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2019年07月07日

アンケート 70才まで働きたいですか?


an01.jpg朝日新聞土曜版の「読者と造るアンケート」では、時代、時期を反映するアンケートを掲載しています。
先日は、「年金2000問題」や、「働き方改革」などに関連し、参院選の焦点となるテーマの「何歳まで働くか」を取り上げていました。
60才定年制度が当たり前で、既にリタイヤした団塊世代の私たちにとっては、「いまさら」の話題なのですが、やはり今の現役世代にとっては、年金問題とリンクする切実な、スルー出来ないテーマ、アンケートのようです。

朝日新聞のイントロ記事は

「一億総活躍社会」・・・そんなキャッチフレーズを耳にするようになって久しいです。
国は5月、希望する人が70才まで働ける機会を確保するよう、企業に努力義務を課す方針を打ち出しました。
アンケート結果からは、多くの人が「活躍」というより、生活の為に働かざるをえない現実が浮き彫りになりました。



アンケート結果では、働きたい人は40%と思ったよりも少なく、少し安心しましたが、回答者数1748人の年齢別・世代別のデータは示されていませでんでした。
考えてみるに、朝日新聞のアンケート質問に答える世代層は、日本の労働人口構成比率よりも、かなり高いのではないか?
毎日、毎週土曜日の朝日新聞のこの欄をみる人は、ある程度の企業に勤めている給与所得者層、それも平均値以上に属する人達ではないか、と少し穿った見方も出来ます。






本音を云うと、退職金を受け取った翌月から、公的年金の受給が始まれば、多少少なくて、理想とする老後の生活に足りないにしても、スタートできるのですが、従来通りの60才退職した場合、年金受給(年金支給と云う言葉は使いたくありません、政府側が使う与えるのではなく、自分が積み立てした当然の権利なのですから)開始まで、5年も待たなくてはなりません。

退職後の5年間の生活費は幾ら必要か?
家族構成によってかなり違いはでますが、年間500万と計算して5年間で2,500万、日本の一部上場企業の平均的な退職金は、この5年間で消えてしまう、金額です。
当然、何かしら、最低限の質素な老後の生活を維持するには働かざるを得ないのは当然です。

私の場合、55才で退職しましたので、年金満期受給まで8年間ありました。
8年×年間500万とすると、4000万円が必要でした。
どう、補ってきたかと云うと、この8年間は個人年金、つまり、自己資産の食いつぶしです。
年金受給満期の63才になっても、実質25年間しか、年金をかけていないので、受給額は、カミサンの分も含めても、政府発表のモデルケースギリギリ、住民税非課税所帯扱いです。

この欄にFPで社会保険労務士の方の談話が掲載されていました。

年金制度は、高齢者も若年者も痛みを分かち合う「助け合い」の制度です。
国も年金問題の改善策に苦慮する中、このまま少子高齢化が進むと、制度の存続自体が危ぶれます。
さらに保険料はあがり、支給額が減る可能性もあります。
日本の制度では、年金だけでは生活できるようには設計されていません。
「70才まで働かなくてはならない」と考えると憂鬱ですが、「働ける」と考えれば気が楽になります。働いていると、孤独になりません。友人も増え、お金にも余裕が生まれます。後略・・・・


an02.jpg
私の周りには、元上場企業を退職した63才〜65才前後の方々が沢山います。
この世代の方々は生活費の為と云うよりは皆さん、自分の健康の為、自分の趣味の費用の為に、働いています。
働きたい理由の「社会と接点を持ちたい」は、アンケート収集者を意識した、優等生的な回答ではないかと思われます。
少なくとも、老後の生活が公的年金と、自己資産で成り立っているからなこその、回答ではないでしょうか?
アンケートの・「働きたい」と答えた方の第二位は、「生活する為、お金が欲しい為」です。
この調査は、やや革新的傾向の強い、朝日新聞の定期購読者層によるものです。
これが、年齢・収入・学歴・住んでいる地域など、全日本平均的な人たちから採集したら、この「生活する為、お金が欲しいから」の数値はダントツの一位になるのではないかと、不安に思いました。

posted by 西沢 at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2019年03月26日

団塊世代 海外ロングステイ滞在者投稿 日本帰国の潮時

私ども夫婦は、私が55才、カミサン52才で、老後の一時期を海外で暮らすように旅する、海外ロングステイを目指して退職しました。
退職直後から、同じ団塊世代の一歩先行く身として、情報発信するために、webページ「団塊世代の定年後の過ごし方と海外ロングステイ」立ち上げ、16年になります。
同じ世代、同じ目的、同じ想いの同世代の方々のご意見、を反映する目的で双方向のサイト、掲示板を造りました。
これまでに様々な投稿、情報が寄せられてきました。
そして、団塊世代の共通の節目、峠となる「2度目の東京オリンピック」2020が近づいてくるのと同時に、これまでの海外ロングステイを引き上げ、日本帰国、本当の老後の生活にはいる準備される方が出ててまいります。
掲示板に投稿されました、現在、チェンマイにお住まいの団塊世代の方の情報をそのまま転載致します。

