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2018年01月17日

独身、生涯未婚の実兄の介護

長兄を見舞ったのは、昨年の5月、明日手術と云う前日で、ちょうど中学の同級会が開かれる日で故郷に帰っていた日でした。その時は初期の盲腸がんのステージ1で、転移はしていないようで、簡単な手術で終わると云う説明でした。一泊二日の同級会が終わった後、次兄に連絡してみると、前日発熱があり手術は延期とのことでした。

そして、次々に変化していく、実兄の病状。
ステージ1の初期ガンが、検査を重ねる結果、手術不能の末期がんステージ4だと云うのです。
夏の時点で、今年一般持つかどうかの余命宣告が下されました。
故郷の信州には、結婚し夫に先立たれた実姉と、親の家を継いだ次兄がおり、二人には知らされましたが、長兄(72才)には余命は伏せられたようです。
病院側は、不要な延命治療・処置はせずに、患者が残された時間好きなように過ごすお手伝いをすると宣言し、市内のカトリック系のホスピスを紹介してきました。

長兄は、高校卒業後上京し就職したものの、その後何度も職業を変えて40才を前に、実家の母親が心配して帰郷させて母親が亡くなるまで面倒を見ていました。長兄は仕事が安定しない独身、いわゆる「寅さん」状態で、家族・兄弟のなかでの心配種でした。
母が亡くなってからは、兄弟疎遠になっていたものの、経済的にも不安な一人暮らしで、病気それも末期がんとなれば放っておけるはずもなく、姉とちょうど72才で2度目の退職を果たした次兄が、連日の送迎や立ち合いをしてきました。

信州の早い紅葉の季節、訪問介護の看護婦さんから、認知症の兆候があると云われたそうです。
確かに、一日自分のアパートで一日テレビとレンタルビデオの映画を見ているだけの生活、この頃ようやく介護認定で下され週に二度、ヘルパーさんが訪問するようになり食事も幾らか改善されたのですが・・・数十年に渡る男の一人暮らしによる栄養の偏りや運動不足は70才を越した肉体を蝕んでいったのです。

10月、姉の提案でまだ体が動き、車での旅行に耐えられる体力のある時に、兄弟4人で一泊旅行に行こう、つまりお別れ・思い出造り旅行です。この費用は、遠く鎌倉にいて何も出来ない私が全て持ちました。
宿の温泉でのショッキングが出来事がありました。
一緒に露天風呂に入った時、隣の長兄と話しをしだすと、兄は「どちらから来ました?」と問いかけるので「鎌倉です」と答えると兄は「私の末の弟も鎌倉に住んでいるのです」と云いだしました。何か変だ、勘違いしていると思いましたがそのままにしておきました。
その兄はお風呂から上がる時に、よろけて湯舟に倒れ、そばの人が手を差し伸べ、「このお爺さん、大丈夫」と云うのです。
私よりも三つ上の72才が「お爺さん」と呼ばれるのです。
ここで、ドクターの余命宣告年内・・・と云う言葉を思い出しました。

今月、お正月が過ぎて10日頃、次兄から体調が悪く、ホスピスに入院したとの連絡があり、姉からも意識がしっかりしており、認識出来る状態の時に一度、帰省して、顔をだしたほうが良いのではと、連絡が有り、翌日新幹線で向かいました。
正直、あと何回、このように電話連絡の度に新幹線の自由席に飛び乗るのか、受け持っている講座に穴が開いた時、どう処置するか、
予定している飛行機を使った国内旅行は行けるのか・・・と考えながら
posted by 西沢 at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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