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2018年03月12日

日本人が知らない、気づかない、海外での人種差別

六十代半ばの定年シニア男性の二十日間に渡る南米旅行記のなかで最後に「これって人種差別なのかな」と云う項目があり、以下のにように記述していました。
1. メキシコシティの空港で両替しようと思って適当に入ったら、途中でお金返されて、あっち行けって。言葉通じないからダメと思われたのだと思うが。

2.マーブルカテドラルのツアーの帰り、ガイドのアンドレアさんが、皆に夕食場所の希望を聞いて、ほとんどの人が、あるレストランに行く事で話がまとまったのだが、私に、「君はファーストフードが良いか」と聞く。「イヤー、レストランの方が良い」と言ったのだが、いよいよ町に近くなった段階で、また「君はレストランに行くの」と聞く。
なんか、仲間外れにされているような気がして、こちらも言葉の通じない人達とこれ以上一緒にいるのも嫌になってきたので、「ホテルに帰って、聞く」と言ったところ、「ああ、君はホテルに帰りたいのね」とホットしたような様子だった。
服装がみすぼらしかったのかもしれないが、でも他の連中とて、おしゃれしているわけでもなし、腑に落ちない。これ以降、ちょっとした事が、全て差別のように思えてきた。

3.ブエノスアイレス空港のお店で、随分無視された。

一般的に日本人は人種差別的な経験をしたことがないでしょうし、先進経済大国、真面目、勤勉な日本人が、他の人種、白人から差別的な扱いを受ける、なんてことは想像したこともないでしょう。海外に出かけると云っても、それは団体PAC旅行の短期間の観光で、お客様ですから個人的にはそのような経験はごく稀なのは、解っています。
king.jpg人種差別と云っても昔のアメリカ南部や南アフリカのように制度化された人種差別ではなく、自分自身がちょつと、不愉快な、不当な、云われなき扱いを受ければそれは、人種差別のうちです。トランプアメリカ大統領のように、隣国メキシコ移民に対して、ドロボー、レイプ者と呼ぶのは、信じられないほどの人種差別発言です。アメリカで一番忌み嫌われるのは、レイシスト・人種差別者と云う言葉なのに。

私たちの世代は海外での人種差別を経験しています
まだ海外旅行や留学が一般的ではなかった70年代前半、私たち団塊世代、特に女性は多くの人種差別を経験しています。
高校の同級生で大学時代にアメリカに留学した女性は、バスに乗る時に当時まだあったホワイトとカラードの座席のどちらに座るか迷った時に、ホワイトに座ったとたんに、強い視線が彼女に集まり、居たたまれなくなり、次のバス停で降りた経験を話してくれました。
同じく、70年代半ばにスェーデンに留学した同級生は、買い物をするにも、町を歩くにも強い視線を感じ、スーパーのレジで相手にされず、後ろの客を優先されたそうです。
彼女はスェーデン国立大学医学部へのエリート留学生なのですが、理由が解らなく、それとなく教授に相談したところ理由が分かりました。
当時スェーデンは多くのベトナム難民を受け入れていたのですが、社会福祉が高く、それを高い税金で賄っている一般庶民からみると、働かず、ただ国の世話になっているアジア人とみているので、そのような扱いをしていたそうです。
同じ時代、ロンドンのヒースロー空港のイミグレで、アジア人女性の入国審査の厳しさが取りざたされていました。
日本人とて、彼らから見ればアジア人です。紳士の国イギリスと云っても一般労働者階級からみると、日本人女性は滞在ビザの為ならいつでも、誰とでも同棲すると思われていたのです。

十数年前の日本と同じ状況です。
バブルの頃アジアから出稼ぎにやってくる、タイやフィリピン韓国・中国の女性をそんな眼差しでみていた日本人は多くいました。
そして、数年前までホテルロビーにたむろして、大声でしゃべる、バイキングでお皿に食べきれないほど持ってくる、お土産物屋で大量に買い物する、街中でタバコを吸い捨てる、ブランドショップに群がる、アジア系外国人観光団の人々。これらは、80年代に世界各国、ヨーロッパ、アメリカで見かけた日本人観光客と全く同じなのです。