ハンドルネーム タイ在住者 
私の海外ロングステイの主動機は経済的理由です。
結果は成功だと思っています。

[支出結果/予測]
2017年:102,831 バーツ(36.7万円)
2018年:113,324 バーツ(40.5万円)
9ヶ月間滞在全費用と2回の往復交通費を含みます。

[衣]衣類は主に日本で購入しています。下着くらいであまり購入していません。
[食]食事は糖尿病対策もあり質素なものです。(酒煙草は嗜みません)
[住]チェンマイで購入したワンルームに住んでいます。

[生活内容]
(日本でもチェンマイでも)殆どの時間を部屋に隠りPCで遊んでいます。
時間が足りず徹夜の時もあります。

[健康]
ここ数年老化進行が著しいです。
癌化した腫瘍除去手術等もしています。
75歳迄健康寿命が持つ事を願っています。

[終活]
日本へ引き上げ有料老人ホームへの入居を予定しています。
(初期費用3,00万円、月額費用20万円を想定しています)

独居老人の経済設計の参考例として頂ければ幸いです。



上記投稿記事にたいして反応した投稿者へのレス

年金等収入の具体的金額の話題はありますが、支出に関してはその金額情報が少ない様に思っていました。
3月に入り前年2018年間収支の計算を行いました。
最低金額の参考にと前年分と合わせて投稿しました。
ザックリ見て年間50万円/1人で生活できます。(夫婦2人でも100万円以下)
投稿金額は年2回の往復費用(6万円x2回=12万円)を含んでいますから、それを中止すれば更に余裕です。
老後破産等老人の経済問題が話題に成りますが、支出の工夫で問題を回避できる場合があると思います。
海外長期滞在の利用も"支出工夫"への一考かと思えます。
但し注意が必要です。いきなり年間50万円は難しいと思います。
(私の場合足掛け20年近く経過した現在の年間費用です)
現地の言語、VISA条件、生活環境等々様々な事をクリアーする必要があります。
(それでも長期計画でトライしてみる価値はあると思います)
そして、最大の問題は如何様に生活するかです。
(自分の本当に"したい事"(生き甲斐)が何かを知る事は難しい場合が多いですが)
それが、"この経済条件で満たされる事ができるか?"が、重要な事だと思います。
満たされないと、単なる耐乏生活(貧乏生活)を老後に送る事に成ります。

「日本に帰った時に「血液検査」されてますか?」の質問
毎年春健康診断を受けています。去年は人間ドックを受け、その結果秋に手術をしました。
また(歯石取りを含めた)歯科治療は春秋の2回受けています。
これらも"そろそろ卒業"を考えています。

「筋トレして下さいね〜」
PC遊びに夢中で運動不足の状態です。
朝の食後の散歩は老人のヨボヨボ歩きに成りかけています。
お気遣い感謝いたします。

有料老人ホームの情報ありがとうございます。
最初にお詫びをする事があります。
(初期費用3,00万円、月額費用20万円を想定しています)
の記述は"初期費用3,000万円"の誤記です。

今、ホーム入所を躊躇しているのは正にご指摘の「自由が利かない」事への恐れからです。
最後は必ず人様のご厄介に成って終わるのですから、仕方がない事と理解しています。
今年4月で71歳、後4年75歳迄この儘過ごせる事を願っています。

「特養順番待ち」の件、最初に調べました。残念ですが諦めています。
ご友人はラッキーな方だと思います。

今日土曜は白物洗濯日です。洗濯機から取り出し干すだけですが、
段々疲れてきて、施設が好き勝手にできるなら、今年にでも入所したいです。
(去年現金を一部用意し貸し金庫に置く準備迄しました)



これらの投稿は下記のサイトからの転載です。
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi
詳しいタイ・チェンマイロングステイ情報は
http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/cnx.html
posted by 西沢 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2019年02月12日

団塊の世代・平成時代の終焉、堺屋太一の死去

私たち昭和22年から23年(1947年〜49年)生まれの戦後ベビーブーマー世代の大きなひと塊の名付け親である作家「堺屋太一」が亡くなった83才。
善きにつけ悪しきにつけ、戦後の高度成長期から学園闘争、バブル時代の常に社会の鏡となる世代「団塊世代」の終わりを感じずにいられないニュースでした。

sakaiya.jpg堺屋太一さんが大阪万博を企画・牽引してきたことは、今回の逝去記事で知りました。
団塊世代にとって、日本経済のテイクオフを実感する大イベントであったのでしょうが、私は既に海外におり、その時代を知りません。その後のオイルショックも知りません。
「団塊の世代」と云う言葉を知ったのは、帰国した翌年の1976年の堺屋氏の小説以後でした。

