CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2018年10月31日

クローズアップ現代 あなたの資産をどう守る? 〜超低金利時代の処方箋〜

NHKのクローズアップ現代が以前の7:30から今の10:00台に代ってからよく見るようなりました。昨日の放送内容は

番組では保険や投資信託などの金融商品をめぐって相次ぐトラブルを取り上げてきた。
こうした中、国や業界団体の間でも、対策が始まっている。AIで契約時の会話をスクリーニングし不適切な営業を防ぐという最新技術。
契約件数よりも、顧客との長期的な信頼関係の構築を重視するという証券会社。
現役世代の要望に丁寧に耳を傾け「売りたい商品」ではなく「顧客が必要な商品」を販売するという地方銀行。
長引く超低金利時代、私たち消費者は金融機関とどう向き合い、資産形成に資する金融商品をどう見極めればいいのか、考える


fund.jpg番組のなかで紹介されたトラブル事例の多くは、夏休みやお正月に帰省した、息子・娘による実家の母親の金融資産の問いかけのなかで発覚するケースが多い。本人の自覚のないまま、長年手を付けずにいた満期が近いお宝保険を解約し、ハイリスク・ハイリターンの投資に切り替えされており、詳しく調べるとかなり原資を割っていいるケース。

同じように、非同居の息子が父親に問うと、毎年かなり率のよいバックが口座に振り込まれていると云って通帳をみせてくれた。低金利の時代にかなり高率のリターンなので詳しく調べてみると、原資が増えていないのに毎年一定金額が、原資から振り込まれてくる内容の投資信託であった。

退職して、自宅にいる時間が長くなると、結構な頻度で銀行から電話があります。
一番頻繁にくるは、ある程度まとまった金額を二十年以上定期としてほったらかしにしてある都銀からです。
一昨日の電話の内容は、「11月に専門家による遺産相続の無料相談と、その後に投資セミナーがある」のお誘いです。丁寧な話し方なのですが、そのまましゃべらせておくと長くなりますので、「お金を増やすことには興味はありません。今のままで十分満足しています」答えて電話を切っています。

投資の大原則
私たち及び両親の時代は、高金利が続いており、銀行・証券会社に預けておけば確実に原資は増える時代でしたが超低金利の今は、何かしらのリスクを負わないと、原資は増えてはいきません。投資というものは、最低10年単位の中長期にスパーンで考えなくてはいけないものです。
現役時代に長期の投資で、一時的に原資割れを起こしても、何時かは、経済状況、景気が回復して若干でも利益があがれば、それで良いと云う考えですが、退職してからの投資では、収入は減少傾向にある年金のみなので、10年、20年の長いスパンを持ちこたえられない、景気回復を待つている余裕がないのです。

銀行・証券会社の超低金利による収益の悪化
銀行は1,000万円の預金を獲得して、その金額を企業に貸し出しして収益をあげるのですが、その差額収益はわずかなものです、
一番確実に収益を上げるには、外部金融会社の造った投資信託を窓口で販売することです。
1,000万円の投資信託を顧客に売ると、3%の手数料が銀行に入ります。30万円です。
実際に顧客の口座から直接差し引くケースと、投資信託収益から引くケースがあり、解りづらいのですが、何も利益を生まなくても確実に手数料はとられます。
そして、次に大きいのは「投資口座管理・維持料」と云う名目で毎年1.5%、15万円がとられます。つまり、銀行は本来の預金を獲得して、企業に貸し出すと云う本来の業務より、手数料ビジネスのほうが、自分たちのリスクはゼロで、確実に収益が上がるのです。

今、今証券会社・銀行、中小地銀、JA、郵貯などは、社員・行員に一定のノルマを課してこの戦略に動いています。
私たち、リタイヤシニア、その親世代は、自分自身で金融資産については、昔の銀行・郵便局とは違うという事を認識して自己責任で自分の資産を管理しなくてはいけない時代なのです。
posted by 西沢 at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月30日

家族葬が中心の都会と、田舎の地縁・血縁重視の葬儀のやり方

前日のブログの続きです。
chouden.jpg二日目の告別式でも、私の都会と出身地の葬儀関係の知識がひっくりかえるよう出来事ばかりです。92才、老衰の義母の告別式へ弔電が沢山届いており、葬儀の際に全て読み上げるのです。
地元出身の国会、県議会、市議会の議員や、元市長までの弔電が10通近くあるのです。
特別義母や喪主の関係ではないようで、葬儀会館からこれらの議員に亡くなられた情報が伝わっているようです。
確かに良い合法的に政治活動になります、葬儀会館で確実に数10人から数百人のひとに名前が伝わり、その費用は台紙無料のお悔やみ電報なの1000円以下ですから。
これ等お悔やみ電報のなかに、「ヤマダ電機取締役社長」のものもありました。
亡くなった母親の孫がヤマダの正社員のせいもありますが、あの大会社の社長がわざわざ一社員にしているのではなく、ヤマダ電機では、社員の忌引きが申請されると自動的に弔電を送っているようです。
これも政治家と同じく、安い・確実な宣伝方法の一つとして捉えたほうが良いでしよう。

前日のお通夜の後、喪主である三女のご主人から、翌日の告別式の後の出棺の際の、参列者に対するご挨拶を頼まれました。
エー、それって喪主の務め、役割ではないの?と思って聞き返すと、この土地では、喪主は悲しみに沈んで喪に服しているので親族の誰かが代ってご挨拶するのだと云われ、三人姉妹の次女の夫である私が、することになりました。
そして、渡されたのが葬儀会社が造った、例文でした。

私は、現在の仕事関連で大勢のの方々を前ご挨拶するには比較的慣れていますので、例文・メモは必要なありません一応、頭の中でお話する内容だけは前日考えて、お礼のご挨拶をしました。

