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2019年02月18日

月に一度、横浜の日の出町、黄金町、福富町界隈に行く理由

首都圏、横浜地区にお住まいの男性の方はこの住所の意味することはご存知だと思います。
そして、定年退職した団塊世代のおっさん、まだそんなに元気なの?思うかもしれません。
この「日の出町、黄金町、福富町界隈」とは、都内ですと、新宿歌舞伎町や台東区、浅草裏手の千束が相当する、地域です。
退職して15年になりますが、月に一度出かけています。
理由は・・・後から書きますが。

fuku.jpg現役当時、仕事は建設業、それも大型現場の監督ですから仕事柄、職人さんの会社との付き合いが毎週のようにあります。
懇親会やら技術講習会やら安全講習やら何かと理由をつけて、一つのプロジェクトを最後までみんなで力を併せて竣工のまで事故なくやりましょう。的ないわゆる親睦・飲み会・憂さ晴らし会で、二次会から先、若い、元気な有志に誘われて、嫌々ながら?一緒に行き、汗を流し、タクシークーポン券で帰るような、特殊な風俗指定地域です。

地域にも格がありまして、関内から近い伊勢佐木町から遠くなるほど格がさがり、黄金町は、黒澤映画「天国と地獄」で場末のモデルとなった場所、10年前はかなり、外国人で荒れていた場所でした。

私が月に一度行く場所は中間の日の出町です。
誤解を招かないように書きますが、半分仕事の為です。
ご存知かと思いますが、風俗業界が一番ネット化、web化、スマホ化をいち早く取り入れた業界なのです。気軽に、家庭、事務所の電話では話しづらい内容を、携帯、パソコン、スマホで出来るようにしたのが、この業界です。

退職直後、専門学校に入り直して、web言語、プログラムを学びました。
専門学校で一緒に机を並べていたのは、超若い世代ばかり、そのなかで30代後半の若者が一番年が近く、何かと出来ない50代のおっさんの面倒を見てくれました。
彼は、元のweb会社を退職し、失業手当を早くもらうために受講しているだけで、講座の内容は全く必要なかったのです。
卒業と同時に新しいweb会社に勤めました。
その会社の主な客先が、横浜の風俗業界だったのです。

kogane.jpg卒業して1年後、彼が勤めていた会社から独立した時に、会う機会がありました。
仕事の内容を聞いて見ると、横浜の風俗店を専門にやっているようで、その中に、昔よく行ったお店がありました。
そんな、話をしてから数か月後、そのお店のページを手伝ってもらいたいと云う連絡がありました。彼が仕事でそのお店で雑談のなかで、私が現役時代よく接待で使ったと云う話をすると、店長が覚えていたそうで懐かしいので一度一緒にきてくれと・・・という話になり、その後忙しい友人からその店のメンテ、書換を月に一度頼まれるようになりました。
通常、ホームページの書き換え、メンテはオンラインで済ませるのですが、このお店の店長とは、昔ながら戦友的な意味合いもあり、月に一度、お掃除のおばさんたちと交じって、午前中の数時間お店の事務所でやっています。

風俗業界の平日午前、昼はシニア男性でもっている
ああいったお店には、待合室や入口にカメラがあります。
仕事をしながら見ていると、もう平日の午前中はお客さんは、圧倒的にシニア男性ばかりです。
どうみても私よりも年上のおじいさん、店長に聞くともう20年近く通っているとでか、脳梗塞の後遺症で歩きづらい男性もいますし、車椅子の若者、介護施設の送迎車でくる身障者の姿見ています。ここの女性たちは、天使の如く、優しく接してくれているのを私は良く知っています。

もうしばらく、少なくともあと数年は、このお店の裏から、シニア男性を眺め続けましょう。
posted by 西沢 at 08:11| Comment(1) | TrackBack(0) | シニアライフ
この記事へのコメント
大学3年の時、北海道への旅行費用を稼ぐために保土谷区の建設現場にいました。

仮設の飯場に寝泊まりしながら、左官用に40Kgのセメント袋を4階まで運ぶのがキツク、肩に担ぐのではなく子供を負ぶるように腰で運ぶコツを教わりました。

稼ぎの良い港湾荷役に行った友達がいましたが、箸より重いものを持ったことのない私には、生れてはじめての工事現場でも「岡林信康の山谷ブルース」の心境を体験できたものです。

そして打ち上げの時に、監督さんが連れて行ってくれたのが黄金町でした。当時、「青江三奈の伊勢佐木町ブルース」が流行っており、歌詞と同じのネオン街に度肝を抜かれたことを思い出しますが、あれから50年が経つんですね。


Posted by ロッキー at 2019年02月18日 10:21
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