団塊世代と敢えて名付けられなくても、私たちの世代は、小学校入学時から一クラス60名と云う大所帯で、他の学年とは違っていることは意識付けられていました。
中学校はマンモス校で、私たちの学年は16クラスもあったのです。
この頃から、担任の先生に、「君たちは戦後の大きな塊であることから、この先の高校受験、大学受験から社会に出ても、結婚、住宅、墓場まで競争社会を生き抜いていくことになる。」と云われたことを覚えています。

私は、この言葉を人一倍受け止めていました。
そんな、廻りの同じ世代と一生競争したくない、競争しなくても生きていける世界を子供ながら夢見ていました。
大学紛争のポッカっと空いたエポックの時、私は海外に逃げたのです。
競争しなくても生きていける場所を求めて、海外の会社に就職する道を。

dankai.jpg私が海外、南米で戦後ベビーブーマーとは無縁の南米で、競争社会に背を向けて青春を謳歌していた時、日本は大阪万博での盛り上がり、田中内閣の列島改造論、三島由紀夫の市谷割腹事件などを海外から眺めていました。
やがて、住んでいたアルゼンチン・ブエノスアイレスは、政治的混乱から経済の立ち遅れが目立ち始めて、一旦の帰国を決意して、戻って来たのは1975年の時でした。

高校・大学の同期生たちは、学園闘争を経て社会人として活躍していました。
日本に戻り、子供の頃怯えていた、日本の競争社会に入らざるを得ませんが、決意したのは、今更日本の経済社会の主流にはいるのではなく、サブでも良いから何か、特別な技能が生かせる業種で生きていこうと、考えました。
入ったのは電子専門学校です。まだ当時ソフトウェア・ハードウエア―の言葉の違いも解りませんでしたが、これからは電気でなく、電子の世界であること、これから先、ハードよりもソフトであることは、朧気ながら見えていました。

入ったのは、自動制御機器・システムで日本一の日米合弁会社の関連子会社の工事部門でした。
時代は、不動産バブルへと向かう前夜です。
学歴・学閥は関係なく、仕事は幾らでもあり、面白かったです。
給与はあれよあれよと云う間に、同じ年代を遥かに超えてきました。
子供の頃に怯えていた、同じ世代との競争は意識しませんでした。
自分は、今、日本経済のトップを走っている、給与も、生活環境も申し分のない生活を送っている。そう思っていました。

sakiya02.jpgそして、バブル崩壊
しかし、不動産バブルが崩壊しても、建設業界はバブル時契約した受注残が残っていました。
まだまだ、年に数度、夫婦で行ってみたい世界の秘境に行けるだけの余裕はありました。
その時に知り合った、アメリカに在住している日本人夫婦と知り合い、「日本の賃金体系は異常である」と告げられました。
こんな賃金体系が続くわけがない、と云われた時、崩壊直後のソビエトを旅して、目にしたのが、市場で靴下をぶら下げて売る大勢の年金生活者の姿でした。
そして、思い出したのが、ブエノスアイレス時代の年金支給日に銀行に並ぶ長蛇の老人たちの姿でした。
何時かは、日本もそんな時代が来る、団塊世代が一斉退職して、年金生活になる時代が来る、老人になっても、社会のひと塊の世代がお荷物になる時代が来る・・・そう思うようになりました。

自立しなくては
1996年、48才の時、これから先についてカミサンと話し合いました。
子供のいない夫婦、これから先の人生、生き方、老後について話し合いました。
子供の頃に考えた、団塊の世代と云うひとくくりから離れて、自分たちの生活をしよう。
退職目標を55才と決めて7年後に向けて再スタートを切りました。


2003年、夫婦ともに退職し、あれから16年経ちます。
当時、退職後再び専門学校に入り直し、習得したweb言語・技術でホームページを立ち上げてした時のメインテーマが、団塊世代の過ごし方と海外ロングステイです。
まだ、団塊世代の定年まで5年あり、団塊世代が将来の定年後の生活を模索し始めていた頃で、このサイトは多くの団塊世代からのアクセスがあり、大きく成長しました。

しかし、団塊世代・海外ロングステイの検索ワードは、死に語になりつつあります。
奇しくも、平成の世が終わり、団塊世代の名づけ親「堺屋太一」死がこの世を去った今、団塊世代は今、如何に綺麗に、家族に迷惑をかけずに、社会から消えていくことを考えているのです。
堺屋太一の死去、ある一つの時代のターニングポイントになるでしょう。
2019年2月10日を覚えておこう、関東に雪が降った寒い日だったと。




posted by 西沢 at 08:24| Comment(1) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2019年01月25日

不当統計ではないけど、アンケート調査データーは60才台まで、70才以上がないのはおかしくない?

