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2018年01月29日

アインシュタンインのメモ


ain.jpg「静かで質素な生活は、絶え間ない不安にかられながら成功を追い求めるより、多くの喜びをもたらす」アインシュタインが1992年来日、宿泊先の帝国ホテルのベルボーイにチップ代わりに渡したメモがオークションで156万ドルで落札されたとのニュースが今朝の朝日新聞に掲載されていました。

なんて私の今の心境にぴったりの言葉なのでしょう。
アインシュタンイン1879年生まれですから、この来日した時はなんと43才だったのです。
43才の若造が、この齢で、もうこんな言葉を発しているとは。

現在のボランティア・NPO活動のなかで疲れが溜まってきています。
もうそろそろ、卒業しようかな・・と感じ初めています。
でも、今年、古稀を迎えるまでもう少し我慢しようかなとも思います。

このような記事を私が管理人を務める「リタイヤライフみんなの掲示板」に投稿すると
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi

ある投稿者から、

私も以下のことは辞めようと思っています。
1.ヨーロッパ、アメリカへの旅行 費用が高いため
2.年金生活の毎月が若干、+になること。突発的な出費は、仕方ない。
3.外食、月 4回以内。
4.野菜を多く食べる。
5.多くの付き合いをしない、会合、記念会は参加放棄。
6.趣味はスポーツクラブへの支払いに抑える。

許容すること
1.妻の消費に口を出さない。
2.親戚の子供の進学には、100万円ほど、援助する。
  母子家庭で頑張っている。
3.年一回、夫婦二人 15万円程度に海外旅行
4、たまに宝くじを買うこと。


若者は、スマホでfacebook・ツイター・ラインなどで交流していますが、年金リタイヤ世代は昔ながらのBBS、掲示板が自分の意見、考えを伝える絶好の場所となっています。


posted by 西沢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月28日

末期がん、発病からホスピスで亡くなるまで

三つ年上の兄が72才で亡くなりました。
これまで肉親の死は突然死でした。父は71才、動脈瘤破裂、母は85才で寒い冬の日トイレで倒れて、3日後の死でした。
今回の実兄の死は、ガン発見、手術延期、余命宣告、自宅療養・ホスピス入院、そして死までの8ケ月を遠く離れて暮らすものの地元で介護・世話する姉と次兄からつぶさに見聞きしてきて、人ひとりが死ぬ過程を初めて知りました。

これまでもガンでなくなる芸能人のブログや、TV局がカメラを病床に持ち込んでのドキュメンタリーで見ていましたが身内の発病から、ホスピスでの看取りまでを知り、一市井の独身男性の旅立ちまでの過程を、実の弟の立場から尊厳を持って、書き残します。

盲腸がんであるのが知らされたのは、2017年5月でした。
ステージ1で転移はなく、明日、手術すると云う前日に病床に見舞いに行きました。
帰郷して、次兄から知らされてのは、前日に発熱があり、手術延期。
翌日、肺炎を発病し、精密検査の結果、大腸全体に転移しており、元々糖尿から腎不全を併発していて、手術に耐えられない状態であること、このまま、積極的な治療はせずに、残りの人生を本人の思うままに生かす、選択を提案されました。
この時点で、本人と私たち兄弟に余命、年末までとドクターから言い渡されました。

しかし、後から判ったことですが、長兄本人は、このことを深く理解していなかったようです。
この後、姉・次兄が走り回って、介護保険の申請、アパート内に市への緊急通報システムなどを設置し、週に2回の家事援助が始まりました。
これと同時に、初診の大病院から市内のキリスト教系ホスピスを紹介され、訪問看護、自宅緩和治療体制が整いました。ホスピスの医師の方針は、ガンそのものの治療はせずに、患者の痛みや心の不安を緩和する治療のみです。

夏、体力は衰えて来ているものの、まだまだ元気で何でもできる、食欲も旺盛な兄は、青春時代過ごした東京・神奈川の地を旅行したい、と云うので、鎌倉の我が家に招待して、ゆっくりと旧友や、過ごしたアパートの大家さんを訪ねる計画を立てたのですが、病魔は確実に進行し、信州から鎌倉へ新幹線・公共交通機関を利用したの二泊三日の旅は無理、緊急事態に耐えられない
旨を言い渡されて、断念しました。
その代わり、10月に兄弟4人による、近場の温泉旅行を催しました。思い出造り旅行です。

その時に事件が起こりました。
温泉旅館の大浴場に、長兄と二人で入った時、兄が私に向かって、知らない他人向って話すように、「どちらかお見えですか」と云ったのです。「鎌倉ですと」答えると、兄は「私の弟も鎌倉に住んでいます」と云いました。
ここで、普段介護している姉が、「認知症の兆しがある」と云った言葉を思い出しました。
そして、風呂を出る時に、浴槽に倒れ込み、となり男性が手をかして引き上げ、私に「お宅の御爺さん、大丈夫?」と云ったのです。72才のガン末期の男性の姿は、確かに他人からみたら、お爺さんなのでしょう。

