え、修理の出費など。
一泊以上の国内旅行は
◆長崎 ◆伊豆 ◆天橋立 ◆弘前 ◆稚内 ◆仙台
◆水上 ◆清里 ◆博多  ◆秩父 ◆伊香保    計11回ですか。
最終的に12月31日の私たち二人の老後資金残高は、ほんの少し増えていました。
出費が想定外に大きかった分、ほんの少しですが遺産が入ったのと、やはり退職年金シニアの生活になると、自然と出費に応じて、生活レベルを絞る意識が本能的に働くのでしょう

これから、定年後の生活設計、シミュレーションを造る世代の方々の為に、敢えて、私たち団塊世代夫婦の財布の中身を公開しました。何かの参考にしてください。
夫婦二人が同じ方向を向き、同じデーターを共用していないと、上手くいかないケースは多いです。

posted by 西沢 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月30日

建設現場の若い女性職人と1年の締めくくり餅つきイベント

izu01.jpg一年の終り、仕事納め翌日の年中行事、餅つきに行ってきました。
毎年12月の暮、仕事納めの翌日は、昔の仕事仲間友人の会社の駐車場で沢山の建設・設備職人たちが集まって「大餅つき大会イベント」が行われ、退職後から参加するようになりました。
今年は、この友人社長が趣味の磯釣りと養蜂と野菜作りの為に、購入して伊豆稲取の古民家で行われました。

izu03.jpg古民家と云っても築25年の本格和風建築で、敷地は300坪、ミカンの木や、竹林までついて、780万円。駅から車で10分、所謂別荘地でもない農家です。
この地域に古くから住む同じ苗字の一族のご本家でした。
本家の当主のおじいちゃんが、競輪で大きな借金を造り、この自宅が競売にかけられたのを、趣味が多彩な友人が、仲間たちの拠点として物色していた時に落札したのです。

小さな建築設備会社を営んでいますが、東京オリンピック景気が、人件費が高騰しており5人の社員で年間一億程度の売り上げがあり、絶好調のようで、この築25年の古民家も、日曜日の度に、社員や釣り仲間と一緒にリフォームしたようです。
冗談半分に、
「リフォームにかかった資材は、全部現場の材料として落としてんでしょ。」
「手伝ってくれた社員や、職人さんへのお礼も、給与で処理してんでしょ。」
友人は「そんな日産の会長のようなことは、わが社はしませんよ。」と笑っていました。
小さいとは云え、一国一城の主は、一部上場有名企業勤めのサラリーマンとは違うのです。

izu041.jpg社員の一人に20代前半の若い、可愛い女性がいます。
短大時代に、養蜂に興味をいだき、度々横浜の会社に遊びにきていているうちに、この会社に居ついてしまったと云う変わり者の女の子です。
友人社長もこの女の子の入社を二度断りました。
とても、稼げない若い女性を雇う余裕がなかったです。
しかし、短大の卒業も近づいてきて、一般企業に就職する気もなく、日々が過ぎていくと、友人も心配しだして、ご両親が承諾すれば、OKと折れて、入社することになりました。

最初の仕事は、私と一緒に会社のホームページ作りでした。が、ご本人は現場に出たいと云うのです。中小の現場は、女性社員・職人の入場を嫌がります。
理由は、現場の環境づくりです。女性専用のトイレ、更衣室を造らねばなりませんし、若い、綺麗な女性が入ることによる、風紀上の心配までしていたのですが、全く問題はありませんでした。却って、若い女性が入ることにより、現場は明るく、綺麗になっていったそうです。

izu04.jpgこの日、朝9時から50kのもち米をつきました。
数年前、鎌倉のイベントで餅つきをした時は、カマドでしたが、さすが建築設備の会社ですから、ガスと電気です。
今年から一度蒸しあがったもち米を最初、電気もち製造機にある程度の形に仕上げてから、人の手でつきあげ、スピード化を果たしました。


今年の餅つきイベントは、友人の釣り仲間が多く参加しましたので、メインの餅よりも、魚介類のBBQが多く、あわび・伊勢海老・サザエ、おまけに誰かの差し入れの子持ち鮎、今朝早朝吊り上げた「すずき」や「カワハギ」のお刺身、そしてご近所さんからはイノシシのお肉まで登場し、お腹いっぱいになりました。
izu06.jpgizu05.jpg


帰る時には、この日つきあげた「のし餅」・趣味と商売半々はでやっている「ハチミツ製品」、これから本格的にやりたいと云っている趣味の「ブルベリージャム」、庭でとれた「デコポン」と、車で来ている来客は段ボールいっぱいに家庭菜園の野菜を持ち帰る義務が課せられました。

3時過ぎ、かばんいっぱいのお土産を背負って、伊豆稲取から再び2時間半の道のりを帰っていきました。楽しい、1日でした。
伊豆稲取の二駅先は、河津です。来年はここに泊まって河津桜を身に来ようかな。
posted by 西沢 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年12月28日

今年最後の旅行は、齢相応に冬の温泉、伊香保へ

65才で海外旅行を卒業してから、自分たちの退職後年金ライフ予算の許す範囲で、月一度の国内旅行を するように、心掛けています。
しかし、今年は春先の私の兄が亡くなり、秋にカミサンの母親が亡くなったりして、時間的にも、予算的にも 冠婚葬祭費が予定がある以上にオーバーした為、当たり前、道義的にも毎月とはいかなくなりました。
母親の葬儀を済ませ、暫く行けなかった国内旅行は、11月に福岡・門司へと出かけ、12月に秩父夜祭と行き、 今年は今年はそれで最後と思っていましたら、年末旅行予算を精算すると、65,000円余っていました。
たった65,000円ですが、近場の温泉なら行けないこともありません。
特に12月の3連休後から年末お正月休みにかけての数日は、1年で一番安い時期であるのを、知っており、 急きょ、阪急の宿・トレン自由旅行パック、伊香保温泉、2泊3日、4食付、二人で46,000円プランに乗ることにしました。

