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2018年06月18日

終活を考える もめ事が多い二次相続・遺産分割

朝日新聞日曜版のReライフ人生充実の記事を読んでいて、これはまるで私の友人の話ではと思いました。大した財産もない両親の遺産相続、仲の良い三人兄弟で揉めるようなことはない、と思っていたのにと、友人は常々言っていたのですが・・・

isan.jpg彼の両親は地方で暮らす普通のサラリーマンで、県庁所在都市の郊外の戸建てに住んでいました。父親が他界した時、ほんの少しの預貯金と自宅が残りましたが、同居していた長男夫婦は、残された母親の老後の生活資金として、兄弟に遺産放棄を求め、都会で暮らす次男と末弟の友人も同意して放棄賛成し、全ては母親が相続しました。

時は経ち、認知症が進んだ母親の介護を長男夫婦が十数年介護した後、母親もなくなりました。
今度は、母親の遺産相続、これが問題の多い二次相続と云われるものです。
母親が亡くなった時、受け継いだ父親の預貯金はほぼゼロでした。相続の対象になるのは、古い築40年の今も長男夫婦が住んでいる実家の上物の家と土地80坪ほどです。

仲の良い三人兄弟の末っ子の友人は、父親の時と同じく遺産の放棄を考えていたのですが、都会で暮らす次男が相続放棄を拒否したのです。
次男の言い分は、づっと実家で暮らす長男は、親からの経済的援助を受け続け、子供の世話まで両親に頼んで海外旅行などを楽しんでたり、優雅な生活をして来た。
地方から都会に出て、家を持つ苦労も知らないだろうし、家を買う時にも自分はいっさいの援助はうけていないし、父親の遺産相続の時は、母親の為を思って放棄したが、今回は平等に相続すべきと主張しました。

しかし、平等分割にするにしても、遺産は現在長男家族が住んでいる家以外、何もないのです。
長男の主張は、親名義の家と云っても、父親がなくなってからの修理・修繕・リフォームの費用は全て自分が払ってきた、母親の介護の為に長男の嫁は仕事を辞めて介護してきた、葬式の費用も全て自分が払った、と主張してきたそうです。

地方の県庁所在都市郊外の80坪の家の評価は、上物ゼロ、土地代から解体・処分・更地造成費を引くと1,500万にも満たないようです。
最終的にどうなったか?友人に聞いて見ました。
長男は現在住んでいる家を売る訳にいかず、不動産鑑定士の評価値段の80%、1200万の次男の相続分1/3、400万から葬儀の費用1/3、介護に関わった費用1/3、弁護士の費用1/3などを引いたを自分の老後資金のなかから支払ったそうです。

私の友人はたった300万程度の母親の遺産の為の泥沼を嫌い、最初から放棄していました。
この一連の泥沼で誰が得したのか? 弁護士と不動産関係者だけでした。
朝日新聞の記事では、さほどの財産もない家庭でも、こういった二次相続トラブルを避ける為には、普段から終活に備え家族間で話しておく必要があり、必要に応じて遺言書をかくことを薦めています。



posted by 西沢 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年06月17日

散る桜、残る桜も散る桜  映画「終わった人」を見て

この映画のサブタイトルは「暇だ!」です。
六月の今頃は、私のリタイヤライフの一年で一番暇な時期です。
定年後の過ごし方、時間の使い方として一番のウェイトを占めている NPOセンターでの市民活動団体へのIT支援、webプログラム講座が三月に終わり、四月・五月は、ビデオ・写真 撮影の為の旅行をスケジュールの中心にして過ごし、8月は夏休み関連の高校生ボランティア支援や、センター フェスティバル・地域のお祭りなどの行事が目白押し、そして9月から新たな講座がスタートします。梅雨の季節の6月〜7月が毎年、一番暇な時期となってるのです。

で、週末は三週連続して映画です。
先々週の「家族はつらいよ3」先週の「万引き家族」に続いて今週は「終わった人」です。
全て邦画です。
最近の洋画で見てみたいもと思ったものはありません。
ほとんどが、ハリウッド製のCGを駆使した、荒唐無稽ムービーとアニメばかりで団塊世代のオジサンを映画館 に足を運ばせる、魅力もパワーも感じられません。
鎌倉市内には封切り映画館がないので、二駅先の辻堂湘南モールか、横浜になります。
電車代往復390円とシニア割引料金1,100で、リラックスできる椅子に座って、2時間、異次元の世界に浸れるので すから、考えたら安いもの、毎週月4回行って6,000円ですから、リタイヤシニアの時間の過ごし方としては高尚 な趣味の部類と、自画自賛しています。
さて、「終わった人」ですが、以前ブログで紹介しましたが、小説を読んだ読者の感想や、この映画のキャスティング 東京大学法学部を出て、メガバンクで働き、出世コースから子会社に出向させられ、そのまま定年63を迎えた主人公 を演じるのが「舘ひろし」その妻は「黒木瞳」で、あっても「シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない 普遍的テーマを描いた話題沸騰必至の問題作。」との解説を読んだだけで、浮世離れした、現実社会から遠く離れたおとぎ話 、なんだかんだあっても、ハッピーエンドで終わるラブコメディだろうと思い、見る予定はなかったのですが・・・ 見に行ったのは、この映画のサブキャッチコピー「暇だ!」だからです。