テレビなどのクイズ番組などでの回答成功率とか、新聞紙上での人気ランキング回答者とか、年代別の調査データを見ていると10代から順にグラフ化されていって、最後は60代で終わっているか、或いは60才以上で済ませているケースがほとんどです。



昨年までは、このようなことにはとんと目がいかなかったのですが、自分が古稀を迎えて改めて見ると、オカシイと思うようになりました。
2018年統計によりますと、日本の人口1億2270万人のうち、60才以上は4,060万人 総人口の1/3、33%を占めているのです。
いろいろな調査目的があるでしょうが、この日本の人口の33%を占める世代を、一概に60才以上として様々なデータとして現わすのは、間違っているのではないでしょうか?

60才、70才、80才では、先ず体力・健康面で全く違います。
60才、70才、80才では、お金の価値観も徐々に違ってきます。
死生観、宗教意識は、当然ながら、60才、70才、80才では違います


そんなシリアスな問題でなくとも、食べ物の好み、ファション、音楽、等の人間の内面に関するものは、年齢とともに変化するでしょうが、一概に60才以上を一緒にするのは、間違いです。
こんな簡単に誰でもが解ることが、TV・新聞社・広告業界・経済調査専門会社が知らない訳がありません。
ただ、単純に60才以上と片付けてて、調査コストを落としているだけなのでしょうか?

超高齢化社会が日本にやってきています。
60才代、70才代、80才代では、大きく違う云う意識を持って統計調査にあたるべきで、これらの調査企画をする時には、民間も・国も、各年代、そう70才台、80才台のスタッフを組み入れて、意見を聞きながらやるべきだと、団塊世代のオジサンはみんなそう思っています。

統計学を教えている、今現役の大学の先生も、学んでいる学生も、広告業界の企画担当者も、宣伝する側の人間も、そして政府のお偉いさんも、60才以上を十把一絡げにするのは間違いだと古稀を迎えるころにきっと解るでしょう。
posted by 西沢 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年12月30日

建設現場の若い女性職人と1年の締めくくり餅つきイベント

izu01.jpg一年の終り、仕事納め翌日の年中行事、餅つきに行ってきました。
毎年12月の暮、仕事納めの翌日は、昔の仕事仲間友人の会社の駐車場で沢山の建設・設備職人たちが集まって「大餅つき大会イベント」が行われ、退職後から参加するようになりました。
今年は、この友人社長が趣味の磯釣りと養蜂と野菜作りの為に、購入して伊豆稲取の古民家で行われました。

izu03.jpg古民家と云っても築25年の本格和風建築で、敷地は300坪、ミカンの木や、竹林までついて、780万円。駅から車で10分、所謂別荘地でもない農家です。
この地域に古くから住む同じ苗字の一族のご本家でした。
本家の当主のおじいちゃんが、競輪で大きな借金を造り、この自宅が競売にかけられたのを、趣味が多彩な友人が、仲間たちの拠点として物色していた時に落札したのです。

小さな建築設備会社を営んでいますが、東京オリンピック景気が、人件費が高騰しており5人の社員で年間一億程度の売り上げがあり、絶好調のようで、この築25年の古民家も、日曜日の度に、社員や釣り仲間と一緒にリフォームしたようです。
冗談半分に、
「リフォームにかかった資材は、全部現場の材料として落としてんでしょ。」
「手伝ってくれた社員や、職人さんへのお礼も、給与で処理してんでしょ。」
友人は「そんな日産の会長のようなことは、わが社はしませんよ。」と笑っていました。
小さいとは云え、一国一城の主は、一部上場有名企業勤めのサラリーマンとは違うのです。

izu041.jpg社員の一人に20代前半の若い、可愛い女性がいます。
短大時代に、養蜂に興味をいだき、度々横浜の会社に遊びにきていているうちに、この会社に居ついてしまったと云う変わり者の女の子です。
友人社長もこの女の子の入社を二度断りました。
とても、稼げない若い女性を雇う余裕がなかったです。
しかし、短大の卒業も近づいてきて、一般企業に就職する気もなく、日々が過ぎていくと、友人も心配しだして、ご両親が承諾すれば、OKと折れて、入社することになりました。

最初の仕事は、私と一緒に会社のホームページ作りでした。が、ご本人は現場に出たいと云うのです。中小の現場は、女性社員・職人の入場を嫌がります。
理由は、現場の環境づくりです。女性専用のトイレ、更衣室を造らねばなりませんし、若い、綺麗な女性が入ることによる、風紀上の心配までしていたのですが、全く問題はありませんでした。却って、若い女性が入ることにより、現場は明るく、綺麗になっていったそうです。

izu04.jpgこの日、朝9時から50kのもち米をつきました。
数年前、鎌倉のイベントで餅つきをした時は、カマドでしたが、さすが建築設備の会社ですから、ガスと電気です。
今年から一度蒸しあがったもち米を最初、電気もち製造機にある程度の形に仕上げてから、人の手でつきあげ、スピード化を果たしました。