伊香保温泉は初めてですika001.jpg
昔、現役時代に現場や、協力会社さんの旅行で伊香保案が浮上すると、決まって「群馬の田舎・はばあ芸者は嫌だ」・ 「もっと綺麗どころ、融通の利く花街あるところ」的な意見が出され、これまで一度も行ったことがありませんでした。
いざ行ってみると、自宅から2時間半と近いのはびっくり、昭和の温泉街の雰囲気を残す、階段温泉街はきっと年寄り 、爺・婆だらけかと思っていましたが、意外や意外、若いカップル旅行者が多いのです。

伊香保温泉の町おこしはika002.jpg
階段が有名な温泉街ですが、若いカップルに人気の一つで、温泉街階段の新に出現した、町おこしスポンサーの モミュメントなんとペヤングソース焼きそばなのです。
私たちには、美味いけどカロリーが心配と敬遠されるていますが、若者にはいまだ大人気の商品の湯切り口下 から、温泉が流れ出しているのです。
これぞ、インスタ映え、SNSに掲載する格好のネタになるのです。
もうひとつ、海外からの若者をも惹きつけているのが、アニメの舞台となっているのだそうです。 ホテルスタツフの話では、「頭文字D」と云うアニメの聖地のようですが、私もそのホテルのスタッフオジサンも そのアニメを見たことはないそうです。

若者だけではない、意外と美しい風景があるika003.jpg
月の最終週、お天気は3日間とも良かったです。
そんな、冬の空気の澄んだ日は、泊まった温泉宿の正面に、八ヶ岳連峰見えました。 右手には、日本一広い裾野を広げる赤城連峰が見え、左手にはやはり、雪をかぶった 長野・新潟方面の三国連峰の美しい山々が見えます。
白根山の噴火で、客足が伸びないライバル「草津」のお客さんを十分に引き寄せる魅力が、伊香保に あるのだけれど、情報の発信がまだ十分ではないようです。

冬の風物詩、榛名湖イルミネーションika004.jpg
伊香保は温泉だけの宴会をして一泊だけの町と思っていましたが、車やバスで20分程度の所に、観光地が あることを、今日まで知りませんでした。
榛名山の火口湖である榛名湖では、この時期、高崎市青年会議所や伊香保温泉の若者のイベンいかトで、 ほぼ手作りのイルミネーションイベントを13年間開催していました。 伊香保温泉組合では夜1日一便大型バスを運行して、伊香保温泉宿泊客を往復1,000円で送迎していました。 湖上のイルミネーションとして、最近、インスタ映えすにると人気になっているようです。
普段標高1,200m、と高い場所、夜なの寒さに対して完全防備とパンフレットにありましたが、この夜は 風もなく、それほどの寒さでは有りませんでした。

伊香保温泉街から車で10分 水沢観音ika005.jpg
水沢 音観と聞いても全国区的有名でもなく、伊香保へ行く決めてから知りました。
さして、お寺さんには興味はないのですが、ここへもホテルの無料送迎バスがでていますので、 行ってみることにしました。
まあ、観光慣れした、神社仏閣に普通程度興味がある人でも15分あれば十分な場所です。でも ここへ案内してくれたホテルスタッフからタメになるお話を聞くことが出来ました。 「観音様はお釈迦様のお使いなので、直接願いを頼んでもダメ、お釈迦様にお伝えくださいと頼むのが正統なやり方」 だそうです。知らなかった。

日本三大うどん、水沢うどん
ika006.jpg後の2つは何かというと、勿論、「讃岐と稲庭」です。 水沢うどんが讃岐・稲庭と同じだけ有名とは、伊香保に行くと決めてから知りました。
水沢観音そばの国道には、十数件の「水沢うどん」の名店が軒を並べ、水沢うどん街と呼ばれているそうです。 ちょうどお昼だったので、そば派の私ですが食べてみようとお店に行くと、みんな立派な大屋根の店構えです。 うどんだけでこんな立派なお店が建つんだ?、各店先にメニューを出しているお店は一軒もありません。
試しに一番大きな立派なお店に入って、座る前にメニューを持ってきてもらうと、うどんなのに、1000円以下が ありません。うどん単品がないのです。全てセット、うどん御膳的なメニューで、安くても1500〜2,0ほとけ00円します。
どんなら有名なうどんかも知れませんが、私はうどんにそんなお金を払えません。
讃岐なら、200円以下が当たり前、それにトッピングをつけてもワンコインが常識です。
最終的には、かけうどんのお店を見つけて入りましたが、税込み864円でした。
どう、水沢うどんは?、普通、変わらない。丸亀製麺のほうが、美味い、早い、安い。

新名所となるか 台湾寺 佛光寺
ika007.jpg伊香保温泉から水沢観音に向かう途中、赤城山系の雄大な景色を見渡せる、ビューポイントの前に、今年、 開山したばかりの、台湾の臨済宗日本佛光寺がありました。
開山したばかりで、まだガイドブックにも掲載されていない、ほやほやのお寺さんで、あまりにも立派、 広大なお寺なので、行ってみました。開山したばかりのところに、日本人夫婦が訪れ、日本の臨済宗名山、 建長寺、円覚寺のひざ元鎌倉来たとなると、大歓迎を受けました。
尼さんが中心のお寺のようで、全員台湾のお坊さんで、今一生懸命日本語を勉強中のようで、色々お話して くれました。
私にとって、水沢観音よりも、数10倍好感が持てるお寺さんでした。