ストリーの展開は想像どおりでした。
会社の最後の日、部下や家族から
「定年退職おめでとう」
「ここまで家族の為に働いてくれてありがとう」
「これから第二の人生、ゆっくり休んでやりたい事をやって」
と云われても、趣味もなく、やりたいこともなし、美容師の妻が出勤した後は、遅い朝食を一人で食べ、今まで 見たこともない昼のTVワイドショーをみる、11時には早めの昼食を自分で作って食べ、昼寝をする、「暇だ!」 図書館へ行っても、スポーツクラブへ行っても、カルチャーセンターへ行っても、廻りはジジ・ババだらけ。
「俺はまだ終わっていない」 ハローワークから紹介された求職先では高学歴・高職歴が却って邪魔で仕事は断れる。
そして、生まれ故郷、盛岡の歌人「石川啄木」を勉強する為に大学院に入ろうとして勉強を始める過程で、 故郷の方言で童話を書きたいと云う30代の女性と出会い、一方的な恋の夢想にふける。やがて、スポーツクラブで知り合った若いIT会社社長に請われ、顧問として働き始め、暇ではなくなる。
その会社の社長の突然死から、歯車は思いもしない展開が始まる。
ここまで見ていても、これまでのファミリー・ラブコメディの展開で最後はハッピーエンドで終わるだろうと 思っていましたが、違っていました。

話の続きは、劇場で見て下さい。
映画の最初の頃に出てくる良寛の辞世と伝えられている「散る桜、残る桜も散る桜」 がこの映画全体の底流にあるのです。

余談、 流石に東大法学部卒・大手メガバンク勤務者の定年後のストリーでは、年金や経済的な話題 はいっさい登場しません。 主人公は最後には生まれ故郷の岩手で震災被害者を支援するNPOで働くことになるのですが、イージー過ぎます。
実際にNPOに携わっている私たちは解っています。
NPOには独自の収益を得る手段・事業をもっているのは、当てずっぽうですが一割もないでしょう。資金・事業費のほとんどは、行政の補助金や寄付に頼っているのが現状で、高い志、社会意識を持つ若者は生涯をこの 仕事に就き、家族を養っていくことは出来ません。
この主人公のような、恵まれた年金受給者がボランティア的時給、最低賃金でサポートしていくしかない ことを、この映画は伝えるべき、と映画を見た私は思いました。
タグ:終わった人
posted by 西沢 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年06月16日

退職年金シニアに人気のハワイは安全か?カカアコ事件の背景を考える

先日、私が管理者として運営している、リタイヤ年金シニアの為の投稿掲示板
「定年後の過ごし方・ロングステイ・みんなの伝言/情報版
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi」に。
”ハワイはやっぱり危険なの”と云うタイトルで、
「最近ハワイでは色々な事件が起きているようです。
カカアコで日本人が暴行にあったりと怖い事件が起きていますね。
定年後にハワイでゆっくりしたいので、治安が良くなってほしいものです」
と云う記事が投稿され、ハワイでの事件を知りました。

私たち夫婦は55才で海外ロングステイを目指して早期退職し、その後10年間は主に、バリ島・チェンマイとハワイを年に数度づつ、数週間リピート・ミドルステイと云う形で暮らすように旅してきました。
これらの、生活情報は15年に渡って、「定年後の過ごし方とロングステイ・世界遺産の旅」
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/index.html と云うサイトで紹介し、年間200万アクセスの評価をいただいてきましたが、66才で海外旅行を卒業し、パスポートも更新せずに現在に至っています。
ですから、この投稿にありました、ハワイ・オアフ島のカカアコ事件は知りませんでした。
日本のTVで取り上げたのでしょうか?
そこでネットで検索する沢山の記事がありました。


在ホノルル日本国総領事館からのメールをそのまま貼り付けます。
ぜひ拡散して注意喚起をお願いします。
(以下抜粋)
5月28日(月)昼頃,ウォールアートで大変人気のあるカカアコ地区内の公園の公衆トイレで,邦人旅行者が薬物使用者と思われる複数の男から,歯を折るほど顔面を激しく殴打されたり,首を絞められて気絶させられる等の被害を受ける事案が発生しました。

カカアコ地区は従来から,ひったくりや車上狙いも多発しており,必ずしも治安の良い地区であるとは言えません。
同地区を訪問する際は,十分注意するとともに,ひと気のない場所に入り込んだり,公園の公衆トイレを使用することはおやめください。

ハワイにお住まいの皆様及び旅行者の皆様へ
在ホノルル日本国総領事館


別の記事では、この被害に遭われたご夫婦は重症で、治療費は500万円ほどかかり、旅行保険に加入されておらず現地では、治療費募金を呼びかけているそうです。

cocoaka.jpg

私は、世界で日本人旅行者がこのような事件に遭われた時、いつもサイトで呼びかけています。

例1 エクアドルのタクシー強盗による新婚夫婦死亡事件
かなり旅慣れた、若いご夫婦がキトのタクシーによる強盗に遭い、抵抗して殺害されました。
詳細を読んでみると、ホテル前に停まっているタクシーは高いので、ホテルをワンブロックでた先で、流しのタクシーを拾い、この事件で死亡しました。
確かに、一流ホテル前に停車しているタクシーは、流しより高いのは、海外では常識です。
数ドルの価値の違いを知っている、格安個人旅行者が躊躇するのは解りますが、その国の治安状況を考える必要があります。開発途上国では、数ドルの違いなら、身元がはっきり解っているホテル前のタクシーを使うべきです。