今年の餅つきイベントは、友人の釣り仲間が多く参加しましたので、メインの餅よりも、魚介類のBBQが多く、あわび・伊勢海老・サザエ、おまけに誰かの差し入れの子持ち鮎、今朝早朝吊り上げた「すずき」や「カワハギ」のお刺身、そしてご近所さんからはイノシシのお肉まで登場し、お腹いっぱいになりました。
izu06.jpgizu05.jpg


帰る時には、この日つきあげた「のし餅」・趣味と商売半々はでやっている「ハチミツ製品」、これから本格的にやりたいと云っている趣味の「ブルベリージャム」、庭でとれた「デコポン」と、車で来ている来客は段ボールいっぱいに家庭菜園の野菜を持ち帰る義務が課せられました。

3時過ぎ、かばんいっぱいのお土産を背負って、伊豆稲取から再び2時間半の道のりを帰っていきました。楽しい、1日でした。
伊豆稲取の二駅先は、河津です。来年はここに泊まって河津桜を身に来ようかな。
posted by 西沢 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年12月14日

日本の監視社会 ハロウィーン軽トラ横転容疑者の特定の背景

昔、思い返すに社会に何か不満でも感じていたのでしょうか「完全犯罪」を夢想することに耽っていたことがありました。
如何に、人を傷つけず、特定個人に損害を与えず大金を手に入れるか・・・、そう東芝府中の三億円事件のように、一種の愉快犯、昔の鼠小僧のような犯罪を計画、実行する小説を書くことを妄想することを考えた時期がありました。

kansi02.jpgその時に考えたのが、現代の世の中、車を使った犯罪は絶対にダメだ。
日本の道路には無数の監視カメラがあり、24時間監視されていて追尾されて、証拠が残る。
電車・地下鉄・飛行機もだめだ。ゲートとか、入口には必ず監視カメラがある。
犯罪を犯したら、監視カメラのない裏道を歩くしかない。
そう思って、何時も歩く道路にの上を見上げて歩いたことがあります。
退職して、鎌倉に新しいマンションに越してきてからは、この夢想は萎んで行きました。
私の住むマンションの2か所の入口にも防犯用の監視カメラがあり、自分が管理組合の理事長になった時に、このカメラの盲点がないか、実際に管理業者と一緒に確認作業をしてみましたが、防犯カメラをスルーして自分のマンションに出入りすることが不可能と解り、長年の妄想は終わりました。

この妄想は遊びで終わりましたが、今日の新聞報道で、渋谷センター街の若者が少し、はしゃいで、羽目をはずした遊びが、TVニュースの動画として放送されのち、批判され・犯罪扱いされ後、犯人特定と云う形で逮捕されたと云う記事が目に留まりました。

警視庁捜査一課は11月半ばに容疑者を特定。
今月5日、横転と破壊行為の両方に関わった日本人4人を暴力行為等処罰法違反(共同機物損壊)の疑いで逮捕し、発表した。事件に関わったのは逮捕した4人を含む17才〜37才の男15人首都圏在住の日本人が10人、フランスなどで、外国籍が5人。横転だけに関わった11人は同容疑で、書類送検する方針だ。


確かに、人の車を囲んで横転させて損害を与えたのは、おぶざけとしては行き過ぎなのは解る。
しかし、どうやってあの渋谷センター街のあの人混み・群衆のなかから個人を特定し、しかも自宅まで割り出したのか?
それは、不思議で興味を覚えるとともに、恐怖も覚える。

kansi01.jpgアメリカや欧米、そして最大の監視社会の中国なら解らないでもないが、日本もそうなのか?
私たち昭和生まれ団塊おじさん達「7人の刑事」を見て育った世代は、あのセンター街の映像から、軽トラに乗ってはしゃいだ若者の顔時写真を手に持って、聞き込み捜査する刑事たちを想像するが、そうではないらしい。
軽トラ周辺にいた人物の動きを監視カメラで探り、移動先のカメラを探し、画像分析し特定し、さらにその先のカメラを探し出しすと云った「リレー形式」で、途中で入った建物、駅の改札カメラ、降りた駅を特定し、周辺道路のカメラから、自宅を割り出した
と云う。警視庁は「クレージー・ハロウィン2018」事件と名づけ、発生直後から殺人・凶悪事件などを担当する捜査一課を投入したようです。
これは、来年のラクビーワールドカップや二年後の東京五輪などを見越した、映像捜査の研修シミュレーションとして絶好の機会だった様子です。