2泊3日の中日は高崎へ
ika008.jpg2日目、観光、出歩くのに伊香保温泉は半日もあれば十分なので、まる一日使える二日目は、伊香保温泉から バスでJR渋川に出て、そこから高崎に出ました。
一番目の目的は、50年前に一度行ったことのある、高崎観音(白衣観音)です。高崎観音は、関東では私の地元 大船観音と並んで、立像としては有名な観音様です。大船観音は何故か、日本に住む小乗仏教の国々、タイ・ラオス・ベトナム ミャンマー・スリランカ・ネパール等の人々から絶大な人気があり、お正月やお釈迦様誕生日は、境内はこれらの 国々の人々でいっぱいになります。
高崎観音さんはどうなのか?と興味がありお寺の方に聞いてみましたが、特別、そういった傾向はない、 大船観音は、駅から近く、電車からも見えるので外国籍のかたでも気軽に来れるのが、原因ではないのでしょうか? と云うので結論で、上部座仏教や大乗仏教の違いではないようでした。

カミサンの今回のメインはここika009.jpg
ガイドブックで高崎の見所や、お土産、食べ物を見ていていた、カミサンが絶対にここへ行きたい、 行き方を調べて、と云ってきたのが、最近デパートで長蛇の列が出来る、お菓子メーカーの工場見学の記事 でした。
基本は「ラスク」なのですが、このメーカーは数年前から冬季限定でラスクにホワイトチョコをコーティング したものが、大ヒットし、限られたデパートとネットで売られており、ここ数年カミサンは贈答用に使って おり、是非工場見学に行って試食が楽しみと、温泉やお寺はどうでもよく、ここが今回の主目的地でした。
「ガトーフェスタハラダ」は高崎から二駅の「新町」から徒歩15分ほどの距離にありました。広大な敷地には ツァーバbrスが停まるほどの奥様方の人気地のようで、私は手持ち無沙汰で待つだけでした。
今年の旅は終わった
鎌倉に帰る特急のなかで、1月は何処にいく?とカミサンは聞いてきます。
温かい所が良いわね。
来年の講座の予定はどうなっているの?
マイレージは貴方が元気なうちにどんどん使おう。

まあ、年明けゆっくりと考えよう。と私
posted by 西沢 at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月25日

シニアの関心事 終活年賀状 出すか出さないか

15年前に退職してから、ブログを書き始めました。
ブログはWeb Log(ウェブログ)ネット上の航海日誌、つまり私的日記です。
昨年までは、自分のサイト内にブログ風ページ
(http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/blog.html)を造り、週に一度更新してきましたが、
今年の初めに日本財団のブログを知り、RSS機能の強力さを惹かれて、こちらをメインに書くようになりました。

RSS(Rich Site Summary)とは
「Rich Site Summary(リッチサイトサマリー)」の略称で、XML記述というマークアップ言語を用いて、Webサイトの更新情報の日付やURL、タイトル、その内容の要約などを配信する技術です。
最近では、多くのニュースサイトやブログが更新情報をRSSで公開しています。


日本財団のブログ、Canpanは多くの市民ボランティア団体が登録され、情報発信に役立つており、私のようなリタイヤ団塊世代の定年後の生き方、過ごし方情報、想いも何らかの役に立っているようで、Canpanのアクセスランキングトップ10にランクされるように、成長してきました。

時間のゆする限り、毎日、何らかの同じ世代の方々と同じ発想・考え方・共感を共有するような話題をと考え、次に何を書くか、思いついたらメモをとって残しています。
最近、そんな思いで朝日新聞を見ていると、私のメモと同じ項目が次々と特集記事と掲載されています。
きっと朝日新聞の編集部に、これから定年を迎えるシニア予備軍がいるのか、或いは定年延長してまだ現役の記者として頑張っているのかと、想像しています。

12月24日振替休日の「オピニオン」欄のテーマは終活年賀状でした。
私も、今年、年賀状に関してのブログを書いたことが有ります。

年賀状はそもそも、退職してから出すようになりました。
それ以前の35才から退職した55才までの20年間、お正月に日本にいたことがなく、世界の各地からお正月リポート的に現地から絵葉書を送っていました。
ほとんどが、世界の遺跡巡り先で知り合った旅好きの人たちへでして、会社・親戚関係への年賀状は皆無でした。
退職してからの年賀状は、近況報告の意味を含めて、元勤務先、仕事関係、親戚などに送っていましたが、古稀を迎えた2018を最後に出す事を止めます。
私の場合、知りたいと思う友人などは、ネット上のホームページ・掲示板、SNS、ここのようなブログなどで解るのでいいか!と云う理由です。
webデザイナーと云う仕事柄、年賀はがきを書くこと、デザインすることは嫌いではないのですが・・・何か、退職して、古稀を迎えてもから社会と繋がっていたい・・・未練がましいと思われるのが嫌なのかもしれません



終末年賀状に対する考え方の相違
朝日新聞には色々な声が乗っていて、ふーん、そういう風にとらえる人もいるものだと、改めて考えさせられました。2019nenga.jpg
・新年早々、絶縁状をもらいたくない
・年長者に辞退は云いだしづらい。年下には「辞退」を書き添えるようにしている。
・終活年賀状は、私と関りを持ちたくないだなと、見捨てられた気持ちになる。
・終活年賀状は年内に届くようにして欲しい。こちらも出さないようにするから。
・年賀状のやりとりしかしない人は既に、縁がなくなっていると思う。