例2 ミャンマーの女性一人旅、強姦・殺害事件
一人旅の日本女性が、バガン遺跡でバイクタクシーに乗り、被害に遭い抵抗して殺害されました。この事件に関しては以下のサイトに詳しく書きました。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/myanma.html#kiken
これは、低開発国アジアで良く聞くケースです。日本女性はアジアの若い男性にかなり誤解されているのと、日本女性はこれらの男性を、上から目線で、「男」として見ていないとか、現地の女性はバイクタクシーに乗る時は横座りで乗るのに対して、日本女性は跨って乗り、運転手男性の背中、腰に手を回して乗るので、かなり誤解されるのです。

例3 旅先・異国での現地の人との触れあい、交流という幻想
TVの旅番組では、一人旅していて、現地の人の知り合い、家庭に招待されて感激したと云うような設定がありますがほぼ100%、番組構成上の仕込みであり、あり得ません。
海外の一人旅で、相手から話かけてくるのは、ほぼ「物売り」・「詐欺」の類で、外国人旅行者の財布を狙っていると考えるべきです。しかし、稀に本当にそのようなおとぎ話のようなケースもあることはあり、私たち夫婦も何度も経験しています。それは、自分たち達から話しかけた場合、言葉が出来る場合に限られていました。


今回のハワイ・カカアコのケースの場合
日本人にとって、ハワイ・ホノルルは日本語が通じる、太平洋の楽園と云うイメージは、ワイキキカラカウア周辺とワイキキから東側に限ってのアメリカ人白人社会、観光リゾートエリアのことです。
ダウンタウンから西、チャイナタウンも含め、運河を渡った西側は、アジア・ポリネシア系移民地域で、ワイキキとは全く違った社会が存在します。数マイル先には、ホノルルの刑務所があることを知っているでしようか?
ワイキキでも、アラワイ運河を渡った先は、日本のアパートより小さな狭いアパート街、住宅街が広がっています。

カカアコは、アラモアナ公園の東の海側にあり、元々は倉庫街でした。
近年、アーティストがこの寂れた空倉庫の壁面にペイントして、トリップアドバイザーでインスタ映えする映像が撮れる地域として、評判になっていますが、中国人が豊かなになり、資本の流入でオアフ島の土地・物価の上昇が著しく、ホームレスが増え、市の規制で多くのホームレスがこの地域に移動され、ホームレス村が形成されている地域なのを、旅行者は知っているでしょうか?そして、現地の人が常識と知っている「個室化される公衆トイレ」が一番危険を知っていたでしょうか?

ハワイは外国です。太平洋の熱海ではありません。
私のハワイ、ロングステイ・ミドル・リピートステイのサイト
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/hawaii.html#rakuen
で、ホノルルの治安について書いていますので、ご覧ください。
posted by 西沢 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行

2018年06月15日

サッカーワールドカップと人生の思い出・ターニングポイント

遂に、ワールドカップロシア大会が始まりました。
ロシアとの時差(モスクワ時間)は6時間 試合開始が夕方17:00の時日本は23時です。
今回の3試合の場合
第一戦6月19日コロンビアは現地時間、昼の15時、日本時間21時
第二戦6月24日セネガルは現地時間、夕方の18時、日本時間24時
第三戦6月28日ポーランドは現地時間、夕方の17時、日本時間23時

毎日が日曜日の身分ですので、仕事のことを気にせずに全て観戦できるのですが、今回の場合、辛うじて起きていられる時間帯なのが、ラッキーです。
これが深夜の2時3時だと目覚ましをかけて一旦寝てなくてはならず、翌日は中途半端な時間になってしまいますし、明け方4時5時の試合中継よりは、だいぶ体は楽なので楽しみにしています。

何時からサッカーワールドカップを見るようになったのか
思い起こすと、自分の人生とワールドカップはシンクロしており、振り返るとあの時は、どこの開催国だったのかと常に一緒にシンクロして思い出しています。

以下がサッカーワールドカップ これまでの歴史と開催国・優勝チーム・出場国数と日本です。
  開催国     出場国 優勝
1930 ウルグアイ  13ケ国 ウルグアイ時
1934 イタリア   16ケ国 イタリア
1938 フランス   15ケ国 イタリア2
世界大戦で二大会中止
1950 ブラジル   12ケ国 ウルグアイ2
1954 スイス     16ケ国  西ドイツ
1958 スェーデン  16ケ国 ブラジル
1962 チリ     16ケ国  ブラジル2
1966 イングランド 16ケ国  イングランド
1970 メキシコ   16ケ国 ブラジル3
1974 西ドイツ   16ケ国  西ドイツ2
1978 アルゼンチン 16ケ国  アルゼンチン
1982 スペイン   24ケ国 イタリア3
1986 メキシコ   24ケ国  アルゼンチン2
1990 イタリア   24ケ国 西ドイツ3
1994 アメリカ   24ケ国  ブラジル4
1998 フランス   32ケ国 フランス 日本初参加
2002 日・韓    32ケ国 ブラジル5
2006 ドイツ    32ケ国 イタリア4
2010 南アフリカ  32ケ国 スペイン
2014 ブラジル   32ケ国 ドイツ4
2018 ロシア    32ケ国   ?
2022 カタール   32ケ国   ?
2026 北米三国共催 48ケ国   ?

