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2018年03月18日

「イチゴ白書をもう一度」青春時代の夢と老後の誤算

朝日新聞土曜版の特集連載、あの時代・あの名曲的なシニア層向けの特集記事を土曜日の朝、読んでいます。今週は1975年。私の青春時代の放浪の旅が終わり、日本に戻って来た年です。
そろそろ、後戻り出来ない、やり直しの効かないターニングポイントの年齢、26才になっていました。

6年半ぶりに日本に戻った私は、当初専門学校で学び、再び海外に戻る予定でした。
ベトナム戦争が終わったこの年、昭和50年、学生時代の友人は社会人として歩きだし、立派な大人として日本企業社会の一員として生きていました。
とりあえず、住む場所、アルバイト先を確保し、電子系の専門学校の夜間部で20代前半の若者に交じって7年ぶりに学生に戻り、机に向かう生活を始めました。

ichigo.jpg日本は経済高度成長期を突き進み、60年代後半の学生運動を経験してきている私には、何処か馴染めない気持ちがまだ存在し、何時も海外に戻る気持ちがありました。
そこで流れていた曲が「イチゴ白書をもう一度」でした。
そのなかの歌詞の一節「就職が決まって髪を切って来た時、もう若くないさと、君に言い訳したね」に心動かされました。

この年の暮れ、その後結婚することになる女性とある会合で知り合いました。
彼女も海外志向でした。
会う度に二人の夢を語り合いました。
日本の社会人の常識である、結婚して子供をもうけて、新築の家を買って、休日にドライブする、そんな生活よりも、先ずは二人で世界中のあらゆる場所を歩こう、今ならそれが出来る最後の年齢だ、老後のこととか、ローンとか、年金のことは、その旅が終わって帰って来てからでもまだ間に合う。
その為に、今資金を造ろう、と走り出した年が1975年でした。

結局、この二人の計画に十分な資金が出来たのは3年後の1978年でした。
私はもう、30才、カミサンは27才になってました。
日本に帰ってきて丸3年、専門学校を卒業し就職し結婚し、日本社会の一員となり社会的・経済的に安定してしまうと、二人の夢の実現は難しくなってしまいます。
私もカミサンも仕事面で期待され、それなりの地位・報酬が得られるようになると、同年代の社会人と同じように自分の居場所、帰る場所、住まいを買ってしまい、もう、青春はお終いです。

でも、何か違うと云う思いは二人の間いつも存在しました。
そして出した結論は、知り合った頃の夢を違う形で追いかけよう。
出来るだけ早く退職・リタイヤして、二人で地球上の好きな場所に、好きな時に、好きなだけ留まり、生活しようでした。
時代が味方してくれたのでしょう。
バブル前に家のローンは返済し、バブル絶頂期には建設業界に属しており高収入が続き、50代前半で目標とする金額に達して55才、52才で退職し一般的な日本人サラリーマンより10年早くリタイヤ生活に入りました。

あれから15年経過しました。
二人で世界中の世界遺産、秘境・絶景の地を個人自由旅行の形で旅してきました。
しかし、青春時代に考えもしなかった誤算がありました。
人間は年老いて行く・・・パッションも体力も意欲も。
日本では65才になると高齢者と呼ばれます。これは生物としての人類の宿命です。
あれほど、海外で異邦人として旅する心地よさがだんだんと薄れ、却って重荷、煩わしくなってくるのです。
いつの間にか、普通の高齢者・シニアのように、安全な、緊張を強いられることのない国内の温泉や季節の花咲く地が居心地よくなってくるのです。
67才で10年のパスポートが失効し更新せず、海外は卒業しました。

今、日本のサラリーマンの退職後の年数はどんどんと短くなっています。
退職後の第二の人生、第二の青春と呼ばれていますが、自分の退職後を思い返すと、日本人の健康年齢と呼ばれる70才までです。その後は異論、反論は多々あるでしょうが、私は、残された人生と考えています。
今、「イチゴ白書をもう一度」をユーチューブで聞いています。
青春時代の歌を聞いて懐かしがる・・・齢とった証拠であることを自覚しながら。
「神田川」・・・まるで二人の青春時代そのものでした。
posted by 西沢 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