何時も暮らす街中の目立たない道路のカメラは勿論のこと、コンビニの外を映し出すカメラ、ネットにあげているユーチューブの映像、個人のSNSやインスタまで、どうやら全て、データとして掌握されているようですし、それを人間の目で一つづつ検証するのではなく画像認識技術であるていどの所まで追いかけられる、日本の社会。
まるで、ハリウッドの近未来映画の世界が現実的に日本にも存在しているのを、知りました。

この私のブログも、キャンパンのブログランキングでは毎月、トップテンに入っているので、きっと監視対象に組み込まれているのでしょうね。
もう完全犯罪の妄想は、ベッドのなかだけに閉まっておきましょう。
posted by 西沢 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年11月06日

何時まで働くか、何歳まで働くか

朝のワイドショーの話題は、健康とお金の話が多いのは、この時間見ている人がシニアが多いせいでしょう。今朝の話題は年金問題でした。
2017年の統計では、65才以上で働いている男性は、31.8%で、6年連続で上昇しているとの報道でした。そして、政府は、企業の現在65才までの雇用延長を70才までにしたいようです。
しかし、政府の企業に対しての規制では、再雇用後の賃金に関しては、何もしていないのです。

ワイドショーでは、何歳で辞めて、何歳まで生きた場合の年金受給総額を比較していました。
そして、勿論、損得の結論は、その人のライフスタイルによる、と何時ものパターンでした。
それ以上の云いようはないのは、良く解ります。
この時間帯、働いている若い世代の方々ほど、70才まで働きたいようです。
理由は、年金だけでは生活できないから。
1日8時間、週5日、普通に働いている人々が、普通に65才以降、安心して老後を送れる、
そんな社会か当たり前ではなくなってきているのでしょうか

この記事を自分サイト掲示板に投稿したところ直ぐにレスがありました。

ルル
管理人さん、我々リタイア族にいつも有意義な生活情報のご提供ありがとうございます。
私はリタイア後もっとも重視しなければならないものとして経済的問題もあると思いますが、もっと大切なことは配偶者との良好な関係をいかに築くかがリタイア後の生活の良否をきめる最も重要なポイントのように感じています。

自宅で一日中、夫婦で顔を突き合わせていると、あまりにもお互いに遠慮がないせいか、必ず諍いが起きるからです。管理人さんもそのことをよくこのブログにお書きになっていますが、夫婦二人で向いている方向をたまに確認しないと、必ずどちらかの不満となって噴き出してしまうようです。

そこで旅行という共通の目的をもってそれを実行し、日々の生活にメリハリをつける法は、お互いの気持ちを見つめあう機会となり、夫婦円満のための理にかなった方法で、旅で遭遇する様々な問題を、お互いの知恵を出し合って克服していくことに絆が生まれ、(敷いてはこの人と一緒になって間違ってなかったという)生き甲斐となっていくのだと思います。

ですから、今後は旅行記を乗せる時は、是非もっと旅の失敗談や旅行中の夫婦間の意識のすれ違いなどの要素も交えながら描写いただけると大変幸いです。今後ともよろしくお願いします


茶花
何歳まで働くかは個人の選択と思います。
夫は出社の日はシャワーを浴び髭や身嗜みを整えワイシャツにカフスをはめて出掛けます。
出張の折はシニアになってからお土産を買ってくるようになりました。
現役の頃は家を守るのは専業主婦の仕事と思っていたのでしょう。
共通の趣味は国内外の旅行とガーデニングで、海外の日本庭園で「シシおどし」を外国の方に説明して、ここのは海外仕様とか言ってました。
シニアになってお互いの必要性をわかって来たと思います。
ふたりとももうすぐ76歳です。分かり合えるのも時間が必要なのだと思います。簡単に離婚はしない方が良いと思います


その他の投稿は下記参照
http://wwweb.sakura.ne.jp/bbs/yybbs.cgi

posted by 西沢 at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年10月30日

家族葬が中心の都会と、田舎の地縁・血縁重視の葬儀のやり方

前日のブログの続きです。
chouden.jpg二日目の告別式でも、私の都会と出身地の葬儀関係の知識がひっくりかえるよう出来事ばかりです。92才、老衰の義母の告別式へ弔電が沢山届いており、葬儀の際に全て読み上げるのです。
地元出身の国会、県議会、市議会の議員や、元市長までの弔電が10通近くあるのです。
特別義母や喪主の関係ではないようで、葬儀会館からこれらの議員に亡くなられた情報が伝わっているようです。
確かに良い合法的に政治活動になります、葬儀会館で確実に数10人から数百人のひとに名前が伝わり、その費用は台紙無料のお悔やみ電報なの1000円以下ですから。
これ等お悔やみ電報のなかに、「ヤマダ電機取締役社長」のものもありました。
亡くなった母親の孫がヤマダの正社員のせいもありますが、あの大会社の社長がわざわざ一社員にしているのではなく、ヤマダ電機では、社員の忌引きが申請されると自動的に弔電を送っているようです。
これも政治家と同じく、安い・確実な宣伝方法の一つとして捉えたほうが良いでしよう。