年末、アパートで一人、訪問介護とヘルパーさん、そして姉と次兄に助けられながの生活です。
ガンの治療はなく、3日に一度の痛みをとる湿布(医療用麻薬)の交換でけです。
体は動き、風呂もトイレも手助けは不要で、食欲は少なくなってきているものの、何とか一人で生活出来ていました。2017の年越し、大晦日は夫を亡くした姉の家で過ごし、ドクターの余命宣告の年末が過ぎ、新年を迎えました。
しかし、1月10日、嘔吐・下痢が続き、訪問看護の看護婦さんは、直ぐにホスピス入院の手続きを取りました。

もう、腸が固形物を受け入れ状態ではないようです。
次兄からの連絡を受け、1月13日、ホスピスの病床に見舞いに行きました。
兄は病室は個室です。このホスピスは全室個室で差額ベット料金は発生しないとのことです。
普通、死が間近な患者には、点滴などいろいろなチューブで繋がれているイメージですが、兄には一本だけでした。
胃を経由して摂取した栄養飲み物が腸に到達しても、吸収処理されないものを、再び外に排出するだけのチューブです。

兄は意識もありますが、言葉少ないものの、弟が来たのは解るようでした。
この日は、顔を見て帰りました。
翌週、再び連絡が有り、1月いっぱい持つか、持たないか?、遠方から危篤の度に来るのは大変だろうから、亡くなってから連絡すると云ってきました。
1月23日の朝、8時、兄から亡くなった、と云う連絡が有りました。
前日の22日には、会話も出来た様子です。直接の死因は、多臓器不全です。
こうやって、5月にガンと診断され、8ケ月、ホスピスに入院して2週間で兄は、母と父の元に旅立ちました。

お葬式の時、姉は末期がんで亡くなると云うのは、家族への負担が限定的で良い死に方ね。私も寝たきりや、認知症で家族に大きな負担をかけるより、末期がんで積極的な治療をせずに、残された時間を有効に過ごして、今回お世話になったこのホスピスで逝きたいわ、と語っていました。同感です。私も家の近所にこのような施設を探すことにします。

これがリアルな末期がんの逝き方です。
posted by 西沢 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月27日

小さなお葬式と家族葬の違い、意外にかかる費用

sougi.jpg今回、実兄のお葬式は簡単に済まそう、家族葬にしようと云う次兄の提案はもちろん大歓迎でした。
亡くなった翌日の午後から、お通夜を行い、そのまま引き続き本葬・初七日をその日に済ませ、翌日は荼毘火葬を行いました。
参列者は、姉、次兄とその配偶者と長男、末弟の私の五名と、檀家のお坊さんの六名です。
予定して通りのこじんまりとした、お葬式、家族葬です。・・・・が、後から喪主を務めた次兄から、亡き長兄のお葬式費用とこれから発生する費用についての見積書と概算費用について知らされて、少し驚いたのと、喪主と云う役割の大変さが解りました。
葬儀社の見積もり

生花祭壇 下の中     100,000
お棺    60,000
ドライアイス20kg処置料 14,000
遺影(カラー)      25,000
位牌・骨箱セット     16,300
司会進行・納棺出棺、代行手続き 31,000
看板・案内類          15,000
寝台車配送料          17,600
ご遺体ポリマーシーツ      10,000
防臭剤一回分           5,000
霊柩車             15,000
メモリアルルーム使用料     40,000
葬儀・会食会場使用料      130,000
小計          478,900

お斎料理 六人         62,400
お斎返礼品            9,280
小計          71,680

葬儀社支払い合計       \550,580

その他にかかる費用
お坊さんへのお布施 戒名なし  100,000
北信濃は一般家庭では本家からのお寺があり、もっとも多いのは浄土真宗系で、我が家の父が亡くなった時に初めてが家のお寺と云う存在を知りました。簡単な身内だけのお葬式でも、お坊さんを呼ばない訳にはいかないようです。

荼毘・火葬料 市営火葬場     15,000

直接的な費用の合計 665,000円です。
もちろん、この他に喪主が気を配り、受け持つ小さな費用は沢山あります。

平成の世の一般的な葬儀費が150〜200万と云われていることから、66万は安いと思いますが、私がイメージしていた家族葬、小さなお葬式とは、かなり違っていました。
家族葬とは参列者が身内だけのことで、あとは日本の葬祭業会のしきたりを踏襲した本格的なお葬式なのです。家族葬イコール安いお葬式ではないのです。

喪主である次兄は、これから亡くなった長兄のアパートを引き払い、処分し、様々な解約などをしなくてはなりません。
一段落した頃、49日の法要、納骨が待っています。
家のお墓の墓誌に亡くなった兄の名前を刻むだけでも、7,8万掛かりますし、お寺さんへの謝礼、その後のお斎会食費などがかかり、8月の新盆まで出費が続くのです。
それが喪主の宿命なのです。 幸い、亡くなった実兄は少額ながら自分の入院費やお葬式の費用を賄える程度のお金を残していきましたので、これを充てる予定です。

