1994年(平成6年)9月4日に開港した関西国際空港(KIX)が24年後のちようどその日、想定外の台風21号の被害で、閉鎖状態が続いているニュースで、昔の仕事仲間を思い出していますし、元働いていた会社の大阪支社のスタッフのことを案じています。
1988年東京本社で一緒に働いていました工事部の上司部長が大阪支店に転勤になりました。
支店長としての栄転なのですが、行きたくないとこぼしていました。
大阪では、和歌山沖海上に新空港の建設が始まっており、私たちの会社も当然、ビルシステム制御部門ではダントツのリーディングカンパニーとして、参加していました。
バブルの真っ盛り、人出不足と初めての土地での人材・工事会社の確保に頭を痛めていました。
そして、新しい施工技術と超大型処理能力のシステムの最前線でした。
技術部門は全て関東に集中しており、今まで代理店任せだった土地での超大型プロジェクトの全責任を負わなくていけない、重圧がきっとあったのでしょう。
今回の水没・孤立事故
会社は、日本全国の大きな施設、ビル建設に携わってきました。
仕事内容はその施設・ビル全体の、電気・空気・水・防災などのシステムコントールを行う仕事でした。
自分たちの仕事の現場はほとんどの場合、地下深く日の当たらない場所です。
ここには、電気・水・空調・防災のほとんどのビルの心臓部分の機器が集中しています。
今回、関西国際空港は想定外の高潮で、滑走路が水没したようです。
しかし、滑走路が水没して、空港ビルが停電するのでしょうか?
おそらく、施設維持に必要な重要設備は地下階深いところにあって、かなりの水が流れ込んだのではと推測しています。
私にも経験があります。
地下にライフラインに重要な電気設備を置く場合、水をシャットアウトする特殊な扉を設置するのですが、完成前の突然の豪雨で水没し、重要な制御盤を水没させてしまった経験があり、竣工・引渡し前で稼働はしていなかったものの、大きな時間と金額面の損失を被り、責任をとらざる得ない立場になり、苦慮した経験があります。
しかし、今回の関空の水没事故は避けられなかったのでしょうか?
東日本、福島の教訓は活かされていなかったのでしょうか?
福島原発の一時電源喪失は完全にヒーューマンエラーで、想定されていた範囲の事故です。
関空は東日本震災の前、1994年完成とは云え、国家プロジェクト、日本の西の玄関の国際空港では、この水没という事態は当然想定されていたのではないじょうか?
フェイルセイフと云う考え方は日航機事故以来、エンジニアには染みついた考え方です。
なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。 またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつです。
これは装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたもので、災害も含まれているはずです。
空港島と本土を結ぶ唯一の幹線道路は海の上です。
大型台風による高潮で、いままで橋の下を通過できた船舶も通過できなくなる潮位を想定していなかったのでしょうか?
海上保安庁は、安全運航確保の為の巡視船をだしていたのでしょうか?
世界最先端の技術立国・クールジャパンの空の玄関口の再開のメドはまだ立たないようです。
IT・ソフトばかりが持てはやされている現代ですが、社会のインフラを支え続けていた私たち世代は少し心配しています。
南海トラフによる大型地震がいつ起きても不思議ではないと云われている昨今。
出来れば、私が生きているうちは起きてもらいたくない、と団塊シニア世代の元エンジニアは全員そう思ってることでしょう。