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2019年09月06日

三陸南北リアス線踏破と、宮古浄土ヶ浜の旅

プロローグ 1984年(当時の私は36才)
3riku01.jpg数ヵ月前に引っ越して来た新居のマンションのリビングで朝のTVニュースをみていました。
画面は、村に初めて念願の鉄道駅が出来、初めての列車が到着し、全村民あげて紅白幕、花火で歓迎する姿が映し出されていました。
昭和59年、日本にまだそんな所があるんだ・・・。場所は岩手県の太平洋側三陸海岸に面した、「田野畑村」でした。
アレ、何処かで聞いたことがある地名・・・何処で見たっけ?
思い出しました、今年入社した部下の本籍が岩手県下閉伊郡田野畑村だったのを。
あいつ、あんな都会的な顔をしているけど、今まで鉄道駅もなかった日本のチベットのような所で育ったのだ。
後日、会社で「TVで田野畑村を見たよ」と伝えると、
「実家の父親が写っていました、村会議員をやっていて、今まで鉄道を引っ張ってくるのに苦労していましたから」
その後、毎年暮れには、この田野畑村特産のひとつ、「イクラを抱いた生鮭」が届くようになりました。でも、この時点では、行って見ようと考えませんでした。
もっと世界は広く、見てみたい場所、絶景は限りなくあるから。


時は流れ2011年、3月11日(当時の私は63才)
3riku02.jpg既に退職していた私は、この日鎌倉市役所で会議をしていました。
三時過ぎ、古い鎌倉庁舎は大きく、長い時間揺れました。
少年時代、信州で新潟地震や松代群発地震で、震度5は体験済みですから、かなりの大規模、震度4くらいかなと想像しました。
後に、鎌倉市内の交通は全てストップ、大勢の観光が客は行き場を失いました。
私は、地域のボランティア、市民活動を束ねるNPO組織におり、1か月を経たずに鎌倉に被災ボランティア組織が立ち上がり、次々に自前の寝袋・食べ物をリュックに詰めて深夜バスに乗っていく多くの若者、同僚を目にしました。
私は、この頃常設講座を持っていて、行くことは出来ませんでしたし、被災の惨状を目にして、カメラのレンズを向けることは、これまでの経験から行って絶対出来ないと思っていました。

そして、時は流れ2019年3月(私は71才になっていました)
3riku03.jpgTVのニュースで、東日本大震災で被害があった三陸リアス線が完全復旧したと伝えていました。
この頃は、既に海外旅行は卒業し、国内の行きたい所リストを潰していく年齢になっていたのです。
鉄道ファンでもあり、ずっと日本人として、一度は被災地を訪れなくてはと思っていた私は、計画を立てました。
旅のほとんどは、列車のなかなので、カミサンは行かないだろうから、二人の旅行費用ではなく、自分の小遣いのなかから出費することにしました。
昔の若い頃、気力・体力も充実していた頃なら、如何に安く現地に行こうと考えたでしょうが、そろそろ体もきつくなったお年頃、お金は掛かっても、効率よく2日間で廻る為に、新幹線をフルに使うことにしました。
カミサンに一人で行く、と伝えると「私は興味はないけど、心配だから一緒に行ってあげる」と云います。「若くはないのだから、何処かで一泊して少しは観光もしようよ」

最終的には、地元最寄駅の始発5時9分に乗り、帰って来たのは翌日の夜の9時、40時間の列車の旅となりました。

詳しくは、下記のユーチューブ動画に全行程が記録されています。


posted by 西沢 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