この話をカミサンにしたら、私たちは葬式はいらない、直接火葬して、散骨で十分と云います。
それにしても、死後の数日で葬儀社の手を借りずに、全て自前で調達・手配・手続きまでやるのは大変です。今回の兄の葬式で学んだことで、一度葬儀社に行って、詳しい直葬・火葬式について調べてみようと思います。
posted by 西沢 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月24日

末期がんの兄がホスピスで息をひきとりました。

昨年5月に盲腸がんが発見された時、すでにステージ4で手術不可能、余命半年と宣告された兄が昨日、朝、静かに 息をひきとり、逝きました。72才。
1月10日に本格的に入院してからちょうど二週間です。
長兄は双子兄弟です。

iei.png双子の次兄が全ての手続きを進めて、今日が葬儀で、これから信州に向かいます。
同じ日、同じ時間、同じ母親から生まれた双子の兄は全く違った人生を歩んできました。
昭和20年、終戦の一か月前、戦地で肋膜炎を患い内地に返されていた父親と、女工として関西の繊維工場で 働いていた二人の貧しい信州生まれの夫婦の初めての男の子です。
前年に長女が誕生していたのですから、二年間で三人の 赤子を終戦を挟んで、育ちあげなければならなかった、両親の苦労は、現代の夫婦には想像できないでしょう。
同じ双子ですが、亡くなった長兄と、介護を担い、葬儀を取り仕切る次兄は全く違う人生を歩んできました。 亡くなった長兄は勉強もそこそこに出来、友達も多く、学校ではクラス委員を務める人気者でした。

一方の次兄は、何も目立つことなく、クラスでも存在を忘れられるような大人しい子供でした。
この二人の人生の分岐点を子供ながら、三歳はなれた弟の私は、目撃しています。
昭和30年代、高度成長前、我が家は極端に貧乏でした。
父親は私が小学校に上がる年、肋膜炎から肺結核になり、郊外の隔離療養所に入り、出てきたのは、私が中学校にはいる年 ですから、丸6年、母は父がやっていた小さな青果店を、子供4人抱えて、一人で頑張っていました。

今でも鮮明に覚えているのは、親切なオバサンが毎日やってきて「けして恥でないから」と云う言葉が聞こえたのを覚えています。
今、考えれば民生委員の方だったのでしょう。
その当時のことを後から母に聞くと、「生活保護を受けると、学校の給食費を 払わなくなるけど、クラスに知れて、お前たちが可哀そうと、思った。」と云ってました。
当時の日本はみんな貧しかったのですが、とりわけ我が家は貧しかったのです。
そんな家庭ですから、双子の二人の兄たちには、高校進学と云う道は考えられませんでした。
※一方の姉は、小学校・中学と学年首席で通し、母は親戚の反対を押し切って県下No,1の高校に進学させました。

当時、(今でもありますが)大企業の企業内学校制度というものがありました。
自社内に技術訓練学校のようなものを造り、自前の優秀な熟練工を育てるのが目的の学校です。
若干大人しく目立たない次兄は、市内大手の無線機器メーカーを受験し、合格しました。
成績の良い長兄は、名古屋本社の電力会社の学校を受験しましたが、受からず、一人部屋の隅でふとんのなかで泣いていたのを 当時の私は覚えています。
その後、定時制工業高校に入り、昼は鋳物工場で働いていました。
今、思い返すに、16才の少年が大人に交じってするには辛い仕事だったろうと思います。
次兄は何の不満も、野心もなく、たんたんと企業内学校に通い卒業し、地元で結婚、二人の子供をもうけ、 親の家を引き継ぎ、両親二人を送り、定年に至っています。

長兄は定時制工業高校を卒業後、東京の大手メーカーを数社受験し、失敗。
神奈川の大手下請け工場に就職したものの、2年で辞め、 その後、何度も転職を繰り返してきました。 そんな様子を不安に感じた母親は、この長兄が39才の時、神奈川の大和市から信州に引き上げさせました。
母は上京し、アパートを清掃し、片付け、大家さんにご挨拶をしていったそうです。
この時、長兄は兄の友人と二人で、購入したばかりの私のマンションに来ました。
当時神奈川県でファミリータイプマンションとしては平均価格帯が高い 駅前マンションでした。
兄は友人に向かい、「こういう生活もあるのだな」としみじみ言うのを覚えています、 兄とこの友人は、労働組合活動に熱心で、職場を辞めては沖縄基地闘争や原子力空母反対デモに生き甲斐を見出していた仲間だったのです。

40前に母親に引き取られて、生まれ故郷に越してからの長兄がどんな暮らしをしていたのか、本当の所良く知りません。
次兄の話では、何度も職を変え、パチンコ店に通い、アパート代が払えなくなると、母親が払っていたり、 父が亡くなってからは、母が自分の通帳を 渡していたとの話でした。
そして、60才を過ぎて、何処も雇ってくれない年齢になると、国民年金とほんの少しの昔の厚生年金の受給額を聞き、 「アパート代を払ったら喰っていけない、」とこぼしていたそうです。
若い頃から定年後の人生について考え続けて来た私流に云えば、リセットして田舎に帰った40から70になるまで、 一体何をしていたの?まるでフーテンの寅さんじゃないか、と。
勿論、長兄には云いませんでしたが、母親以外は誰もがそう思っていました。

