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2019年10月06日

初秋の北海道の旅 二日目 多言語ツァーで洞爺湖・支笏湖巡り

2-01.jpg一日目、早朝の鎌倉から旭川に飛び、大雪山旭岳の紅葉を見てから、宿泊ホテルの札幌へ20時着と云うシニア夫婦にはちょつとキツイ個人自由旅行日程を組んでしまいましたので、二日目は、何も考えずに済む定期観光バスに乗って、54年ぶりに「支笏湖・洞爺湖・昭和新山」を廻ることにしました。

54年ぶりです。
高校2年の夏休み、東京発券の北海道均一周遊券が5,000円でした。
15日間の有効期限で、東京・青森間の一時下車もあり、北海道内は何回乗り降りしても、急行もOKの学生向けの国鉄のチケットでした。
1965年、東京オリンピックの翌年、日本経済が戦後混乱期からテイクオフし出した頃、高校三年生早生まれ17才の
私は、まだその当時高校生のアルバイトが珍しかった頃、日給500円のスーパーのアルバイトで貯めた12,000円を握りしめ、北海道に旅たちました。

カニ族と云う言葉が流行りだしていた頃です。
経済的に少しゆとりが出て来た大学生が、リュックサックを背負って、夜行列車に乗って全国を廻りだした頃です。
今では、リュックサックは、背負い易い縦長が主流ですが、当時は大きなサイドポケットがついた横長でした。
この横長リュックサックを背負って、混雑した列車の中を移動する際に、身体を横にして歩く姿から、カニ族と云う言葉が生まれたのです。
「知床旅情」の唄が生まれたのはこの数年後のことです。

北海道内の列車チケットは確保されていますが、宿代はないので、寝るのは持参した寝袋で駅の待合室か移動の夜行列車でした。
今では考えられないのですが、JR各駅の待合室は24時間開放されていました。
カニ族のほとんどは、大学生でした。
高校生の私は、当時校則の丸坊主でしたので、何回も駅の待合室で警察官に職務質問を受け記憶があります。

当時の北海道の移動は、列車もバス便も今とは比べようもなく・・・断然多かったのです。
時間は十二分にあったので何処へ行くにも、列車・バス・徒歩でいけました。
青函連絡船で函館に入り、東の端根室・納沙布岬から南の端襟裳岬、北の端宗谷岬と青春を謳歌しました。

今回、朝、鎌倉をでて、8時半には旭川に着き、その日のうちに札幌のホテルに入れたのは、ひとえに交通の発達、便利になったからか?
いいえ、54年後の北海道は、当時よりも却って交通の便は悪くなっているのです。
JRは道内の大都市間の列車は有料の特急のみ、各駅停車は短距離のみ、そして本数は朝夕の数本だけですし、観光地へのバス便は、ほとんどは午前2便、午後2便だけしかなく、車が使えない私たちのような個人旅行者にとっては移動し難い場所なのです。

今回の二人の旅で、札幌から公共交通機関で支笏湖・洞爺湖・有珠山を廻るプランをネツト上でシミュレーションしてみましたが、日帰りではかなり難しいことが解りました。そしてそれ以上に料金は意外と高い。
そこで、今回は札幌発の定期観光ルートに乗っかることにしました。
探し出したのは、「多言語ツァー/洞爺湖ホテルでの昼食付/一人7,100円」でした。
札幌バスターミナル発8:35、戻りは19:00の10時間のツァーです。
面白そう、と思ったのは「多言語ツァー」と云う名、どうやらインパウンド観光客相手のようです。

2-04.jpgネット「発車オーライ」で予約、支払いを済ませ、当日窓口でチケットを入手して乗車すると、この日の乗客は30名見回すと、日本人は私たちを含めて6人、後はアジア系の観光客です。
さて、多言語ツァーとは、どういうものなのか?、ガイドが何国語を使い分けて説明するのかと、思っていましたら違いました。
座席には、一つづつイヤフォンが備えつけられていて、言語(日本語・英語・中国語・韓国語)のスイッチで各々が切替るシステムです。ガイドは移動しつつ、その場その場で案内のボタンを押していました。ガイドの女性に、自動イヤフォン案内以外の時はどうするの?と聞くと、取り出したのは「ポケトーク」でした。

どうなの、ポケトークは?
と聞くと、画期的、超使えますよ。といってます。
日本語で話しかけると、対応する言語で相手に伝え、相手も自国語で話すと、日本語になる・・・まるでドラエモンの世界と・・・ガイドさん。
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参考翻訳例 https://www.youtube.com/watch?time_continue=37&v=UVbZuY3GDM4
定年後、海外旅行に行くので英会話教室へ・・・なんて必要なくなる。

2-05.jpg洞爺湖・支笏湖・昭和新山・有珠山はどうだったか?
54年前の少年だった頃来た土地と比べ物にならないように変わっていました。
何と云えば良いのか・・・全てが綺麗、整備されている、昔のようなお土産物屋さんはなかった。

半世紀も前の旅の地をトレースする旅でした。
最後に帰路、50年も前も、その後何度も来ている北海道で姿を見ることが出来なかった蝦夷富士
「羊蹄山」が夕暮れの車窓から見えました。


posted by 西沢 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