wcp.jpg

私の人生に大きな影響を与え、人生のターニングポイントとなったのは、1974 西ドイツ大会でした。
当時の日本ではサッカーワールドカップはほんの一部マニアだけが盛り上がっていたのですが、当時住んでいたのはサッカーが国技の南米、その中でも強豪のアルゼンチンでした。
ブエノスアイレスで働いていた当時、フットボールにはさほど興味はありませんでしたが、仕事が終わった後や土日にスポーツを楽しむ為に、市内各地区にあるスポーツクラブに行くようになりました。
日本のように、スポーツが学校や企業が主体となるのではなく、南米・西欧では地元、地域がクラブ形式で行っています。フットボールはそのクラブのスポーツの一部でプロ化し、クラブ全体の経営を支えているのです。
現在のサッカーJリーグが目標としている組織形態です。

1974年当時私が、週末通っていたプールを所有するクラブのフットボールは、全国制覇をし、西ドイツワールドカップのアルゼンチン代表メンバーのほとんどと、代表監督は、私のクラブチームメンバーでした。
本大会が行われるミュンヘンにみんなで応援に行こう、クラブ会員特別割引、と云う格安ツァーが組まれることになり誘われました。
その時、既に次回1978年ワールドカップはアルゼンチン開催と決まっていました。
私はブエノスアイレスに暮らすようになって6年目です。
そろそろ、この先の生き方、仕事の方向を模索している時期、あるニュースが飛び込んできました。4年後の1978年ワールドカップを機に、テレビのカラー放送を開始する、というのです。
当時、アルゼンチンはまだ白黒でした。

1964年の東京オリンピックを機に、日本がカラー化したのに遅れること14年。
このニュースを聞いて、日本が白黒からカラー化した時、まだ高校生だった私のしらない所でどんなビジネスチャンスがあったのだろうか?、今後アルゼンチンではどんな技術が求められるだろうか?そろそろ一度日本に帰っても良いのでは、と考え始めていました。
結局、仲間とドイツに行き、オランダのクライフ率いるトータルフットボールの前に惨敗し、私はそのままアルゼンチンには戻らず、ユーラシア大陸を東に向かって帰国したのです。

次の1978年のアルゼンチンに私はブエノスアイレスにいるはずでした。
実際には、アルゼンチンの初戦は、軽井沢で行われた結婚式の当日の夜、カミサンをほっておいて、ホテルのテレビをみていました。

次の思い出人生のターニングポイントとワールドカップはづっと後の1998年フランス大会です。
日本が初めての出場をかけて戦った、ジョホールバルのイラン戦は、3か月長期入院中、病院のホールで見ていました。
1997年、ウズベキスタンの旅行から帰ってきて数週間後、黄疸症状が発生し緊急入院し検査したところ、A型肝炎と判明し3週間のベット安静、その後の検査でC型肝炎も発覚し、どうせ3週間休むも、3か月休むもリスクは同じと判断し、徹底的にC型ウィルス除去・撲滅に取りくんでいる最中でした。
現在ではC型肝炎治療は投薬でも可能になっていますが当時は「毒を持って毒を制す」と云うインターフェロン療法、抗がん剤のような副作用が2ケ月以上続く、キツイものでした。
しかし、それでもウズベキスタンの市場でのA型肝炎がなかったら、定年後までC型肝炎を知らずにきて、今頃、肝臓がん、肝硬変になっていた可能性は大でしょう。

次の思い出・人生のターニングポイントとサッカーワールドカップは2002年、日韓大会です。
2002年日本と韓国でワールドカップが開催されていた頃、北朝鮮では対抗して、ピョンヤンでは、大マスゲーム「アリラン祭」を開催していました。
旅行会社の友人と二人で、サッカーよりも北朝鮮、行ける時に行かないと何時鎖国状態になるやもしれないと3泊4日で28万円と高額なのを承知でいきました。
帰国したのは、日韓大会の決勝戦が行われる日でした。
空港から新潟駅へ向かうタクシーのなかで、朝鮮半島黄海で南北朝の舟艇の間で銃撃戦と云うニュースが流れていました。振り返るとちょうど私たちが板門店にいた時間帯でした。

自分の人生の出来事と、世界的なスポーツの祭典を結び付けて思い出すと云う手法は良くある手です。今回のロシア大会、後から振り返って何を思い出すのでしょう。
一つ、確実なのは、今回の予選突破がかかった第三戦ポーランド戦は自宅のTVではなく、稚内のホテルで見ることになることです。
計算外でした。
NHKの地上波だったら確実に見えるのでしょうが、BSだと稚内のホテル映らないなんて事は無いことを祈ってます。


posted by 西沢 at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年06月14日

シルバー、シニア世代の30年、生き方・考え方の変化変遷」

四十代から定年後の資金計画を考え始め、五十代・六十代では、その時々の自分の年齢・生活・社会環境に応じ考え方は変わってくるものです。
しかし、それを客観的に自分が気が付くのは、「その年齢になってみないと解らない」と高齢者と呼ばれる年齢になって初めて理解するのです。
退職前に考えていた気力・体力・好奇心は、年齢とともに変化、減少します。
実際に自分が六十代半ばで、パスポートなしの生活になることは想像出来ませんでした。