本日は日曜日でお天気も良く、皆様には何かとご予定がありましたのに関わらず、亡き○○の告別にご来場賜りまして、有難うございます。
喪主に代り、親族を代表しまして、ご挨拶申し上げます。私は、故○○の次女、故郷をはなれ、現在神奈川県鎌倉に住まう××の連れ合いです。

私が初めて故○○にお会いしたのは、妻との結婚のお許しをいただくため、この地を訪れました時です。あの時妻は25才、昭和元年生まれの○○は、当時52才と云う若さでした。
あの当時の写真はこの会場の入り口に、○○さんのアルバムとして展示しています。
○○さんのご主人亡き■■さんをハワイにご招待した時の姿、お隣の実の姉▲▲とん一緒に我が家に遊びにきてくれ、横浜の中華街で撮られた二人姉妹の写真。
私のなかの○○さんは、今でのあの当時のままで残っています。

最後に○○さんにお会いしたのは、今年の夏、骨折し入院していた大学病院病院にお見舞いに行った時です。ベットの○○さんは、髪の毛こそ真っ白になつてはいたものの、顔つやは昔と変わりなく、食欲もあり、何よりも声が全く40年前と変わらないのに驚き、それを云うと「私は声だけは元気」と云ってました。
この先、後100才までも生きるのではないかと思っておりましたが、先週の日曜日、天寿を全うして旅だっていきました。
亡くなったと云う訃報を聞き、直ぐに思ったのは、昭和元年生まれということでした。

昭和元年生まれ・・・と云えば、青春時代はあの第二次世界大戦真っただ中です。
長女は昭和24年、私の連れ合いの次女は昭和26年生まれです。三女は昭和29年生まれです。
あの、戦後の時代を3人の女の子を一生懸命に育ててきた、○○さんの20代を思うと、涙が滲みました。

悲しみに包まれているなか、小さな奇跡が起こりました
mago.jpg○○さんの4人の孫のなかで唯一の女の子、一番かわいがっていたA子が、その4日後嫁ぎ先で男の子を出産しました。輪廻転生と云う仏教の考え方をそのまま、信じる訳ではではありませんが、何かしらの縁(えにし)を感じずにいられません。
○○さんの思い出は、何時の日か皆様のなかから消えていくのは、必然ですが、新しい命が、この地に誕生し、皆様のコミュニテイの育って行くのを、どうか温かい目で見守って下さるようお願いして、今回のご挨拶とさせていただきます。





koden.jpgこの後、火葬場に出棺ですが、遠隔地から参列しました、私たち夫婦はこの斎場でお見送りをして、今回の葬儀は終わりました。
残った親族・ご近所の参列者はこの後、35日の法要がまだ残っており、その後の「お斎」を含め結局全て終わったのは、夜の8時でした。
細かい話になりますが、この地方の葬式では、通夜・告別式に続いて35日法要(私の田舎では初七日法要)と、その都度合計3回のお香典を包むようで、私たち多少疑問を持ちましたが、霊前に供えて帰郷しました。

確かに、退職・年金生活に入る時に、年間の冠婚葬祭費を推定し、設定していましたが、今年2度目の親族の葬儀です。都会からの交通費、思いもかけない出費は、私たちの冠婚葬祭予算は大幅にオーバーしました。
その分は、自分たち二人の娯楽費・旅行費を削ったのは当然のことでした。
posted by 西沢 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年10月29日

田舎の葬儀・葬式のやり方 妻の母親の葬儀に参列。

iei.pngカミサンの母親が亡くなり、北関東の実家での葬儀に参列してきました。
実家があるのは、今では北関東中堅都市の一部になっていますが、昭和・平成の大市町村合併以前○○村○○地区と呼ばれていた、田舎です。
現に、実家には市の水道は、遥か先の公道まではきていますが、敷地内手前で止まっており、勿論下水道はありません。

地区は、昔の隣組のような「班」と云うコミュニティ・組織があり、この地区に住む人々の
や暮らし、助け合いの他、行政の窓口の一部を背負っているようです。
平成30年にもなると、都会では、核家族化により「小さなお葬式」とか「家族葬」が増えていってますが、この母親の生まれた地区、及び実家を継ぐ、3人姉妹の三女の婿さんは、もっと山に近い地区の出身ですから親戚も多く、こじんまりとした、簡単な葬儀と云う訳にはいかないようです。

病院でなくなりましたが、入院中家に帰りたい云っていた母親の為に、その夜に実家に連れて帰り本葬まで一週間、葬儀社の手を借りて、仮祭壇を設け、毎日ドライアイスを交換して、ご近所の母親の友人などのお悔やみを受付していました。
葬儀の日程が決まったところで、「班」の全世帯主と伴侶が亡くなった実家に集まり、葬儀の段取り、時間割、役割分担を決めていたと、亡くなった直後から実家の応援に行っていたカミサンの話でした。

24年前に亡くなったこの家の父親の葬儀の時は、全て実家で執り行われましたが、今回は斎場で行われました。
通夜の席には、92才で亡くなった母親の葬儀とは思えないほど、80名近くが参列しました。
普通、喪主が地域リーダーであったり、現役で大きな会社のある程度の地位であったりすれば、義理でも多くの人が通夜に訪れるのですが、その両方でもない、ごく一般的な普通の家族ですのに。