なるほど、色々なご意見があることを、知りました。
退職して15年、16年目のお正月、果たして何通の年賀状が届くでしょうか?
それらの年賀状には丁寧に、リタイヤ16年目突入の想いと、来年より年賀のご挨拶を遠慮させていただく旨を書いて
だそうと、今から文面と、デザインを考えています。
posted by 西沢 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月24日

内向きな日本の若者と年金シニアの海外ロングステイブームの終焉

海外から日本にくる外国人は、10年前の2008年は年間800万人だったのが、今年は3,000万を突破し、東京オリンピックの年には4,000万人の受け入れを目指しています。
一方、海外へ旅立つ日本人はどうなのでしょう。
人口に対して、国外に旅行に出る人の割合を表すのが出国率と云います。
日本は13%と近隣アジア諸国に比べるとかなり低いです。。
※これは全人口に対する割合の為、総人口が多い国は数字上は低くなります。



日本の若者は「内向き」と云われて久しいです。
海外旅行にも関心度が低く、日本の20代の若者の出国者数は1996年からの20年間で40%も落ちているという数字がありますが、この世代の出国率ほぼ変わらず、23.4%と全世代平均の13%よりも多く、若者人口が減ったことに過ぎないようです。
そして云えることは、若者の二極化がすすんでいるようです。
海外に出かける若者は、何度でも出かけるが、出ないものは全く出ていかない。

私の甥・姪はカミサンの親戚も合わせると、甥6人、姪2人の計8人います。
そのうち、海外に出たことが有るのは、二人だけで他の6人は海外へでたことはありません。
海外に出る甥っ子の一人は、仕事で海外出張が多く何度もでています。もう一人の姪っ子は、新婚旅行で一度、ハワイに行っただけです。

なんでそうなるのか?
一つは、私たちの甥っ子・姪っ子は団塊ジュニア、就職氷河期の子供たちです。
6人の甥っ子のうち、2人は40代手前で給与の安定しない派遣社員です。
6人の甥っ子のうち、結婚しているのは一人だけです。
2人の姪っ子は結婚していますが、子供がいるのは一人です。
今の日本が抱える諸問題の根源は、日本の戦後の政治・政策・教育にあり、それを生きてきた団塊世代にも一因があると云うのは、云い過ぎでしょうか。

私たち団塊世代が20代の頃は、海外旅行は一つの夢でした。
その延長が定年後の海外ロングステイへと繋がっていったのです。
しかし、団塊世代が古稀を迎えると、この世代の海外旅行への興味は激減していきます。
私が55才で退職して、「団塊世代の海外ロングステイ情報」http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/index.htmlサイトを立ち上げた頃は、「ロングステイ」は一種のブームでした。
マスコミ・テレビは、こぞって、退職者シニアのひとつの過ごし方、暮らし方として、日本の年金でゆったりと暮らせる海外ロングステタイとして、「タイ」・「マレーシア」・「ハワイ」・「オーストラリア」で優雅に暮らす、日本人シニアの生活ぶりを取り上げていました。
私のサイトも、毎年アクセス数はうなぎ上りになり、年間200万にもなりましたが、私たちが海外旅行を卒業した5年前(65才時)から徐々に落ちてきており、最高アクセス時の65%程度となっています。

第二の人生を海外で過ごす・・・ブームは去っ
定年後シニアの海外ロングステイ数の信頼できる統計はありませんが、確実に少なくなっています。原因の一つは、私たちが当時目指した「年金だけで暮らせる」国がなくなったことです。
アジアの国々の経済成長で生活物価が上昇したこと、日本の年金の減額化・・・特に企業年金が少なくなってきているのが多くの要因と、私たちのサイトによる情報発信で、海外で暮らすことの問題点の提起なども考えられます。
もっと大きな原因は、60才定年が65才まで延長されのが大きな要因です。
65才で定年を迎え、さあ、自由な身、今まで考えていたこと、やりたいことをやろうと思っても、男性の65才シニアに残された時間は、人間として生物学上70才になると、確実に体力・気力・好奇心は落ち、第二の人生ではなく、残された人生と云う意味に代ることを悟るからです。

若者が海外にでない、シニアが海外に出なくなる、出国率が低いは、成熟した日本社会構造では、経済発展する新興アジア諸国よりも低いのが当たり前なんです。
posted by 西沢 at 08:16| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月23日

定年後の田舎暮らし「人生の楽園」の人々のその後はどうなっているのだろう

テレビ朝日土曜夕方の「人生の楽園」は、私たちと同じような世代の方々の、定年後の生活、生き方などを紹介する番組で、退職してから二人で良く見てます。
でも、いつも同じパターン、都会から田舎に越してきて、rakuen.png

・家庭菜園づくりから本格的に農業を志す。
・家を改造としてカフェやパン屋さんをする
・農家民宿を経営する。
・趣味の木工づくりで道の駅で販売する。
・地元に溶け込み、地域の公民館で活動する。
・趣味の蕎麦うちが高じて、そば屋を開業したひと



番組では、田舎のこんな所で商売になるのかと思うような場所、開業間もない素人のお店に結構なお客さんが入っている様子が映し出されています。
恐らくは、撮影の時だけご近所や、友人知人が来てくれているのではないかと、推測して見ていますが。