兄の最後は、立ち会った次兄から電話で聞きました。
直接の死因病名は多臓器不全、もうボロボロだったのでしょう。
でも人生の最後を過ごしたホスピスは、亡くなった兄の髭をそり、髪をすき、 顔にはクリームを塗り、姉によると、これまでに見たことのない爽やかなお顔だったと云っています。
そして、ホスピス内の教会では、お別れミサが行われ、空いている看護婦さん、 の皆様が見送ってくれたそうです。
いい病院だ、近かったら私もこのホスピスで逝きたい、と本気で思います。

今日、信州で行われるお葬式、通夜は家族葬です。
出席者は、姉・兄・私と次兄の伴侶と長男の5人です。
私のカミサンは、北関東の実家で母親の子守中で、出席出来ません。
しんみりと兄弟で兄の思い出話をしようと思います。
posted by 西沢 at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月23日

終末医療 末期がんでの逝き方、ホスピスの場合

先々週、末期がんがホスピスに入院中の兄を見舞い、幾らか意識のある兄と会い、その日に帰京しました。そして、昨日再び次兄から電話があり、かなり重篤の状態であるとの連絡が有りました。

hosps.jpg毎日、病室に見舞っている、姉・次兄に病院側からある程度の用意をして下さい。と云われたそうです。昨年の夏、ガンが発見されたときは、手術が出来ないような状態で、余命半年くらい、積極的な治療はせずにホスピスからの訪問介護で自宅・緩和治療すると云う方針が決定されて、今年のお正月を迎えました。
正月明けから、嘔吐とが続き、固形物の食事がとれない状態で、ホスピスに再入院したのです。

兄には、姉・次兄からは余命は伝えていません。
看護婦さんには、もし兄からきれたら本当の事を話して下さいとは云っていますが、兄本人は昨年末の時「そう長い命ではないだろう、後一年ぐらいかな」と話していたそうです。

次兄からは、「危篤でも連絡しないが、葬儀は出席するように」とのことでした。
遠く離れ、仕事はしてなくても、NPO関係で講座講師をしていたり、会議の座長をしていたり忙しくしているのを知っており、片道新幹線で一万円かかる費用も心配してくれているのです。

私たち兄弟は、人が死んでいく姿を実際に見ていません。
父は、動脈瘤破裂で救急車で運ばれてそのまま、母は寒い信州の朝トイレに座ったまま、亡くなっています。TVドキュメンタリーでがん患者の臨終の姿、様子を見ていますが、その前の長い闘病生活は知らされていません。
末期がん患者のホスピスでの緩和治療はやはり壮絶です。
ガン本体の治療ではなく、あくまでも患者の体・心の痛みを取り除き、緩和するのですが、固形物を食べられなくなった兄に対して、普通の病院では点滴や、医薬を投入するチューブで繋がれているのですが、兄の場合一切なく、内臓に負担が少ない、麻薬系の座薬と張り薬だけです。

徐々に衰弱していく姿、意識。
兄の電話では、ホスピス側からは、何時と云う言葉ない、と云ってます。
今日明日かもしれない、一週間後一か月後もしれない、誰も解らない。そうです。

私には、先日意識が有り、弟と認識している時に来ているので、特別、意識のない臨終に立ち会う必要はない。と姉・兄は云います。葬儀は家族葬でやるので、弟として来るように。
今のうちに、葬儀の為に取りやめなくてはならない、講座や会議のキャンセル準備をしておくように。との配慮でした。

葬儀の手配は、次兄が既にしているようです。
全くの家族葬です。叔父・叔母・従兄・甥姪にも知らせない、生涯独身、職を転々としてきた長兄の友人関係は解らない、次兄は兄のアパートの清掃・撤去・処分をする遺品整理会社まで既に手配しているようです。

私は、来週既に手配してある二泊三日の個人九州旅行があることは伝えています。
キャンセルしようかと次兄に云うと、それは解らない。すでにキャンセル料は発生しているだろうし、私の負担になるだろし、旅行は行った方が良いよ。但し、携帯電話には絶対に出てくれ、旅行を途中で中止して帰りのフライトが取れなかったら、その時はその時、仕方ない。国内旅行なのだから、納骨までには間に合うように、こちらも配慮すると云ってくれました。

携帯を常に手元に置く一週間です。
posted by 西沢 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月22日

カミサンは今日から実家の介護で不在

kaigo.png昨日、北関東のカミサンの実家を継いでいる三人姉妹の三女から電話がありました。
実家の母親の友人94才が亡くなり、月曜日から4日間お手伝いにいかなくてはならない、夫ともに家を留守するので母親の世話が出来ないので、助けて欲しいとの連絡でした。
実家の母は、91才、数年前に心臓の手術はしたものの、至って健康でしたが、昨年、自宅で転んで大腿骨骨折で入院したあたりから、軽い認知症気味になってきていました。
時々の電話口の声、話し方では、全く元気で「私は口だけは元気、健康そのもの」と云っており、三女に元気そうではないか?と云うと、普段生活を一緒にしているのと、時々電話で話す人には、その変化・苦労は解らない、と云います。確かにNPOでボランティア団体のサポートをしていると、その意味は良く理解出来ます。