博報堂生活総合研究所では、実際にその年齢にならないと解らないことを、1986年から30年間にわたり60歳〜74歳、つまり団塊世代を中心にほぼ同じ質問内容の調査を続けています。
(1986年、1996年、2006年、2016年の4時点で実査)。
この30年間で日本は急速に高齢化が進み、特にこの10年では、団塊世代が高齢期を迎え、取り巻く環境は激変。こうした中で、高齢者自身はどう変わったのか? その30年の変化をネット上で公開していのをご紹介します。

60歳を超えても、まだまだ長く生きる自覚がある

設問 「何歳まで生きたいか」:
回答 1986年 80歳 → 2016年 84歳(プラス4歳)

設問 「あなたの気持ちは何歳くらいだと思いますか」
回答 2016年は平均53歳で、実年齢マイナス14歳
   ※この質問は2016年のみ調査

設問 「自分は、体力もあるし気持ちも若い」
回答 60歳-64歳 23% / 65歳-69歳(団塊世代含む) 30% / 70歳-74歳 19%
   ※2016年の結果で比較

設問 60代の位置付けは 「再出発の時」
回答 1986年 39% → 2016年 53% (+14pt)

一方、生活の見通しは暗い。欲しいものは 「幸せ」 より 「お金」 に

設問 「先の見通しは暗いと思う」
回答 1986年 32% → 2016年 47% (+15pt)

設問 1カ月のお小遣い(平均)の推移
回答 1986年 28,830円 → 1996年 33,450円 → 2006年 31,620円→ 2016年 26,820円

設問 現在欲しいもの「お金」
回答 1986年 28% → 2016年 41% (+13pt)

設問 現在欲しいもの「幸せ」
回答 1986年 31% → 2016年 16% (−15pt)

長い老後を見据えた 3つのシフト 〜気負わない、頼らない、退かない〜

設問 「なんでもほどほどにやる方だ」
回答 1986年 57% → 2016年 72% (+15pt)

設問 「気楽な仕事、地位でいたい」
回答  1986年 71% → 2016年 79% (+8pt)

設問 「夫婦で共通の趣味を持ちたい」
回答 1996年 69% → 2016年 50% (−19pt)
   ※この質問は1996年から調査

設問 「子どもといつまでも一緒に暮らしていたい」
回答 1996年 51% → 2016年 28% (−23pt)
   ※この質問は1996年から調査

設問 「一人暮らしをしてみたい」
回答 1986年 18% → 2016年 31% (+13pt)

設問 「外国語を勉強したい」
回答 1986年 26% → 2016年 43% (+17pt)

設問 「スポーツクラブの会員になりたい」
回答 1986年 23% → 2016年 49% (+26pt)

団塊世代は今年「古稀」と云う大きな節目の年を迎えています。
ネット社会になり、色々な情報が出回るようになりましたが、本格的にシルバー・シニアの生の
情報、考え方、生き方、そして死に方を発信するのは、それを展開する技術を持っている私たちのような、web技術者世代だと思い、これからも発信していきます。

以下のシニア及び定年リタイヤ予備軍の2チャンネル的掲示板と共に
定年後の過ごし方・ロングステイ・みんなの伝言/情報版
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi
posted by 西沢 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年06月13日

生前・老前整理・断捨離?、ついに背広が我が家から消えた

友人はこれまでのブログを読んで、私は、モノに対する執着心が薄い方だと云われています。
高齢者と云ってもジャスト70で、写真・アルバム・手紙類・書籍・海外でのお土産類など、自分が生きて来た思い出の品、証をどんどんと捨てて行くのだから、自分にはとても出来ない、と云います。
そうかもしれません
でもまだ完全に捨てきれないものが、残っていたのです。それは仕事着でもあった 背広とネクタイです。退職して15年、まだウォークインクローゼットのかなりの 部分を占有していました。

sebiro.jpg前々から衣替えの季節になると、カミサンからこれらの背広をどうするの、こんなに沢山のネクタイがあったって 使わないでしょ、何時か必要になるって言ったって、この15年間、冠婚葬祭以外に着たことがあった?、仕立ての良い ブレザーとパンツの二つもあれば十分じゃないの?、と捲し立てられました。

男の背広は仕事着だ
私たちの世代は男として、一番脂が乗っていた働き盛りの40代、世の中はバブル景気でした。
建設現場では会社支給の作業着で十分なのですが、日本を代表するような象徴的な建造物の部門の責任者として携わっていると、外との会議・お付き合いも仕事のうちで、ある程度の仕立てレベルの背広が要求されるような立場でした。
そこで、会社は現場経費として、一年に一着背広を仕立てて、それを作業着として経費で落とすのを認めてくれました。 勿論、誰でもが、何処でも、どんな高いのでも、と云う訳ではなく、会社が指定したデパートの紳士服売り場に事前に 連絡し、社員証を提示すると、部署・役職に応じた、生地が提供されると云う仕組みでした。

今では、紳士服のチェーンが高品質の背広を驚くべき値段で提供していますが、あのバブルの時代、大手デパートのイージーオーダー・ 仮縫い・一部手縫いの背広は、軽く12万〜15万はしてましたし、そんなものだと思っていました。
会社の決めた上限金額はあるものの、現場で稼いでいる、会社に十分な利益で貢献していると自負していたあの時代、今思えば かなり高額な、今、手にしてもかなり良質な背広が、ウォークインクローゼットに残っているのです。

