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2019年10月16日

台風19号、生まれ育った故郷の街、長野市の大水害

日本列島は災害列島と云う、いつも何処かで、台風や地震の災害が発生している。
しかし、首都圏の温暖な街に住んでいると、それは何処か知らない土地、縁のない場所であり、
大変だろうな、とは思うが、それは全く見知らぬ他人の上に起きた災害と捉えているのも事実である。

しかし、今回の台風19号の災害は、私の生まれ育った場所で起きた。
私は、長野県長野市、善光寺の境内を遊び場として育った。
生まれ育った家は、長野市の大繁華街、盛り場のど真ん中でした。
県一番のアーケード街があり、小学校の頃から、すでにスーパーマーケットで日常的に買い物する環境、小学校への通学路は、赤い灯青い灯の歓楽街の裏小路でした。
ここで18才まで育ち、上京し、若くして海外にで、帰国した時には、商売をしていた両親は、市内西側の新興住宅地に家を建て、引っ越していました。

そこは、母の実家近く、近くには犀川と千曲川が合流する箇所から1.5Kほどの、当時は長野市の規模からする郊外の田舎でした。

台風19号の長野市水害のニュースを聞いて、両親亡き後実家を継いでいる兄に電話して状況を聞きました。
テレビで報じている浸水場所の地名は、18才まで暮らした私には全く知らない地名でした。
千曲川堤防決壊現場から5km離れた場所でも、床上浸水と聞いていました。
確か、兄の住む、今では唯一帰る故郷の家は、たしか千曲川に近い、と云う事は知っていたからです。電話先の兄に聞くと、実家は周辺、全く問題ない、決壊したのは、昔、自転車で遊びに行っていた、村山鉄橋の先、「穂保」と云う名の地区だと云います。



長野市は市町村合併を繰り返し、巨大化しているので、その名前を聞いても全く解りません。
兄は「アップルライン」の周辺と云うのを聞いて、凡その場所の見当がつきました。
JR信越線に沿って、新潟方面に行く国道のバイパスとして、千曲川に沿って出来た、私の遠い記憶の中ではスーパー国道です。しかし、今は高速道路が出来て、この周辺リンゴ園はどんどんと宅地化されているようです。

TV画面の被災者のインタビューを聞いていても、この土地を買い、家を建てた時に、千曲川による災害と云う事は全く考えもしなかった、と答えています。
確かに、長野市で生まれ育った私にとって、台風とは、遠い西日本や海に近い首都圏の話、どんなに大型の台風が日本列島を横断・縦断しても、四方を高い山々で囲まれた長野の盆地にやってくる台風は、勢力を極端におとしたものとしか考えきれないからです。

しかし、浸水災害の後のニュースで知ったことですが・・・
市発行のハザードマップではこの地域は、100年に一度の豪雨があった仮定した場合、千曲川から5KM範囲は最大4mの浸水があると記されているとのことです。
そして、また或る識者によると、自分の住む地域の地図に書かれて地名に注意すべきと云います、今回浸水した地域から「赤沼」「長沼」と云う地名が読み取れるのです。
明らかに、大河に沿った湿地帯、水に縁のある場所なのです。
と、云っても後の祭りですが。
実際、家を建てる時、そこまで考えないでしょう。

nagano19-1.jpg実兄に、「今の家を建てる時、千曲川からの距離や水害について、何か考えた?」と聞いて見ました。
「全く、露とも思わなかった」だれもそんなことを考える長野県人はいない。
「あの堤防が決壊するなんて」
「土地の値段と、会社までの車の通勤経路しか考えなかった」
私は「これからどうするの?」
「どうするって、来年後期高齢者になると云うのに、今更、この故郷を離れるなんて出来ない」
「この災害を機会に、国も県も対策を考えるだろうから、それに期待するしかない」

NHKのニュースを見ていて、ちょっと耳にしたことがある地名がありました。
何処で聞いたっけ、記憶を辿ると中学校の同級生の女性の家がある場所です。
彼女、生涯独身で定年退職してから、あの地名の場所に新築の家を建てたのを、新居の案内ハガキで知りました。
彼女の家、どうなっているのだろう。
しかし、今は連絡を取るのはよそう。
もし、重大な損傷があったら、かける言葉も、手助けも出来ないのだから。
posted by 西沢 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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