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2019年10月20日

新年号で更に顕著化する、物忘れ、認知症への恐怖

定年退職し、65才から70才を過ぎる頃になると、自分の生きて来た足跡を残す、忘備録・メモ程度を造る方は多いです。
その理由のひとつが、だんだんと物忘れが進むからです。
特に、自分の生きて来た時代、出来事を思い出すのに、西暦・和暦が混在し、おまけに新しい年号「令和」が加わったことでますます混乱しています。自分の年齢はもちろん忘れはしませんが、人の年齢を聞いて、昭和・西暦に換算するのに時間がかかつてきています。
あの時出来ごと、あの年の旅行先は、西暦何年だったけ、すると自分は何歳だったのだろう。
もう、この時点で和暦は思い出せません。

計算力も最近、極端に落ちてきています
boke.jpg商家に育った私は、子供の頃からソロバン塾に通っていましたので暗算は得意でした。
60代前半までは、3ケタの足し算、引き算、2ケタの掛け算は難なくこなしていたのに、最近、簡単2ケタの引き算が怪しくなっています。
物忘れとは云いませんが、名前・固有名詞・表現する言葉・形容詞が出て参りません。

そんな時、かなり焦ります。
常に頭をよぎるのは「ボケ」・「痴呆症」。そして恐怖感
なんでこんな簡単な言葉・単語・形容詞が出ててこないのだろう。
パソコンに向かっていますので、そんな不安はキーボードを叩けば解消されるのは分かっています。でもしません、その言葉・単語・名前が出て来るまで、ひたすら絞り出す努力が必要・・・と信じています。

boke2.jpg私たち夫婦二人の両親4人は既に亡くなっています。
4人とも、同じ世代の方々が経験する、親の介護は経験していません。
私の父は、71才動脈瘤破裂で一晩でなくなりました。
亡くなってから実家で同居していた兄から、時々、認知症を疑うような言動があったと聞きました。母は、85才、冬の実家のトイレで倒れ、1週間後に亡くなりました。
母は明らかな認知症の症状がありました。
同居していない私たちが行っても、普通に会話が出来ていましたから、さほどのことではないと、考えていたのですが一度だけ、私たち夫婦が実家に行った時、母は、私のカミサンを認識出来ず、挨拶をしていました。
それ時、私は母に「僕が解る」と聞くと、「自分が産んで育てた子供を忘れるわけがない」とはっきり言ってました。
一昨年、72才で亡くなった兄はステージ4のガンを患い、積極な治療はせず、緩和ケアで最後を迎えました。
亡くなる3か月前、兄弟4人で温泉にいき、お風呂に入っていた時、兄は私に向かって、「どちらから来ましたか?」と聞くのです。「私は神奈川の鎌倉から」と答えると「私の弟が鎌倉に住んでいます」と云うのです。
お風呂の湯気と、暑い温度のせいかと思いましたが、普段から兄の面倒をみている、姉は「そうなのよ、時々こうなるの」と云ってました。
私の血統は、高血圧家系・・・きっと私にも認知症のDNAは含まれているのでしょう。

一方、カミサンのほうは、父親は72才、食道がんでなくなりました。
二三度入退院を繰り返しましたが、自宅での壮絶な介護も、認知症もなく亡くなりました。
母親は昨年、93才で亡くなりました。少しボケ気味と云った程度、下の世話もなく穏やかな逝き方でした。
私たち夫婦二人の血筋を考えるとかなり高い確率で、私は認知症を患い、70代半ばから80前で亡くなると確信しています。
カミサンと口喧嘩になると私は「呆けてやる」と云うと
相手は「さっさと介護施設に入れてやる」と云うのが日常になっています。

posted by 西沢 at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