退職後、背広・ネクタイは必要か?
こればかり、千差万別、生き方、定年後の過ごし方、社会との関わり方によって違いでしょうが、私の場合、現役時代に仕立てた これらの思い出深い背広は、退職後一度も袖を通したことはありません。
ひとつには、退職数年前から、退職後の生活に備えてかなり体をシェープアップ・ダイエットしたせいで、あのバブル期の背広が 少しフィットしなくなったのが大きな理由なのですが、上下背広、ネクタイをして出かける用事、出かける先がないのが大きな原因です。

出かけるのに、何時も、何処でもカジュアルな服装とまでではないのですが、所謂サラリーマンの制服・通勤着としての背広上下は必要なく、退職後に買い揃えた 二着のブレザーとパンツと、冠婚葬祭用の黒のスーツ夏用・合着で間に合い、あとはユニクロと、 お気に入りのブランドジーンズで十分です。

ネクタイとワイシャツに限って云えば、観光葬祭用の二本で十分、特に最近ノーネクタイが容認されており、一種の格好良さもありますから。 昔のリタイヤ先輩がしていた、アスコットタイや、ポーラー・タイ(紐タイ)は、かえって気恥ずかしいやら、未練がましくて 出来ません。

私の背広の行き先は?、でもBook Offは嫌だな
カミサンがおっしゃりますには、幾ら生地・仕立ての良い背広でも、体格の変化・年齢によって似合わない ものを着ている高齢者のみっともない姿を貴方は見たことない?、処分すべきよ。
解った、15年間確かに着てないし、処分しても良いよ、だけど「Book Off」は勘弁して、あの1Kg幾らを見るのは忍びないから 、古着を無料回収して、それを資源として輸出したり、売ったりした資金を役立てているボランティア団体NPOがあるから、そこに 渡して、とお願いしました。

ある日、その団体は車で取に来て、一切合財持っていったようです。
私の部屋のウォークインクローゼットはさぞかし、スッキリしたであろうと覗いて観ると、女性用の 洋服が占有していました。
まあ、仕方ありません。カミサンほうが私より20年は長くこの部屋を使うのでしょうから
posted by 西沢 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年06月12日

カシオ、デジカメから撤退、
パソコンに続いてカメラ業界、お前もか!

ついこの間、コンパクトデジカメを買い替えました。
パナソニックからカシオのExilM EX-ZR1800に買い替えたばかりなのに?
ついこの間まで、かばんにコンデジ(コンパクトデジカメ)をいれて歩くのは、カメラマニアか、Web製作者だったのが、スマホの発達で子供から若い女性はおろか主婦・オバサンまでが、カメラ機能がついたスマホを持ち歩く時代となりました。

casio.jpgそして、フェースブックやインスタグラムに、その場で撮影した画像をそのままネットにUP出来る時代です。私のような、昔からのネットメディア開発者は、いつもカバンのなかに入れている、コンデジで静止画・動画を撮影し、家に帰ってWeb用の大きさ、軽さに変換し、自分のサイトにログイン、フィル転送ソフトを使ってあげていたのが、小学生でも簡単に、その場で出来るようになっているのです。

そして、そのスマホのカメラの画質・解像度は年々上昇し、改良され、一眼レフにも負けないような高画質な静止画・動画が撮れるようになったのですから、一般的なコンパクトデジカメの需要はどんどんと落ちて行き価格も、量産しても間に合わないほどになって、ついに、コンデジブームの火付け役だったカシオが撤退すると云うのです。
日本メーカーによる昨年のコンデジの出荷は1330万台、5年前の二割以下だそうです。

団塊世代のオジサン達は、若い頃、フィルカメラのニコンF1に憧れて育ち、メガフィルムからリバーサルフィルと云う結構お金のかかる男の趣味の王道をあるいてきました。
そして、デジタルカメラが世の中に出てき、私たちが買えるような価格になった2,000年頃、最初に買った一眼レフデジカメは、それまで持っていたレンズの関係でデジカメ最後発ミノルタボデーだけで30万円近くしたのを覚えています。

あの頃から20年、カメラは何台買ったでしょう。
パソコンは何台買ったでしよう。
ビデオカメラは何台買ったでしょう。
テレビも何台買ったでしよう。


私たちのような日本社会のなかで際立つ大きな購買力を持った戦後ベビーブームの世代は徐々に少しづづ、社会からフェードアウトしようとしています。
日本の経済成長を製造現場でも、消費者としても支えて来た世代がもうじき、いなくなります。
毎年の学生の就職先人気ランキングを見ていも、私たちが知っている、金融・商社・保険・建設・メーカーの名前はどんどんランキングが下がり、第三次・第四次産業に人気が集中しているようです。

昭和の時代の鉄鋼・造船・繊維・長大メーカーから、電気、電子と変化してきたのを見てきました。お隣の国もきっと同じ道を歩んでいくでしょうね。
昔、予想はしていましたが、こんなに早く追いつき、追い越すとは。
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2018年06月11日

ボランティアは無償であるべきか?行政主導のブラックワークか

朝日新聞の土曜版特集の読者アンケートが掲載されていました。

「ボランティア元年」と呼ばれた阪神大震災から23年余り。東京オリンピックとラクビー―ワールドカップでは、延べ12万人のボランティア募集が打ち出され、関心が高まっています。
一方、交通費などが出ないことから「ブラック」との批判もあります。
どこまで「無償」であるべきでしょう。