後から聞いて解りました。
都会ではとてもそこまでは参列しない、遠い親戚までが参列しているのです。
あるご夫妻の場合は、亡くなった母親は、息子の嫁の祖母にあたります。
この地域ではごく当然、葬儀にでるのは必須の親戚関係だそうです。
葬儀に出なくても、お香典を出す範囲も、私たち都会に住むものとは全く違った基準でした。
私の兄からのお香典を、出すようにカミサンから頼まれました。
亡くなった義母は、兄から見ると、弟の伴侶の母親にあたります。
私の育った、地方とは云え県庁所在地の街中ては、よほど特別なことでもない限り、ましてや退職して年金生活をしている状況では、遠い知らない92才老衰の女性に香典を出す習慣はありませんので、兄には伝えず、こちらで包みました。そして、会葬お礼もいらない旨伝えました。

都会や私の田舎では、お通夜の当日、参列していただいた方々に軽い食事を別会場に用意しますが、ここでは通夜最後までいた方々のみが別会場で、私の田舎では「お斎」とよばれる食事を、お寺さんと一緒にするのですがこの地方では、お焼香を済ませた参列者は、直ぐに会葬お礼を手にして帰って行きます。
それが普通だそうで、「お斎」は親族者と手伝っていただいた「班」と云うコミュニティ・組織の方々だけでした。そして、ひと際目立ったのは、この亡くなった母親と一緒に暮らしていた、施主の長男の関係者の参列の多さでした。
会社関係とか、所属している消防団のメンバーだそうです。
私の現役時代では考えられないことです。自分の部下の祖母、それも92才の老衰で、私費でお香典を包んで行くか?
絶対にありえない話です。

まだまだ驚いたことがありましたが、明日また書くことにします。
posted by 西沢 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月27日

「断捨離・終活の想定外を考える」消えるデータ 失われる過去

カミサンの母親が亡くなった。
92才、老衰とも云える年齢でもあろう。
カミサンは、今日の通夜・明日の本葬の為に、数日前から実家に先乗りしていろいろ準備をしている。昨日の電話で、母親の残した大量の日記帳がでできた、と云う。
カミサンの知らない、母親の残した日記を葬儀が終わったら持ち帰ってじっくりと読んでみたいと云う。

nikki.jpg私も若い頃は日記を書いていた。
働き盛り、バブルの頃は時間的、心理的な余裕もなく中断していたが、退職後、朝の体重と血圧を記録するようになり、短文であるが記録として、前日の行動を残している。
毎朝、朝食後の日課になり、当節、手書きの日記は負担が大きいのと、体重・血圧の数値の記録の為、パソコンのエクセル書式で残している。

70才・古稀を迎えて、断捨離を意識して、自分の生きて来た道、写真などの整理をする団塊世代は多い。私達のような子供がいない夫婦は、カミサンが一人で困らないようにと、それ以前の退職直後から様々な整理・断捨離をしてきているが、「遺言状」以外は全て、電子データ、つまりパソコン内である。

ある日の新聞記事で警告していた

デジタルデータの記録には磁気テープや、CD、MO、DVD、2018年、現在では、フラシュメモリー等が使われている、だが、記録媒体には寿命があり、何時までもデータの読み書きが自由にできるとは限らない。
遠い将来、過去のデータが打つなわれてしまう「デジタル暗黒時代」がやってくるかも知れない



fd.jpg遠い、将来の話でもなく、現に私たちはこれまでに散々経験してきています。
現役時代のデータの記録・持運び・保存は、フロッピーディスクでした。
今でも、政府系や企業はこれらのFDを読み込むことは可能でしょうが、私たち個人レベルでは、FDを読み取る装置そのものがありません。
MOも退職直後は、仕事で使ったキャド図面を残していたので、持っていましたが、10年前に処分しました。ビデオ・動画の世界とて同じです。もう我が家にはビデオデッキはありません。

それよりも、現実的な問題として起きているのは、日本の個人用パソコンのOSの問題です。
日本のように、マイクロソフトPCが寡占状態の環境では、データの様式はすべて、マイクロソフトに委ねている状況です。
既に、OSの変更が勝手に繰り返され、エクセルにしても、過去のデータを読み込めない個人レベルのひとは増えていますし、寡占状態のマイクロソフトWindowsを対象として開発された様々なアプリは、OSの変更で、過去のデータが読み込めない状態になっています。

記事では

古代エジプト文明のパピルス紙やメソポタミア文明の石板に記された文字情報は、数千年たった今でも解読することが出来る。ところが、デジタルデータは違う。
「1」と「0」に信号化されたデータは不変でも、OSと「そのデータが何を意味するか」のアプリがないとデジタルデーターは読みだせない。



私が仮に、日本政府の云う「人生100年時代」を生きたとしよう。後30年。
これでもかなり怪しい。私の残した日記帳を再現するのに、専門会社に依頼しないと、取り出せない可能性もある。
ましてや、現代の金属製や樹脂製の記録媒体の寿命は高々、数10年程度です。
パソコンの場合、アプリは何で書くか?、記録する媒体は何を使うか?
日本人一般個人が日記をパソコンで書く場合、一番多いのはワードであり、男性の場合、エクセルです。或いは、日記専用のソフトもありますが、そのソフトが何時まで、この先OSに対応するかは解りません。
私は、来年から残す日記データに、マイクロソフトのアプリを使うことを辞めます

では何を使うか?、何で書くか?
私たちプログラマーの間では昔から、OSに依存しない書き方として、プレーンテキストを使っています。Winsdosユーザーの場合、メモ帳です。
これなら、OSに依存せずに、世界中のパソコンでも読み書き出来ます。
但し、文字情報だけです。
どうしても、他のデータ、画像もいれたいとなると、一番確実なのはインターネット基本言語のhtmlで残すのが今のところ、一番確実かと思われます。