12月22日の朝日新聞「声」、オビニオン&フォーラム欄に18才、高校生の投稿がありました。
タイトルは、農業は人との信頼で成り立つ
投稿要約

私は新規就農したいと云う夢があり、高校で日々農業をまなんでいる。夏休み、山梨の農家に研修にいった。お世話になった家は新規就農者の家。その方のお話では新規就農者は増えているが、多くは長く続かずやめていく。
理由は、地域の人との信頼関係に問題があるようだ。
お世話になった家も、地元にの人々に認められるまで3年かかった。
農業技術があればやっていけるは、安易な考え。
先ずは人に信頼されることか大切、と痛感させられた。と


若い高校生でも、短期の夏休みの就農・田舎暮らしでこれだけ学んでいます。
もっと人生経験が豊かな、そして少しばかり資金的に余裕のある定年退職シニアなら、もっと現実的に、地縁・血縁のない田舎で暮らしていくという事はどんなことなのか、解っているハズなのでしょうが。あるデーターでは、定年後の起業の3年以内のは廃業は9割と伝えています。

昔、バリ島でロングステイごっこをしていた時、友人のインドネシア人が話していました。

ロングステイを目指して、バリ島にくる日本人は金づる、カモである。
みんな、インドネシア人からみれば10年も20年も遊んで暮らせる大金を持っている。
バリ島に1か月も住めば、すること、行くこともなくなり、そのタイミングで、土産屋や食堂の共同経営の話を持ち掛ければ50%以上の確率で話に乗ってくる。
彼らは、儲けなくてもよく、トントンで良いと考える、今のこの毎日することのない暇な生活のなかで、現地の人とふれあい退屈な日々から抜け出せる。と
一番簡単なのは、開店資金を預かってトンズラするか。
金を出させて、開店し、売り上げを誤魔化すか。
本人が一時帰国後、バリに戻ったら、店は閉店していた。
或いは、繁盛して金になりそうになると、警察や行政を巻き込んで、外国人の営業、権利を巻き上げる。


先ず99%、このパターンです。
ご本人の日本人が、本当にこの店で食っていこう、生活していこうと云う意欲がない限り、絶対に成功しません。

田舎暮らしの地での、カフェ・レストラン・そば屋そして幾ら家庭菜園が好きで始めた農業の真似事も同じです。
田中暮らしご近所の方々は、この地で生きて行く為に、働いてきているのです。
都会から、大きな退職金を持ってきて、昔の知人が住んでいた古い農家を買い取り、都会と同じようなリフォームをし都会育ちの奥さんがお菓子作りが好きだからといって、田舎にはない、こじゃれたカフェを造っても、一二度は物珍しさでくるでしょうが、さしてインスタントとドリップの違いも解らない、おばあさんはケーキの値段の高さにびっくりして、来なくなります。

私はこの番組をみながら何時も思います。
この方は、この古民家を幾らで買い、リフォームに幾ら費やし、厨房器具やインテリヤや食器に幾ら費やしたのだろう。
その初期投資を何年で回収しようと計算しているのだろう。
恐らくですが、投資を回収しようとは鼻から考えていないでしょう。
老後の自分の夢、我が儘を実現したいだけなのでしよう。

この番組を見ていて一つ云えることは、夫婦二人全く、地縁・血縁のない土地で一時的に、仮の住まいとしてならともかく人生の終焉まで過ごすと云うことは難しいということです。
カミサンはこの番組をみながら、いつも呟くのは、
「この人達って、自分は病気にならないって思っているのかしら」
「奥さんにしろ、ご主人にしろ、残されたら一人で、この田舎に住み続けられると思っているのかしら」
「冬の田舎暮らしの様子を番組では、まずやらないわね」
posted by 西沢 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月22日

団塊世代のネット上の知り合いの「退職後5年間のブログを修了のお知らせ」

定年後の過ごし方・ロングステイ・みんなの伝言/掲示版を開設してから15年立ちます。
同じ団塊世代として、皆様より5年早く、55才で退職し、10年間は海外ロングステイの情報を自分の足と目で得たものを共有するのを意図したサイトを運営して参りました。
その、団塊世代は来年、干支は猪の年男、72才となり、少しづづですが、このサイトへのアクセス数は減少してきています。
それでも、1500〜2,500アクセスがあり、まだ同じ世代が集まり、情報交換・愚痴の吐け口として必要とされているのでしょう。そのなかの有力な投稿者のお一人は、ご自身のブログを5年間発信し続けて、今年の11月にブログを停止致しました。
最後のブログの記事は、古稀を迎えた世代の方々に大変参考になると思いますので、引用・転載致します。



http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi

taibunさんのブログ引用
アクセスいただきましたが、ブログの更新・公開を2018年11月で終了しました。
今まで、いくばくかでも、退職後の生活のご参考になっていれば、嬉しいです。

日々の生活を書き留めて見てもらうのは、退職してからの大きな楽しみでした。しかし、いつの間にか、それにかける時間が多くなり、残り少ない人生の貴重な時間を、ブログを書いたり・見たりする事に費やしていては後悔するのではないかと思い至りました。

最後に、退職後5年間の感想をご紹介しておきます。

退職して良かった事。
気の進まない仕事をしなくて良い。
毎朝、孫の可愛い頭を撫でられる。
辛い通勤がない。(寒い朝や夜、雨の日、満員電車)
その日の天気を見て出かけられる。
平日のサークルに参加できる。
スポーツをするようになった。
旅行の準備(調査)に十分な時間がかけられる。結果、ツアーではなくて自分オリジナルの旅行ができるようになった。