カミサンに家のことは良いから、行ってあげたら。
でも、君の田舎って、ご近所のお葬式に4日間もお手伝いに出なくてはならないの?
僕の田舎では、昔そう云うこともあったと聞いているけど、今は、みんな葬儀屋さんにやってもらって、ご近所さんなら3,000円くらいのお香典でお通夜に行く程度なんだけとね。

カミサンの田舎では、まだ地区内のお葬式は、ご近所さんが総出でお手伝いをするようです。
確かに、カミサンのお父さんが亡くなった時、手伝ったご近所さんの名簿を家を継いでいる三女の婿さんから渡され、この方たちの日当は、葬式を出す家の兄弟で分担するのが、この地区の習わしと云うことで、私が負担したことが有りました。

カミサンはこの亡くなった方のお葬式を手伝うのではなく、家族全員がいなくなるので、残された認知症気味で、家のなかも伝い歩きする母親の面倒、介護をするのがお役目です。
3人姉妹、上から都会に出て行って、家を継いでいる三女、そして軽い認知症とは云え、24時間、四六時中面倒を見ているのですから、国家資格を持ち、比較的経済的にも、時間的にも余裕があるとみられている、次女の我が家のカミサンの出番なのです。
カミサンは家のカレンダーに、ごみを出す日を書き込み、クリーニングを取りに行く日に付箋を貼り、冷蔵庫のなかにあるものを説明し、下着類を4日間分揃えて、片道2時間半かかる北関東の実家に出かけていきました。

さあ今日から4日間独身生活だ
昔の若い頃なら、少しうきうきする気分なのですが60代後半になるともう面倒くさいだけです。
昨年、やはり実家の母の骨折手術の時にもカミサンは、一週間不在にしました。その時は一週間、夕食だけは自炊してみようと結構手の込んだ料理に挑戦し、毎日そのお料理をSNSにアップしたものです。
60代のオジサンですが、NPOボランティアをしてたり、ネット上の友人も多いせいか、SNSをた若い女性からお褒めのコメントを多く頂戴しました。・・・・が今回は平日はいろいろ忙しくて外食になり、夕食は冷凍食品が中心になりそうです。
それでもバランス良く、野菜を少しでも加え、たんぱく質を中心に、炭水化物は控えめにする予定ですが、どうなることやら。

カミサンが帰ってきたら、「やっぱり君がいないと生活できない」・・・と多少、ウソ混じりですが、云う予定です
posted by 西沢 at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月21日

定年後 リタイヤ男性の地元・地域デビュー

公園デビューとは
deviu1.gif若いお母さん、初めてママになった女性の一つの試練として、公園デビューと云う言葉があります。結婚して、馴染みのない土地に住み出産する。退院してから数か月は、初めての子育てに追われ自宅に引き籠っているが、子供と 自分の生活リズム・健康のことを考え、近所の砂場やブランコやベンチのある公園に出かける。
そこには、先輩の若い母親のグループが子供を連れて遊ばせている。
これらのグループに何とか声をかけ、挨拶し、仲間に入れて貰わねば ならない。
そんな若いママさんの不安が公園デビューと云う言葉で、 インターネットの子育てサイトに大勢の女性が、 その不安を相談しています。

定年後 リタイヤ男性の地元・地域デビュー

同じように、長年通い続けた通勤電車から解放され、地元・自宅に戻って来た私たち60過ぎのオヤジも、何時かは、何らかの形で 地元・地域デビューをしなくてはならないのです。
地方から出て都会の大学で学び、当然の如く都会で就職し、やがて結婚し、郊外に家を買い30数年通勤した我が家と自分の街、生まれ育った 故郷の土地よりづっと長く住んでいる、そして終の棲家・終焉の土地・地域になるやもしれない場所なのです。
しかし、大半の男性は地元のこと、地域のコミュニティなんぞ(そう、なんぞなんです。)何にも知りません。

「毎日、家でブラブラしていて煩わしい」
これが、長年家族の為?(本当にそう思っているか疑わしいのですが)に働き、定年で帰ってきた企業戦士の伴侶・奥さんの本音です。
リタイヤ直後は、「本当にご苦労様でした、暫くゆっくり休んで下さい。」と本当にそう思って云いますが、長くて1か月、短いと10日間で、 奥さんは、友達に携帯電話でこぼしています。
「1日ブラブラしてるのだからお昼ぐらい自分で造れよ」とか 「洗濯物ぐらい取りんでおいてよね。」とか「全く何にもしないなだから」