私は日本に住む一個人ですから、数百年後なんて遠い未来ではなく、死後数10年はおろか、一二年で忘れ去られるのは解っていますから、そんなに真剣に考える必要はないのです。
最低限、私が逝った後、気まぐれにカミサンが簡単に手に取ることが出来るのは、やはり、紙媒体ではないのかな。
二人の40年以上続く生活のなかで、撮りためた写真アルバムは全て、電子化して、フォトフレームになっていますがこれもかなり怪しいのではと考えていますが、今更、写真プリントでもないでしょうし。
posted by 西沢 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月26日

キレる、我慢できない、自己中心の超わがままシニア老人

毎週、木曜日は市の体育館でラケットテニスを楽しんでいます。

raket2.jpgラケットテニスは、誰でもが初日から気軽に楽しめる、軽い・柔らかいスポンジボールを使った室内テニスです。 体育館等のバドミントンコートで硬式テニスとほとんど同じルールでスポンジ製のボールを使用して行います。
テニスコートより狭く、ダブルスで、ジュニアサイズの軽く短いラケットでプレーするので体力に自信が ない方にも充分楽しんでいただけます。
ネットの高さは90cmと低く、サーブやスマッシュ等が自由自在です。

ルールは軟式テニスとほぼ同じで、ボールはスポンジ製で安全に楽しめます。
ラケットはジュニア用を使い、短いので 手のひら感覚で打てますので、失敗が少なくラリーが続き、ゲームが盛り上がります。 室内の小さなスペースで楽しめる、テニス経験がなくても、誰でもが簡単に、初日からプレーできる手軽な スポーツです。

ラケットテニスは1970年にスェーデンで開発されました。
これにより子供が気軽・簡単にテニスを楽しむことが出来、スェーデンがテニス王国になる大きな貢献を果たしました。 鎌倉ではラケットテニスと呼ばれていますが、現在の日本ではスポンジテニス・ミニテニス・ショートテニスなど色々な名前で 呼ばれており、シニアのリクレーションスポーツばかりではなく、各地で大会が開かれるようになっています。

退職して鎌倉に居を移してから、このようなレジャースポーツの存在を知り、お仲間に加えていただき、もう15年になります。
メンバーは14名、平均年齢は推測75.5才、最高年齢84才の後期高齢者と呼ばれる方々です。
週に一回、2時間はバドミントンコートの広さでのダブルスですから、ちょうど良い運動量なのです。皆さん、基本的には仲良く、勝ち負けよりも、ボールを追いかけて汗を流し、心地よい2時間を過ごすことを目的としている、ハズなのですが?

以前、TVのニュースでシニア、老人のスポーツと位置付けられている「ゲートボール」の試合中のいざこざで、シニア男性の傷害・殺人事件がありました。
そもそも、「ゲートボール」と云うスポーツは、2チームに分かれて、木製ボールを順にゲートを通すゲームなのですが、試合の戦略となると、如何に相手のボールの邪魔な位置に自分のボールを置くかと云う、カーリングと似たゲームで、別名意地悪ゲームとも呼ばれているゲームです。
このゲームのなかで、特に目立つのが、年齢的に我慢できない、譲り合うことが出来ない、自己中心の超わがままシニア老人同志のトラブルです。
普通なら、言葉に寄る暴言や喧嘩を避けて、我関せずと避けるのでしょうが、これまでの不満が爆発して、傷害・殺人となってしまったようです。

raket3.jpg私たちのラケットテニス仲間にもお一人、キレる、我慢できない、自己中心の超わがままシニア老人がいます。メンバー14人中、男性6人、女性8人ですが、お一人このラケットテニス創立メンバーの82才のオジサンがいます。
自分の意見が絶対だと思っているタイプで、自分の意見が通らないとキレるのです。
この15年間、メンバーの出入りは多かったです。以前は25名いたメンバーが次々に辞めていくので、外でお話を聞くと、あのおじいさんKさんが怖い、一緒にやってられない、という方が実に多かったのです。

営利団体でも、法人でもない、月会費1,000円の仲良しスポーツクラブなのですが、定款・規約・連絡簿・決算会計と会社並みの書類要求をしますが、自分では何もしません。
試合中のボールのインアウト判定に至っては、絶対に譲らず、メンバーきもう、諦めています。
昨日、私はついにこのわがままシニア爺さんとぶつかりました。

この日のメンバーは12名、二コート6名づづに分かれてダブルスのスタートしました。
試合内容な、メンバーの力量によつて、この2コートが同時に終わることはなく、相手のコートの試合が終わるの待つのは、一般的常識なのですが、このわがままシニア爺いは、自分のコートが終わると、隣のコートが終わってないのに、途中でもきりの良い所で止めろと言い張るのです。

この日も早く終わったチームに属していたこのわがままシニア爺さんは、他のコートに向かって、こっちは終わったのだからいい加減にやめろ、と云いだしました。
いつもの事ですから、大人しい女性中心のチームはまた云いだしたと、区切りの良い所でやめたのですが、6人入れ替わりの3ゲームセットの試合ですから、約1時間かかっていますから、サブリーダー的役割の私は、皆に10分間、給水休憩を宣言したのですが、既に終わっていたこのわがままシニア爺いは、俺たちはもう十分休んだのだから、さあ、始めようと云いだしました。

私は、勝ち負け優先のゲームではなく、平均年齢後期高齢者のスポーツなのだから、ゆっくり休んで、楽しくやろうと云うと大キレして、大人しい女性をコートに引っ張りだしてくるのです。
私も、この6人チームの一員でした。
私は、「高齢者のスポーツは体力・安全の事を考えると10分間、休むべき」と云っても激高して聞く耳を持ちません。「俺は疲れていない、高齢者と云っても体力はある」と云うのです。
それでは、私は抜けるから5人で試合を続けて下さい。
私は、自分の仕事の合間を縫って、メンバーが足りないと迷惑かけるとおもうので、来ているだけです、と言い残して帰ってきました。