退職して悪かった事
通帳の残高が減り、長生きして困窮するのではないかと不安になる事がある。(長生きがリスクとは悲しい)
オン・オフ感を意識しないと作れない。
ほとんど毎日、晩酌するようになってしまった。
昼寝が多くなった。
65歳まで働かなかった事を奇異な目で見られる。「残してもらえなかったの?」と言われ不愉快。
働いて優雅な生活をしている友人を、羨ましく思う事があった。

退職後始めて、今も続いている事
テニス、カヌー(挫折しそう)、山歩き、西語(上達せず)

退職後始めてみたが挫折/やめた事
放送大学(1単位もとれず)、太極拳(1日)、ピアノ、このブログ。

想定外だった事
妻が、仕事(パート)をやめなかった事→退職したらいつでも旅行に行けると思っていたが、退職前同様に、夫婦旅は極めて日程が限られる。でも妻が家にいない事は、夫婦円満に役立っているかもしれない。
娘家族と同居→楽しくもあり、ストレスでもあり。
心身の変化
体力の衰え甚だし。このところ、足の靱帯が痛くなる。
妻がかけがえのない存在だとしみじみ思う。
異国への憧れがなくなり、興味も著しく下降。
色々とケチつけたくなってきた。イカンと思いながら抑えられない。
美術や音楽への興味が増えた。特に、仏像を見たいと思うようになり、自分でも驚き。
テレビが面白くない。特に、NHKはチャンネルを間違えたのではないかと思い、時々確かめる。
海より山が好きになってきた。

退職後に気がついた事
我身・周りを見て、健康寿命70数歳というのは全く正しいと思う。夫婦2人で元気に出歩ける期間はきっと、数年だ。
平均寿命80数歳というのも、そんなものかもと思う。知人が随分なくなった。「人生100年」「長い老後」と言われるが、明日があるという保証は全くない。
色々な事に手を出すものの中途半端で終わるのは、時間がないからだと思っていたが、どうもこれは自分の性格のためで、時間があっても、直ぐに嫌になってしまう・諦める事がほとんど。
金持ちより、人持ちだと思う。しかし、新たに友人を作るのは難しい。
やりくり・工夫も楽しい。
自分の町の事をほとんど知らなかった。安く遊べるサークルが、沢山ある。
同年代の奥様方と話をして、男との考え方の著しい違いに驚く。

これから
「やりたい事・行きたい所ノート」に書いたメモは、未だ増え続けているが、最低限の事はできた。もう、いつ死んでも良いという気がしないでもない。そう思うと、これからが、本当の「おまけの人生」なのかもしれない。
回りをきょろきょろするのは、もうやめよう。自分を評価するのは、自分自身だ。
手を広げず、本当に好きな事だけに集中していこうと思う。
伊能忠敬が増々遠くの存在になってしまったが、これからも目標として忘れずにいよう。
「日々是好日」



taibunさん、お元気でまたネットでお会いするのを楽しみにしています。

posted by 西沢 at 07:57| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月21日

 ついに、とうとう、仕方なくガラケーからスマホにしました

暮れも押し詰った冬至の日
ついに、嫌々ながらガラケーから、スマホに切り替えました。
理由は、6年間使ってきたソフトバンクのガラケーのバッテリーが寿命のようで、3分以上の長電話になると 途中のバッテリーがダウンしてしまい、相手の方にご迷惑をお掛けすることが、シバシバ発生して いるのが、一番の大要因です。

そして、2番目の要因は
最近、頻繁に国内旅行にでかけるのですが、ご存知ように私は車に乗れません。
必然的に、公共交通機関を利用するのですが、旅に出る前に路線バス時刻表をかなり大量に 印刷して持ち歩き、目的地の地図をまたグーグルマッププから印刷して持ち歩く、アナログ的な 生活をしており、こんな時だけ。スマホがあればと云う想いはずっとしていました。
他にも・・・
現在でもNPOセンターでwebページのスマホプレスポンシブログラミング講座の講師をしている 先生の私が、実機を持たずにクロームのシュミレーションでチェックしているのが、自分自身歯がゆく は、感じていました。
これを機会に、我を張らずに、素直にスマホにしよう。
と考え、これまでのガラケーと固定電話の月々の経費を洗い出しました。

ガラケーの月々の費用は
ymova.jpg
まず、二人のソフトバンクガラケーの1か月の費用、一年間を洗い出しました。
多い月では、5,000円、一番少ない月でも3,000円ほどかかっていました。
私はほぼ受信専用なのですが、 カミサンは友人との長電話が多いのと、義母の容態が悪かった時期の実家との長電話が多かったせいでしょう 。
そこで、ガラケーのバッテリーの件で訪れた、ソフトバンクショップにて、スマホへの切り替え相談をし、 1か月の二人の予算合計5,000円で納まる案の検討をお願いしました。
今は、昔のような実質0円実機はないのは解っていましたので、実機2台は一括払い、電話は固定・各キャリア への通話は無制限、少なくとも2年契約終了時までは、使用データー3ギガで、二人で5,000円以内プランを まとめました。

朝10時に入店、全て終ったのは12時半でした。
1週間前に、ソフトバンクからワイモバイルへの切り替えに関する、時期、書類、当日までに決めておきたい アドレス、ID、パワードの書類を完璧にこなし、10時に行って作業を始めました。
やるのは、当然ワイモバイルのスタツフの若い女性です。 先ずは、私のガラケーでソフトバンクの音声案内へ接続して、一つづつ、音声ガイダンスに沿って 解約を進めていきました。
12月20日と云う日を選んだのは、解約手数料、日割り計算が最小限に抑えられる日だったからです。 そして、事前に渡されていた、ワイモバイルのアカウント、メール設定、googleアカウントの取得、設定 を2台分、テキパキと熟して行きました。
こんなに完璧にやってきていただいた人は初めてと褒められました
私の場合、メインはパソコンなので、スマホのメールはワイモバイルとして必要な xxx@yahoo.ne.jpとアンドロイドを使うための xxx@gmai.comなのですが、両方ともすでに持っていましたので、簡単に 済みました。