妻からの自立
このブログを読んでいる読者の大半は、私たち団塊世代・ニューファミリー世代ですから、カミサンにそんな事云われなくても、勝手に 飯を造り、何処へでも一人で出かけて行けるハズですが、カミサンの電話の相手のご主人たちは、なかなかそうも行かない様子です。
退職し、家でブラブラしていると、カミサンに何処か散歩にでも行ったら、と云われて行く先の定番は、
  1,図書館
  2,家電量販店或いはショッピングセンター
  3,4がなくて、仕方なしに公民館(地域よって呼び名は色々、地区センターとか、学習センターとか)そうこうしていると、カミサンから、そんなに暇でする事がないんだったらアルバイトでもしてみたら?と云われます。
鼻からそんな気はないもの 折込チラシを見てみると、定年退職者向けの
・「駅前の放置自転車整理・取締り」
・「禁煙パトロール、吸い殻拾い」
・「介護老人ホームの送迎」
・「チラシポスト投函」 なるもの。
時給は予想通り900円前後、それよりも嫌悪感が湧くのが、履歴書を持っての面接があると云うのです。現役時代に何度か面接をする立場おり、出された業務経歴書 をじっくりと吟味し、面接の際に訊ねる項目を考えた事がありました。
しかしそれは、技術レベルの高い即戦力の正社員が欲しくてです。
時給900円のこのような 仕事(やっている方スイマセン)に、なんで履歴書が必要なのか?、
運転免許証1枚があり、本人と3分も話せば解る事ではないのか?
半日5時間働いて4000円(現役時代の時給にも満たないですが)は、無収入 の今では、ちょっとした小遣いで莫迦にはなりません。
でも、報酬をいただくとなると、自分の時間に制約がかかります。
好きな時に自分の都合で働けるのなら やっても構いませんが、そんな我が儘な仕事はありません。

いよいよ地域デビュー
自分の住んでいる地域の最も身近なコミュニティは、「町内会」・「自治会」です。
そのうち、「老人会」も加わると思いますが・・・次には 行政区・地区単位にあるいわゆる
「公民館」「地区センター」「生涯学習センター」「老人センター」の各種趣味の団体・サークル、「体育館」のスポーツサークル となり、市や区単位になると、社会福祉協議会・ボランティアセンター・NPOセンターなどの市民活動団体・社会福祉団体などがこれから所属し、定年退職後の 大半の時間を過ごすことになる、皆さんのコミュニティとなります。

最初の一歩
「自治会」であれ、趣味、スポーツの団体、市民活動団体であれ、新人は歓迎されます。
しかし、リタイヤ直後の60才の男性なら「若い人」が入ったと手ばなしで喜ばれたの5年前までです。昔は、社会福祉団体や市民活動ボランティア団体は女性ばかり でした。
ですから、社会経験のある男性が入ってくるのは大歓迎だったのですが・・・、ここ数年、男性がどんどんと入って来ており、男女半々になりつつあります。

活気がでてきたか?そうも言えません。弊害が出てきています。
   1,団体内に、組織原理原則論を持ち込む
   2,派閥・グループを造りたがる
   3,今までやってきたことを否定する
   4,今まで所属していた会社名をだして、こうではいけないと云う
   5,ついつい、出身大学名が口にでる。
   6,パソコンが出来ると過信している。

地域のコミュニティや団体は、定年退職男性を手放しで歓迎している訳ではありません。
歓迎しているのは、上記のようなことをせず、実際に時間を費やし、汗を流せる、バランス感覚の良い人を求めています。
会社の経験や地位や出身大学や資格は、全く必要ではありません。
パソコンが出来る・・・60歳の男性のパソコンが出来るはせいぜい、ワード・エクセル・メール 程度で、出来るうちには入りません。
ビルダーでホームページも出来るうちに入りません。少なくともCSS・Javascript・CGIを理解していないと通用しません。
先ずは、自分を売り込むよりも、謙虚になり次の言葉を覚えて下さい。
定年後の地域デビューの魔法の言葉「何か私にお手伝い出来ることが有りませんか?」
デビュー後は、老害にお気を付けを。
posted by 西沢 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月20日

夫定年後の妻の、「夫在宅症候群」と我が家ルール

朝日新聞の土曜版の「悩みのるつぼ」を良く読んでいました。
相談への回答者は同じ団塊世代の上野千鶴子さんでした。
よく覚えています相談内容は 「退職した夫が束縛します」です
悩み相談者は同じ世代64歳女性、。
要約すると【夫は私を愛していると確信しているようですが心配性です。あまりにもわたしの行動を束縛するのです。 夫は、組織の中でトップ近くまで昇進したので、退職後は趣味どころではなく、燃え尽きたのかもしれません。 私は、夫源病一歩手前?です。いいストレス解消法をご伝授ください。】

fuu.jpg上野千鶴子さんの回答は;
夫の退職がきっかけで夫婦の間に危機が訪れるケースは良くあります。
ずっと仕事一筋で不在だった夫が四六時中家にいるようになってから、えーこんな男だったっけ、と云う番狂わせ が起きるケースです。
〜中略〜 仕事のなくなった夫は「かまってくれ症候群」なんでしょうね。一昔前は、 「濡れ落ち葉」・「ワシも族」と呼ばれていました。〜中略〜
夫はまだ退職ライフビギナーのようですから、出歩く機会を妻が積極的に造って下さい。オヤジの地域デビューサクセス 談を聞いたことがありますが、そのほとんどが、妻が地元の情報を収集し、段取りをつけ、肩を押してようやく 出て行った先にはまったというケースでした。
成功した夫の妻は「私の平安の為に出歩いてもらっています」と動機を 語っていました。
妻の夫源病、別名「夫在宅症候群」のストレスは源は夫です。ストレス解消の決定打は、ストレス源を無くすことです。