前日のお通夜の後、喪主である三女のご主人から、翌日の告別式の後の出棺の際の、参列者に対するご挨拶を頼まれました。
エー、それって喪主の務め、役割ではないの?と思って聞き返すと、この土地では、喪主は悲しみに沈んで喪に服しているので親族の誰かが代ってご挨拶するのだと云われ、三人姉妹の次女の夫である私が、することになりました。
そして、渡されたのが葬儀会社が造った、例文でした。

私は、現在の仕事関連で大勢のの方々を前ご挨拶するには比較的慣れていますので、例文・メモは必要なありません一応、頭の中でお話する内容だけは前日考えて、お礼のご挨拶をしました。

本日は日曜日でお天気も良く、皆様には何かとご予定がありましたのに関わらず、亡き○○の告別にご来場賜りまして、有難うございます。
喪主に代り、親族を代表しまして、ご挨拶申し上げます。私は、故○○の次女、故郷をはなれ、現在神奈川県鎌倉に住まう××の連れ合いです。

私が初めて故○○にお会いしたのは、妻との結婚のお許しをいただくため、この地を訪れました時です。あの時妻は25才、昭和元年生まれの○○は、当時52才と云う若さでした。
あの当時の写真はこの会場の入り口に、○○さんのアルバムとして展示しています。
○○さんのご主人亡き■■さんをハワイにご招待した時の姿、お隣の実の姉▲▲とん一緒に我が家に遊びにきてくれ、横浜の中華街で撮られた二人姉妹の写真。
私のなかの○○さんは、今でのあの当時のままで残っています。

最後に○○さんにお会いしたのは、今年の夏、骨折し入院していた大学病院病院にお見舞いに行った時です。ベットの○○さんは、髪の毛こそ真っ白になつてはいたものの、顔つやは昔と変わりなく、食欲もあり、何よりも声が全く40年前と変わらないのに驚き、それを云うと「私は声だけは元気」と云ってました。
この先、後100才までも生きるのではないかと思っておりましたが、先週の日曜日、天寿を全うして旅だっていきました。
亡くなったと云う訃報を聞き、直ぐに思ったのは、昭和元年生まれということでした。

昭和元年生まれ・・・と云えば、青春時代はあの第二次世界大戦真っただ中です。
長女は昭和24年、私の連れ合いの次女は昭和26年生まれです。三女は昭和29年生まれです。
あの、戦後の時代を3人の女の子を一生懸命に育ててきた、○○さんの20代を思うと、涙が滲みました。

悲しみに包まれているなか、小さな奇跡が起こりました
mago.jpg○○さんの4人の孫のなかで唯一の女の子、一番かわいがっていたA子が、その4日後嫁ぎ先で男の子を出産しました。輪廻転生と云う仏教の考え方をそのまま、信じる訳ではではありませんが、何かしらの縁(えにし)を感じずにいられません。
○○さんの思い出は、何時の日か皆様のなかから消えていくのは、必然ですが、新しい命が、この地に誕生し、皆様のコミュニテイの育って行くのを、どうか温かい目で見守って下さるようお願いして、今回のご挨拶とさせていただきます。





koden.jpgこの後、火葬場に出棺ですが、遠隔地から参列しました、私たち夫婦はこの斎場でお見送りをして、今回の葬儀は終わりました。
残った親族・ご近所の参列者はこの後、35日の法要がまだ残っており、その後の「お斎」を含め結局全て終わったのは、夜の8時でした。
細かい話になりますが、この地方の葬式では、通夜・告別式に続いて35日法要(私の田舎では初七日法要)と、その都度合計3回のお香典を包むようで、私たち多少疑問を持ちましたが、霊前に供えて帰郷しました。

確かに、退職・年金生活に入る時に、年間の冠婚葬祭費を推定し、設定していましたが、今年2度目の親族の葬儀です。都会からの交通費、思いもかけない出費は、私たちの冠婚葬祭予算は大幅にオーバーしました。
その分は、自分たち二人の娯楽費・旅行費を削ったのは当然のことでした。
posted by 西沢 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年09月11日

大坂なおみ効果 ユーチューブ動画「大坂半端ないって」と シチズン先見の目

一般的にプロのスポーツ選手が試合で、腕時計をしているケースは少ないです。
サッカーでも野球でも見たことはありません。
しかし、テニスの場合、かなりの選手が利き腕の反対側にしているケースをみかけます。
何で腕時計してるんだ?あれはどこの腕時計だ?となれば、結果的に宣伝効果があり、スボンサーメーカーとしては、成功なんです。

今回の全米オープン、大坂なおみが左手につけていたのは、シチズン「エコドライブ」80,000円だそうです。何でそんなことを知っている?のかと云うと、新聞休刊日の翌日の紙面に大広告が出ていました。

「グランドスラム、シングルスで日本人初の優勝。シチズンの時計が一回戦んら決勝まで大坂選手とともにコートの上にいたことを、心からうれしく誇りに思います。これからもっともつと「つぎ」の大坂選手に出会えることを楽しみにしています。」


時計メーカーとしては、ややセイコーに押され気味のシチズンですが、これは逆転も狙える「大ヒット」です。

シチズンは何時から、大坂なおみをマークしていたのか?