想定外の事態の発生
全て、設定がすんでスマホを立ち上げてると、Gメール受信トレイに800通オーバーの未読メールが 届いています。そんな訳がない、パソコンで日課として毎日二回チェツクして不要なものは消して いるのに。原因は解りました。
私のパソコンのメーラーでは削除していても、グーグルメールサーバーの中を削除しないと 何時までも残っているのです。これはヤバイ、という事は今度新しく造ったヤフーメールも同じ ことなんだ。 勉強になりました。

sumaho1.jpg問題は「かんたん」ではないかんたんスマホガイドブックです。
一応、シニア向けかんたんスマホと謳ったいますので、大小2冊のガイドブックがついていました。 しかし、私たちのようなパソコンハードユーザーが知りたい事、設定などはどうせ書かれていないだろうと 思って開けると、その通り、何処にも書いてありません。

データー、写真は何処に保存されるの?、本体なの、SDカードなの?
SDカード優先設定はどこでやるの?
パソコンとのデザリングの操作・設定は?
メモ帳みたいなものは何処にあるの?
何処に保存でき、どうやって開けばいいの?

まだまだ聞きたいことが山ほどあります。

ワイモバイルのショップでは、いつでも無料で、スマホ本体の使い方についてご相談下さい。と 云っています。近隣のドコモ・AU・ソフトバンクと比べて、比較的空いていますし、駅前商店街 のなかなので、カミサンには解らないことがあったら気軽に、何回でも訊ねていいそうだよ。 私の講座と違って、何度でも、笑顔で答えてくれる、と云う話だから。と

暫く、週末はこのスマホと格闘し遊べそうです。
ちなみに、この簡単スマホ、京セラ製で2台で120,000でした。
まあ、安いパソコン一台買ったとおもえば、安いものか。
そのうち、古稀で初めてのスマホ物語でも書こうかな。
posted by 西沢 at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月20日

今年壊れたもの、ソーラー腕時計・ガラケー・キッチン混合水栓・トイレウオシュレットなどなど

物は何時かは壊れる、でも買う時にはそんなことは考えない、ましてや日本の製造クォリティの高さ、信頼度からすれば5年や10年で壊れるとは思ってはいない。
我が家の冷蔵庫は30年前のものです。
二人家族でもあり、食に対する特別な思いもないので、中くらいの普通の冷蔵庫で十分なので、壊れるまで使おうと思っていますが、未だに健在です。
電子レンジに至っては、1986年製ですから32年前のものです。全く問題ありません。

固定して一つの機能だけの為に運転するものは、壊れにくく、色々な機能を持たせて、軽く、運びやすくなどすると自然に壊れる確率はあがっていくのは、仕方がないのですが・・・

alba.jpg先ず、ソーラー腕時計が突然みたら針が停まっていました
電池がないのかな、と思いましたが、ソーラーですから電池は不要だと思っていたのに。
ネットで調べると、二次側充電電池が必要で3年から5年の寿命のようですし、普通の時計屋さんでの交換は出来ずメーカー対応(何故? 中に入ってる二次電池が小売されていないから)のみ。
だいたい費用は、送料込みで3,150円からだそうです。
ソーラー時計って電池不要だとばかり思っていたのに。
新しいね安物を買ったほうがお得じゃないか。

ガラケーが通話中に切れてしまう
外部からの電話が少し長くなると、途中で切れてしまうことが頻繁にあり、明らかにバッテリーの劣化です。
バッテリーの交換費用は、上記ソーラー時計と同じか、もう少し高いよう高いようですが、もう製造していない、ガラケーを使うよりも、そろそろスマホに気の変えなくてはいけない時期、潮時なので、修理せずにスマホに切り替えを決意、本日、ワイモバイルと契約しに行きます。

tkg.jpgキッチン混合水栓が回らなくなってしまった
築15年目のマンションのキッチン混合水栓。シャワー付きでもあるし、首振り回転自由なタイプで使い易かったのが、だんだんと首振りが硬くなり、いつしか回らなくなってしまいました。
不自由は不自由なのですが、使えなくはないのですが、現役時代の知り合いの設備会社の友人に会った時に話しましたら職人さんが来てくれて、交換してくりました。工事費ゼロですが、高機能混合水栓は結構なお値段ははします。
定価60,000だって。高いな。

トイレのウォシュレットの便座が温まりません
イナツクス(現リクシル)のものですが、この新築マンションに最初から設置されていたので丸々15年になります。でも、こんな単純構造のものが、たった15年で故障するか?
温水シャワーもでてきません。
夏場には、電源を切っていたので解らなかったのですが、昨年の冬あたりから電源投入時、異音がしていたのですが、ついに今季、うんともすんとも云わなくなりました。
別にトイレですから、便座が温かくならなくても、温水シャワーがお尻を洗わなくても構わないのですのでそのままにしてあります。