来週から行くのをよそうかな。
posted by 西沢 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月25日

企業の継続雇用「70歳に引き上げ」首相が表明 団塊世代の生の考え・意見

ニュース報道によると

読売新聞より
abe1025.jpg安倍首相は22日、議長を務める未来投資会議で、高齢者が希望すればこれまでより長く働けるよう、企業の継続雇用年齢を65歳から70歳に引き上げる方針を表明した。働く高齢者を増やすことで、人手不足を解消するとともに年金制度などの安定を図る。
政府は、関連法改正案を2020年の通常国会に提出する方針だ。
首相は「70歳までの就業機会の確保を図り、高齢者の希望・特性に応じて多様な選択肢を許容する方向で検討したい」と述べ、関係閣僚に見直しを指示した。

高年齢者雇用安定法は、高齢者の職業安定などを目的とし、企業に対して
〈1〉65歳までの定年引き上げ
〈2〉再雇用など65歳までの継続雇用
〈3〉定年制の廃止――のいずれかを義務付けている。
企業側は「定年延長や定年制廃止は人件費増につながる」として、継続雇用制度を選ぶケースが大半だ。体力の衰えで短時間勤務を望む高齢者も少なくない。
政府としては高齢者が個々の事情に応じ、多様な働き方の中から自分に合ったものを選べるようにしたい考えだ。来夏に制度の方向性をまとめ、法改正を目指す。


このニュースを受けて、ネット上の団塊世代とそれに次ぐ退職世代が集まる掲示板には早速意見が寄せられています。一部を転載紹介します。
おりすがり
急にニュースで報道し始めたので、
注目が集まっていますね

無理かもしれないけれど、
給料が下がらなければ良いのですが


まこと
暴論、勝手な言い草かも知れませんが・・・・
政府の勝手な財政的な都合なのではないでしょうか?
70才まで働けですって。
当然政府系の年金支給はその年齢に近づけるのでしょうね。

人類の生物学的な寿命から考えると、70才で定年退職したら、その後は本当に残された人生そのものです。
第二の人生、第二の青春、自由な時間ではなく、余生、晩年そのものです。
六十代ではあまり考えませんでしたが、70を過ぎると、人生の24時間時計は夜の10時を過ぎます。もう、そろそろ眠くなる時間です。

政界の老害は心配しますが、やはり、普通の庶民・世代を代表した意見・考えを伝える政治家が現れてくるのを望みます。


すーさん
極端な言い方をすれば ”定年後の過ごし方がなくなる時代” になってきたな〜という感じです。 私は現在62歳で完全リタイアしています。
会社時代からの登山仲間の8割は継続雇用で働き続けています。
今年4月、会社は65歳から70歳までの雇用延長に切り替わり、ちょうど65歳を迎えた山仲間の2人は継続手続きをしました。
1日の労働時間は7.5時間、週4〜5日勤務。賃金は時間給でパート社員と同じ待遇だそうです。
なによりも今まで慣れ親しんだ仕事ですからストレスもなく働き続けることができると言っていました。
働き続ける理由は、個人の生き方・考え方などそれぞれあると思いますので何とも言えませんが・・・。

このように働き続ける社会に移行することで、様々な社会状況にも影響したり変化があらわれてくるように思えます。
例えば、今、団塊世代が支えている観光や趣味活動・スポーツ、その他各種教室・セミナーなどにおいて、特に男性参加の割合が激減してくるのではないかと思います。
現に私たち夫婦の全国くるま旅、登山、又、日課にしている市営スポーツセンターや図書館において、特に平日では私の世代(60〜65歳)は皆無と言っても過言ではありません。
現在の登山ブームを支えているのは若い世代と団塊世代です。平日の山小屋はほとんどが団塊世代の人たちで、60歳定年を迎えた私の世代はほとんどいません。平日の山小屋運営にも大きく影響してくると思います。

70歳まで働き続け、さあこれから第二の人生だといっても、そのための心の準備をはじめ、何よりも体力・気力・好奇心が失せてしまっている状況の中では、”定年後の過ごし方” を考えよう、模索していこう、楽しもうなどの意識さえもなくなってくるのではないでしょうか。
場合によっては、”定年後の過ごし方” はイコール「介護を受ける身」なのかもしれません。

「70歳雇用延長はまだ働けるから良い」という考え方もありますが、その後の人生において大きく影響することも考えなければいけないと 思います。
この歳になって働き続けることは、何より自分自身の大切な時間、家族のこと、親の介護など、様々な部分で ”犠牲にしている” という ことも考える必要があるのではないかと感じます。


一日8時間、週5日働けば、人並みの生活が出来、60才の定年後、80才までそんなに豊かではなくても、残りの人生・余生を送れる、社会・国家ではなかったのか日本はと、団塊世代のオジサンは心の底から思います。
私たち団塊世代は間違った方向だったかもしれませんが、大学時代、世の中の不合理に学生運動として立ち上がり、青春の疑問を吐き出しました。
今の若者は、政府の70才まで働け、働かないと君たちの年金を払えない、という現政府に何ら疑問はないのですか?