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私の場合、勝手に定年リタイヤに入った15年前55才の時に、地元の市民活動をサポートするNPOの会員になり自分のスキル・経験をいかして、市内で活動する市民団体のwebプログラム支援を行う部署で、無償のボランティアをしてきました。
私のなかではボランティアとは、「自ら申し出た・無償の行為、但し自分の時間を縛られない範囲」と定義していました。
経済的には働かずに済む環境であり、退職後の生き甲斐の一部と位置づけてやって参りました。

しかし、ある時期を境にこの気持ちが揺らいできました。
それは、官設・民営の先駆けであった鎌倉NPOセンターが、指定管理制度をとりいれて、これまで基本、市の予算のなかで行き届かない所を私たちの中間支援NPO団体がボランティアとして賄ってきたものを、指定管理と云う名の元、決められた市の予算で、法人としてのNPO団体が、本来、行政が担うべきものを制度の元請け負うと云う形になったのです。

このように指定管理制度は図書館・公民館・体育館・公園など次々ととりいれられていきました。行政の考え方は、民間の経験・人材でより良い市民サービスを、効率よく、安価で行える、と云うものですが、年間300日市内2か所の市民活動センターを開館し、500を超える市民活動団体の支援をする費用(指定管理を受けるNPO団体に支払われる予算)は、市の職員一人の年収分にも及ばない金額です。
ボランティアと云う美辞麗句に名を借りた、経費節減です。

この指定管理制度の元では、受付や団体の支援・相談の部署スタッフは、契約労働者と見なされ、社会保険・雇用保険・交通費そして神奈川県の最低賃金を支払わないと労働基準法に払拭します。しかし、市から指定管理料では、2か所の市民活動センターの受付業務スタッフの最低賃金を払うのが精いっぱいで、これまでやって来ていた、市民活動団体へ支援する人材は交通費も払えない、完全無償ボランティアとならざるを得なくなりました。

同じ市民活動センターの業務に従事する仲間のなかで、指定管理の「市民活動センター」の業務をする人間は有償、この指定管理制度を受注している「中間支援NPO」のスタツフは無償という現象が現在発生しています。特に、専門知識・資格が必要な「相談」・「会計」・「IT・web」の部署で混乱が続いています。

私の所属しています「広報」部門では、指定管理制度は、市民活動センターの広報紙とホームページは以前は一つでしたが、指定管理以後はこれを、「市民活動センター」と「中間支援NPO」の2つに分けるように市から求められ、2つにしました。
しかし、指定管理予算ではこのような専門知識を持つスタッフは雇えず、せいぜいワード・エクセルレベルの一般有償専従スタッフがやらなくてはならず、最終的には「中間支援NPO」の私のような専門知識を持つものが、無償ボランティアとしてやらざるを得ない状況です。

少なくとも、自宅と作業する場所指定管理の「市民活動センター」までの交通費はいただきと思います。必要に迫られて、鎌倉のセンターに行くのに、自宅から電車に乗ります。その時たったの165円ですが、その都度自分の財布の中からの出金が発生します。
私は、比較的経済的に恵まれているほうですが、これでは、新しくボランティアに参加する、まだ年金を満額もらえない60代前半の世代では長続きしません。

東京オリンピックではもどのようなボランティア規約を造つているのか知りませんが、短期やその場限りのボランティアなら成立しますが、本来行政の費用で賄うべき市民サービスを、市民の善意を当てにしたボランティア制度は、この朝日新聞のアンケートの結果で解るように、今後成り立って行かないのは明白でしょう。

posted by 西沢 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ボランティア

2018年06月09日

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞是枝作品「万引き家族」を見てきました

manbiki.jpg先週の「家族はつらいよ3」に続いて、金曜日二週連続で109シネマ湘南で、話題の是枝作品を見てきました。是枝作品は日本商業映画のような、エンタメ作品ではなく、社会性を持ったフィルム・シネマ・作品と呼ばれる分野です。
映画を見終わって外にでると、湘南の青い海と空、巨大な何でも揃うショッピングモールです。
しかし、今、見終わったフィルムの余韻は戻る東海道線車内、鎌倉の閑静な住宅街にある自宅まで引きづりました。
この作品は、これまでの是枝作品「そして父になる」・「海街diary」の系統をひく「家族とは」です。帰りの電車中で、この映画の家族のと少年時代の自分家族を思い返していました。


私の家族は地方都市の大歓楽街の裏通りで小さな八百屋を営んでいました。
両親と末っ子の私を含めた四人兄弟、家族六人が六畳・四畳半の借家で暮らしていました。
父親は、私が小学校にあがる前の年に、肺結核で療養所に入り、出て来たのは私が中学一年の時でした。
この間、子供の目からみても困窮家族、貧乏所帯と解るほどの生活で、毎日近所のおばさんが来て、生活保護を受けるように、母親に話しているのを覚えています。

