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2018年06月09日

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞是枝作品「万引き家族」を見てきました

manbiki.jpg先週の「家族はつらいよ3」に続いて、金曜日二週連続で109シネマ湘南で、話題の是枝作品を見てきました。是枝作品は日本商業映画のような、エンタメ作品ではなく、社会性を持ったフィルム・シネマ・作品と呼ばれる分野です。
映画を見終わって外にでると、湘南の青い海と空、巨大な何でも揃うショッピングモールです。
しかし、今、見終わったフィルムの余韻は戻る東海道線車内、鎌倉の閑静な住宅街にある自宅まで引きづりました。
この作品は、これまでの是枝作品「そして父になる」・「海街diary」の系統をひく「家族とは」です。帰りの電車中で、この映画の家族のと少年時代の自分家族を思い返していました。


私の家族は地方都市の大歓楽街の裏通りで小さな八百屋を営んでいました。
両親と末っ子の私を含めた四人兄弟、家族六人が六畳・四畳半の借家で暮らしていました。
父親は、私が小学校にあがる前の年に、肺結核で療養所に入り、出て来たのは私が中学一年の時でした。
この間、子供の目からみても困窮家族、貧乏所帯と解るほどの生活で、毎日近所のおばさんが来て、生活保護を受けるように、母親に話しているのを覚えています。

父が療養所から戻ってくるまで、母親は毎日、市場に通い、小さなネオン街で料理屋・飲み屋・バーを相手の八百屋を営んで、私たち6才から10才の子供たち4人を育ててくるのを見てきました。そして父親は思い起こすに、38才で結核療養所に入り、出で来た時は44才です。
戻ってきても、商売は全て母親が仕切り、父親のいる場所はなかったのでしょう。
毎日、パチンコに明け暮れる姿を覚えています。
夫婦関係は最悪で、毎日夫婦喧嘩が絶えず、母は、末っ子の私が成人したら離婚すると、毎日話しているそんなような、私の家族でした。

中学時代に同期生の家に遊びに行った時、まるで自分の家と違い片付けられ清潔な環境の家に驚きました。高校に行くようになってからは、この地方都市の歓楽街の裏通りの我が家から、早く抜け出すことばかり考えいました。東京の学校に行っても自分の家族環境がこれからの自分の人生にまとわりつくのが嫌で、一人で海外に出る手段を模索し、学園紛争を理由に退学し、外の世界に出て行きました。

7年海外で暮らし、日本に戻ってあの家に戻った時、家は郊外の戸建てに越していました。
姉・兄は結婚し、あの昭和30年から40年代の社会的底辺の貧乏・貧困層から脱却し、日本全中流社会の一員として暮らしていました。
あれほど仲が悪かった、父・母の夫婦は65才で家業を畳み、年金と少ない貯蓄で暮らし、年に数回町内会の旅行にも行っているようでした。

父が71才で動脈瘤破裂で亡くなった時、私はショックを受けました。
自宅での葬儀の時、父の棺に母が泣きじゃくってしがみついているのです。
あんなに毎日喧嘩し、離婚すると云っていた母が・・・・
夫婦の関係は、子供から見ても解らないものだと、その時に実感しました。

その母も85才で亡くなりました。
母は亡くなる前、数年間は痴呆症の症状があったようです。
しかし、首都圏で暮らす私は、実家でする同居する兄夫婦の苦労は知りませんでした。

今年、二人の兄のうち、長男が末期がんで亡くなりました。
残ったのは、外に嫁いだ姉と実家に暮らす兄と私。
最近、実家に帰る回数が増えています。
新幹線で往復20,000円の交通費は、年金生活で軽くはありませんが、昔の貧乏・困窮時代を共に生きてきた兄弟として、今年古稀を迎えた私は、出来る限り会おうと心掛けるています。

今回の「万引き家族」を見て、その想いは強くなりました。

posted by 西沢 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会