他にも投稿があります。
定年後の過ごし方・ロングステイ・みんなの伝言/掲示版をご覧ください。
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi
posted by 西沢 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月24日

今年二回目の親族の葬儀を迎える、これも年齢によるものか

今年一月、末期がんの実兄を看取った。享年72才。
一昨日、妻の母親が亡くなった。享年92才。
72才の兄と義母の場合、いずれも何時亡くなるのかの時間的問題ではあったが、両者はえらく違っていました。

kazokuso.jpg兄の場合、
昨年の春、お腹が痛くて大病院で診てもらったところ、盲腸がんのステージ4の状態、ドクターからは積極的な治療はせず、緩和に重点を置く、半年の寿命、本人の暮らしやすい場所で、自分らしい生活をするようにとのことでした。年内は難しいとは思ってましたが、今年の正月を自宅アパートで過ごし、3日目には予定していました
ホスピスに入り、亡くなる2日前までは意識がはっきりしてました。
東京首都圏に住む、末っ子の私はそう何度も新幹線に乗ってのお見舞いも叶いません。
実家の兄・姉からは、亡くなってから、お葬式に間に合うように来てくれれば十分と、云う言葉に甘えさせてもらいました。
葬儀は、完全なる家族葬です。
姉・兄・私の3兄弟と実家を継いでいる長男家族だけの身内のみです。
地方と云っても県庁所在市の繁華街が実家ですから、地縁・血縁も薄れていっており葬儀に関しては簡略化しました。
特別立派な祭壇も接待用のお斎料理も必要としないものの、両親以来の古い付き合いのあるお寺さんは省略できず、それなりの費用はかかりました。

義母の場合
80代後半に、心臓施術をうけるほど元気な老後を送っていました。
時々、電話から聞こえてくる声は昔と全く変わらぬ若々しい声でした。
90才に入る頃から、足腰が衰え、物忘れが頻繁になり、軽い認知症と診断されましたが、家族の手を煩わせるほどでもなく一体何歳まで生きるのか、と思うほど元気でしたが、隣に住む実姉が亡くなった頃から、確実に衰えが目立つようになり今年の夏に自宅の庭で転んで骨折し、入院してからは、急激に認知症が進み、衰えだしました。
9月初旬頃からは、いつ逝ってもおかしくない状態になりました。
実家を継いだ三女の妹は、定年を迎えてばかりなのに、完全看護なれど毎日、母親の付き添いの生活です。妹を残して、関東首都圏で暮らす次女の我が家カミサンは、多少のうしろめたさもあるのか、自宅から電車で3時間かけて妹の交代を申し出ていました。

私の兄の場合と違い、何時逝くかは、ドクターも分からないのです。
9月からの私たちのスケジュールは、この母親の様子をみながらとなりました。
遠出の旅行はキャンセル料数万を払って中止し、日帰りの旅行も、映画館も、いつ何時携帯をマナーモードにしていても気にする生活が続きました。
カミサンは、意識のない状態での臨終間際に行く必要はないけど、通夜と本葬には絶対に出てね、云います。
それは、勿論そうなのですが、気にかかるのは私が講師をしている週二の講座の生徒さんです。
勿論、生徒さんは「皆さんお互い様」と臨時休講は受け入れて下さいますが、短期講習での間の一回の休講を取り戻すには、私ではなく、参加している受講生徒さんの負担が重くなるので、極力避けねばなりません。

義母の死の知らせは、日曜日の夜にありました。
気になるのは葬儀の予定です。
田舎ですから、兄の葬儀のように簡略化は出来ませんし、私の口出しする余地はありません。
実家の妹三女は義母が入院中に家に帰りたい、と何度も云っていましたので、亡くなったその晩に遺体を自宅に運びました。
それから、葬儀の段取りです。
兄の場合は、ある程度想定された小さなお葬式でしたから、亡くなった翌日通夜・その翌日本葬・火葬まで一気に済ませお寺さんの都合の良い日に納骨と、私は都合二回、三日で全ての葬儀が終わりました。

しかし、義母の場合は、そう簡単に行きません。
日曜日に亡くなり、月曜日に斎場・火葬場・お寺さんの段取りをして決まったのが、通夜土曜日、本葬日曜日と連絡がありました。
詳しいことは電話では解りませんが、母親の遺体を実家で寝かせ、ご近所さんとのお別れを済ますのがこの地域の習わしらしいのと、高齢化・多死化が進み、地方でも斎場・火葬場が混んでいるようです。
私の講座の生徒さんへの迷惑は避けられたようです。
カミサンは、明日から先乗りします。
ちょうど今週、三女の娘さんが帝王切開で初孫が生まれるのです。
「おばあちゃんの生まれ代わり」を見守る三女夫婦の代わりに、自宅に置いた義母の遺体お世話です。元看護士ですから、慣れたものです。

団塊世代の同僚もこれから、私と同じ経験を何度もしていくでしよう。
そして最後は自分です。後に残された独りぼっちカミサンの為に、もっと私の死後のマニュアルを簡素化しなくては。
その前に、どうやってカミサンにパソコンを教えるのかが残っていますが
posted by 西沢 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月23日

日光に行きたしと思えど・・・日光は遠い・・今年はいけない理由は

昨年の夏、日光で龍頭の滝湯滝を初めてみた時、絶対にこの雄大な滝の流れと紅葉の風景を動画に撮ろうと決意しましたが結局昨年は行けませんでした。
今年は、絶対に行こうと、手帳にめぼしい日に印をし、10月に入るとネットで日光の紅葉状況とお天気を調べる日々が続きました。
最初に予定したのは10月15日月曜日でした。
10月の2週目あたりから、マスメディア・ネットで日光の紅葉のニュースが多くなりはじめので、平日大船から日帰りで行く計画を立てました。