南アメリカでのアジア人に対しての人種差別
南米と云っても国によって大きく違ってきます。
一番人種差別を感じない、少ないのはブラジル、パラグアイ、メキシコです。
一番多いのは、中米、そしてアルゼンチンです。
中米は歴史的背景と国民の成熟度・教育の低さに由来します。
中米を旅していると、子供たちは手で目を吊り上げ、頭をぺこぺこする格好に場面に良く遭遇します。そして、チーノと囃し立てます。かれらはアジア人を全てチーノ(中国人)と呼び、からかいます。そこで否、日本人だと云っても無駄です。アジア人の蔑称がチーノだからです。
何故か?
アメリカが南北戦争で黒人奴隷を解放した後、パナマ運河の労働力が不足して当時植民地化していた清国から大勢の中国人が半奴隷として、中米に流れ込んできた経過があり、その後居ついた中国人は持前の華僑魂で現地で商売をし、カトリックの国に中国式文化を持ち込み、同化してこなかった事が、今でも異文化の人種として、中米各国で差別されています。

アルゼンチンはどうして?
南米のなかでアルゼンチンは特殊な国です。
南米と云うと、アンデスの国々は多くのインカの末裔との混血が進んで国民の半数ちかくがメスティーソと呼ばれる人々です。
ブラジルやベネズェラにはインカ系の混血人種は少なく、アフリカ系の人種が多いです。
しかし、アルゼンチンとウルグアイだけは、99%白人による移民国家で、第一次世界大戦直後は世界の富裕国、経済先進国だったのです。ブエノスアイレスの地下鉄は東京の銀座線よりも古くからあるのです。
現在、経済的に落ち込んでいるアルゼンチンですが、国民の意識は十数年前の日本と同じで、近隣のパラグアイ・ボリビア・ペルーの国民は、ブエノスアイレス一般家庭の女中さん、低下層労働者の供給先と見なしています。そこにきて、中国人の流入です。

1970年代後半まで、アルゼンチンは南米白豪主義と云われ、白人以外の移民・移住は認めてきませでした。唯一例外が、日本人でした。明治の昔から日本とアルゼンチンの軍事的結びつきが強く、アジアにあってイギリスと同盟を結べる国として評価されていたからです。
国家経済が破たんし、中国の経済力が増し、やむなく日本以外のアジア人の移住制限を止めてから、一気にアジア人が増えてきました。

南米に駐在する日本企業社員の間では、アルゼンチンで駐在している仲間に対して同情する声は良く聞かれます。良くあんな不愉快な国で生活出来るな!それほどアルゼンチン、特にブエノスアイレスに住む、白人ホワイトカラー人種は、プライドが高く、教養のないもの、不潔な服装、英語・スペイン語喋れないもの、田舎者を莫迦にします。
どんな立派な紳士でも、小さなお店の金髪美女でも、つり銭をごまかします。タクシーは田舎者、スペイン語が喋れない外国人旅行者なら99.9%遠回りし、ごまかしをします。どんな一流レストランでも請求書をじっくりと読まないといけません。

どうすれば良いのか、一つは旅行者の税金と思ってあきらめるか、バスに乗るか(バスのなかでも誤魔化す運転手もいます)堂々とスペイン語でやり返すか。或いは流ちょうな英語をまくしたてるか(かれらには一種の英語コンプレックスがありますから)
これは彼らにとって田舎者をからかうゲームなのです。
特にアルゼンチンのリゾートに行くとその意識を強く感じます。
「ここはお前らの来るような所ではない」と。
南米旅行記を投稿していただいた筆者が、何か不愉快と感じたのはこれです。

めげてはいけません。
私の友人、ブエノスアイレスでクリーニング店をやっているセニョーラは、お客と喧嘩して「お前なんか日本に帰れ」と何度云われか、数知れずと話ていました。
私は、アルゼンチン人でも国内線アエロパルケ空港から市内向けのタクシーは要注意、外国人、田舎者はカモにされると云うタクシーに乗らざるを得ない時、タクシーの運転手にラジオをサッカー中継に切り替えさせます。そして、運転手さんに、どこのファンか聞きます。そしても目的地まで大まかなルートを指示します。これでOK、絶対に誤魔化されませんでした。
posted by 西沢 at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行