我が家の場合は;
私たちは子供のない家庭で、共働きでした。
働き盛りの40代半ばから50代の前半は、バブルとその余韻時代で、 仕事柄、土日・祝日・深夜は当たり前、平日の帰りは、ほぼ毎日、品川23:59分大垣行のアルコールの匂いプンプンの最終電車でしたから 、たまの休みは二人の時間を大切にしていました。
しかし、同時に55才と52才で退職した夫婦が、平日の毎日マンションに居ると何かしらの罪悪感・何かをしなくてはと云うストレス があるであろうことは、解かっていましたので、退職後の二人の生活ルールを決めました。

お金に関して
・退職時に各々にある一定金額を分与し、使途を問わない自由なお小遣い原資とする。
・お互いに、このお金の使い道を詮索しない、残高を聞かない。
・バイト収入が入った時は、一部を相手にプレゼントする。
・一か月の小遣い高は平等とし、他に各々の年間ゆとり経費を設定する。

生活に関して
・相手の交友関係に立ち入らない。
・炊事・洗濯は妻、掃除は夫が行う。
・銀行等の出し入れ、資産管理は夫が行う。
・予算消化状況・資産内容は、常に妻がみられる状態にする。
・遺言状は年に一度、更新する

週刊スケジュールに関して
・月曜日から金曜日まで、二人が一日中同時に在宅する日は造らない。
・どちらかは、必ず、午前或いは午後外出する状況を造る。
・昼ごはんは、外で食べるか、或いは自分で造る。

年間スケジュールに関して
・三ヶ月に二回計8回、一泊以上の海外・国内旅行をする。
・年間予算が余る場合は、翌年に繰り越さない。使いきるか、無効にする。

など等、明文化した訳でもないですが、暗黙のルールとしてこれまで15年、やってきています。
これは、特別退職後に始まったのではなく、現役時代と同じです。 子供のいない、ニューファミリー・友達夫婦世代だからでしょうか?
posted by 西沢 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ

2018年01月19日

鎌倉から見る富士山の夕焼け

テレビニュースでは、西日本・北陸・上信越・東北で大雪ですが、関東太平洋側では連日の雲 ひとつない晴天が続いています。
今月から始まったNPOのスマホレスポンシブル対応後期講座の資料準備も大方終わり、 ほったらかしだった先月の伊豆・静岡旅行のビデオ作成にとりかかりましたが、 肝心の富士山の動画が日本平だけしかなく、ストーリー構成に幅がなく、なんとか仕上げるために、 裏の栄光学園坂を登った先にある公園までいって、ネタを仕入れてきました。 ここの公園の朝の富士山はこの時期、ご覧のような写真が撮れます。

f03.jpg退職後鎌倉に越して来るまでは、二駅横浜よりの東戸塚に21年住んでいました。
当時、この町は新駅駅前開発が始まったばかりで、駅前の坂上から綺麗な富士山が見えました。
今は 沢山のタワーマンションに隠れ、このタワマンの上層階の西側にお住まいの方しか、この霊峰の姿は見れません。
それでも空気の澄んでいる朝は、通勤の横須賀線の車窓から富士山が良く見えました。
富士山は意外と多くの 場所からも見え、会社があった新宿からも夕方の甲州街道のビルの谷間から赤く染まる富士山が見えたことが 度々ありました。

鎌倉・湘南に越して来ると、ちょっと坂をあがり開けた場所にでると、富士山は当たり前のように見え、特別な 場所でもないようです。
私が住むマンションは低中層住宅地域なので、5階建てまでですから最上階でも富士山は見えません。近くの 開けた場所の一つ、県立フラワーセンターでは昔は見えたそうですが、大病院やマンションが立ち並び現在では 見えません。

f02.jpgこの終の棲家になるかも知れないマンションに越して来た頃、まだ若かったのか(私55才、カミサン52才)は、毎日のように この周辺をお散歩して歩き回りました。その時にこの富士山のみえる公園を発見したのです。
私たちの住む共同住宅は駅から徒歩9分・・・不動産屋の公式チラシでは・・・確かに昔は9分で歩けるのを 確認しましたが、今は乗る電車の20分前に家を出るようにしています。少しづつ歩くスピードが遅くなり、 駅構内へはゆとりを持って行くことになり、現役サラリーマン時代のように、ギリギリの時間設定をしなく なりました。
我が家の裏手は文教地区に指定され、神奈川県有数の進学校の男子校と、カトリック系のお嬢様女子高があります。
ここへは、名物の急坂を登って行かなくてはいけないのですが、朝・夕大勢の男子高校生が一列になってこの 急坂を若い体力でどんどんと上がって行きます。
一方女子高のほうは、少し距離も有りますし、男子校生徒とクロスしないような配慮なのか、バスです。学校専用バス ではなく、一般路線バスなので地元住民も乗りますが、朝・夕の登下校時は、どんなに勇気のある男子でも このバスには乗れない雰囲気です。