niko01.jpg交通費 JR+東武 2,911×2=6,000
    東武フリーバス  3,000
食事  1,000  合計一日10,000円也


大船発06:00→上野東京ライン栗橋、東武乗換 東武日光09:16
1日フリーバスパスを使い、龍頭の滝・湯滝・華厳の滝を廻って帰りは東武日光15時台に出で18時台に帰ってくる予定を造りました。
車に乗れない、免許を持たない、団体観光バスはトイレに不安があるので、移動は全て公共交通機関です。
しかし、日光の天気予報をみていても晴れの日はありません。予定していた10月15日は午前多少の雨の予報です。紅葉の映像は、光加減で決まりますので、諦めました。

niko02.jpg次の予定日は、絶対晴れそうな10月20日、21日の土日です。
マスメディアでは、日光の紅葉は戦場ヶ原から降りてきて、中禅寺湖・いろは坂は絶好の日と報じています。となると、いろは坂の大渋滞が予測され、土日はあえてリタイヤシニアは出かけないほうが良いに決まっているのですが月から始まった、週三の講座があったり、欠席出来ない会議があったりして、この日しか日光の紅葉のチャンスはないのです。
中禅寺湖湖畔にはいろは坂を9時台に抜けないと、10月20日、21日の土日の紅葉のトップシーズンでは大渋滞にはまる事は解ってますので、金曜日の夜出発し、日光或いは今市周辺のリーズナブルな宿に前泊しようと、ネットで検索するのですが、全く空き室はありませんでした。
大船を始発05:09のJRにのれば東武日光08:40着、バス09:05に乗れば辛うじて「いろは坂」は9時台後半で回避できそうなので
覚悟を決めて、行くことにしました・・・ですが。

niko03.jpg今年の夏から、転倒・入院を繰り返しているカミサンの母親92才の容態がかなり怪しくなってきているのです。
先月まで、毎月一度は顔を見に行っていたカミサンは、ほぼ毎週のペースになっています。
19日に実家から連絡があり、ここ数日が山場ということで、先ずは21日土曜日は中止しました。
と云っても、無事でいてくれても、どんなに日光のお天気が良くても、私だけカミサンの実家近くの観光地に行くこと出来ません。
今年の日光の撮影は完璧に諦めました。

カミサンは、来年もあるじゃない、と云いますが。
昨年、古稀前の60代ならそうも思えましたが、古稀を迎えた今、カバンに入れた薄型SSDノートパソコンでさえも重く感じる
ようになった今、そうだね、来年にしようと、素直に考えられない自分を自覚しています。
posted by 西沢 at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月22日

「とかいなか」が流行ってるいるようですが、とかいなかって何

定年後、社会や地域コミュニティと積極的につながりを持たない、シニア男性を「モラトリアム」というカタカナ語で、表現していますが、要は「引き籠りシニア」のことでした。番組はこの問題に続いて、退職シニアの再就職事情について、いわゆる専門家の解説や、行政の取り組み(地元鎌倉市の例が取り上げられていました)、再就職活動をしているシニアの方が登場していました。そして、最後に登場したのが「とかいなか」です。

都会生活と田舎暮らしを両立できるエリアのことを、都会と田舎の間から「トカイナカ」という造語で呼んでいます。主に多摩地方や東京寄りの関東近郊のことを言い、通勤通学に便利な交通手段もあり、生活するのに便利な場所な場所・・・と云う解説はありますが、この場合、都内に勤務し、子育てを比較的地価の安い、首都圏郊外でしたい、若い世帯向けに使われていますが、番組の退職シニアの間では、もう少し
踏み込んで、田舎暮らし的なものを云っています。

・広い土地で、家庭菜園をしたい
・何時も自然に囲まれた生活をしたい
・音をだしても、近所迷惑にならない生活をしたい
・廻りの騒音にに惑わされずに趣味三昧の暮らしがしたい
・子供・孫たちにとっての田舎、帰省する場所をつくりたい
・何時かは逝く老後の住宅費に金をかけたくない
・東京首都圏まで2〜3時間で行ける場所
・子供、孫たちが週末に泊まりにこれる場所
・大好きな海があり、釣り三昧出来る場所
・毎日、毎朝夕富士山の写真が撮れる場所

NHKの番組のなかで2か所の「とかいなか」を紹介していました。
一つは、中央線沿線、上野原市西原地区
https://www.city.uenohara.yamanashi.jp/iju/about.html
ここでは、「とかいなか」生活の両輪、都会と田舎の両立を紹介しています。
首都圏通勤生活
JR八王子駅まで最短23分、JR新宿駅まで約60分。都心で働き、自然豊かなマイホームで生活する。都会生活と田舎暮らしを両立できることが魅力です!
子供すくすく、ペット生き生き、家族は団らん。
休日はガーデニングやDIYなど忙しくなるかもしれません。

田舎暮らし生活
市内中心部から自動車で約20分。今でも水と緑に恵まれた豊かな里山が残っています。
静かな古民家で「モノづくり」をする人、都内と行き来して「創作活動」に取り組む人、大地を耕して作物と伝統を守る人、あなたは何をするひとですか?と定年シニアに呼びかけています。

番組を見ていて感じたのは、「とかいなか」は中途半端なのな、という想いです。
新宿まで60分と云っても、西原地区からではなく上野原駅であり、公共交通機関は首都圏郊外の大都市に暮らすひとからみればないのと同然で、必然的に「マイカー」は必須となるようですし、大病院は八王子まで、一日がかりの通院です。

tokainaka.jpg次に番組では、同じく山梨県都留市を紹介していました。
安倍内閣の地方創生政策のなかで、各地方行政はかなり力を入れて、若い世代の子育て支援、住宅取得、就業支援などを行っており、関東首都圏では、この都留市が特に力をいれているようです。数年前にお台場で行われた「シニアの国内移住イベント」の場で、NPOとして名刺交換していらい、山梨県都留市企画課より、様々なイベントの案内が届いています。
「とかいなか」と表現がぴったりのロケーションです。
新宿からJR大月乗換富士急「都留市」まで2.5時間、高速バスでしたら、1時間40分です。
ほぼ、東京・熱海間の距離、時間なんです。
先月届いた、ご案内では、雇用促進住宅をリニュアルして、サービス付き高齢者住宅に生まれ変わらせる事業が紹介されていました。

