CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2018年06月19日

大阪の地震 関東の人間には地名と場所が一致しない

6月18日の朝のラジオのニュースで大阪の地震、震度6弱を知りました。
月曜日の朝と云うとあの「阪神淡路大震災」を思い出します。
1995年(平成7年)1月17日の月曜日の朝と云うことをはっきりと覚えています。
あの高速道路が横倒しになった映像が飛び込み、その後の神戸の町の火災の映像。

当時、都内の大型ビル建設現場にいた私は、すぐに協力会社の現場監督さんのことを思いおこしていました。
彼は大阪出身で、会社も大阪、景気が落ち込んでいた時期でその会社も仕事を求めて、東京に進出してきており、私たちの現場の担当者として常駐していましたが、金曜日の夜ま新幹線で大阪の自宅に戻り、月曜日の朝一番の新幹線で東京の現場の朝礼に戻る生活をづっと続けていました。

彼はどうなったろうか?
勿論、こんな日に家族をほって東京に来る必要はないのですが。
当時まだ携帯電話は普及していない、一般回線電話も不通でした。
現場の朝礼の後、彼の安全書類から住まいを見つけましたが、関東に住む人間は、その市の名前を聞いても大阪・兵庫のどのあたりなのか、全く土地勘がなく検討もつきませんでした。

今回の地震でも、枚方市とか高槻市とか大東市と云う名前が出てくるものの、どのあたりなのか全く見当も付きません。のでネットで大阪府の行政地図を探してみました。



なるほど、地震のニュースに登場してくるのは、大阪市の北東方面、京都に近いあたりのようです。と、いう事は、関東に住む人間でも解る、新幹線・東海道線・近鉄・京阪・名神などの鉄道・高速道路の大動脈が走っているあたりではないですか。?
昼のTVミヤネヤでは、司会者の宮根が番組のために大阪伊丹に着いたものの、市内までの交通インフが途絶えていて、辿り付けない、と報じています。

報道に携わるものは、何としても万難を排してでも、現場に行くのが使命のようですが、阪神淡路大震災の時の前述の協力会社の現場監督の彼もそうでした。
自宅は尼崎で比較的、震源に近かったものの、倒壊は免れ、家族ともども怪我もないことを確かめた彼は、一刻も早く、自分の東京の現場に行くことを考えたそうです。
新幹線・東海道線も飛行機もなし、考えたのは太平洋側を行かず、一旦京都から日本海に出て、北陸・中信越を経由して東京に向かうルートでした。
大阪を脱出するのが大変だったそうです。
大阪・京都方面の車は渋滞しているので知人の55ccバイクの後ろにまたがり、尼崎から一般道を北上し、中国山脈を超えて宮津から辛うじて動いていた列車に乗って東京を目指したそうです。

彼の安否を心配していましたが、月曜日の夕方、現場事務所に本人から電話がありました。
今、金沢にいるので、明日の朝礼には間に合います。という返事。
事務所の一同は安心したものの、現場は大丈夫だから、先ずは家族のケアと云ったのですが、現場の納期は2月半ば後一ケ月しかないのを心配していました。

本当に当時、企業戦士と呼ばれていた時代日本でした。
最近、関東特に千葉あたりで、小規模な地震が頻発しています。
いつか来る。きっと来る。
でも、70才の団塊世代のオジサンは「俺の生きているうちは大丈夫だろう」とみんな思っているのです。


posted by 西沢 at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会