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2018年03月11日

7年前、3・11東日本大震災をブログから振り返る

今年もあの日がやってきました。
奇しくも、私の運営する「団塊世代の定年後の過ごし方」にブログ風コラムを開設した2011年3月1日から10日後のことです。毎年この日にあの時から数日の自分のブログを読み返しています。

3月12日のブログ 鎌倉で体験した大地震
地震発生当時、鎌倉NPOセンター内で、会議の最中でした。突然の停電の後、数秒してから建物がゆっくりと 揺れ始めました。
高校生の頃、新潟地震や、地元長野の松代群発地震を体験していますので、震度5の感覚は持っています。揺れはの 大きさは、4弱かなと感じたのですが、何時もの揺れと違って時間が長い、もしかするとすると考えました。
最初の地震が納まって、数分後に前と同じ程度の余震がきました。 これは何時もの地震と違う、と云うのは、肌で感じ表にでると、同じ敷地内の鎌倉市役所の駐車場には、全職員が 集まっています。
jisin.jpgほどなく、庁内の緊急放送で全職員、指示のあるまで役所内建物には入らないようにと云うアナウンスがありました。
普通ならすぐに復旧する電気がきませんし、交通信号も消え、JRも止っているようです、金曜日の夜に、大船センター でweb支援講座がある為に、5時までに大船センターに行かなくてはならないので、大船まで歩くことにしました。
大船までは、亀ヶ谷切り通しを抜けて、北鎌倉・小袋谷経由で1時間かりました。全てJR踏切がクローズしている為、道路は 車で溢れかえっていました。
当然ながら、夜の講座は中止、自宅に戻ると停電・断水状態、ガスは不思議にOKでした。自宅にいたカミサンは、最初の大きな 揺れの後、近所のコンビニで水と食糧を買ったそうです。しかし、その後予備の電池を買いに行くと、店内は満員で、お店は、閉める準備に 入っていたようです。停電は、夜の9時に復旧しましたが、今度はインターネットが通じません。結局インターネットが通じたのは、本日12日15時、まる24時間 我が家は、webの世界から切り離されていました。 まだまだ、TVでは災害の報道が続いています。
今回は、水・電気そして、通信のインフラの重要なことに今更ながら、認識した次第です。

3月14日のブログ 海外からの安否問い合せ
cara.gif昨日、今日と、海外の友達・知り合いから大地震の安否の電話や、メールが届きました。
日本人の方からは、震源地と離れた関東地方に住んでいる事は解っていても、海外で見るTVニュース では、ついつい心配になってしまう、仰ってましたし、バリ島の友人は「Fukusima」と 鎌倉の距離を心配して、メールをよこしてきました。
このブログをお気に入りに登録されて、時々見に来てくれている、西日本の皆様、私たちは大丈夫です、元気です。
しかし、昨晩から東電の無計画輪番停電に、振り回されて生活リズムは、メチャクチャです。
今日は朝からちゃんと電気が通じているのに、横須賀線・東海道線はストップ、 駅ビルのルミネは昨日より閉まったまま、スーパー西友は今日は、3時までの営業です。
今、15:00のTVニュースでは、東電の記者会見で・・・・第5グループの計画停電を17時から19時の間に実施する 可能性が高い・・・・
なんて云う歯切れの悪いことをいっています。
こんな状態なのですから、私達も停電には協力します、でも、ちゃんと計画を事前に、詳しく説明してよ!、
それと 私の住む鎌倉市は、第一グループ・第五グループに属しているけど、私の住む玉縄地区はいったい、どちらなの?
インターネットも、電話も通じないではないか!、鎌倉市webページは、今回は奇跡的に早く掲載していました。 玉縄は第五グループです。

3月15日のブログ 東電 無計画輪番停電
touden.gif我が家に、明日の米・パンがない
今日午後、新聞の予告通り第5グループの輪番停電がありました。午後12:20〜16:00まで停電しました。
最初から解っていれば対応もできます。震災に遭われた方々のことを思うと、のうのうと電化生活している 関東地方の私達で協力出来る事があれば、多少の不便さは感じても、協力は致します。 しかし、いきなりの通知、やるかやらないか煮え切らない回答、やると言ってやらない停電は困ります。
そのせいで、公共交通機関は乱れ、商店・スーパー・ショッピングセンターは、閉めなくも良いのに、 顧客を無視して閉店しています。
私の周りでは、ルミネも大船仲通り商店街も、ヤマカも閉店状態です。家庭の台所を預かる主婦は当然 のことながら備蓄をします。
マスコミは、流通はすぐに回復するのだから不要な買走りはするな、と云ってもこれは、生きるものの 、特に女性、母親の本能ですから、仕方ないことです。
中途半端な停電は、人心を不安にさせるだけです。3時間なんて半端なことをするから、交通機関も 流通も混乱するのです、地域を決めて24時間停電すれば、私達は、それなりの対応が出来るのです。
今日、停電が復旧してからスーパー・商店に明日の米・パンを探しに、4軒廻りましたがいっさい売っていません。
取り敢えずのカップラーメンやスナックはありますから、飢え死にはしませんが・・・・。
60代の夫婦の食べる米の量なんて多寡が知れていますが、これが食べ盛りの子供のいる家庭では深刻な問題 でしょう

3月23日のブログ  ろうそくと月明かりの生活
akari.jpg今夜の第5グループの停電は、予定は18:20から22:00まででした。
ろうそくの灯りで食事をするのも、何か惨めな思いもあるので、6時前に夕食を終えるようにしました。
実際に停電が開始されたのは18:50で、電気が戻ったのは20:30でした。この間の灯りはろうそく一本です。
この灯りを見つめながら私はカミサンに、ランプ生活と月明かりの話をしました。
青春時代の一時期を南米アルゼンチンで過ごした私は、わずかな間ですがランプの生活をした事があります。
1970年代 初頭、南米のパリとよばれる大都会ブエノスアイレスから30KM程度離れた場所でも、まだ電気が通じていない場所が 有ったのです。
そんな場所では、月の明るさはひとつの大きな光源になります。
満月の夜、歩くときにはまるで日中のような明るさを感じる時もありました。

明日から10日間ほどカンボジアに行きます。
1992年に訪れてからほぼ10年おきに行き、今回で3度目です。1992年の時はPKO部隊と一緒で、シェムリアップは真っ暗でした。 2003年の時は、復興が盛んになり、観光客も増えてきており、夜明けの月灯りと、バイクが連なり灯す光が印象的でした。
さて、2011年、シェムリアップの灯りはどんなでしょうか?
今、日本がこんな時に離れてカンボジアに行く・・・不謹慎?かな
posted by 西沢 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会