f01.jpgやっと夕焼けの写真・映像が撮れました
朝は東からからあがる太陽で、関東から見て西側にある富士山は、陽が当たり、割と綺麗に撮影できるのですが、夕方は 必然的に、富士山は夕焼けとなるのですが・・・・お天気が良いだけでは、夕景は撮れないのです。赤く染まる 雲が適当にないと、絵にならず、この日は三回目のチャレンジでした。
この日は、比較的暖かく、高台の公園の割には風もなく、天気予報では翌日から崩れるようで西の空には 少し雲も見え、まあまあのタイミングでした。
夕方、防災無線スピーカーから「夕焼け小焼け」が流れるを聞いてから、10分急坂を登り行ってみると 先客がいました。
ご近所に住むご婦人のようで、立派な大きい一眼レフです。
ご挨拶すると、ここに45年お住まいで毎日のようにこの公園で朝夕撮影しているそうで、70才を過ぎて やっと富士山を撮る趣味が出来て良かった、とお話していました。

これで昨年から続いた、伊豆の富士、日本平の富士の動画に鎌倉の富士を入れて、一本の作品が 出来そうです。これまで撮影してきた作品は「団塊世代の過ごし方 動画の世界」
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/movie.html
に掲載しています。
posted by 西沢 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉

2018年01月18日

ミニマムリスト、車も海外旅行も興味なく、老後に備える若者達

最近の若い人たちの消費行動は私たちの若い頃と様変わりしていると云う報道を聞きます。
私たち団塊世代の20代の頃は車が欲しい、海外へ出てみたい、恋人が欲しい、金持ちになりたい・・夢や希望が沢山ありました。
この頃を思い起こすと、老後の生活、年金のことなぞ考えたことは有りませんでした。

takara.jpgしかし今の時代、車は売れない・興味はない。海外なんて面倒くさい、行きたくない。老後の貰えるかどうか解らない年金のことを考えると、しっかりと貯金しなくては・・・、全ての若者がそうであるとは言えないでしょうが、確実に時代と共に、豊かさに対する考え方が変わってきているのは、実感しています。

そこに、タカラトミーの「人生ゲーム」のあがり設定が、億万長者になることであったが、
「人生の成功の形が一つではなく、多様な時代になっている」を事を受け、設定を変更する
動きが広がっている。との報道がありました。

1945 終戦
55 トヨペットクラウン発売
56 まはや戦後ではない
60 トヨペットクラウン発売
64 東京オリンピック
66 サニー、カローラ発売「マイカー元年」
67 森永チョコCM「大きいことはむよいことだ」
68 西ドイツを抜いてGNP世界第二位に
70 大阪万国博覧会
71 多摩ニュータウン入居開始
72 スカイラインCM「ケンとメリー」
73 第一次オイルショック
79 SONY ウォークマン発売
83 ファミリーコンピータ
88 西武百貨店広告「ほしいものがほしいわ」
89 日経平均株価最高値
2008 日本の総人口がピーク
10 中国に抜かれGDP世界3位に
15 ミニマムリストブーム

そしてミニマリストと云う言葉が使われる時代に

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。
自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。

物を持たずに暮らす人の意味では、2010年前後から海外で使われるようになり、その後日本でも広まったと見られる。何を持ち何を持たないかは人それぞれだが、少ない服を制服のように着回したり、一つの物を様々な用途に使ったりするほか、誰かと共有したり借りたりすることで、自分が所有する物を厳選している点が共通している。

少ない物で豊かに暮らすという考え方自体は、環境問題の深刻化などを背景に以前からあった。
近年は、物だけでなく多くの情報が流通する中で、たくさんの物を手に入れても満たされなかったり、多くの物に埋もれて必要な物が見えなくなったりして生きづらさを感じる人たちが増え、自分にとって本当に大事な物を見極めて必要な物だけを取り込むことで楽に生きたいと共感が広がっているようだ。必要な物だけを持つミニマリストの思想は、10年頃から流行した整理法「断捨離(だんしゃり)」などにも通じる考え方と言える。

(原田英美 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について


私たち団塊世代も古稀を目前にして、豊かさに対する考え方が変わって来ています。
同じ団塊世代の作家「弘兼憲史」は
持ち物を半分にしよう。
家族はひとつと云う幻想を捨てる
名刺、スーツ、プライドを捨てる
子供や孫にお金は残さない。  と書いています。

同じ世代に生きるものとして、共感できますが、果たして若者はどう考えるのでしょうか?
功なした、勝ち逃げ世代の戯言と思うかもしれません。
子供のいない私たち夫婦は、10年先のことを着実に実行しなくてはいけない年齢になって来ているのを実感している、最後の60代の年です。
posted by 西沢 at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会