考え方によれば、これからどんどん、高齢化が進み、医療・介護、はたまた斎場までがいっぱいとなると予想されています団塊世代にとっては、都内或いは関東首都圏の大都市にこのまま住み続けるより、今の住まいのように、何でもすぐ近くにある必要もなくなりだす、70代にはこのようなシニアライフに目を向けた行政・施策のある場所に住み替えるのも一考かと感じました。

しかし、古稀を迎えてからの全く、地縁・血縁のない場所への住み替えは、やはり無理でしょう。行くなら、退職後の数年に決断すべきと、私は思います。
posted by 西沢 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年10月21日

NHK番組ねたどり「第二の人生を輝かせたい」 退職シニアの再就職事情

金曜日の番組の中で、定年後、社会や地域コミュニティと積極的につながりを持たない、シニア男性を「モラトリアム」というカタカナ語で、表現していますが、要は「引き籠りシニア」のことでした。番組はこの問題に続いて、退職シニアの再就職事情について、いわゆる専門家の解説や、行政の取り組み(地元鎌倉市の例が取り上げられていました)、再就職活動をしているシニアの方が登場していました。

work.jpgシニアの再就職挑戦は四戦四敗
私の知人は、今年の春65才の再雇用を終え退職し、この10月に失業保険がなくなるので、働こうとハローワークに通い、4か所面接にこぎ着けたましたが、全部ダメでした。
彼は、地方の有名進学校を出て、東京六大学に属する難関校を卒業し、神奈川県の中高一貫教育私立に60才まで英語教師として勤め、定年後も給与体系が変わらず、65歳まで雇用延長で働いてきました。
奥さんも、別の学校の教師で現役、子供二人は無事に大学を卒業して巣立っています。

彼は、定年後は、コンビニのバイトでも、ビルの清掃員でも、ガードマンでもなんでもやると云います。
何で、働くの?、十分な年金収入があるじゃない。?
働くってことは、定年後に手に入れた自由な時間を売り渡すってことだよ。
それも、高校生並みの賃金、最低賃金900円そこそこで。
それに、自分の都合の良い日、都合よい時間だけ、って訳にはいかないんだよ。
アルバイトだからと云っても一週間に最低、三日〜四日は拘束されるのが普通だよ。
鎌倉市でも臨時職員を募集しているけど、時給960円、午前8時30分から午後5時15分の間で、
1日7時間45分以内、月に働く日数上限があり、年金受給者の場合、課税範囲内だから月85,000円程度、年収にすると、110万円程度、こんなんで月12日拘束されて働けるか?

彼は、失業保険が切れてから、求人チラシをみて、コンビニ・スーパー・町工場仕分け、最後は中華レストランの皿洗いのバイトまで応募しましたが、全部断られました。

彼は、やはり年齢かな、65才はきついよ。と云います。
人生で初めての受験失敗、挫折を経験したのです。
詳しく話を聞くと、ちゃんと履歴書も免許・特技も書いた。
夏だから背広こそ来ていかなかったけどちゃんとした格好で行った。と云います。
履歴書にW大と書いたの?、そんなの却って書かない方が良かったのに。
バイトの応募だったら、適当に高卒で良かったのに。
趣味で海外旅行って書いたの?、年に2,3回行くって言ったの?
W大卒業、某有名中高一貫校の教師、妻も教師なんて話したら、先ず採用されないよ。
どうして? 働く必要がない者、何時簡単にやめる者を雇う経営者はいないよ。

隣から再雇用の先輩が現れて云いました
特別な技能・経験が必要とされる就職先なら、色々かくけど、必要されているのが単純労働力なら、高卒で良いし働き理由を、暇だからとか、定年後も社会と関りを持ち続けたいとか、面倒な事は云わず、働かないと生活出来ない云うべきと、アドバイスしていました。

大多数のシニアは、何とか年金だけでやっていけるのに、暇だからとか、定年後も社会と関りを持ち続けたいとかで働き続けようとします。
月に8万強、年に100万強の為に、確かにゆとりある生活の足しになるかもしれませんが、その為に、週に3日から4日自分の時間を拘束されることになるのです。高校生以下の賃金で。
65才、自由な時間を手に入れたら、行って見たい場所、改めて勉強してみたいこと、等があるハズです。
65才からの第二の人生・・・と思うでしょうが、自分で自由に活力を持って生きられるのは75才までの10年間です。
その10年間を、日本政府もNHKと云う公共放送も口をそろえて働け・働けといいます。
確かに、労働人口の減少、医療費の高騰もありシニアには元気でいて欲しいのは解りますが、死ぬまで働けと云う先進資本主義の国は日本だけです。

年金だけではゆとりのある老後が送れない、という方が大勢いらっしゃり、その為に働くと云うのが、現状のようですが、年に100万、65才〜75才までに必要なゆとり金額は1,000万です。
これは、退職直前の一年分の年収程度です。
それなら、現役時代もうすこし頑張り、もう少し毎月の生活費を節約し、新車を買わずに中古にし、海外旅行や趣味をへらしておけば、65才退職後、嫌な想いをして働く必要はないのです。

実はそう思っているシニア、団塊世代は大勢います、少なくとも全体の65〜75%の人はそう思って働いていません。ただ、口に出して云わないだけです。よぶんなヒガミを、同世代や、若い働く世代から受けたくないからです。
posted by 西沢 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