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2019年02月14日

リタイヤ年金シニアの沖縄の旅 その4 沖縄南部 戦跡と最大の聖地巡り

1月、沖縄の観光地に行くと、訪れている観光客の90%は外国人、特にアジアから観光客かと思うほど多い、とくに冬はの季節は、韓国、中国からの暖かさと青い海を求めて、初めての日本なのだが、東京・京都ではなく沖縄にくる若い世代が増えていると話でした。
確かに、那覇市内は勿論のこと、那覇からかなり遠い東側の本部半島の今帰仁城址にも、海外からの観光客の姿が目立つていました。

nanbo00.jpgしかし、ここ、糸満を中心とした南部では、全くアジア人観光客はゼロでした。
外国人が全くゼロではなく、欧米系の白人が一人が私たちと同じ路線バスに乗っており、降りる時も一緒だったので聞いて見ました。
「なんで、ここに来たの?、観光地でもないところに」と。
彼はアメリカ人で親戚に日系三世がいて、太平洋戦争の沖縄戦について聞かされていて、花をささげに来たと話していました。

レンターカーなしの沖縄南部への旅は苦労します。
今、沖縄の個人ツァーを検索すると、必ずレンタカーが込みの値段が書かれています。
確かに鉄道のない沖縄を旅するには、車のほうが便利ですが、何度もブログで書いていますように、私たち二人は
60才、57才で運転免許証の更新をしませんでした。
※蛇足、65才で海外旅行を卒業し、パスポートも更新しなかった為、写真付きの身分証明証は当初こまりましたが、今は、マイナンバーカードで代用しています。
鉄道がない分、沖縄はバス便が発達しています。
しかし、沖縄南部の戦跡やパワースポットへのバス便は非常に少なく、辛うじて繋がっている程度です。昔と違って、現代はどんな小さなバス会社の小さなバス停でもネット上に時刻表があるので助かります。

今回の旅では、南部の戦跡と、沖縄最大の聖地、聖場御嶽を一緒に1日で廻る予定でした。
しかし、平和祈念公園から聖場御嶽へは、バスは繋がっておらず、2日に分けていくことになりました。

ひめゆりの塔
nanbu03.jpg那覇バスターミナルは過去に三度何度きています。
昔ながらバスターミナルで、沖縄らしい雰囲気を残していたのが今回訪れた時、東京のバスタ新宿のような近代的のバスターミナルに生まれ変わっていました。
那覇からひめゆりの塔への直通バスはなく、一度糸満バスターミナルでの乗換が必要でした。
その便もバス会社が違い、ひめゆりの塔へ行くバス、琉球バス82番 玉泉洞駐車場行きは一時間に一本だけでした。
ここは、修学旅行では絶対必須の場所ですが、私たちが行った1月下旬は、修学旅行の生徒はおらず、レンタカーと那覇発沖縄南部一日観光ツァーのお客さんだけでした。
あの、現在の天皇陛下が皇太子時代に訪れて、火炎瓶が投げられた因縁の地ですが、今は静かに、日本の若者が入口で花束を買い、静かに同い年の女学生に想いをよせる場所となっていました。

平和祈念公園
nanbu01.jpgここも、修学旅行生必見の場所です。
団塊世代の私たちは、勿論生まれてはいませんが、内地、戦後生まれの日本人として、そして現代の沖縄が抱える米軍基地問題、辺野古キャンプ問題の原点となっている場所です。
どんなに短期間の沖縄の旅でも、ここへは一度は行かなくてはいけない場所です。
ここも、政治色はむかしよりも薄れ、綺麗な沖縄最南部の海が見渡せる公園となっていました。
帰りの糸満へ戻るバスは、やはり一時間に一本です。
ひめゆりの塔から来て、平和祈念公園で下りたのは、前述のアメリカ人青年と私たち二人だけでした。

nanbu02.jpg降りたバス停の先の木陰で、小柄な沖縄の「おばー」二人が座って話していました。
平和祈念公園からバス停に戻ってくると、この二人はまだ座って話していました。
私たち二人を見て、「おばー」が話しかけてきました。「今日は暑いね、どこから来たの?」的、他愛もない話です。TVなどの旅番組では、よくある地元の人たちとの会話・交流です。
団体ツアーやレンタカーでは絶対にない、個人自由旅行バス旅ならでは一瞬で、この沖縄の旅の中で一番心地よい時間でした。

聖場御嶽へ
聖場御嶽と云う名前は、35年前初めて沖縄に来た時に耳にしました。sefa01.jpg
耳にしたのは、この聖地の先にある、神の島「久高島」へ行った時です。
那覇の首里と聖場御嶽と久高島はほぼ一直線に繋がっている琉球王国最大の聖地、祈りの場なのです。久高島は35年前、仕事上のお付き合いの会社の社員旅行で来ました。
その時同室だった同年代の社員の方が鹿児島出身、薩摩の歴史に詳しく、フリー観光の日一般観光よりも是非、久高島に行きたいと一緒することにしました。
その当時の那覇バスターミナルは、本当に戦後まもない、沖縄の雰囲気が残っていました。
今でも、久高島に行く内地の観光客はほとんどいないのですが、35年前は全くの無名の存在でした。久高島へは今ではフェリーがありますが、当時は、1日2便の漁船兼物資運搬船だけでした。

sefa02.jpg久高島では、物を売るお店も、食堂も全くありませんでした。
内地からの二人の若者は「何をしに来たの」と云う顔で見られ、初めてここで聖場御嶽と云う名前を知りました。
ここで生まれた女性だけが神の言葉を受け継ぎ、祈りをささげられるということを知りました。
あれから35年、今回初めて、ようやくこの聖地にくることが出来ました。

ここは、近年、パワースポットとして知られるようになり、観光客用の施設も整備され、ひめゆりの塔や平和祈念堂で全く見かけなかったアジア系観光客の姿を多く見かけました。
祈りの場である三庫理(サングーイ)の巨大な岩の重なりの三角形が神秘的でねインスタ映えするのでしよう。しかし、その先の拝所のさきに見える、久高島の本来の意味も役割も、日本人も知らないことでしょう。

今回の沖縄四日間で、今まで行けなかった、今帰仁城址と聖場御嶽へ行くことが出来ました。
これまで、沖縄本島は5回、久米島、宮古島、へ行き、石垣を含む八重山諸島を訪れてきました。
後何回、行くことになるでしょう。
出来れば、民間人が自由に行ける最南端の波照間島、最西端の与那国島へは、マイレージが残っている間に行きたいと考えています。






posted by 西沢 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | シニアライフ
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