設備会社の友人と話したのですが、日本の製品クォリティはどんどん下がっている。
昔は、電化製品にしても、建築関連機器にしても、何十年も持ったが、彼の専門分野である設備機器は、10年で一度交換時期がやってくるのが普通だと云うのです。
日本のモノづくり現場の衰退が原因で、製造・検査まで全て外部に頼って至り、国内大手の検査体制の甘さ、書き換え、隠蔽も昔ながら一貫した製造現場体制がなくなったからだと、云っています。

建設現場も同じだよ。と彼は云います。
今、2020東京オリンピックで建設ラッシュだけど、俺たちの頃を思い出せば解るだろ。
1964年東京五輪当時の建物、ビルが如何にいい加減な手抜きが多かったか。
だから、今回も同じだと思ってみたほうがいいよ。2018辺りから2020に建てられた建物は外観はどうでもいいけど、内部は眉に唾つけてみたほうが良いよ。と。
posted by 西沢 at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年12月19日

外国人労働者の受け入れ、共生社会の実現へ、そこまで必要なの?

新聞紙上では、政府は外国人が日本で暮らしやすくなる環境の整備に取り組むと云う報道がされている。具体的な策として
地域社会づくり
■生活や就労のために必要な情報をまとめた生活・就労ガイドブック(11カ国語に対応)を作成
生活サービス
■災害発生時の情報発信の多言語化 ・気象庁ホームページ・緊急地震速報・「Jアラート」を11カ国語に対応
■110通報、運転免許学科試験、75以上の運転者対象とした認知症検査で多言語に対応
■連帯保証人がいなくても賃貸契約が出来る「住宅セーフティーネット」の活用促進
■銀行口座を開設しやすくする仕組み
コミュニケーション
■日本語教室の空白地域の解消
■日本語教師のスキルを証明する新資格の準備
■日本語教師の質の向上、適正な管理
■外国人児童生徒の教育の充実
■留学生の就職支援
■ハローワークの多言語化
■医療保険の適性な利用の確保



ふーんの、そうなんだ、政府は、外国人労働者を本気で増やすつもりなんだ。
確かに、そうすれば現在、日本に実習生として働いているアジアの若者には随分たすかるだろうけど、その費用は全て日本政府、自治体が負担するの、イコール私たちの税金で。
税金を投入してでも、日本経済を活性化する為に、外国人労働者を増やそうと、安倍さんは考えるのか?

一つ、疑問があります
他の国でも、これと同じようなレベルの外国人労働者のサポート体制をしているのでしょうか?
私は20才の時に、南米アルゼンチンで社会人としてスタートしました。
この時期、同国には、毎年数十人ほどの実習生と呼ばれる日本からの農業青年がいました。
お隣のブラジルでは同じく、実習生とよばれる若い農業労働者が、アルゼンチンの数10倍いたと思います。
そして、このブログでも以前書きましたが、その数年前まで、アメリカカルフォルニアにも、日本の地方の農業青年が沢山、イチゴ畑で実習生として働いていました。
同時期、少数ですが、技術研修実習生と云う名目でドイツの炭鉱で多くの日本の若者が働いていました。

私と仕事環境などが違いますが、アルゼンチンで同世代の日本人若者との交流は密にありました。今、日本政府が「共生社会」と呼ぶようなシステム、社会環境は全くありませんでした。
これはアルゼンチンに限った話ではなくブラジルもパラグアイもそして、アメリカでもありせんでした。そして、現在でもないと思います。
夢見て来た国、自分で選んだ国に住み、働き、生活するには、社会の仕組み以前に、先ず言語能力ですし、コミュニケーション力ですし、異民族社会に溶け込む努力、生活慣習を学ぶ努力が各々個人に求められているのです。

アメリカに住んだことはありませんが、現在のアメリカとて同じだと思います。
生活サービスの多言語化はありません。「ここはアメリカ、お前が英語を習得しろ」の一言で、お終いです。私も、6年間住んで、色々な用事で役所・官庁に行きましたが、スぺイン語以外で受け付けてくれるところは皆無でした。ましてや、外国人の就労や、困りごと相談する場所なんて、ある訳がありません。

では、各国の移民・労働者はどうしていたのか?
古くから移民・外国人労働者の流入がある国には、各々の相互扶助のコミュニテーが存在するのです。
日本国内の中国人団体(華僑)とかインド人団体(印僑)とか、朝鮮系民族の団体がそれぞれ、今、安倍内閣がやろうとしていることを、もう戦前からからやっているのです。
日本人社会も同じで、少数派のアルゼンチンにしろブラジル、パラグアイ、ボリビア、ペール―、そして本場アメリカでも同胞が助けてくれて来たのです。

書いていてとても、偏った云い方かも知れませんが、先ずは自己努力が先決です。
相撲社会を例にとるのはどうかと思いますが、みんな、日本に来て数年なのに、あんなに日本語が上手です。
「泳げなくても海に突き落とす」学習法とも云えるそうで、覚えないと生きていけない状況になると必死で覚えます。
私がスペイン語科出身で、6年間アルゼンチンに暮らしていたのに、そんなにペラペラでもなく、難しいラジオのニュースは聞き取れないのは、それでも溺れて死なない程度のあまい環境にあったからでしょう。

どうやら、この外国人労働者支援のシステムは、ドイツがお手本のようです。
外国人労働者受け入れ先進国のドイツでは、トルコ人受け入れで、いろいろ試行錯誤があったようで、ドイツ政府が移民してきた家族の子供たちに、ドイツ語ではなく、トルコ語を教えていると聞いてびっくりしました。
将来、この子供達がトルコに戻つても困らないように。
いつでも、国内労働者人口の調節弁として外国人労働者を見ている。それが本音のようです。
posted by 西沢 at 07:27| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