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2018年03月16日

テレ東の「家、付いて行ってイイですか?」我が家の場合は

アメリカのTV番組プロデューサーが、テレビ東京の「ユーは何しに日本へ」と「家、付いて行ってイイですか」を見て何とクレージーな番組と云いました。かれらにとって「クレージー」とは最大の誉め言葉なんです。

tvto.jpgまさか、こんな番組が成立するとは誰も思ってもみなかったでしょう。
深夜の二時三時に、自宅に他人、それもテレビ局のカメラを持った人間が訪れるなんて。
企画の段階で、誰も深夜にカメラを自宅に受け入れる日本人なんかいないと云う意見が多数派であったことは想像されます。まさか、帰りのタクシー料金代わりに、家族が寝ている家に招き入れてくれる人がいるとは。

そして、驚かされるのは、その家の人が徐々に自分の人生、生活、生き様を語りだすことです。
これは、撮影クルー・スタッフの質問して引き出す、能力なのでしょうか。

毎週色々な住まい、アパート、人生模様が見え、水曜日の夜の講座を少し早めに切り上げて帰宅し、夫婦二人で見るのを楽しみにしています。そして、その都度、映し出される木造アパートを見て、昔の二人の住まいを懐かしがっています。

結婚する前、一緒に住み始めた42年前、昭和50年代はまだコーポとか呼ばれる、洋式のアパートは少なく、トイレは共同風呂は勿論ない木造アパートが若い20代が住む賃貸アパートの主流でした。上野の下町、池之端四畳半と三畳の二部屋に小さな台所の住まい、当時流行っていた「神田川」の世界そのもので、二人で近所の銭湯に行き、時間を決めて出てきました。帰りに近所の鯛焼きを買って食べながら帰るのが楽しみはまさに、神田川の世界、昭和の世界そのもの、楽しかった思い出ばかりです。

やがて、私が退職まで勤めた会社に就職し、正式に結婚して世田谷のコーポと呼ばれる新しいアパートに移り住みました。井の頭沿線、渋谷・新宿に近く、1DKのアのパートです。今風の風呂もシステムキッチンがあり、近所の木造アパートに住むカミサンの友人が時々我が家の風呂に入りに来て、何時かは私も結婚して、こんなアパートに住みたいと、話していたのを思い出します。彼女はその後大手ゼネコン社員と結婚し、多摩の高層マンションに住んでいます。
この世田谷のアパートには三年住みました。

四年目に横浜、横須賀線沿線の新駅駅前の大規模開発マンション群の第一期の高層マンションを買いました。当時、神奈川県で売られていたマンションの平均価格帯で一番高い物件でした。
当然ローンですが、頭金が多かったので35年ローンでボーナス払いなしの月々均等払い60,000円ほどでしたからアパート代と同額、当時の住宅金融公庫の利率は、今では信じられませんが年6%でしたが少しも苦労、不安なく購入しました。
購入した直後始まったのが、不動産バブルです。
勤めていた建設関連会社好景気の恩恵を受け、給与は年々上がり、ボーナス2回の他に、決算手当が2回、現場経費はふんだんに使える状況、残業が深夜になった時は、都内から自宅横浜へのタクシーが制限なく落とせる時代でした。
35年ローンは子供いない夫婦共働きですから5年で早期返済出来ました。

やがて、計画通り私55才、カミサン52才で退職し、横浜のマンションを売り、現在の終の棲家鎌倉に新しいマンションを購入し、現在に至っています。
70才、67才になった二人は、まるでモデルルームみたいと、友人から云われるほど、何も余分なものを置いてない広いリビングで、毎週このTV東京の「家、付いて行って良いですか?」を見ています。
私たちの場合、何の才能、才覚も、努力もなく、時代と共に過ごしてきました。
TVで映し出される住まいの住民のような劇的な出来事も、波乱もなく生きてきました。

もし、何処かの駅でTV東京のクルーにキャツチされ、タクシーで自宅まで送って来てもらって撮影・インタビューされても、私たちのような場合100%、放映はされないだろうね。と云うのが何時も見終わってからの二人の言葉です。
「他人の不幸は蜜の味」
「私たちの人生も大変だけど、この人よりはマシね」
と云うのが普通の人間なのだと、ある人が書いていました。
posted by 西沢 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