CM上で大坂なおみが注目されたのは、今年のサッカーワールドカップからです。
覚えていますか?「大迫半端んないって」が大流行したのを・・・・


https://youtu.be/pZ2UIYRK5I4

このユーチューブの動画は、以前からサッカーファンの間では知られていたのですが、今回のワールドカップで大迫選手が得点した時に、日本人サポーター席で掲げられた垂れ幕「大迫半端」がTV画面に映し出されてから、急速にネット上で広がり出されました。
このユーチューブの動画を見て、初めて日清食品のCMが理解出来た人は多いでしょう。


https://youtu.be/rAQvrhvPiKk

このCMは、大迫と大坂をかけた、パロディコマーシャルと初めてわかるもので、ワールドカップ第一戦で大迫がゴールした瞬間、一番喜んだのは、日清食品の広告担当者だったのではないでしょうか?
そして、今回の大坂なおみの全米優勝、日清は元々錦織のスポンサーですが、何時頃から大坂なおみをサポートしだしたのか、錦織圭と大坂なおみの事務所は同じ世界的マネジメント会社、IMG。大坂は当初、違う事務所でしたが移籍し所属契約の日清食品、契約先のWOWOWなど錦織と共通点は多いようです。

今回の大坂なおみの全米オープン優勝を一番喜んでいるのは、当然ご本人でしようが、それ以上に喜んでいるシチズンの宣伝部の担当者の笑顔を想像し、部外者の私たちも喜んでいます。

posted by 西沢 at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)

2018年06月20日

コロンビア戦勝ったけれども、これからが本番、もっと大変

colunbia.jpgワールドカップコロンビア戦の勝利で日本中の街角で浮かれているけど、昨夜の本田の戦後直後のインタービューで「何も決まった訳ではない、本当の重要な闘いは次のセネガル戦、一人少ない相手との点差に満足していない」と醒めたコメントをしていました。
確かに、勝利は嬉しいけれど、前半3分と云う時間帯と相手が一人少ないと状況での一点差はこれからの決勝トーナメント進出に大きく影響してくるでしょう。
その後行われた、セネガル・ポーランドは2-1でセネガルの勝ち
何れも、FIFAランキング上位のチームが負けています。
今ロシア大会は、ドイツが負けて、アルゼンチン・ブラジルが勝ちきれない等の波乱含みのスタート第二戦、セネガルは日本戦で決勝進出を決めようとするでしょう。
初戦で負けたコロンビア・ポーランドも残す二戦ともに格下、勝てる相手ですから、予選リーグH組は昨夜の両チームの勝利で、却って混沌としてきたのは、間違いないことでしょう。

それにしても、会場を埋めていたあの大勢のコロンビアサポーターの数、どうやって来たのでしょう。
今回の試合が行われたサランスクは、モスクワから遠く630km離れたモルドバ共和国です。
日本サポーターの場合、サッカーやオリンピックの大イベントの際は、旅行会社が前々から交通手段・宿を総合的に売り出しています。
一番有名なのがサポ村
 https://news.yahoo.co.jp/byline/murakamiashishi/20180318-00082781/
このページに、サッカーワールドカップの観戦ツァーの詳細が掲載されています。
注意しなくてはいけないのは、現在このようなツァー企画会社は、試合のチケットをパックで販売するのを禁止していますから、入場券の価格は含まれていません。

あれだけ大勢の日本人若者が行っているのだから、結構リーズナブルと思うかも知れませんが意外と高いことがこのサイトで解ると思います。

一方、日本人サポータの10倍と云われたコロンビアではどうなつているのでしょう。
日本・ロシア間とコロンビア・ロシア間の距離はさほど変わりませんが、国民所得には大きな差があるのに何故あんなに多くの人が、ロシアまで来れるのか?
私が、アルゼンチン在住中ドイツまで見に行った経験では・・・・
サッカーワールドカップの為に会社を休むのは、大目にみてくれます。「行ってこい」といわんばかりでした。
南米では、このような応援ツァーのほとんどは、1年〜3,4年のローン・分割払いが当たり前で、3年後・4年後の次のワールドカップツァーの為に貯金しているのです。

さて、次は日曜日24時のセネガル戦、ここで決めて欲しいものです。
posted by 西沢 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | (カテゴリーなし)