父が療養所から戻ってくるまで、母親は毎日、市場に通い、小さなネオン街で料理屋・飲み屋・バーを相手の八百屋を営んで、私たち6才から10才の子供たち4人を育ててくるのを見てきました。そして父親は思い起こすに、38才で結核療養所に入り、出で来た時は44才です。
戻ってきても、商売は全て母親が仕切り、父親のいる場所はなかったのでしょう。
毎日、パチンコに明け暮れる姿を覚えています。
夫婦関係は最悪で、毎日夫婦喧嘩が絶えず、母は、末っ子の私が成人したら離婚すると、毎日話しているそんなような、私の家族でした。

中学時代に同期生の家に遊びに行った時、まるで自分の家と違い片付けられ清潔な環境の家に驚きました。高校に行くようになってからは、この地方都市の歓楽街の裏通りの我が家から、早く抜け出すことばかり考えいました。東京の学校に行っても自分の家族環境がこれからの自分の人生にまとわりつくのが嫌で、一人で海外に出る手段を模索し、学園紛争を理由に退学し、外の世界に出て行きました。

7年海外で暮らし、日本に戻ってあの家に戻った時、家は郊外の戸建てに越していました。
姉・兄は結婚し、あの昭和30年から40年代の社会的底辺の貧乏・貧困層から脱却し、日本全中流社会の一員として暮らしていました。
あれほど仲が悪かった、父・母の夫婦は65才で家業を畳み、年金と少ない貯蓄で暮らし、年に数回町内会の旅行にも行っているようでした。

父が71才で動脈瘤破裂で亡くなった時、私はショックを受けました。
自宅での葬儀の時、父の棺に母が泣きじゃくってしがみついているのです。
あんなに毎日喧嘩し、離婚すると云っていた母が・・・・
夫婦の関係は、子供から見ても解らないものだと、その時に実感しました。

その母も85才で亡くなりました。
母は亡くなる前、数年間は痴呆症の症状があったようです。
しかし、首都圏で暮らす私は、実家でする同居する兄夫婦の苦労は知りませんでした。

今年、二人の兄のうち、長男が末期がんで亡くなりました。
残ったのは、外に嫁いだ姉と実家に暮らす兄と私。
最近、実家に帰る回数が増えています。
新幹線で往復20,000円の交通費は、年金生活で軽くはありませんが、昔の貧乏・困窮時代を共に生きてきた兄弟として、今年古稀を迎えた私は、出来る限り会おうと心掛けるています。

今回の「万引き家族」を見て、その想いは強くなりました。

posted by 西沢 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2018年06月08日

IRカジノ統合型リゾート法は必要か?

政府与党は、8日、委員会で採決に踏み切るようですが、カジノを成長戦略とすることの是非や
賭博を禁じる刑法との整合性などの論点の議論が尽くされていないと野党は反発してます。
政府はIRの目的として、日本を訪れる外国人観光客を呼び込む観光資源になり、2020年東京五輪
以降の成長戦略の柱に位置づけています。

casino.jpgしかし、政府観光客の統計によると東日本大震災のあった2011年の625万人から、6年連続で増え昨年は2,869万人と4.6倍になっており、観光客はカジノよりも自然や文化を求めて来日しているのが看取れ、そう期待は出来ないと云う意見が多数です。
特に、カジノが好きな外国人と云えば中国人であり、日本を訪れる成熟した中国人観光客はわざ
わざ高い旅費が必要な日本ではなく、お隣のマカオや韓国へ行くのは明白です。
そもそもカジノは刑法の賭博罪で禁じられているのに、安倍政権はそんなに熱心なのか?

昔のTVや映画に登場する賭場がある土地は、徳川幕府の天領、直轄地です。
赤城の子守歌の国定忠治らが活躍していたは、上州の天領です。
この頃から、お上は博打を管理し、利益を吸い上げて来ていたのです。
IRカジノ統合型リゾート法で、アメリカのカジノ運営会社が進出し、ホテル・ビルを建てることにより、東京オリンピック後に沈滞化する建設業者の仕事を創生するのが、大目的です。
昔の徳川幕府時代と全く変わらぬ体質、手法です。
一番儲かるのは、外資カジノ運営会社、次にホテルと周辺業者と建設業界です。

外国人観光客がカジノを利用するは、総利用者の1割にも満たないであろうと云う推測があります。ほとんどの利用者は日本人。
ギャンブル依存症防止として、6,000円の入場料、7日間で3回、28日間で10回の入場制限を設けると云ってますが、入場料を幾ら高くしても、ギャンブル依存症の人は行きます、これらの人は、失ったお金は、簡単にカジノで取り戻せると考えるからです。
入場制限に関しても、年間120回の入場を認めており、3日に一度は入れるのです。

ロシアの文豪「トルストイ」がカジノに嵌まっていたのは有名な話でもあり、私自身、若い頃外国でカジノで生計を建てようかとチャレンジしたことがありました。
数か月は上手く行ったのですが、カジノのルールは統計上の確率よりは有利に出来ていますので長くやればやるほど、カジノ側が勝つのは当たり前なんです。

カジノ側に勝つ絶対法則があります。
客は何時でもゲームを止めることが出来ますが、カジノ側は勝手に賭場を閉めることは出来ません。つまり、客は勝っている時、止めて、さっさとカジノの外に出れば良いのです。
簡単なことなのですが、これが出来ればカジノ運営会社は世界に存在はしていないでしょう。

カジノ法を成立させようとしている、自民党・公明党連立安倍政権は、昔の悪徳お代官様と同じです。平成の水戸黄門さんはいないのかな。

posted by 西沢 at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会